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1巻
1-2
だが、先ほどクライツが口にした冗談めいた提案が頭をぐるぐる回り、なぜか落ち着かない気持ちだった。
その理由がわからないまま、ローゼリアは不満そうな兄にエスコートを促すよう腕を絡めた。
第二章 第二王子と釣書
婚約破棄騒動から一週間後――
ローゼリアは父親から、無事に婚約が解消されたことを聞かされた。
もちろん全面的に王家の有責として、マイスハント家には多額の賠償金が支払われる。
縁談の提案についても改めて約束したそうだ。
「ローゼ。良い縁談相手の紹介はあったか?」
見合い相手の姿絵と釣書を眺めていたローゼリアは、部屋に入ってきた兄クライツに渋い顔を向ける。
「お兄様、妹の部屋に無断で入らないでください」
「なにを今さら。可愛い妹の伴侶のことなら、兄である私も気になるじゃないか」
「だからと言って、後ろからこっそり覗かないでください!」
「ほぉ? ライデント伯爵家にクレイバース伯爵家……おお! ミルツナイト侯爵家もあるじゃないか。ハロルド殿下は随分と有益な相手を紹介してくださるな」
「ええ。ですが、どちらも王都からかなり離れた西側に領地をお持ちです」
「なんだ、兄と離れるのが寂しいのか?」
「いえ。お母様と離れるのが寂しいのです」
「お前は……ただでさえ冷たく見られるというのに、そんな可愛げのないことを言うとは」
「同じような印象を抱かれやすいお兄様におっしゃる権利はないかと」
「言ったな!」
クライツに額を軽く弾かれて、ローゼリアがわざとらしく額をさする。
一見すると冷たい印象の二人だが、兄の場合はそれが『クールでミステリアス』と魅力的に作用する。
だが、人をからかうことを趣味とするクライツは、決してクールなどではない。
周囲から兄の容姿が褒められる度、ローゼリアは釈然としない気持ちになる。
すると、釣書を眺めていた兄が表情を曇らせた。
「確かに、この三家は遠すぎるな……。こちらの希望も添えて、新たな候補者を紹介してもらったらどうだ?」
「ですが、かなり厳選されたお相手のようですよ」
「すぐに決めてしまうのは賢くないぞ。伯爵家以上で未だに婚約者を持たず、お前とつり合う年齢の令息となると、そう多くはない。折角、王家のお力添えがあるのだから、じっくり吟味してもよいのではないか?」
「そう、ですよね」
ローゼリアと年齢的に見合う令息のほとんどは、すでに婚約者がいる。家柄、年齢、本人の評価のどれもが申し分のない相手を探そうとすれば、王家でも困難を極めるはずだ。
そんな状況で今回紹介された令息たちは、かなりの高条件である。
しかし、当のローゼリアはなぜかその三人に魅力を感じない。
代わりに思い出すのが、弟を殴りつけたハロルドの勇姿だった。
颯爽と登場し、一瞬にしてシャーリーを弟から解放したかと思うと、しなやかな動きで力強い拳を放つ。
あの時の動きは美しい演舞のように、ローゼリアの記憶に深く刻み込まれていた。
なによりあの状況のシャーリーの立場が、羨ましくて仕方がない。
もしあの場所にいたのが自分であれば、彼の見事な動きを間近で見ることができたはずだ。
そんなことを考えている自分に呆れていたら、兄がなにかを企むような笑みを向けてきた。
「王家はお前の貴重な時間を無駄にしたのだ。せいぜい無理難題を突きつけてやれ」
強気な兄の言葉を聞いて、ローゼリアは思わず噴き出した。
◆◆◆
さらに一週間――
宣言通り、ハロルドが新たな婚約者候補の資料を持参してローゼリアのもとへやってきた。
どうやら彼は王家の一員として、弟の失態にかなり責任を感じているようだ。
父親と共に応接間に案内すると、彼は入室早々、深く頭を下げてきた。
「マイスハント伯爵、そしてローゼリア嬢。この度は愚弟の非常識な振る舞いで、大変不快な思いをさせてしまい誠に申し訳ない!」
「で、殿下! どうかお顔をお上げください!」
父が慌てて訴えるが、それでもハロルドは頑として頭を下げたままだ。
「ハロルド殿下。わたくしは殿下のご対応に十分誠意を感じております。どうか、お顔をお上げくださいませ」
申し訳なさそうなローゼリアの一言で、やっとハロルドは顔を上げた。
「本当になんとお詫びを申し上げたらいいのか……。愚弟と婚約していたこの十年、あなたの貴重な時間を王族教育に費やさせたというのに、それをこんなかたちで無駄にしてしまった」
心苦しそうな彼を気遣うようにローゼリアが言葉を返す。
「お気になさらないでください。こちらも貴重な教育を無償で受けることができたのですから」
「しかし……」
弟と違ってしっかり筋肉のついた体つきのハロルドは、一見細身に見えるほど背が高い。
そんな彼が罪悪感で縮こまるように肩をすくめている。
自分よりも圧倒的に大柄な彼が小さくなる様子に愛らしさを覚えたローゼリアは、慌ててこぼれかけた笑みを抑え込む。
そんな娘の反応に父親がわずかに笑みを深め、再びハロルドに向き直った。
「今回の件は、娘にもフィオルド殿下に寄り添えていなかったという落ち度がございます。殿下が責任を感じられる必要はございません。立ち話もなんですので、どうぞおかけください」
ハロルドは再び軽く頭を下げ、やっと長椅子に腰を下ろした。
目の前にいる彼は、どこから見ても立派な貴公子だ。
その彼が留学前は人を寄せつけない雰囲気だったという話を思い出したが、ローゼリアにはその状況がまったく想像できない。
そんなハロルドが側近から数冊の革のファイルを受け取る。
「本来であれば弟本人にも謝罪させるべきだが、父が『あのようなバカには謝罪の機会を与える価値もない』とかなり腹を立てていて……。ローゼリア嬢にとっても愚弟との面会はご不快と思い、今後も私に対応をさせていただければと思っている」
そう口にしながら、三冊のファイルを丁寧にテーブルの上に並べていく。
「だが後日、必ず本人からも謝罪をさせる。ひとまず婚約解消の賠償金については一週間前にご署名いただいた書面通り、今月中にお支払いをする予定だ」
ファイルを並べ切ると、彼は改めてローゼリアたちに向き直った。
「それから、縁談の件なのだが……先日お渡しした釣書の中に、気になるお相手はいただろうか?」
早々に本題に入ってきたハロルドに、娘ではなく父親が答える。
「どなたも素晴らしい方ばかりです。しかし領地が少々王都より離れすぎており、お話を進めるべきか決めかねております」
「ご息女の嫁ぎ先は王都に近い場所をご希望なのですか?」
「はい。娘には我が家が扱うワインの取引先開拓と、社交界に向けた特産品のアピールを任せたいと思っております。そのため嫁ぎ先には王都近くに領地を持つ方を、と考えておりまして」
ハロルドが顎に手を当てて考え込む。
「なるほど。王都近くに領地を持つ貴族なら夜会を開く機会が多く、ワインの需要もあるというわけか。そこに嫁いだご息女が特産品を大々的に紹介すれば、新たな取引先を獲得しやすいと。どうやら伯爵は、なかなかの商魂をお持ちのようだな」
「いえ。実はこの件は娘が言い出したことでして」
その返しを受けて、ハロルドは意外そうな表情を浮かべてローゼリアを見やる。
「ご息女が?」
マイスハント家にとって上客となるのは、夜会を頻繁に開く中央貴族たちだ。彼らの社交を通して流行が生まれ、国内の物流が活性化する。
逆に地方の貴族たちは社交よりも国防を重視し、夜会を開くことはあまりない。
近隣諸国への輸出ルートはローゼリアがフィオルドと婚約した際、王家の伝手で確立済みだった。
今後マイスハント家が狙う客層は、まだ契約を交わしていない中央貴族たちである。
そう考えたローゼリアは、王都近くに領地を持つ相手に嫁ぐことを希望した。
そのほうがワインの大口顧客確保に繋がるからだ。父と兄も賛成してくれている。
だがハロルドには、発案者が十六歳の少女だったことが意外だったのだろう。驚いた表情のまま、ジッと彼女を見つめている。
ローゼリアが気まずそうに微笑むと、彼はフッと息を吐いて柔らかな笑みを浮かべた。
「なるほど。立派な商魂をお持ちなのはご息女のほうだったか」
あまりにも魅惑的な表情を見せた王子にローゼリアの興味は全て持っていかれる。
だが、その笑みは彼がテーブル上のファイルに目を落としたことで消えてしまった。
「そうなると今回も、あまり期待には添えない可能性があるな……」
彼はそう呟くと、先ほど並べた釣書を手で示す。
新たに提案された三名の候補者は二十代前半、ローゼリアとも無理のない年齢差だ。
だが領地は王都から遠い。しかも、全員子爵家の令息だった。
「あの、殿下……」
気まずそうに声を上げた父親の態度になにかを察したハロルドは、悪戯が成功したような笑みを見せた。
「爵位のことであれば心配は無用だ。実は三家とも近日中に昇格が予定されている」
「な、なんと!」
「この情報はまだ極秘なので内密に。野心溢れる令嬢の目に留まっては困るのでな」
そう言って人差し指を立て、そっと口元に当てる。
どうやらこの第二王子は、意外と策士でもあるらしい。
ローゼリアの心が、またしてもざわついた。
困ったことに彼女の興味は提案される候補者よりも、ハロルド自身へ向かってしまうのだ。
そんな娘の心境を知らない父は、新たな候補者たちの情報をじっくりと確認している。
「ローゼ。気になる方はいるかい?」
急に話を振られて、ローゼリアは近くに置かれた釣書に目を落とす。しかし、情報がまったく頭に入ってこない。
「ええと、その……」
何度も内容を読み取ろうとしても、つい目が滑ってしまう。
「申し訳ございません、しょ、少々お待ちを……」
「いや、すぐに判断できることではないだろう。お父上と慎重に検討してほしい」
麗しい微笑みを惜しみなく披露する第二王子は、出された紅茶をやっと口にした。
王族だけあって、紅茶を嗜む所作一つとっても大変美しい。
とてもではないが、弟を殴り飛ばした人物とは思えないほどの優美さである。
その光景にまたしても見入ってしまったローゼリアは、再び声をかけられたことで我に返った。
「ローゼリア嬢」
「は、はい」
「今回提案した候補者たちでは、おそらく希望に添えないところが多いと思う。二週間後、改めて出直したいのだが、ご予定はいかがだろうか」
その申し出を聞き、ローゼリアはさらに慌てふためいた。
「い、いえ! 殿下に何度もご足労いただくなど恐れ多いことでございます。次回はわたくしから伺いたく存じます」
「だが今回はこちらに非があることだ。私が出向くべきだろう」
「その件につきましては、すでに誠意あるご対応をいただいております。なにより王族の方を何度も呼びつけては、我がマイスハント家の醜聞にも繋がります。次回はこちらから伺わせてくださいませ」
やっと平常心を取り戻したローゼリアは、いつもの澄ました顔に戻る。
その様子を目にしたハロルドが笑いを堪えるように片手で隠した。その反応にローゼリアは首をかしげる。
「……了解した。では二週間後、改めてお声がけしよう。その際にあなたが登城可能な日程を確認させていただく」
そう言ってハロルドはスッと立ち上がった。
「謝罪する立場で長居するわけにはいかないので、私はこの辺で失礼させていただく。今回は候補者の中でも、もし気になる人物がいれば遠慮なく言ってほしい」
彼は側近に目配せをし、部屋の出口へ向かう。
そんな第二王子を見送るため、親子もその後に続いた。
◆◆◆
ハロルドがマイスハント邸に来訪してから二週間。
再び縁談の件で声がかかり、ローゼリアは父ではなく兄クライツと共に登城した。
しかしハロルドの公務が押しており、二人はしばらく待たされることになった。
「それにしても、なぜお兄様が同行を?」
「父上では、お前の希望を聞き入れすぎるからな。私なら私情を挟まず公平な視点でアドバイスをしてやれる。どうだ? 心強いだろう」
「お兄様好みのお相手を見繕われそうで不安しかございません」
「お前は本当に可愛げのない妹だな……」
妹の切り返しに呆れ気味の兄だが、その眼差しは優しい。
十年という婚約期間をふいにされた妹の状況にさすがの兄も同情しているのだろう。
そもそもクライツも父親ほどではないが、妹に甘い。
先ほどの理由も建前で、実際のところは妹のことが心配なだけである。
近頃やけに過保護になった兄に対し、ついローゼリアの口元がゆるんだ。
すると、クライツはなんともバツが悪そうに顔をしかめる。
「お前のその察しの良さも、場合によっては考えものだな」
「過保護すぎるお兄様にも原因があるかと思いますよ」
そんな会話をしていると扉がノックされ、王妃付きの侍女が入室してくる。
「失礼致します。お待たせしてしまい大変申し訳ございません。実はハロルド殿下のご公務が長引くとのことで……。その間、王妃殿下がローゼリア様をおもてなしされたいと、お茶席への案内を言付かってまいりました」
「王妃殿下が?」
「はい。それからクライツ様とは、リカルド殿下がお話しをされたいとのことです」
兄が意地の悪い笑みを浮かべる。
「なるほど。今度は王太子殿下より謝罪のお言葉がいただけるようだ」
「お兄様!」
「いいではないか。王家が我々マイスハント家にした仕打ちを思えば、この程度の不敬くらい許されるはずだ」
兄の態度に呆れながら、ローゼリアは侍女に向き直る。
「わかりました。そのお誘い、お受けいたします」
「恐れ入ります。ではお部屋にご案内させていただきます」
ローゼリアが部屋を出ようとすると、クライツがにやりと笑みを浮かべて言った。
「ローゼ、あまり王妃殿下を責めるなよ?」
「わたくしはお兄様と違って、そのような無礼はいたしません!」
「最近のお前は一言多いな」
「お兄様だけには言われたくないです」
やや反抗的な態度の妹にクライツは片手をヒラヒラさせて退出を促した。
そんな兄を尻目に、ローゼリアは侍女に連れられて足早に王妃のもとへ向かった。
だが、そこでふと疑問を感じた。
有能なハロルドが、面会を予定していた日に公務に追われているというのは、妙な話だ。
彼の性格であれば、急ぎの公務は事前に終わらせているのでは、と考えたのだ。
そのことが気になり、侍女に軽く確認してみる。
「ハロルド殿下は、そんなにご公務が立て込んでいらっしゃるの?」
すると侍女が、やや困惑した笑みを返してくる。
「そういうわけではないのですが……。先ほど、急遽処理しなければならない書類手続きが発生してしまったそうです」
「そう。急なことだったのね……」
しかし、そう答えながらローゼリアは気づいた。
その突発的な公務を入れたのはおそらく、王妃殿下なのであろう、と。
王妃アフェンドラは見た目が大変若々しく、おっとりした女性だ。
その反面、したたかで計算高い一面も併せ持つ。
彼女が主催する若い令嬢向けの特別教育は、そのいい例と言えるだろう。
結婚当初から娘を熱望していたアフェンドラだが、生まれたのは息子ばかりだった。
そこで長男に早々に婚約者を決めさせ、その人脈作りと称してはじめたのが『王妃主催の特別教育』である。
当時まだ息子の婚約者だった王太子妃マリアローズや、その同年代の令嬢たちとの特別教育を通し、彼女は『娘との楽しい交流』をちゃっかり疑似体験していたのだ。
そんな動機ではじまった特別教育だが、優秀な令嬢たちにとっては同レベルの令嬢と出会える大変ありがたいコミュニティだった。
実際にここでの交流があったおかげでローゼリアは噂話に踊らされることなく、婚約破棄騒動でも冷静な態度でいられたのだ。
だが、第二王子との婚約を解消した今、ローゼリアが特別教育に参加する必要はない。
そのことを懸念した王妃は、次男を押しのけてでも彼女に会いたかったのだろう。
王妃にとって彼女は、義理の娘になる予定だった特別な存在だ。
そのローゼリアと交流の機会が減ることに未練を感じてしまうのも無理はない。
急に仕事を回されたハロルドは災難だったろうが、王妃が未だに自分を慕ってくれていることを感じ、ローゼリアの胸に温かいものが込み上げる。
侍女に案内されて、豪華な扉の前まで辿りつく。
入室を促され、ローゼリアはゆっくりと部屋の中に足を踏み入れた。
そこにいたのは、予想外の人物だった。
「シャーリー……様?」
呆然としながら声をかけると、彼女は軽くうつむいた。
だが、すぐになにかを決意したように勢いよく顔を上げる。
「ローゼリア様! 先日は、わたくしの至らなさでご不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ございませんでした!」
入室早々に深々と頭を下げられたローゼリアが慌てて彼女を宥めた。
「お、お顔を上げてください! シャーリー様の立場ではどうしようもなかったことは理解しております。むしろ穏便に場を収めることができなかったわたくしこそ、謝罪をしなければなりませんのに……」
男爵家の生まれである彼女が、王族のフィオルドに物申すことなどできるはずもない。
それでも自身でなんとかしなければと、あの騒動の中もずっと葛藤していたのだろう。
事態が収束した今となっても、なにもできなかったことに彼女が責任を感じているのだと痛いほど伝わってくる。
それはローゼリアも同じだった。
早々に婚約者の暴走を止められなかったのは自分の責任だ、と深く後悔していたのだ。
静観していた王妃アフェンドラは、苦笑を浮かべながら二人の間に入る。
「もう、そのように自分たちを責めないで。悪いのは全てわたくしの息子のフィオルドです。二人が責任を感じる必要はないのよ?」
「ですが」
「ですが……!」
まるで示し合わせたかのように同時に返答する二人を見てアフェンドラが苦笑を深める。
「シャーリー嬢。息子のせいで恐ろしい思いをさせてしまって、本当にごめんなさい……」
「お、王妃殿下! わたくしのような者に頭を下げる必要などございません!」
「ローゼリア嬢。あなたには今回のことだけでなく、これまで長い時間を王子妃教育に費やしてくれていたのに大変申し訳ないことを……」
「いいえ。わたくしにも落ち度がございました。どうかお気になさらないでくださいませ」
王妃に深々と頭を下げられてシャーリーは慌てたが、ローゼリアは敬意を払いつつ冷静に対応する。
それぞれ違う反応を見せる二人を見て、アフェンドラは嘆息した。
「本当にあなた方は素晴らしい令嬢だわ。それに比べて、フィオは……」
思わず王妃がこぼした言葉に、第三王子の性格をよく知るローゼリアは苦笑するしかない。
しかし、シャーリーは深刻そうな表情を浮かべていた。
その様子に引っかかりを感じていると、王妃が再び口を開く。
「ローゼリア嬢、あなたをお呼びしたのは、息子のことでお話ししたいことがあったからなの」
シャーリーだけでなく王妃にまで真剣な表情を向けられて、ローゼリアは思わず身構える。
もしやフィオルドが婚約解消に異議を唱えだしたのでは……そんな不安が脳裏をよぎった。
公の場で婚約破棄宣言をやらかしたフィオルドだが、兄に殴り飛ばされたお陰で婚約者を冤罪で侮辱しようとした件は未遂扱いになり、辛うじて王籍から抜かれずに済んでいる。
しかし国王の怒りは深く、現在はフィオルドの叔父にあたるエレムルス侯爵配下の屈強な騎士団に交じり、過酷な鍛錬を受けているそうだ。
甘やかされて育った第三王子のことをよく知るローゼリアは、わずかだが彼に対して同情を覚えた。
だがそれも、続く王妃の言葉によって見事に消し飛んだ。
「まず一つ目なのだけれど……実はフィオが未だにシャーリー嬢を諦めきれずにいるの」
ローゼリアはポカンと口を開け、慌てて扇子で口元を隠す。
そして勢いよくシャーリーに視線を向けると、彼女は気まずそうにうつむいた。
「王妃殿下、その……どういうことでしょうか?」
茫然としながらも尋ねたローゼリアに、王妃が深い溜め息をついて答える。
「今フィオが、エレムルス侯爵邸で再教育を受けていることはご存じかしら?」
「はい。兄がそのようなことを申していたので……」
兄クライツの話では、フィオルドの性根を叩き直させるべく、国王が自らの弟に矯正を託したとのことだった。
「陛下はフィオルドにかなりご立腹で……。あの子が成人するまでの二年間は、侯爵のもとで徹底的に精神の未熟さを克服させるおつもりなの」
王弟が治めるエレムルス侯爵領は国内北部の三分の二を占める。北の大国と東の隣国にも隣接しているため、守りを固めなければならない場所だ。
特に北の大国側との国境付近では、山賊等の被害に加えて密輸や人身売買までが横行する。
それらを取り締まるエレムルス騎士団は国内最強とも言われていた。
そんな危険と隣り合わせの場所に息子を放り込むということは、国王もそれだけ本気なのだろう。
しかし、そんな国王の予想を遥かに超える動きをフィオルドは見せているらしい。
「でもあの子は変なところで打たれ強いでしょう? 今回も予想外の方向に努力をはじめたというか、暴走しはじめたというか……」
王妃はなかなか本題に入らない。
ローゼリアは答えを求めるように、シャーリーへ視線を向けた。
「……実はあの後から、わたくしのもとにフィオルド殿下から毎週分厚いお手紙が届くようになったのです」
シャーリーが語る話を聞いて、ローゼリアは唖然とする。
フィオルドは迷惑をかけた相手に長文の手紙を送りつけ、あまつさえ関係の醸成を図ろうとしているというのだ。
そんな彼の図太さに驚き、王妃のほうにそっと視線を向ける。
するとアフェンドラは気まずそうに口を開きはじめた。
「エレムルス侯爵家で行われる騎士たちの鍛錬は、どんな体力自慢でも、入ったばかりの頃はあまりの過酷さに休日は死んだように眠って過ごすと言われているわ。でもフィオは……」
そこで一度、言葉を詰まらせる。
「そんな過酷な日々の合間でも想い人に分厚い手紙を書く余力が、なぜかあの子にはあるのよ……」
王妃はうなだれて、眉間を手で押さえた。
「どうしてあの子は、無駄な方向ばかりに努力をしてしまうのかしら……」
その理由がわからないまま、ローゼリアは不満そうな兄にエスコートを促すよう腕を絡めた。
第二章 第二王子と釣書
婚約破棄騒動から一週間後――
ローゼリアは父親から、無事に婚約が解消されたことを聞かされた。
もちろん全面的に王家の有責として、マイスハント家には多額の賠償金が支払われる。
縁談の提案についても改めて約束したそうだ。
「ローゼ。良い縁談相手の紹介はあったか?」
見合い相手の姿絵と釣書を眺めていたローゼリアは、部屋に入ってきた兄クライツに渋い顔を向ける。
「お兄様、妹の部屋に無断で入らないでください」
「なにを今さら。可愛い妹の伴侶のことなら、兄である私も気になるじゃないか」
「だからと言って、後ろからこっそり覗かないでください!」
「ほぉ? ライデント伯爵家にクレイバース伯爵家……おお! ミルツナイト侯爵家もあるじゃないか。ハロルド殿下は随分と有益な相手を紹介してくださるな」
「ええ。ですが、どちらも王都からかなり離れた西側に領地をお持ちです」
「なんだ、兄と離れるのが寂しいのか?」
「いえ。お母様と離れるのが寂しいのです」
「お前は……ただでさえ冷たく見られるというのに、そんな可愛げのないことを言うとは」
「同じような印象を抱かれやすいお兄様におっしゃる権利はないかと」
「言ったな!」
クライツに額を軽く弾かれて、ローゼリアがわざとらしく額をさする。
一見すると冷たい印象の二人だが、兄の場合はそれが『クールでミステリアス』と魅力的に作用する。
だが、人をからかうことを趣味とするクライツは、決してクールなどではない。
周囲から兄の容姿が褒められる度、ローゼリアは釈然としない気持ちになる。
すると、釣書を眺めていた兄が表情を曇らせた。
「確かに、この三家は遠すぎるな……。こちらの希望も添えて、新たな候補者を紹介してもらったらどうだ?」
「ですが、かなり厳選されたお相手のようですよ」
「すぐに決めてしまうのは賢くないぞ。伯爵家以上で未だに婚約者を持たず、お前とつり合う年齢の令息となると、そう多くはない。折角、王家のお力添えがあるのだから、じっくり吟味してもよいのではないか?」
「そう、ですよね」
ローゼリアと年齢的に見合う令息のほとんどは、すでに婚約者がいる。家柄、年齢、本人の評価のどれもが申し分のない相手を探そうとすれば、王家でも困難を極めるはずだ。
そんな状況で今回紹介された令息たちは、かなりの高条件である。
しかし、当のローゼリアはなぜかその三人に魅力を感じない。
代わりに思い出すのが、弟を殴りつけたハロルドの勇姿だった。
颯爽と登場し、一瞬にしてシャーリーを弟から解放したかと思うと、しなやかな動きで力強い拳を放つ。
あの時の動きは美しい演舞のように、ローゼリアの記憶に深く刻み込まれていた。
なによりあの状況のシャーリーの立場が、羨ましくて仕方がない。
もしあの場所にいたのが自分であれば、彼の見事な動きを間近で見ることができたはずだ。
そんなことを考えている自分に呆れていたら、兄がなにかを企むような笑みを向けてきた。
「王家はお前の貴重な時間を無駄にしたのだ。せいぜい無理難題を突きつけてやれ」
強気な兄の言葉を聞いて、ローゼリアは思わず噴き出した。
◆◆◆
さらに一週間――
宣言通り、ハロルドが新たな婚約者候補の資料を持参してローゼリアのもとへやってきた。
どうやら彼は王家の一員として、弟の失態にかなり責任を感じているようだ。
父親と共に応接間に案内すると、彼は入室早々、深く頭を下げてきた。
「マイスハント伯爵、そしてローゼリア嬢。この度は愚弟の非常識な振る舞いで、大変不快な思いをさせてしまい誠に申し訳ない!」
「で、殿下! どうかお顔をお上げください!」
父が慌てて訴えるが、それでもハロルドは頑として頭を下げたままだ。
「ハロルド殿下。わたくしは殿下のご対応に十分誠意を感じております。どうか、お顔をお上げくださいませ」
申し訳なさそうなローゼリアの一言で、やっとハロルドは顔を上げた。
「本当になんとお詫びを申し上げたらいいのか……。愚弟と婚約していたこの十年、あなたの貴重な時間を王族教育に費やさせたというのに、それをこんなかたちで無駄にしてしまった」
心苦しそうな彼を気遣うようにローゼリアが言葉を返す。
「お気になさらないでください。こちらも貴重な教育を無償で受けることができたのですから」
「しかし……」
弟と違ってしっかり筋肉のついた体つきのハロルドは、一見細身に見えるほど背が高い。
そんな彼が罪悪感で縮こまるように肩をすくめている。
自分よりも圧倒的に大柄な彼が小さくなる様子に愛らしさを覚えたローゼリアは、慌ててこぼれかけた笑みを抑え込む。
そんな娘の反応に父親がわずかに笑みを深め、再びハロルドに向き直った。
「今回の件は、娘にもフィオルド殿下に寄り添えていなかったという落ち度がございます。殿下が責任を感じられる必要はございません。立ち話もなんですので、どうぞおかけください」
ハロルドは再び軽く頭を下げ、やっと長椅子に腰を下ろした。
目の前にいる彼は、どこから見ても立派な貴公子だ。
その彼が留学前は人を寄せつけない雰囲気だったという話を思い出したが、ローゼリアにはその状況がまったく想像できない。
そんなハロルドが側近から数冊の革のファイルを受け取る。
「本来であれば弟本人にも謝罪させるべきだが、父が『あのようなバカには謝罪の機会を与える価値もない』とかなり腹を立てていて……。ローゼリア嬢にとっても愚弟との面会はご不快と思い、今後も私に対応をさせていただければと思っている」
そう口にしながら、三冊のファイルを丁寧にテーブルの上に並べていく。
「だが後日、必ず本人からも謝罪をさせる。ひとまず婚約解消の賠償金については一週間前にご署名いただいた書面通り、今月中にお支払いをする予定だ」
ファイルを並べ切ると、彼は改めてローゼリアたちに向き直った。
「それから、縁談の件なのだが……先日お渡しした釣書の中に、気になるお相手はいただろうか?」
早々に本題に入ってきたハロルドに、娘ではなく父親が答える。
「どなたも素晴らしい方ばかりです。しかし領地が少々王都より離れすぎており、お話を進めるべきか決めかねております」
「ご息女の嫁ぎ先は王都に近い場所をご希望なのですか?」
「はい。娘には我が家が扱うワインの取引先開拓と、社交界に向けた特産品のアピールを任せたいと思っております。そのため嫁ぎ先には王都近くに領地を持つ方を、と考えておりまして」
ハロルドが顎に手を当てて考え込む。
「なるほど。王都近くに領地を持つ貴族なら夜会を開く機会が多く、ワインの需要もあるというわけか。そこに嫁いだご息女が特産品を大々的に紹介すれば、新たな取引先を獲得しやすいと。どうやら伯爵は、なかなかの商魂をお持ちのようだな」
「いえ。実はこの件は娘が言い出したことでして」
その返しを受けて、ハロルドは意外そうな表情を浮かべてローゼリアを見やる。
「ご息女が?」
マイスハント家にとって上客となるのは、夜会を頻繁に開く中央貴族たちだ。彼らの社交を通して流行が生まれ、国内の物流が活性化する。
逆に地方の貴族たちは社交よりも国防を重視し、夜会を開くことはあまりない。
近隣諸国への輸出ルートはローゼリアがフィオルドと婚約した際、王家の伝手で確立済みだった。
今後マイスハント家が狙う客層は、まだ契約を交わしていない中央貴族たちである。
そう考えたローゼリアは、王都近くに領地を持つ相手に嫁ぐことを希望した。
そのほうがワインの大口顧客確保に繋がるからだ。父と兄も賛成してくれている。
だがハロルドには、発案者が十六歳の少女だったことが意外だったのだろう。驚いた表情のまま、ジッと彼女を見つめている。
ローゼリアが気まずそうに微笑むと、彼はフッと息を吐いて柔らかな笑みを浮かべた。
「なるほど。立派な商魂をお持ちなのはご息女のほうだったか」
あまりにも魅惑的な表情を見せた王子にローゼリアの興味は全て持っていかれる。
だが、その笑みは彼がテーブル上のファイルに目を落としたことで消えてしまった。
「そうなると今回も、あまり期待には添えない可能性があるな……」
彼はそう呟くと、先ほど並べた釣書を手で示す。
新たに提案された三名の候補者は二十代前半、ローゼリアとも無理のない年齢差だ。
だが領地は王都から遠い。しかも、全員子爵家の令息だった。
「あの、殿下……」
気まずそうに声を上げた父親の態度になにかを察したハロルドは、悪戯が成功したような笑みを見せた。
「爵位のことであれば心配は無用だ。実は三家とも近日中に昇格が予定されている」
「な、なんと!」
「この情報はまだ極秘なので内密に。野心溢れる令嬢の目に留まっては困るのでな」
そう言って人差し指を立て、そっと口元に当てる。
どうやらこの第二王子は、意外と策士でもあるらしい。
ローゼリアの心が、またしてもざわついた。
困ったことに彼女の興味は提案される候補者よりも、ハロルド自身へ向かってしまうのだ。
そんな娘の心境を知らない父は、新たな候補者たちの情報をじっくりと確認している。
「ローゼ。気になる方はいるかい?」
急に話を振られて、ローゼリアは近くに置かれた釣書に目を落とす。しかし、情報がまったく頭に入ってこない。
「ええと、その……」
何度も内容を読み取ろうとしても、つい目が滑ってしまう。
「申し訳ございません、しょ、少々お待ちを……」
「いや、すぐに判断できることではないだろう。お父上と慎重に検討してほしい」
麗しい微笑みを惜しみなく披露する第二王子は、出された紅茶をやっと口にした。
王族だけあって、紅茶を嗜む所作一つとっても大変美しい。
とてもではないが、弟を殴り飛ばした人物とは思えないほどの優美さである。
その光景にまたしても見入ってしまったローゼリアは、再び声をかけられたことで我に返った。
「ローゼリア嬢」
「は、はい」
「今回提案した候補者たちでは、おそらく希望に添えないところが多いと思う。二週間後、改めて出直したいのだが、ご予定はいかがだろうか」
その申し出を聞き、ローゼリアはさらに慌てふためいた。
「い、いえ! 殿下に何度もご足労いただくなど恐れ多いことでございます。次回はわたくしから伺いたく存じます」
「だが今回はこちらに非があることだ。私が出向くべきだろう」
「その件につきましては、すでに誠意あるご対応をいただいております。なにより王族の方を何度も呼びつけては、我がマイスハント家の醜聞にも繋がります。次回はこちらから伺わせてくださいませ」
やっと平常心を取り戻したローゼリアは、いつもの澄ました顔に戻る。
その様子を目にしたハロルドが笑いを堪えるように片手で隠した。その反応にローゼリアは首をかしげる。
「……了解した。では二週間後、改めてお声がけしよう。その際にあなたが登城可能な日程を確認させていただく」
そう言ってハロルドはスッと立ち上がった。
「謝罪する立場で長居するわけにはいかないので、私はこの辺で失礼させていただく。今回は候補者の中でも、もし気になる人物がいれば遠慮なく言ってほしい」
彼は側近に目配せをし、部屋の出口へ向かう。
そんな第二王子を見送るため、親子もその後に続いた。
◆◆◆
ハロルドがマイスハント邸に来訪してから二週間。
再び縁談の件で声がかかり、ローゼリアは父ではなく兄クライツと共に登城した。
しかしハロルドの公務が押しており、二人はしばらく待たされることになった。
「それにしても、なぜお兄様が同行を?」
「父上では、お前の希望を聞き入れすぎるからな。私なら私情を挟まず公平な視点でアドバイスをしてやれる。どうだ? 心強いだろう」
「お兄様好みのお相手を見繕われそうで不安しかございません」
「お前は本当に可愛げのない妹だな……」
妹の切り返しに呆れ気味の兄だが、その眼差しは優しい。
十年という婚約期間をふいにされた妹の状況にさすがの兄も同情しているのだろう。
そもそもクライツも父親ほどではないが、妹に甘い。
先ほどの理由も建前で、実際のところは妹のことが心配なだけである。
近頃やけに過保護になった兄に対し、ついローゼリアの口元がゆるんだ。
すると、クライツはなんともバツが悪そうに顔をしかめる。
「お前のその察しの良さも、場合によっては考えものだな」
「過保護すぎるお兄様にも原因があるかと思いますよ」
そんな会話をしていると扉がノックされ、王妃付きの侍女が入室してくる。
「失礼致します。お待たせしてしまい大変申し訳ございません。実はハロルド殿下のご公務が長引くとのことで……。その間、王妃殿下がローゼリア様をおもてなしされたいと、お茶席への案内を言付かってまいりました」
「王妃殿下が?」
「はい。それからクライツ様とは、リカルド殿下がお話しをされたいとのことです」
兄が意地の悪い笑みを浮かべる。
「なるほど。今度は王太子殿下より謝罪のお言葉がいただけるようだ」
「お兄様!」
「いいではないか。王家が我々マイスハント家にした仕打ちを思えば、この程度の不敬くらい許されるはずだ」
兄の態度に呆れながら、ローゼリアは侍女に向き直る。
「わかりました。そのお誘い、お受けいたします」
「恐れ入ります。ではお部屋にご案内させていただきます」
ローゼリアが部屋を出ようとすると、クライツがにやりと笑みを浮かべて言った。
「ローゼ、あまり王妃殿下を責めるなよ?」
「わたくしはお兄様と違って、そのような無礼はいたしません!」
「最近のお前は一言多いな」
「お兄様だけには言われたくないです」
やや反抗的な態度の妹にクライツは片手をヒラヒラさせて退出を促した。
そんな兄を尻目に、ローゼリアは侍女に連れられて足早に王妃のもとへ向かった。
だが、そこでふと疑問を感じた。
有能なハロルドが、面会を予定していた日に公務に追われているというのは、妙な話だ。
彼の性格であれば、急ぎの公務は事前に終わらせているのでは、と考えたのだ。
そのことが気になり、侍女に軽く確認してみる。
「ハロルド殿下は、そんなにご公務が立て込んでいらっしゃるの?」
すると侍女が、やや困惑した笑みを返してくる。
「そういうわけではないのですが……。先ほど、急遽処理しなければならない書類手続きが発生してしまったそうです」
「そう。急なことだったのね……」
しかし、そう答えながらローゼリアは気づいた。
その突発的な公務を入れたのはおそらく、王妃殿下なのであろう、と。
王妃アフェンドラは見た目が大変若々しく、おっとりした女性だ。
その反面、したたかで計算高い一面も併せ持つ。
彼女が主催する若い令嬢向けの特別教育は、そのいい例と言えるだろう。
結婚当初から娘を熱望していたアフェンドラだが、生まれたのは息子ばかりだった。
そこで長男に早々に婚約者を決めさせ、その人脈作りと称してはじめたのが『王妃主催の特別教育』である。
当時まだ息子の婚約者だった王太子妃マリアローズや、その同年代の令嬢たちとの特別教育を通し、彼女は『娘との楽しい交流』をちゃっかり疑似体験していたのだ。
そんな動機ではじまった特別教育だが、優秀な令嬢たちにとっては同レベルの令嬢と出会える大変ありがたいコミュニティだった。
実際にここでの交流があったおかげでローゼリアは噂話に踊らされることなく、婚約破棄騒動でも冷静な態度でいられたのだ。
だが、第二王子との婚約を解消した今、ローゼリアが特別教育に参加する必要はない。
そのことを懸念した王妃は、次男を押しのけてでも彼女に会いたかったのだろう。
王妃にとって彼女は、義理の娘になる予定だった特別な存在だ。
そのローゼリアと交流の機会が減ることに未練を感じてしまうのも無理はない。
急に仕事を回されたハロルドは災難だったろうが、王妃が未だに自分を慕ってくれていることを感じ、ローゼリアの胸に温かいものが込み上げる。
侍女に案内されて、豪華な扉の前まで辿りつく。
入室を促され、ローゼリアはゆっくりと部屋の中に足を踏み入れた。
そこにいたのは、予想外の人物だった。
「シャーリー……様?」
呆然としながら声をかけると、彼女は軽くうつむいた。
だが、すぐになにかを決意したように勢いよく顔を上げる。
「ローゼリア様! 先日は、わたくしの至らなさでご不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ございませんでした!」
入室早々に深々と頭を下げられたローゼリアが慌てて彼女を宥めた。
「お、お顔を上げてください! シャーリー様の立場ではどうしようもなかったことは理解しております。むしろ穏便に場を収めることができなかったわたくしこそ、謝罪をしなければなりませんのに……」
男爵家の生まれである彼女が、王族のフィオルドに物申すことなどできるはずもない。
それでも自身でなんとかしなければと、あの騒動の中もずっと葛藤していたのだろう。
事態が収束した今となっても、なにもできなかったことに彼女が責任を感じているのだと痛いほど伝わってくる。
それはローゼリアも同じだった。
早々に婚約者の暴走を止められなかったのは自分の責任だ、と深く後悔していたのだ。
静観していた王妃アフェンドラは、苦笑を浮かべながら二人の間に入る。
「もう、そのように自分たちを責めないで。悪いのは全てわたくしの息子のフィオルドです。二人が責任を感じる必要はないのよ?」
「ですが」
「ですが……!」
まるで示し合わせたかのように同時に返答する二人を見てアフェンドラが苦笑を深める。
「シャーリー嬢。息子のせいで恐ろしい思いをさせてしまって、本当にごめんなさい……」
「お、王妃殿下! わたくしのような者に頭を下げる必要などございません!」
「ローゼリア嬢。あなたには今回のことだけでなく、これまで長い時間を王子妃教育に費やしてくれていたのに大変申し訳ないことを……」
「いいえ。わたくしにも落ち度がございました。どうかお気になさらないでくださいませ」
王妃に深々と頭を下げられてシャーリーは慌てたが、ローゼリアは敬意を払いつつ冷静に対応する。
それぞれ違う反応を見せる二人を見て、アフェンドラは嘆息した。
「本当にあなた方は素晴らしい令嬢だわ。それに比べて、フィオは……」
思わず王妃がこぼした言葉に、第三王子の性格をよく知るローゼリアは苦笑するしかない。
しかし、シャーリーは深刻そうな表情を浮かべていた。
その様子に引っかかりを感じていると、王妃が再び口を開く。
「ローゼリア嬢、あなたをお呼びしたのは、息子のことでお話ししたいことがあったからなの」
シャーリーだけでなく王妃にまで真剣な表情を向けられて、ローゼリアは思わず身構える。
もしやフィオルドが婚約解消に異議を唱えだしたのでは……そんな不安が脳裏をよぎった。
公の場で婚約破棄宣言をやらかしたフィオルドだが、兄に殴り飛ばされたお陰で婚約者を冤罪で侮辱しようとした件は未遂扱いになり、辛うじて王籍から抜かれずに済んでいる。
しかし国王の怒りは深く、現在はフィオルドの叔父にあたるエレムルス侯爵配下の屈強な騎士団に交じり、過酷な鍛錬を受けているそうだ。
甘やかされて育った第三王子のことをよく知るローゼリアは、わずかだが彼に対して同情を覚えた。
だがそれも、続く王妃の言葉によって見事に消し飛んだ。
「まず一つ目なのだけれど……実はフィオが未だにシャーリー嬢を諦めきれずにいるの」
ローゼリアはポカンと口を開け、慌てて扇子で口元を隠す。
そして勢いよくシャーリーに視線を向けると、彼女は気まずそうにうつむいた。
「王妃殿下、その……どういうことでしょうか?」
茫然としながらも尋ねたローゼリアに、王妃が深い溜め息をついて答える。
「今フィオが、エレムルス侯爵邸で再教育を受けていることはご存じかしら?」
「はい。兄がそのようなことを申していたので……」
兄クライツの話では、フィオルドの性根を叩き直させるべく、国王が自らの弟に矯正を託したとのことだった。
「陛下はフィオルドにかなりご立腹で……。あの子が成人するまでの二年間は、侯爵のもとで徹底的に精神の未熟さを克服させるおつもりなの」
王弟が治めるエレムルス侯爵領は国内北部の三分の二を占める。北の大国と東の隣国にも隣接しているため、守りを固めなければならない場所だ。
特に北の大国側との国境付近では、山賊等の被害に加えて密輸や人身売買までが横行する。
それらを取り締まるエレムルス騎士団は国内最強とも言われていた。
そんな危険と隣り合わせの場所に息子を放り込むということは、国王もそれだけ本気なのだろう。
しかし、そんな国王の予想を遥かに超える動きをフィオルドは見せているらしい。
「でもあの子は変なところで打たれ強いでしょう? 今回も予想外の方向に努力をはじめたというか、暴走しはじめたというか……」
王妃はなかなか本題に入らない。
ローゼリアは答えを求めるように、シャーリーへ視線を向けた。
「……実はあの後から、わたくしのもとにフィオルド殿下から毎週分厚いお手紙が届くようになったのです」
シャーリーが語る話を聞いて、ローゼリアは唖然とする。
フィオルドは迷惑をかけた相手に長文の手紙を送りつけ、あまつさえ関係の醸成を図ろうとしているというのだ。
そんな彼の図太さに驚き、王妃のほうにそっと視線を向ける。
するとアフェンドラは気まずそうに口を開きはじめた。
「エレムルス侯爵家で行われる騎士たちの鍛錬は、どんな体力自慢でも、入ったばかりの頃はあまりの過酷さに休日は死んだように眠って過ごすと言われているわ。でもフィオは……」
そこで一度、言葉を詰まらせる。
「そんな過酷な日々の合間でも想い人に分厚い手紙を書く余力が、なぜかあの子にはあるのよ……」
王妃はうなだれて、眉間を手で押さえた。
「どうしてあの子は、無駄な方向ばかりに努力をしてしまうのかしら……」
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