小さな殿下と私

ハチ助

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18歳の殿下と私①

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 24歳となったセレティーナは、公爵邸と自分が滞在している別宅の間にある中庭のベンチで、ぼんやりとしていた。

 今日のシボレットの淑女教育は、彼女が今夜夜会に参加する関係で中断だ。
 現在はその夜会で着るドレスなどの合わせをしている。
 本来ならそれにセレティーナも加わるのだが……今回はシボレットの見立てのみでコーディネイトをしてもらい、それをセレティーナが評価するという形を取っている為、それが終わるまでセレティーナは時間が空いてしまったのだ。

 この4年間、殆どをシボレットと過ごして来たセレティーナにとって、今の様な一人きりの時間を得る事は、かなり稀で久しぶりだ。
 そんなシボレットが傍にいない今だからこそ、考えてしまう事もある。
 すでに24歳という年齢になってしまったセレティーナは、社交界では嫁き遅れというレベルでは済まされない……。
 父は一体何を考えて、娘をここまで自由にさせているのだろうか……。

 逆にセレティーナが指導した14歳の若く美しいシボレットは、今や非の打ちどころのない程の完璧な淑女になりつつある。
 その証拠に各国の王族や公爵家からの縁談の話が後を絶たない。
 だが、まだあどけない少女らしさを残す彼女を父である王弟セルノプスは、そう簡単には婚約を決める気はないようだ。
 セルノプス自身、恋愛結婚だった為、子供達にもそういう結婚を望んでいると以前言っていた。
 現にシボレットの留学中の兄と姉も未だに婚約者の確定はさせていない。
 そうそうに婚約を決められてしまったセレティーナとは全く逆だ。

 だが今考えると、父フェンネルも同じ考えだった様な気がする……。
 後から聞いた話だが、父は当初セレティーナとユリオプスの婚約をあまり前向きには捉えていなかったらしい……。
 それを裏付けるのが4年前の父のセレティーナへの対応だ。
 ユリオプスに婚約破棄の考えがあると知った瞬間、フェンネルはこの期を逃すまいとばかりにセレティーナをこの公爵家に閉じ込めるような行動をした。
 そしてユリオプスの現状が、セレティーナの耳に入らない様に徹底的に配慮しているのも恐らくフェンネルの考えなのだろうと、最近になってようやく気付き始めたセレティーナ。
 自分はもうか弱い少女ではないので、そこまで守って貰わなくてもいいのだが……父フェンネルにとっては、いくつになってもセレティーナは守るべき幼い少女のままなのであろう。
 そんな父の過保護ぶりで、ずっと婚期を逃している自分はこれでいいのだろうかと、最近ふと考えてしまう……。

 そんな事を久しぶりに考えていたセレティーナだが……中庭を突っ切る邸内へのメイン通路で誰かが揉めている声が聞こえ、そちらに足を向ける。
 そこには警備の騎士と白馬に乗った人物が何やら揉めていた。

 最近、シボレットの噂を聞きつけた身分の高い王族や公爵令息が、一目シボレットに会おうとお忍びで乗り込んでくる事が頻繁にあった。
 今回もそれではないかと思い、セレティーナが慌てて二人のもとへと向かう。
 警備の騎士は、あまり身分が高くはない。
 だからその身分の高い不法侵入者を強く断る事が出来ない立場なのだ。
 だがこの国の宰相の娘であるセレティーナは違う。
 対応に困り果てている警備の騎士に助け舟を出そうと、その男性に声を掛ける。

「高貴な身分のお方とお見受け致しますが、こちらに何用でございますか?」

 少し棘のある凛とした声でセレティーナが、その男性に言葉を放つ。
 するとその男性が、セレティーナの方へと顔を向けた。

 透ける様な真っ直ぐなプラチナブロンドの見事な金髪に濃い緑の瞳。
 やや面長な顔立ちだが、その輪郭の中に奇跡の様なバランスで配置されている目鼻立ちは、整い過ぎた美を見事に生み出している。
 肩幅のある長身のシルエットは、まるで作り物のような見事過ぎる立ち姿で、とても同じ人間とは思えないほど美しい。
 年の頃は20歳前後だろうか……。何とも端整な顔立ちの美青年だった。
 そのあまりにも見事な青年の容姿にセレティーナは一瞬、言葉を失う。

 しかしその高貴な身分の男性は、セレティーナの事を穴が空く程、見つめ返して来た。そのままフラフラしながら、ゆっくりとセレティーナの方へと歩み寄り、そして何故か小さく震えだす。

「セ……レ……?」

 もう久しく呼ばれなくなったセレティーナの一番短い愛称を何故かその青年が、震える声で呟く。
 その瞬間、セレティーナはこの青年が誰なのか、すぐに理解した。

「ユリオプス……殿下……?」

 セレティーナがかつての婚約者の名を呟いた瞬間、その青年がビクリとする。
 そのまま更に小刻みに震えだしたかと思うと、急にその青年が大粒の涙をボロボロと零し始めた。

「セレ……セレェェェェーっ!!」

 そしてそのまま物凄い勢いでセレティーナに抱き付いた。
 自分よりも頭一つ分くらいある長身となったユリオプスに号泣されながら抱き付かれたセレティーナは、あまりの出来事にギョッとする。
 これではまるで大型犬にじゃれつかれている心境だ……。

「で、殿下っ!! ユリオプス殿下!! 落ち着いてくださいませ!!」
「どうして……どうして愛称で呼んでくれないんだ……。以前は『ユリス』と呼んでくれたじゃないかぁっ!!」
「そ、その様な恐れ多い事など今のわたくしの立場では……」
「君はまだ僕の婚約者だっ!! 婚約者の事を愛称で呼んで何が悪いっ!!」

 そう叫んだユリオプスは、更にセレティーナに顔を埋める様に抱き付き、本格的にボロボロと泣き出してしまった。
 首筋の辺りにユリオプスの流したと思われる涙の感触が伝わってくる。
 そんな状況にアワアワしていたセレティーナだが……ふと顔を上げると、警備の騎士もこの状況にオロオロしている事に気が付く。

「ごめんなさい……。ここはわたくしに任せて貰えるかしら……」
「で、ですが……」
「大丈夫。少し経てば落ち着かれると思うから……。だからこの事は、他言無用でこのまま下がって貰える?」
「か、かしこまりました……」

 セレティーナの言葉に警備の騎士は、ユリオプスの乗って来た白馬と共に早々にこの場から離れてくれた。
 しかし問題なのは、号泣しながら自分に抱き付いているユリオプスだ……。
 これ以上、王太子であるユリオプスの失態を他の人間に見せる訳にはいかない。

「ユリオプス殿下……とりあえずあちらのベンチの方で……」
「ユリス……」
「え……?」
「以前の様にユリスって呼んでくれなきゃ嫌だ……」

 不貞腐れたような顔をしたかと思うと、しがみつく様にまたセレティーナを深く抱きしめる。どう見ても成人男性にしか見えない程、立派になったユリオプスだが、中身は幼少期の頃と左程変わっていない様だ……。
 セレティーナは、やや呆れながらため息をつき、苦笑する。

ユリス殿下・・・・・、どうかあちらのベンチまでお越し頂けませんか?」
「うん……」

 セレティーナにしがみついたまま、大人しくベンチの方まで歩くユリオプス。
 ベンチに座った後もユリオプスは、セレティーナにしがみついたままだ。
 そんなユリオプスの背中をセレティーナは、優しく撫でる。
 結局、ユリオプスが落ち着くまで、15分間セレティーナは背中を撫で続けた。

「殿下……大分落ち着かれましたか?」
「うん……。取り乱しちゃってごめんね……?」

 そう答えるユリオプスだが、まだ鼻をグスグス言わせている。
 やっと離れてくれたユリオプスだが、何故かセレティーナの手をしっかり握りしめて放してくれない。その手は12年前の小さな手ではなく、大きくゴツゴツとした男性の手になっている。

「あの……何故本日はこちらに……」

 先程からずっと気になっていた事をセレティーナが問うと、再びユリオプスの顔がくしゃりと歪んだ。

「セレを探しに来たに決まってるじゃないかぁ……」

 絞り出す様にそう答えたユリオプスは、再びセレティーナに抱き付いてしまう。

「わ、わたくしをですかっ!?」

 すると恨みがましい表情をしながら、ユリオプスはセレティーナから体を離す。

「そうだよ……。僕はこの4年間、ずっとセレを探していたんだ……。フェンネルに尋ねたら伯母の許にいると言っていたのに君はどこにもいないし。それならば修道院に匿われているんじゃないかって片っ端から調べたけど、やっぱり見つからないし……。ブローディアの所にも使者を潜らせて君との連絡手段を探らせたけど、君からの手紙はどうやらエミリーナが届けてるみたいで全く分からないし。そのエミリーナに関しては、僕と少しでも繋がりのありそうな従者は徹底的に雇い入れないようにしてるし……。半年前にやっと血縁上の伯母であるバンクシアローズ侯爵夫人の許に辿り着いたけど、セレはある令嬢の教育係をやっている事しか分からないって言うし……。それで侯爵クラス以上の令嬢を片っ端から調べたけど、やっぱり見つからなくて……」

 そこまで一気に撒くし立てる様に語ったユリオプスだが次の瞬間、頭を抱え込みながら項垂れてしまった。

「でもまさか……僕の叔父の娘のシボレットの教育係をやっていたなんて、そんな灯台下暗しみたいな所にいるなんて思わないじゃないかぁ……」
「ユ、ユリス殿下……」

あまりにもの落胆ぶりのユリオプスに思わずセレティーナが手を差し伸べる。
するとその手を両手でがっしりと掴んだユリオプスが真剣な眼差しで、懇願するように訴えてきた。

「ねぇ、セレ! 今から僕と一緒にお城に戻ろう!?」
「い、今からですかっ!? いけません! わたくしは今シボレット様の……」
「シボレットは、社交界ではもう十分素晴らしい淑女だって評価を受けてるよ! もう君の指導は必要ないだろ!?」
「ですが、勝手に戻るなど……」
「そうよ! 婚約破棄を匂わせてセレナを傷付けた癖に何を今更、虫のいい事をおっしゃっているの!?」
「げっ……シボレット……」

 いつの間にか二人の座っているベンチの後ろに着飾ったシボレットがいた。
恐らく本日の夜会用の衣裳の合わせの評価を待っていたのにセレティーナが、全く現れないので自らここまで来てくれたのだろう。

「ユリスお兄様! 『げっ……』って何ですの!? 品位の無いお言葉遣いな上にわたくしに対して失礼ですわっ!」
「今の僕の気持ちを最も的確に表現しただけだ……」
「まぁ! お兄様! 何て言い草ですのっ!?」
「それよりもシボレット、今日今すぐにセレを城に連れて帰るから」
「はぁっ!? 何を勝手な事を……」
「勝手じゃないよ。大体君は僕が必死でセレを探していたのを知っていたのに4年間もそれを隠し続け、セレを独り占めしてたんだから。もう充分だろ?」
「セレナの淑女教育はまだ終了しておりません! お兄様は彼女に職務放棄をさせるおつもりですか?」
「職務放棄? セレは教育係が本業じゃない。僕の婚約者が本業だ。大体君がセレの居場所を隠していた事は、僕に対しての偽証になるのだから不敬罪に値する事だと分かっているのかい?」
「お生憎様ですこと! わたくしがお兄様にセレナの事をお伝えしなかったのは、陛下からのご命令があったからですわ!」

 そのシボレットの言葉にユリオプスが盛大に目を見開く。

「クソっ!! フェンネルや叔父上だけでなく、父上もグルだったのかっ!?」

 そう悪態を吐くユリオプスを茫然として見つめるセレティーナ。
 先程からシボレットに対する皮肉の応酬もそうだが、こんなに意地の悪い物言いをするユリオプスを見るのは初めてなのだ。
 対してシボレットの方は、そんなユリオプスを見慣れている感じだ。

「何にせよ、セレは今すぐ連れ帰る。シボレット、君に拒否権はないよ」

 そう告げるユリオプスは、見た事が無いほど目を据わらせ凄んでいる……。
 対するシボレットも一歩も引かない。

「まぁ! 王太子ともあろう方が、何という横暴かしら。陛下に進言しなくてはならないわっ!!」
「父にもこの件に関しては口出し出来ないよ。そもそもセレは僕の婚約者だ。それを匿っていた父にも問題がある」
「わたくしには、まだセレナが必要なのです!」
「シボレット……今の君は本当に素晴らしい淑女だ。今日も夜会に参加して隣国のボンクラ王族や無能侯爵令息を魅了してくるのだろう? 忙しそうだからセレの淑女教育を受けてる暇などないはずだ。さっさとセレを返してくれ」
「嫌よ! セレナは絶対にここから移動させません!」
「分かった。なら僕が勝手に連れて帰るから」

 冷たくそう言い放つと、ユリオプスはセレティーナが逃げられない様に肩と腰を捕獲するように抱き込み、そのままベンチから立たせて馬房へと向かう。

「ユ、ユリス殿下っ!?」
「ごめんね? セレ。悪いけれど僕の馬でかっ飛ばして帰るから、ちょっと乗り心地の悪さは我慢してね?」
「なっ……! そのような帰り方をなさって、もしセレナが落馬したら、どうなさるおつもりなの!?」
「そんな間抜けな失態する訳ないだろう? とにかくセレは今すぐ連れ帰る!」

 再びユリオプスが強引にセレティーナを連れ立って歩き出す。
 そのユリオプスの態度にシボレットが怒りからブルブルと震え出した。

「分かりました! トムズを遣わせますので馬車でお帰り下さい!」
「初めからそう言ってくれればいいのに……」
「セレナに何かあったら困りますので、仕方なくですっ!!」

 その後、15分もしない内にトムズの馬車がやって来て、あっという間に馬車に押し込められるセレティーナ。それは4年前の父フェンネルの時を彷彿させた。

「セレナ、手紙書くから! 絶対にお兄様の魔の手から救ってあげるから!」
「シ、シボレット様……」
「シボレット、うるさいよ? そんな事を言うと君の手紙はセレの手元には届かない様にするからね?」
「まぁ! 何て横暴な! 絶対に陛下とお父様に言いつけてやる!」
「淑女の仮面が崩れているよ? トムズ! シボレットが、うるさいから早く出してくれ!」
「セレナ! セレナぁぁぁー!」

 夜会用のドレス姿の為、激しく動けないシボレットは、その場で悲痛な叫びを上げながらセレティーナを見送った。
 そんなシボレットの様子を全く気にしないユリオプスは、馬車内では横並びに座り、先程と同様セレティーナの手をずっと握り締めている。

「あの……ユリス殿下、お手が……」
「ごめんね。またセレに逃げられたら困るから」
「に、逃げるなど、そのような事は!」
「セレ。4年前、君がいきなり姿をくらませた事は僕にとって相当トラウマになっているんだ……。悪いけれど、城に着くまではこのままだよ」
「はい……」

 かなり厳しめな声音で言われたセレティーナは、そのまま従う事にした。
 しかしどうしても気になる事がある。

「ユリス殿下、その4年前の事なのですが、わたくしは逃げた訳では……」
「知ってるよ。僕とリナリスの事を思って、僕との婚約解消をフェンネルに相談しただけなんだよね? でもそれを聞いたフェンネルが、何故か早々に君を血縁関係上の伯母であるバンクシアローズ侯爵夫人の許へ行かせた」
「はい……。あの、それでずっと気になっていたのですが……その後リナリス様とのご婚約のお話は……」

 そのセレティーナの言葉にユリオプスは呆れる様な顔をした後、盛大にため息をついた。

「リナリスは、君がいなくなったあの日に僕への不敬行為で国外追放にした」
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