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19.予想外の来訪者達

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「何故、お前がここにいる……」

 マイスハント家の執事であるローウェルに客間に案内されたハロルドは入室した瞬間、本来いるはずのないその人物を認識し、物凄い速さで大股に歩みよった後、いきなりその人物の顔面を右手で鷲掴みにした。
 その光景を見たローゼリアが両手で口元を押さえ、唖然とする。

「兄上!! ま、またこれですか!? 痛いのでおやめください!!」
「もう一度聞く……。何故、お前が、この場に、いるのだ?」

 ハロルドが顔面を鷲掴みにした相手は、本来このマイスハント家には足を踏み入る事が許されていないはずの弟のフィオルドだった。その弟をハロルドが目を据わらせ、地を這う様な低い声で問い詰めながら、徐々に右手にも力を込め始めた。

「ち、違うのです!! こ、これには訳がございまして……。って、あ、兄上! 骨……顔の骨が折れます!! と、とりあえず落ち着いてください!!」
「この状況で落ち着けるかっ!!」

 吐き捨てるように叫んだハロルドが、勢いよくフィオルドの顔から手を離す。
 その反動でフィオルドの首はガクンと下に向けられた。
 そんな兄の顔面鷲掴みから解放されたフィオルドは、呻きながら痛みを和らげようと左手で自分の顔面を労わるように撫でおろす。

「お前は本来このマイスハント家に足を踏み入る事は許されない立場なのだぞ!? 何故平然とした様子で訪問し、しかも当たり前のようにもてなされているのだ!! 己の置かれている状況を理解していないのか!?」

 まさか国王でもある父の許しも得ずに弟が独断でマイスハント家を訪れているとは、全く予想をしていなかったハロルドが怒りと呆れで弟を怒鳴り散らした。
 だが当のフィオルドは、心外だと言わんばかりに兄に訴える。

「ですが! 私は先日の夜会で謝罪し、ローゼからの許しを得ております!! ですから問題はござ―――」
「『ローゼリア嬢』……だ」

 凄むように鋭い視線を向けて訂正して来た兄の態度で弟が一瞬、息を呑む。

「……ローゼリア嬢の許しを私はすでに得ているので、こちらを訪れる事には何の問題もないかと……」
「問題しかない!! 大体、お前は父上よりこのマイスハント家を訪れる事は許されていなかっただろう!? お前はそれ程の事をこの伯爵家に対して行ったのだぞ!? その自覚がないのか!! そもそもここへ何をしに来た!!」

 矢継ぎ早にハロルドが責め立ててきた為、勢いに怯んだフィオルドが押し黙る。
 そんな兄弟の状況を見兼ねたローゼリアが、思わず口を挟んだ。

「ハロルド殿下。本日フィオルド殿下は、以前わたくしの悪評を広めていたご令嬢方の調査結果のご報告で来てくださったのです」

 すると一瞬、ハロルドから怒りの表情が抜け落ちる。
 だがすぐに渋い表情を浮かべ、眉間に深く皺を刻み始めた。

「それならばその報告書をローゼリア嬢に送ればよかっただけでは? わざわざお前がここへ訪れる必要性はないはずだ」
「ですが兄上、書面だけでなく口頭で伝えたい事もあったのです! それに訪問に関しては、以前ローゼ……リア嬢の許しを得ておりました!」

 弟のその言い分にハロルドが片眉を上げ、今度はローゼリアに視線を向ける。

「ローゼリア嬢、この愚弟にこちらへ訪れる許可をされたのですか?」
「え、ええ。まぁ……」

 視線を逸らしたローゼリアの反応にハロルドが、何となくその状況を察する。
 恐らくフィオルドがマイスハント家に訪れてもいいかと確認した際、ローゼリアは社交辞令のレベルで「必要があれば」と軽く返答しただけなのだろう。
 だがこの愚弟は、それを鵜呑みにして許可を貰えたと、自分の都合が良い方へ解釈したらしい。それが本日の突然の訪問に至ったのだろう。
 不幸中の幸いだったのが、愚弟が突撃を決行したこの日が、たまたまハロルドも急遽マイスハント家を訪れる事になっていたという部分だ。

「お前は……。本当に言葉の裏を読み取る能力が欠落しているな……」
「ですが、以前ローゼが――っ!」
「『ローゼリア嬢』だ!!」

 再びハロルドの訂正が入る。
 その度に言い直す事が面倒になってきたフィオルドが不服そうに口を噤む。

「彼女は確かにお前の訪問を許可するような返答をしたかもしれないが、それは明確な言葉での返答ではなかったはずだぞ? そもそもお前は本日ここへ訪れる事に関して、事前に彼女に許可を取ったのか?」
「それは……」
「どうせ、たまたま時間が空いたからと独断で行動したのだろう……。フィオ、お前は一応腐っても王族なのだぞ?」
「私は、まだ腐ってはおりません!」
「なるほど。では訂正する。腐りかけているとは言え、一応王族だ!」
「………………」

 清々しい程言い切った兄に対して、弟のフィロルドがガックリと肩を落とす。

「ローゼリア嬢にとっては、いくら腐りかけとは言え、立場が上の王族のお前から訪問の許可を打診されてしまえば、断る事が難しい状況に追い込まれるという考えには至らなかったのか!?」
「で、ですが、ローゼ……リア嬢と私は、そのように遠慮をするような仲ではな――――」

 フィオルドが言いかけた瞬間、再びハロルドが勢いよく弟の顔面を鷲掴みにした。再度兄から制裁を受け始めたフィオルドが呻き出す。
 しかし、このままではまた話が進まなくなると思い直したハロルドが、すぐにフィオルドの顔面を解放した。

「お前はもうローゼリア嬢の婚約者ではない……。『遠慮をするような仲ではない』だと? 勘違いをするな! それはあくまでも過去の話だろう!! 今のお前は常にローゼリア嬢に対して適切な距離保ちながら、彼女に対して酷い振る舞いをした事を懺悔し続けなければならない立場なのだぞ!? 今は彼女の厚意でお前の下らない内面改善の相談に対応して頂いている状態だが……。本来ならば、お前は彼女とは今後一切関わる事が許されない立場なのだぞ!」

 兄のその言葉を聞いたフィオルドは、思わずローゼリアの方へ縋る様な視線を向けた。その表情は、完全に見捨てられそうになっている子犬という状態だ。
 その視線を受けたローゼリアは、どう応えてよいのか分からず、苦笑しか浮かべられない。そんな弟の様子にハロルドが呆れるように盛大に息を吐きながら、フィオルドの頭を軽く掴んで自分の方へ向けさせる。

「フィオ、今お前が話をしている相手は私だぞ?」
「わ、分かっております!」
「全く……。お前は散々ローゼリア嬢に劣等感を抱いていた癖にいざ困り果てると、無意識に彼女に頼ろうとするのだな……」
「そ、そんな事は――っ!!」

 反論しようと口を開いたフィオルドだが兄の指摘が図星だった為、またしても押し黙る。そんな兄弟の不毛なやり取りを軌道修正させようと、ローゼリアがフィオルドへの助け舟を出し始める。

「ハロルド殿下。まずはお座りになられてはいかがですか?」

 ローゼリアが敢えて自分の隣の席を勧めると、一瞬だけハロルドが驚くような表情を浮かべた。その反応に気付いたローゼリアが、慌てて弁解する。

「その……恐らく今回はわたくしよりもフィオルド殿下とのお話し合いが主軸となるかと思いましたので、横並びでお話するよりも向かい合っての方がよろしいかと思いまして……」

 自分でも随分と言い訳じみた言い回しになってしまったと感じたローゼリアが、恥ずかしさから視線を膝上に落し俯く。その反応に今度はハロルドが苦笑した。

「気を遣わせてしまい申し訳ない。確かに横並びでは、話し合いというよりも私はこの愚弟に対して、すぐ手を出してしまいそうだ。ローゼリア嬢のお言葉に甘え、隣を失礼させて頂こう」

 そう言ってローゼリアの座っている長椅子の空いている方に腰を下ろし始めたハロルドは、先程の剣幕な雰囲気が少しだけ和らいだ。しかしフィオルドと向かい合った瞬間、再び目を据わらせる。

「それで? お前が持参したというローゼリア嬢の悪評をばら撒いていた令嬢達の報告書はどれだ?」

 当然の如くその資料を自分にも見せるよう要求してきた兄にフィオルドが、驚きの表情で返す。

「あ、兄上もご確認されるのですか?」
「私が確認してはいけないのか?」
「いえ……。そういう訳では無いのですが……」

 報告書を出し渋る弟の態度にハロルドが、不服そうに片眉を上げる。
 だがフィオルドは目を泳がせながら、そっとローゼリアに救いを求めるよう視線を送る。そのフィオルドの行動に今回はローゼリアも同意せざるを得なかった。

 もしハロルドがその報告書を見てしまったら、確実にリストに載っている令嬢達には、なんらかのペナルティーが与えられる可能性が高い。だが、それはローゼリアが望んでいる事ではない。

 同時にフィオルドもその事を懸念しているのだろう。
 エレムルス侯爵邸でローゼリアに謝罪をした際は、フィオルドもその令嬢達には、何らかの制裁が加えられるべきだと主張していたが、恐らくハロルドの場合、その制裁度合がきつい内容になる可能性がある。その為、この時ばかりはローゼリアとフィオルドの考えは一致した。

「ハロルド殿下、今はそんな事よりも折角フィオルド殿下も交えてお話出来る機会ですし、毎回お手紙で受けているご相談についてお話を致しませんか?」
「だが、ローゼリア嬢の悪評を広めた令嬢達の認識を先に……」
「悪評と言っても噂話程度のレベルでございます。その様な些細な噂に目くじらを立てていては、社交界ではやっていけませんわ」
「フィオがあのような愚行に走った要因でもあるのだから、噂話として軽視する事は危険な気がするのだが……」
「その件につきましては、私の調査結果を確認したローゼ自身が、その判断をするという事で話が……」

 するとまたしてもハロルドが、こめかみ辺りをピクリとさせた。

「『ローゼ』?」
「……ローゼリア嬢に判断を委ねるというお話になっております」
「たとえ判断はローゼリア嬢がされるにしても、その悪評を広めた令嬢達は王家の方でも把握しておくべきだ。でないと今後も社交界という場を利用し、情報操作で人を貶めるという事を平気でする人間が野放しになってしまう」

 ローゼリアとフィオルドの努力も虚しく、ハロルドは眉間に皺を刻みながら悪評をばらまいた令嬢達の情報を要求し続けてきた。だがローゼリアもそんな事で、多くの令嬢達がペナルティーを受ける事には納得がいかない。たかが噂をしただけで罰を与えるというのは、やや大袈裟過ぎる。
 そもそもその噂の鎮火も行わず、放置してしまったローゼリア自身にも原因がある。

 何とかしてハロルドの調査報告書に対する興味を逸らさせようと、ローゼリアはフィオルドにアイコンタクトを送り、二人で結託を始めようとした。そこは幼少期からの婚約者同士だっただけあって、フィオルドもその意図を読み取り微かに頷く。

 だが二人が話題逸らしで結託を開始しようとした矢先、絶妙なタイミングで部屋の扉がノックされた。その流れで話題が頓挫する事に二人は期待を寄せる。
 すると、ローゼリアの兄クライツが入室してきた。

「殿下方、お話中のところ失礼致します」

 だが入室して来たクライツの後に続いたのは、予想外な人物だった。

「ハロルド殿下、そしてフィオルド殿下。お話中のところ大変申し訳ございません。ですが、本日はローゼリア嬢に差し上げたい物がございまして。友人のクライツに無理を言い、こちらに案内して貰いました。恐れ入りますが、少々彼女とお話をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

 その予想外な人物は、昨日王太子と共にお茶席にいたルシアンだった。その状況にローゼリアとハロルドは驚き、フィオルドは怪訝そうな表情を浮かべながら、抱いてしまった疑問を口にする。

「ミオソティス伯爵家のルシアン殿が何故こちらに?」
「実は昨日、リカルド殿下へ領地管理の件でご相談があり登城したのですが、その際に同じく登城されていたローゼリア嬢にもお茶席にお付き合い頂きまして。是非そのお礼をしたいと思い、領地に戻りがてら、こちらのマイスハント家に立ち寄らせて頂きました」

 そう言って柔らかい笑みを浮かべたルシアンが手にしていた物は、恐らく焼き菓子類が入っていると思われる高級そうな木箱だった。

「もしや、今お手持ちのお品をわたくしに?」
「ええ。昨日お付き合い頂いたお礼にと。クライツに託せば良かったのですが……どうしても領地に戻る前に一目あなたのお顔を拝見したくて」

 そのルシアンの言葉にハロルドが、ピクリと片眉を上げる。対してローゼリアの方は、兄クライツにしか気付けないレベルで頬を赤らめた。

「ご領地への帰路の途中にわざわざ我が家にお立ち寄りくださったのですか?」
「はい。ですが、王族の方お二人のご対応をされていると伺っていたので、お渡ししたらすぐに失礼させて頂きます。こちらは今、社交界でも人気のジャン・リベルスターのプチ・フルールです。よろしければ皆様で、お召し上がりください」

 そう言ってルシアンが高級そうな木箱をローゼリアに差し出す。
 だがその様子を傍観していたハロルドが、急に会話に口を挟んだ。

「折角、立ち寄られたのだから、少しお二人でお話をされてはどうだろう?」
「ですが……お二人を残してでは……」
「構わない。そもそも今日は、この愚弟と二人きりで話したい事もある」

 ハロルドに白い目を向けられたフィオルドが、ビクリと肩を震わす。
 その状況にローゼリアが苦笑した。

「ではお言葉に甘え、少しだけ席を外させて頂いてもよろしいでしょうか」
「ああ、かまわない。クライツ殿も我々の事は気にしないでくれ」
「恐れ入ります。では少々妹をお借り致します」

 そう言って三人が退室して行く姿を若干涙目になったフィオルドが見送る。
 その弟の様子に兄ハロルドが盛大に息を吐く。

「フィオ、諦めろ。今はお前のフォローをしてくれるローゼリア嬢はいない。さっさとその悪評を吹聴していた令嬢達の調査報告書を寄越せ」
「ですが……。ローゼ、リア嬢の許可を得ないと……。そもそもその悪評で名誉が傷付けられたかどうかを判断するのは彼女自身では?」
「い・い・か・ら、寄越せ」

 再び目を据わらせながら、ハロルドが低い声で更に要求してきた。
 その凄みに負けそうになったフィオルドだが、ブンブンと首を横に振る。

「も、申し訳ないのですが、彼女の許可がなければ渡す事は出来ません!」
「ほう? 婚約破棄未遂の失態でお前も一応、慎重になる事を学んだようだな。だが、現在彼女の婚約者候補探しをしている私には、その不安要素について詳細を知る権利がある。そのような令嬢達を野放しにしては、彼女の婚約者探しに大いに支障が出るからな」

 自分には正当な権利があると言わんばかりに報告書を確認する理由を語ったハロルドは、いつの間にか出されていたお茶を口に含む。

 だが兄の言い分を聞いたフィオルドが、何故か驚くような表情を浮かべた。弟のその反応に今度は、ハロルドが怪訝そうな表情で返す。

「何だ?」
「いえ……」
「言いたい事があるのならば、はっきり言え!」

 やや苛立った口調で言い放ったハロルドは、冷静になろうとカップの中身を一気に飲み干し始める。するとフィオルドが、恐る恐るある事を確認してきた。

「その、ローゼの次の婚約者は……兄上ではないのですか?」

 弟が放った言葉を聞いたハロルドは、思わず飲み干そうとしていたお茶を噴き出しかけた。
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