想いが何度も繰り返させる

ハチ助

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7.不敬行為と未練

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 もの凄い早さの歩調で自室に向かうアスター。
 温厚だと定評のある第三王子が、不機嫌そうな顔をしながら大股で歩く姿に城内の人間が驚き、皆振り返る。
 そんな視線が気にならない程、アスターの中には怒りの感情が溢れていた。
 その状態のまま自室付近に到着すると、部屋の前で幼少期から仕えてくれているベテラン侍女のマイアがオロオロしている。

「マイア!! リアはまだ中に!?」
「は、はい! ご一緒にお忘れ物のお探しをと申し出たのですが、ご不要だとおっしゃられてお一人で……」

 マイアのその報告を最後まで聞かず、アスターが乱暴に自室の扉を開く。
 しかし、そこにリアトリスの姿はなかった。
 それを瞬時に確認したアスターは、すぐに自分の寝室の方へと足を向ける。

「リアっ!!」

 婚約者の名を叫びながら乱暴に寝室の扉を開けるとアスターの予想通り、そこにはリアトリスの後ろ姿があった。
 アスターの呼びかけに一瞬ビクリと反応し、ゆっくりと振り返える。
 しかし婚約者は、何故かビオラから贈られた金のナイフを手にしていた。

「アスター……様……? 本日は視察に行かれたのでは……」

 茫然としながらそう問い掛けてきたリアトリスから、アスターが乱暴にその手にしていた金のナイフを奪う。

「視察は急遽別の場所に変更になって、たまたま早く終了したんだ……。それよりも! 何故ありもしない忘れ物を探しに僕の部屋に勝手に入り、君はこのナイフを手にしているんだ!?」

 鋭い視線を向けて詰問すると、リアトリスが視線を逸らす様に俯いた。
 そんな婚約者をアスターが怒りと悲しみの入り混じった表情で睨みつける。

「どうしても……どうしてもアスター様が、ビオラ様から贈られたその金のナイフを所持されている事が、我慢ならなかったのです!」

 絞り出す様にそう答える婚約者のその言葉にアスターが、苛立ちを吐き出すように息を吐く。

「リア! この間、君からの贈り物である銀のナイフを僕が受け取った際、君はもうこの件に関しては、納得したと言ってくれてたじゃないかっ!!」

 アスターにそう責められ、リアトリスが悔しそうな表情をしながら更に俯く。

「君は……今、自分が何をしようとしていたか分かっているのか!? 婚約者とはいえ、第三王子の寝室に勝手に入り込み、そこから物を盗み出そうとしたんだ!! これがどういう罪になるか、よく分かっているはずだよねっ!?!」
「窃盗罪……及び王族に対する不敬罪になるかと……」

 視線を逸らしたままそう答える婚約者にアスターが悲痛な表情を浮かべる。

「分かっていたのなら何故……」
「それでも……それでも! その金のナイフがアスター様のもとにある事が、許せなかったのです!」

 そう言ってリアトリスは、アスターの手の中にある金のナイフを忌々しそうに鋭い目つきで睨みつけた。
 その婚約者が初めて見せた表情にアスターが、茫然としながら落胆する。

「リア……。そんなにビオラの存在が許せないのかい……?」

 思わずこぼしてしまった言葉にリアトリスが、驚く様に目を見開いた。
 しかし……すぐに厳しい表情に戻り、ゆっくりと頷く。
 その婚約者の静かな返答にアスターは、片手で顔を覆った。

「やはり無理そうだね……。このまま君との婚約を続ける事は……」
「アスター様……」
「もし君がこのまま僕の婚約者であり続け、最終的には妻になってしまうと……少しでも僕に関わって来た女性に対して、異常な程の深い嫉妬心を抱く君では、今後も社交的付き合いが多い僕の妻を務める事は難しい……」

 絞り出す様に告げるアスターの言葉にリアトリスが、グッと唇を噛む。

「リア……。君はこの13年間、僕の婚約者としての教育を本当によく頑張ってくれた。その事に関しては、心の底から感謝しているよ……。でもこの三年間の君の振る舞いは、第三王子の婚約者としてはあまりにも酷過ぎる……」

 まるで諭すように静かに話すアスターの言葉にリアトリスが俯いた。

「この件は公にはしない。だから君が今日してしまった僕に対しての不敬行為は、僕だけの中にしまっておく。でも僕には、このまま君との婚約を続ける自信がないんだ……。もし君が僕の妻となり、そしてもしホリホック兄上が、ビオラを妻に迎えてしまったら……。君は一生、義姉という立場のビオラに対して、今のような嫉妬を抱き続けるだろう? それはルリジア王家的にも印象が良くないし、何よりも僕がそういう君の姿を見続ける事には耐えられそうにない……」

 アスターのその言い分にリアトリスの表情が、かなり強張る。

「君は優秀な女性だ。でも僕の傍にいればいる程、嫉妬に狂う残念な女性になってしまう。だから僕らは、別々の道を歩んだ方がいいと思うんだ……」
「アスター様……」
「父と母には明日にでもこの件を相談しようと思う。だからリア……」

 そこでアスターは一度言葉を溜め、それからゆっくりと口を開く。

「僕との婚約解消を少し……考えておいてくれないか?」

 アスターがあえて『考えて』と言ったのは、もし婚約解消の話し合いが拗れるようであれば、婚約破棄もありうるという意味も含んでいる……。
 その言葉に一瞬目を見開いたリアトリスだが、その後ゆっくりと瞳を閉じて小さく息を吐いた。そして再びゆっくり瞳を開くと、今度は見据えるように真っ直ぐアスターの目を見つめ返す。

「アスター様のお心に従います……」

 そのあまりにも聞き分けの良いリアトリスの返答にアスターが驚く。
 正直なところ、なかなか聞き入れてもらえないだろうと覚悟していたからだ。

 そしてこの三年間、ずっとアスターが感じていた違和感がこれだ。
 ビオラやホリホックに対して過度な暴走行為をしたリアトリスは、何故かその直後に以前のような完璧な淑女を彷彿させる振る舞い方をする。
 それはまるで……リアトリスの中にもう一人別の人格がいるのではないかと思ってしまう程、コロコロと振る舞い方が変わるのだ。
 だからこそ、アスターは再度確認せずにはいられなかった。

「リア……。本当にその方向で話を進めてもいいんだね?」
「はい。王族の方に対して不敬行為を働いてしまったわたくしには、もう弁解する資格は一切ございませんので……。それに実際この三年間、わたくしはアスター様を呆れさせるような行動ばかりをしていた事には、自覚がございました。ですが、今後それを抑えられるかと問われれば難しいと思います。特にビオラ様が関わる場合は……」
「リア……」

 するとリアトリスが悲しそうな笑みを浮かべる。

「むしろ先程の不敬行為を不問にして頂けるご厚意に感謝致します……」

 そう深々と頭を下げるリアトリス。
 その態度からアスターは、ずっと感じていた違和感を更に強める。
 先程、アスターの寝室から金のナイフを持ち出そうとしていたリアトリスとは思えない程、自分の状況を理解した上での常識ある返答。
 この間の誕生パーティーでの振る舞いの翌日、謝罪と銀のナイフを贈り直しに来た時もそうだった。

 この三年間、このリアトリスの不可解な状態が、ずっとアスターに婚約解消の考えを起こさせなかった。こうやって自分の過ちを素直に認め、それ相応の制裁を潔く受け入れようとするリアトリスの振る舞いは、アスターがよく知っている以前の彼女に戻ってくれたような印象を強く感じさせる……。

 だがこの三年間、彼女らしからぬ常識外れな行動が多かった事は事実だ。
 現に今、婚約者の立場を利用し、王族の寝室に無断で侵入した挙句、嫉妬心からとは言え、そこから護身用で常備していた武器を持ち出そうとした。
 その行動に対してのアスターの婚約解消の打診は、間違ってはいない。
 しかし何故かアスターは、それが誤った判断ではないかと思ってしまうのだ。
 それは今の様に以前のリアトリスに戻ったような状態になる時は、特に……。

 その矛盾した考えが浮かんでしまう自身の状態にアスターが戸惑っていると、リアトリスが更に言葉を続けた。

「明日、陛下とのお話合いが済みましたら、お呼びください。その際はすぐに父と共に登城し、婚約解消のお手続きを致しますので……」
「分かった……。だけど婚約解消の手続きの前にまずは、その件で話し合いをしたい。僕だけの意見で、いきなり婚約解消の手続きを進めてしまう事は、あまりにも一方的だから……。その話し合いの場には君を気に入っていた母も同席させるし、同じ女性の立場ならば、僕との婚約解消後の君への配慮した意見も出してくれるだろう。だから手続きの方はその後になると思う」

 王族との婚約を解消されれば、その後のリアトリスの嫁ぎ先に暗雲が立ち込める。それを配慮して提案したアスターだが……。
 自分で口にしておきながら、どうも頭の中ではその未来が全く想像出来ない。
 リアトリスが自分以外の男性に嫁ぐ未来。
 彼女が自分の隣からいなくなる未来。

 この三年間、リアトリスには何度も呆れや苛立ち、そして落胆させられる行動ばかりを見せられてきたアスター。
 それが常に頭痛の種であったのだから、婚約を解消すればその苦労から解放されるはずなのだが……。
 その選択は、何故か間違っているではという考えが頭から離れない。

 そんな思いが表情に出てしまっていたのだろう。
 リアトリスが、やや心配そうな表情で顔を覗き込んで来た。
 それに気付いたアスターが、ハッと我に返る。

「ごめん、リア。少し頭の中が混乱してしまっていて……」
「アスター様……。遅かれ早かれ、自身では全く抑えられないこの嫉妬による非常識な行動から、この結果が訪れる事はわたくしも覚悟の上でした。ですから、アスター様のこのご判断は、間違っておりません。その様にアスター様が気に病まれる事は全くございませんわ……」
「リア……」

 自分から婚約解消の件を打診したにもかかわらず、何故かアスターからは、未練がましい声で出てしまった。そのアスターの様子に一瞬目を見張ったリアトリスだが、やや寂しげな笑みをすぐに返して来た。

「本日は不敬を働き、誠に申し訳ございませんでした……。自分の犯した罪の責任は、この後どんな判断が下されようとも全て受け入れる所存でございます。そちらがお決まりになりましたら、すぐにお呼びください……」

 そう深々と頭を下げて謝罪したリアトリスは、静かに寝室を出て行った。
 その後ろ姿を見送りながら、何故かアスターは自分が大変な間違いを犯した様な気がしてならなかった。

 そんな理由の分からない不安を抱えてしまったアスターは、婚約解消の件を両親に切り出す事に抗う気持ちが生まれていた。
 長い期間、婚約者であったからなのか、何故かその踏ん切りを付けようとすると、頭の中で激しく抵抗する自分がいるのだ……。


 そんな自分の気持ちの整理が付けられなくなったアスターは、両親のもとではなく、長兄ディアンツのもとへと向う。長兄ならきっと、このよく分からない矛盾した感情の原因を的確に言い当ててくれるような気がしたからだ。
 そんな希望を抱き、長兄の執務室の扉をノックすると、入出の許可が出る。
 中に入ると、かなりのスピードで書類の山を処理している長兄ディアンツの姿があった。

「兄上、頼まれていた視察の件ですが、只今戻りました」
「随分と時間が掛かったな……。予定では一時間前には戻れるような事を言っていなかったか?」
「それが……その……」

 帰りの馬車の中で作成した視察報告書を渡しながら、口ごもるアスターから厄介事の雰囲気を察したディアンツが書類から目を外し、小さく息を吐く。

「言っておくが……今日まではホリホックの担当はお前だからな」
「ホリホック兄上の事ではございません。リアの事で少々……」
「リアトリス?」

 予想していなかったのか、ディアンツが意外そうな表情をする。
 すると、アスターは先程の寝室で起きた件を兄に話した。

「なるほど。確かにリアトリスのその振る舞いは、婚約解消を打診されても仕方のない行動だな……」
「はい……」
「それで? お前としては、どうするべきだと考えているのだ?」
「リアは三年前から、ビオラに対しての問題行動が、かなり目立っておりました。ここ最近は特に酷くて……。その延長で、本日の様な事を起こしているので、本来ならば早々に婚約を解消するべきだとは思います……」

 そう口にした弟をディアンツは、じっと見つめる。
 アスターと同じ淡い水色の瞳が、全てを見透かすような視線を送ってきた。
 その視線から逃れる様にアスターは、そっと目を逸らす。
 するとディアンツが、大きなため息をついた。

「何だ。お前の中では、すでに答えが出ているではないか……」
「何をおっしゃっているのですか? 答えが全く出ないので兄上にご相談しているのではありませんか……」
「いや、出ているだろう。お前は王族としての立場では、リアトリスとの婚約は取りやめるべきだと思ってはいるが、気持ち的部分では婚約解消を望んではいない。すでにそれが答えだと私は思うのだが?」
「ですから! その二択で僕は迷って……」

 するとディアンツが面倒臭そうに口を開く。

「そこまで考えているのであれば、後はお前が王族としての立場を選ぶか、自身の気持ちを優先させるか、それを選ぶだけだろう? そもそもお前はどうしたい? 迷ってしまっている時点で、すでに答えは出ているのでは?」
「それは……その……」
「私はお前がどちらを選んでも構わない。だがもしお前の立場なら、私は自分の気持ちを優先させる。自分を捻じ曲げてまで王族の義理など通したくもない。そもそも私なら、今のお前の様な状況になる前に早々に手を打つがな」

 ぐぅの音も出ない言い方をされ、アスターが押し黙る。
 そんな弟の様子を見て、ディアンツが呆れながら笑みを向けてくる。

「お前は……何故、自分が気持ち的部分でリアトリスとの婚約解消を望んでいないのか、その辺をよく考えた方がいいのではないか?」
「それはリアとは物心付いた頃から、ずっと婚約者であったから……」
「それだけか? 私からしてみるとお前は子供の頃から、何故かリアトリスを守るのは自分の使命のような考えで、行動している様に見えたが? 現に三年前に彼女が豹変した事で、落ちてしまった彼女の評判を必死で回復させようと、奮闘していたではないか……。普通に考えれば、リアトリスのこの三年間の行いは、早々に婚約破棄を言い渡されても仕方のない案件だぞ?」
「それは! リアと僕の婚約は、ルリジア王家側に意味がある物で!!」

 すると、ディアンツが心底呆れるような表情をしながら、ため息をつく。

「お前は自分に向けられる好意には、すぐに気付けるのに自分が抱く好意には、救いようが無いほど無自覚なのだな……。普通は逆だろう? その辺は、少しホリホックを見習った方がいいと思うぞ?」

 半目で呆れた様な視線を送ってくる長兄に珍しくアスターがムッとする。

「兄上は僕がリアに恋愛感情を抱いているとでも?」
「それは知らん。だが、お前は子供の頃から婚約者である件を抜きにしても過剰にリアトリスを大切な存在として扱っていた事は、確かだぞ。特に5歳前後くらいの頃は、やたらとリアトリスにベッタリ付きまとっていた」
「この間、母上にも同じ思い出話をされました……」
「思い出話をされた? お前はその事を覚えていないのか? あれは子供の頃とは言え、少々過剰過ぎる執着だったぞ?」
「その……幼い頃の事なので、あまり記憶が……」

 アスターのその返答にディアンツが、今日一番の呆れ顔をする。

「お前は『こうあるべき』の前に『こうしたい』と感じる理由をよく考えた方がいい。そして婚約解消の件は、父上達に切り出す前にまずリアトリスと話し合い、本当は自分がどうしたいのか、その理由・・・・を彼女にしっかり伝えるべきだ」

 まるで心の中を見透かしたような長兄の言葉にアスターが大きく目を見開く。
 自分では認識していなかったリアトリスへの感情が、この長兄からの言葉で初めてアスターの中で正体を現わした。
 その感情はアスターの中にずっとあった物だが、当たり前のように存在していた感情だった為、自身がその名称を認識していなかった感情だ……。

 それにやっと気付いたアスターは、自分の抜けっぷりにかなり動揺する。
 同時に長兄が言わんとしている事も理解し、思わず渋い表情になる。
 すると長兄は、ニヤリとした笑みを浮かべた。

「どうだ? 私は13年間もお前が気付けなかった感情の存在を教えてやっただけでなく、お前が一番欲しがっていた答えを助言してやったぞ?」

 長兄の嫌味も含むその言葉に対して、アスターは素直に感謝の言葉を述べられず、逆に文句を言いたい衝動に駆られ、複雑な表情を浮かべた。
 その弟の反応に長兄が、満足そうに更に意地の悪い笑みを深める。

「そういう人を食ったようなお顔をなさらないでください……」
「生まれつきだ。この鈍感愚弟」

 すると、アスターがあからさまに不機嫌な表情を浮かべた。
 そんな不貞腐れ気味な弟に対して一瞬、ディアンツが優しい笑みを浮かべる。

「だが最終的にどちらを選ぶかは、お前が決める事だと思うがな……」

 そう言ってディアンツは書類に目を戻し、やりかけの公務を再開した。
 そんな長兄らしからぬ気遣いを垣間見たアスターが、一瞬だけ驚く。
 だが、すぐにアスターからも笑みがこぼれた。

「兄上、ご相談に乗って頂き、本当にありがとうございました」
「今回の視察代理での借りは、これで返したぞ?」

 その兄の返答を聞き流す様にアスターは、早々にそこから退室した。
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