赤毛の伯爵令嬢

もも野はち助

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【番外編】

理性と決意の根比べ

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【※本編16話のジェラルド視点の話です】 


四日前、セントウレア家にクレアをこちらに寄越して欲しいという趣旨で手紙を書いたジェラルド。

 クレアをセントウレア家に養子縁組させたのは、何も公爵家の重要な家臣として相応しい爵位を持たせたいという理由だけではない。その一番の目的は、今後アストロメリア公爵家の補佐役として動いてもらう為、三カ月間しっかりとそのスキルをセントウレア家で身に付けて貰う事だった。

 それと同時に叔母のハリエンヌだけには、将来的にクレアへ婚約を申し込みたいという意思を養子縁組の依頼をした際、軽く伝えてある。
 そんなクレアと共に歩む未来への準備を少しずつ進めていたジェラルドだったが……急遽、クレアをこちらに呼ぶ時期を一カ月前倒しにした。

 その理由は、ジェラルドが週に2~3回クレアに送り続けていた手紙の返答が、まるで業務報告のような内容でしか返ってこなかったからだ。

 ジェラルドが出した手紙には、急に侯爵家の養子となったクレアの戸惑いや体調を気遣う内容と、困り事がないかの確認をクレアが返答しやすいように気さくな雰囲気で書いたつもりだったのだが……。

 その返事が『特に問題ない』とあっさりとしか書かれておらず、代わりにクレアがその日に学んだ侯爵令嬢としての教育内容や、手伝った養父の仕事内容の詳細ばかりが書かれて来たのだ。
 それはまるでクレアの成長過程の進捗報告してきているような、かなり事務的な内容での手紙の返事だった。

 その状況にジェラルドは、クレアに距離を取られていると感じてしまい、早々に関係醸成を図った方がよいと判断して、急遽クレアを招く時期を早める事にしたのだ。

 すでにクレアの養父であるフロックスからは、クレアの補佐役としての実力は、今すぐにでも即戦力になるとの報告を受けている。ならば少し予定を早めても問題ないと考えた。

 尚この二カ月間のジェラルドは、一瞬頓挫しかけたオーデント領のハーブ関連事業をクレアの実父であるセロシスと手紙でやり取りしながら、ある程度話を進めている最中だった。

 その際、セロシスから妹のティアが、自ら修道院に入った事をクレアがセントウレア家の養子になった一ヶ月後に報告を受ける。
 それを機にジェラルドの方からも現状クレアが、どのように過ごしているか、その詳細をセロシスの方へ伝え、更に将来的には自分がクレアへ婚約の申し込みをする事を考えている事も伝えた。

 もちろん、ティアラにはそれらの情報を洩らさない様にと釘もさした。もはやジェラルドにとってティアラは、クレアにとって脅威にしかならない存在でしかなかったからだ。

 そんなティアラは修道院に入ってから、何度もジェラルドに手紙を寄越してきている。その内容は『どうか姉の名誉を傷つけないでください』というものが殆どだった……。

 クレアの養子縁組を打診した際、部屋を追い出されるティアラがジェラルドを睨みつけてきたのは、本気で姉クレアの身を脅かす存在だと認識された自分への怒りからの態度だったと、やっとジェラルドは理解する。

 だが理解は出来てもその後は、呆れしか出て来ない。あれだけ怒鳴りつけて反論したにもかかわらず、あの話の通じない令嬢は、未だに自身が勝手に誤解した内容を信じきっているのだから……。

 そしてティアラからの手紙には、必ずもう一通クレア宛の手紙が一緒に添えられてきた。その手紙が届く度にジェラルドは、鍵の掛かる引き出しに乱暴に投げ入れる。ティアラは、未だに姉との繋がりを求めているのだ。

 本心では、その手紙をすぐに燃やしたい心境のジェラルドだったが、クレア宛に届いている為、いくら危険分子である妹からとは言ってもそれは出来ない。だからと言って、クレアに手渡す気は後5年……10年くらい経たなければ、起きそうになかった。

 そんなティアラの手紙に苛立ちながら、通常の領地の公務と新しく始めるハーブの精油事業の準備に追われ、あっという間に二カ月が過ぎてしまう。
 しかしその間、クレアの許へ一度も訪れる事が出来なかった事は、毎回届く業務報告の様なクレアからの手紙を受け取る度に不安が募る一方で……。
 その不安を何とかしたくて、急遽クレアがこちらにくる予定を早めたのだ。

 そしてそろそろクレアが、こちらに到着してもよい頃となる。その事に気がついたジェラルドが、部屋の時計を確認すると、タイミングよく扉がノックされる。
 入室を許可すると、執事のウェスタがクレアを部屋の中へと案内してきた。それと同時にウェスタに下がる様、目で合図を送る。

 二カ月ぶりに再会したクレアは、顔色は以前よりもかなり良くなったが、その表情はどこか後ろめたそうな雰囲気をまとっていた。

「クレア、二カ月ぶりだな……」
「閣下、お久しぶりでございます……」

 ジェラルドが声を掛けると、深々と頭を下げてきたクレアが力なく笑顔を返してきた。やはり手紙の返信内容から懸念した通り、自分とクレアの間には何故か距離が出来ている……。
 かなり強引に養子縁組をさせてしまった引け目から、気まずそうな表情を浮かべながらジェラルドは、クレアにソファーへ座る様に促した。

「いきなり養子縁組を強要し、実の家族と別れさせてしまった事は本当に申し訳ないと思っている……。だが今後あなたには、私の補佐役という範囲だけでなく、それ以上にもっと深い部分で私を支えて貰いたい。その為には侯爵家の様な爵位の後ろ盾を付けさせたかったのだ……」

 すると何故か、クレアの表情が少し強張る。
 今の言葉に何か不安を与えてしまうような言葉があったのだろうか……。
 そう感じてしまったジェラルドが焦り、その事を確認しようとする。

「クレア……その……」
「閣下、わたくしもどうしても伺いたかった事がございます。イアルは……その後、どうなりましたでしょうか……」

 自分の発言に被せる様に投げかけられたクレアの質問内容にジェラルドが、眉をひそめる。あのような目に遭わされたのにそれでもクレアが、元婚約者の事を気遣っている事に苛立ちを感じてしまったからだ。

 不機嫌な表情を浮かべたまま、クレアにその後のイアルの情報をジェラルドは語った。東の大陸に行ってしまったイアルとは、もうクレアは会う事が出来ない事をワザと強調しながら……。
 しかし、クレアの返答はあまり興味のないような反応だった。

 それよりも妹ティアラの方が心配らしく、そちらの方を熱心に聞いてくる。やはりクレアの方も無自覚で、ティアラを過保護にしてしまう癖がついてしまっているのだろう……。その様子にジェラルドがため息をつき、ティアラとオーデント家のその後の様子を話す。

 すると、新たにオーデント家の養子となったエミルという少年の事を話すと、クレアの表情がやや明るくなった。

 その様子に少し安心したジェラルドだが……クレアの表情はすぐに厳しいものへと戻ってしまう。そして何かを決意したように更に質問をしてきた。

「その、わたくしが今後担う業務内容ですが……具体的にどのような事なのでしょうか……」

 今更その内容を聞いてくるクレアにジェラルドが怪訝な表情を浮かべる。とりあえず任せようとしている補佐内容の詳細を説明したのだが……。

「他には……ございませんか?」

 そう二度も確認された事で、ジェラルドがある事に気付く。

「クレア、もしあなたの中で自身が担わなくてはならないと思っている業務があるのなら、はっきりと聞いて貰えないだろうか。私には、あなたが何をそんなに心配しているのか、検討も付かない……」

 ジェラルドが直接その件を確認すると、クレアはやや俯き黙ってしまう。
 しかし次の瞬間、何かを決意した様な表情で、とんでもない事を聞いてきた。

「閣下の……閨のお供などは……そこには含まれているのでしょうか……」
「誰がそんな事を!!」

 唖然として勢いよく立ち上がり、思わずそう叫んでしまったジェラルドだが、この展開に既視感を抱く。すると予想をしていた犯人の名が、クレアの口から告げられた。

「生家を出る前に……妹ティアラからそのような話を聞きました……」

 その言葉を聞き、ジェラルドが片手で両目を覆いながら、力なくソファーへと座り込んだ。
 あれだけ怒鳴ったにもかかわらず、あのような手紙を寄越してきたのだから、クレアが愛人にされるという誤解をしたままなのは、知ってはいたが……。
 まさかそんな女性にとって屈辱的な役割をさせられるかもしれないという事を平然と、自身の姉に伝えてしまう程、配慮が出来ないとは、ジェラルド自身全く予想していなかったのだ。

 もし伝えてしまえば、それが間違った情報であってもクレアが深く傷つく事は、同じ女性ならば理解は出来るはず。そもそもそれを理解していたからこそ、身分が高い公爵であるジェラルド相手にあの時のティアラは、食ってかかるように果敢に挑んできたはずだ。
 
 それなのに姉を必死で守ろうとする反面、逆に姉を深く傷つける自身の憶測だけの内容を平気で語ってしまうティアラの思考が、ジェラルドには全く理解出来ない。あまりにも呆れ果てるような話に思わずジェラルドが呻く。

「またあの妹君か……。全く、余計な事を……」

 顔を片手で半分覆いながら、盛大に落胆して息を吐いたジェラルドは、とりあえずクレアの誤解だけでもまず解こうと、ゆっくりと口を開く。

「クレア、実は……」

 しかしそれを遮るかの様に慌ただしい雰囲気のノック音が扉から響いた。

「誰だ! 今は誰も通すなと……!」

 ジェラルドがそう叫ぶと、入室の許可も出していないのにコリウスが慌てて駆け込んで来る。

「閣下! 火急の事態ゆえ申し訳ございません!」

 そう言い訳をしながら息を少し切らしているコリウスが、事情を語り出す。
 以前ムスクの精油で取引をした事のある伯爵が、別領地の蒸留所でムスクの精油を発注した際、その蒸留所の手違いで、期日まで必要な分量が確保出来ない状況らしい。その為、アストロメリア領内の蒸留所で何とか足りない分を用意出来ないかという内容だった。

 ムスクの原料は稀少な麝香じゃこうという原料の為、アストロメリア領内でもあまり用意はない……。その為、コリウスではその判断が出来ず、ジェラルドの判断を仰ぎに来たのだ。

 しかし今のジェラルドは、それどころではない。出来るだけ早くクレアの誤解しているバカげた内容を訂正したかった為、そのコリウスの訴えを却下しようとした。

 しかし必要な精油量がそこまで多くない為、アストロメリア領内でも用意できる可能性が高い事を相手が事前に調査済だった為、無下に断れない状況だ。仕方がないので、渋々その伯爵の対応へと向かう事にしたジェラルド。

「クレア……すまないが、先程の件はこの後、しっかり説明させて貰う。それまで自室でゆっくりしながら待っていて欲しい……」

 そう言って、クレアに付けようとしていた侍女頭のアイシャにクレアの為に用意していた部屋に案内するように指示をだす。
 そして苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、その伯爵の許へと向かった。


 しかしその話し合いは、かなり長引いてしまう。
 ムスク自体は何とか現在のアストロメリア領内の分で用意出来るのだが、各蒸留所から期日前までにその精油をかき集める為に掛かる時間が、ギリギリになってしまう事が判明した。
 その解決策の話し合いで、かなり交渉に時間が掛かってしまったのだ……。

 話し合いが終了し、やっとジェラルドが執務室に戻れた時には、すでに21時を過ぎていた。
 これではクレアの誤解を解くのは、明日にするしかないと諦めていたジェラルドだったが……ふと叔母のハリエンヌから早々に受け取らなければならないクレア関係の書類の事を思い出す。
 クレアに関する重要書類の為、叔母はクレアに持たせると言っていた。

 その重要書類を確認しながら、明日朝一に国王である兄宛で申請しなければならない書類があった為、非常識ではあるがクレアの部屋へ、その書類を受けとる為に向かう。時間が時間なので、早目に切り上げようと思いながらもクレアの部屋の扉をノックし名乗ると、夜着にガウンを羽織ったクレアが恐る恐る顔を出す。

「閣下……あの、先程のお話の続きなら明日でも……」

 クレアは明らかにあの妹の話を信じている様で、かなりの警戒心を発しながらジェラルドにそう告げてきた。
 その様子に心の中であの忌々し妹に悪態を付きながら、ジェラルドが重要書類の件を話すと、クレアもハリエンヌに頼まれていた事を思い出す。
 ただその書類は、まだ荷捌きしていない鞄の奥底に入っているらしく、少々取り出すのに手間がかかるらしい。
 その為、そのままジェラルドを扉の前で待たす事に抵抗を感じたのだろう。

「このままでは申し訳ないので、中に入ってお待ちになりますか?」

 無防備にそう提案してきたクレアの言葉にジェラルドが一瞬、驚く。

「構わないのか……?」

 ジェラルドが拍子抜けしながら確認すると、先程の警戒心がスッと消えたクレアが、以前の様な態度でジェラルドを部屋に招き入れてくれた。部屋に入ると、こちらが用意しておいたローズマリーの精油を使ってくれた様で、部屋中にスッキリとしたした香りが広がっている。

 クレアに促され、ジェラルドが室内のソファーに腰を掛けた。
 その間、少し手間取った様子で、鞄から書類の挟んである黒革のファイルをクレアが取り出す。その様子を見ながら、ジェラルドはこの二人きりの状況があまり良くないと考え、その書類を受け取り次第、早々にこの部屋を去ろうと思っていた。しかし……。

「どうぞ、こちらです」

 その黒革のファイルをクレアが手渡して来た際、何故かクレアの白い手に釘付けになってしまった。
 二カ月前の視察中は、クレアが馬車から下車する際に簡単に手に取れた白い手。
 その際、カモミールティーを自分に差し出して来てくれたその手。
 ジェラルドは無意識に黒革のファイルではなく、白く細い指のその美しい手に吸い込まれる様に自身の手を伸ばしてしまう。

 その瞬間、クレアがジェラルドの手から逃れるように勢いよく手を引っ込める。
 その反動で黒革のファイルは、パタンと音を立てて床に落下した。

「も、申し訳ございません! その思わず驚いてしまって……」

 慌ててそう弁解するクレアには、明らかに恐怖の表情が張り付いていた。
 そのクレアの反応にジェラルドが、自分の無神経な行いに気付き、凍り付く。
 真っ青な顔をしたクレアは、明らかに自分を恐怖の対象と見ていると……。

「いや、私がいきなり手を掴んでしまったのが悪い……。もう夜も遅いし、今夜はゆっくり休みなさい」

 なるべく平常心を装いそう告げたが、その声は少し震えてしまった……。
 早く部屋を出ようと床に落ちてしまったファイルに目を移すと、クレアが不可解な事を言い出す。

「で、ですが! それではわたくしのお役目が!!」
「お役目……?」

 一瞬、怪訝な表情を浮かべるジェラルドだが、すぐに何の事か気付き、慌ててその件を訂正しようと口を開く。

「クレア……その件なのだが……」

 するとその言葉に被せる様にクレアが信じられない事を口走る。

「だ、大丈夫です! わたくしは元よりその御役目も覚悟の上で、こちらに参っております! ですから……」

 その瞬間、ジェラルドの中に苛立ちが生まれた。
 あの頭の悪い妹が、どんな風にクレアに話をしたかは分からない……。
 だがクレアの中で、自分がそういう女性の扱いをする男に見られているという事にジェラルドの中の怒りの感情が、少しずつ膨らんでいく。

「なるほど。妹君の失態の為、私に自らを差し出すと……。クレア、あなたは本当に姉の鑑の様な女性だな?」

 そう口にした自分は、今までクレアに一度も見せた事のない意地の悪い笑みを浮かべているだろうと、自覚しながらもジェラルドは冷たい声で告げる。
 そして、ゆっくりとクレアの頬を輪郭に沿って親指でなぞった。柔らかく……ひんやりした感触が親指の腹から伝わってくる。

「しかしそのように簡単に私を受け入れていいのか? 途中で拒み出しても私は手を緩める気は一切無いが、その覚悟はあるのか?」
「構いません……。それが元オーデント家の長女であるわたくしの責任の取り方です……」

 癖になりそうな触り心地の良いクレアの頬をジェラルドは、何度も何度も親指の腹でなぞる。すると青い顔したクレアがゆっくり頷きながらそう答えた。
 その返答を聞いたジェラルドは、わざと少し乱暴にクレアの腰に手を回す。
 出来るだけ……クレアが恐怖を感じる様に……。
 そしてベッドの方へ誘導し、クレアをそこへ座らせた。

 そのままクレアの両肩に手を掛け、ベッドに軽く押し倒す。あっさり後ろに倒れたクレアにジェラルドは、感情のない瞳で見つめながら、容赦なく上半身だけ覆いかぶさった。
 そんなジェラルドの顔を大きく目を見開いて見つめていたクレアだが次の瞬間、何かを思い出したように声を発する。

「あの、閣下! その前に一つお願いがございます!」

 慌てながらクレアが告げ来た内容に今度は、ジェラルドが大きく目を見開く。

「今から閣下のお戯れが終了するまで、絶対にわたくしの名を呼ばないで頂きたいのです」
「…………その理由は?」
「行為中に名を呼ばれれば、わたくしの様な心の弱い人間は閣下からご寵愛を受けていると勘違いしてしまいます……。それでは閣下の望む務めが、全う出来ません。ですから……今後もこの様なお戯れをなさる際は、絶対にわたくしの名をお呼びにならぬようお願い致します……」

 その言い分にジェラルドが大きく息を吐く。
 そんな約束、守れるわけもない……。
 だが、ジェラルドは気持ちとは真逆の返答をクレアにする。

「いいだろう。その程度の約束なら受け入れよう……」

 そう言ってクレアの首筋にそっと唇を這わせた。その瞬間、クレアは怯える様に体をビクリとさせる。しかし抵抗する素振りは一切無い……。
 そのままジェラルドは、ゆっくりクレアの夜着の肩口に手を掛ける。

 いくら妹に戯言を吹き込まれたとはいえ、クレアにそういう目で見られた事への憤りがジェラルドの自尊心を大きく揺さぶった。
 だからほんの少し、怖がらせてやろうと……。
 今すぐクレアが拒絶の反応や悲鳴を上げる事を願って。

 そうなればすぐにクレアを解放し、真実を話して安心させればいい。しかし当のクレアはギュッと瞳を閉じ、耐え抜く決意を貫き通そうとする。

 そのあまりにも強固なクレアの決意にジェラルドは、自分が行っている意地の悪い行為の重さに気付く。その瞬間、己の怒りをぶつけようとしてしまった自分の器の小ささに呆れ、後悔からか小さく息を吐いた。

 この状況では完全にクレアの決意の圧勝で、自分の方が早々に折れた方がよいと。
 その考えに至ったジェラルドは、すぐにクレアに覆いかぶさるのをやめ、体を離した。

 ジェラルドの気配が消えた事に気付いたのかクレアが、恐る恐る瞳を開く。恐らく今クレアの瞳には、情けない笑みを浮かべた自分が写っているだろう。

「閣下……? あの、どうされ……」

 そう言いかけたクレアの腕を軽く引っ張り、ベッドから体を起こさせる。そしてそのまま更に腕を引っ張り、クレアを自分の胸元へと引き寄せた。
 その反動で、腕の中にすっぽり納まったクレアの耳元に唇を寄せる。

「頼むから……泣くなり叫ぶなりして早く私を拒んでくれ……。でないと私は本当にあなたを汚してしまう……」

 絞り出す様に出したその声は自分でもビックリする程、情けない声で……。
 そのままゆっくり体を離し、クレアの肩口から落ちてしまったガウンを再び肩にかけ直す。キョトンとした表情で自分を見つめているクレアに苦笑しながら、ジェラルドはベッドから立ち上がった。

「クレア、私はこの様な事をする為にあなたをここに呼び出したのではない。あなたには、一番近くで私のサポートをして貰う為に来てもらったのだ」
「で、ですが!」

 そのクレアの反応にあの頭の悪い妹は、一体どんな滅茶苦茶な説明をクレアにしたのだ……と、ジェラルドが呆れ気味で苦笑する。
 そんなジェラルドは、あるいたずらを思いつく。

「ついでに私は、近々婚約を考えている……。その令嬢に承諾を貰う為にあなたの助けが、必要不可欠なのだ」

 すると分かりやすいほどクレアが動揺して、ビクリと体を強張らせる。
 その反応を満足げに確認したジェラルドは、ゆっくりとバルコニー付きの窓の外を指さした。

「ちょうどその婚約を望んでいるご令嬢が、私達を見つめている。いい機会だから、あなたにも紹介しておこう」

 必死でその令嬢の姿を探すクレアにジェラルドが苦笑する。
 そのままクレアが窓の方に近づこうと立ち上がったので、ジェラルドが軽く腕を引っ張り、クレアをベッドに引き戻し、自身もその隣に座る。
 そしてクレアと同じ目線の位置になり、よく目を凝らす様に再び窓を指さす。
 怪訝そうな表情をしながら、存在もしない令嬢の姿を探すクレアにジェラルドが、あるヒントを与える。

「いいや、ちゃんといる。少し前まで一部の令息達に『壁際のコマドリ』という珍妙な名で呼ばれていた赤毛の令嬢が……」

 そのヒントにクレアが大きく目見開く。

『壁際のコマドリ』

 それは夜会等で妹ティアラが非常識な行動をした際、壁際にいた姉クレアが、それを窘めにやってくる事を赤い頭部で鳴き声が賑やかなコマドリに見立て、一部の令息達が付けた彼女のあだ名だ。

「紹介する。彼女がその婚約を申し込みたい侯爵令嬢のクレア・セントウレア嬢だ」

 茫然としているクレアの反応に満足しながら、ジェラルドがそう告げた瞬間、クレアの瞳からボロボロと涙が零れ落ちた。
 そんなクレアをジェラルドは、苦笑しながら再び優しく抱きしめる。

「あなたの瞳は先程の様な私の意地の悪い行為には、鉄壁の守りを発揮するのに……今の様な感情を抱くと、まるで薄いガラスの様にもろくなるようだ」

 自分の腕の中でボロボロ泣き出してしまったクレアの頭を優しく撫でながら、ジェラルドがそう告げると、クレアが控えめに胸に顔を埋めてきた。
 辛い事への耐性は強いクレアだが、嬉しい事への耐性は弱いらしい。
 どうやら苦痛や悲しみには強固となる彼女の涙腺は、喜びや感動に対しては、一気に崩壊してしまうようだ。
 それがまた一層、我慢や耐え抜く事が多かった彼女の人生を物語っている。

 だが現状、ここまでクレアが泣いてしまっているのは、明らかに先程のジェラルドの悪ふざけの所為だ……。
 いくら説明下手の妹の言葉を鵜呑みしてしまっていたとはいえ、その件で意地の悪い事を企んでしまった自身の行動をジェラルドが反省し出す。

「もう少し早く根を上げてくれれば、ここまで意地の悪い事をするつもりはなかったのだが……」

 申し訳なさそうにそう声を掛けると、腕の中のクレアがジェラルドを見上げる。
 その瞳には、涙が溢れそうなくらい溜まっていた。
 そんなクレアに叔母の許へ養子縁組をさせた本当の理由を告げた後、ジェラルドは愛おしそうに更にクレアを抱き寄せ、その首すじ辺りに顔を埋める。
 先程と違い、温かいぬくもりが頬から伝わってくる。それだけ先程のクレアは、恐怖からか冷たい体温だったのだ。
 その事で更にジェラルドは、クレアを怯えさせてしまった悪ふざけに対して深く後悔し出す。

「一番傷付けてしまったのは、どうやら私の様だ。本当にすまない……」

 子供じみた悪ふざけをしてしまった言い訳をしながらジェラルドが謝罪をすると、何も悪くないクレアの方が、自分が不躾な言葉を発した所為だと主張してくる。相変わらずの相手に対する過剰な気遣いをするクレアにジェラルドは、思わず苦笑してしまう。

「しかし、ほんの出来心とはいえ、私はあなたをかなり怯えさせてしまった。本当にすまない……。十分に反省をするつもりだ。だからクレア……」

 そこでジェラルドは、あえて少し間を取る。

「先程の要望は撤回して貰えないだろうか……」
「先程の要望……?」

 先程からジェラルド腕の中から瞳の縁に涙を残したまま、キョトンとした表情で見上てくるクレアにジェラルドは思わず表情を緩ませる。

「私はあなたを愛でる時、どうしてもあなたの名を呼んでしまう。だから先程のあなたとの約束を守る事は絶対に出来ない……」

 一瞬なんの事を言われているのか、すぐには理解出来なかった様子のクレアだったが、しばらくすると見る見るうちに顔が赤らんでいく。

「あ、あれは……その、わたくしの務めに閣下の閨のお供という役割があると思い込んでいたので、その職務を全うする為の……」
「閨の供は引き続き、あなたにしか出来ない大切な役割という部分は変わらない。ただし、それは私と挙式した後の話だが……」
「か、閣下!」

 顔を真っ赤にして恥じらうクレアの反応に思わず声を上げて笑い出しそうになり、ジェラルドが声を噛み殺す。
 しかし、先程ジェラルドに出された条件は、とてもではないが純情そうなクレアが思い付いた内容とは思えない……。どうせ、フェリックス辺りの入れ知恵だろうと思い、その事をクレアに確認すると予想外な人物の名前が出てくる。

「あの条件を閣下に提案するように助言してくださったのは、閣下の叔母であり、わたくしの今の母であるハリエンヌでございます」

 その瞬間、ジェラルドは大きく肩を落とす。
 確かにあの叔母なら、クレアにそういう助言をするだろう……。
 何故ならハリエンヌだけには、ジェラルドが将来的にクレアに婚約を申し込む事を視野に入れていると、軽く伝えてあったからだ。

 二カ月間やりとりした手紙の内容で、クレアがセントウレア家にすんなりと受け入れられた事に驚いていた事が書いてあったが……当たり前だ。
 ハリエンヌにとっては、結婚など眼中になかった人間不信気味の可愛がっていた甥が、やっと婚約を考え出し、しかもその準備の一環として、その女性を娘として養子に迎え入れて欲しいと頼んできたのだから……。
 息子同様に可愛がっていた甥のその喜ばしい頼みに叔母が全力で協力してくれた結果、養子縁組先のクレアが驚く程の歓迎を受ける経緯になっていたのだ。

 しかし何らかの切っ掛けで、その甥がその婚約者候補でもある自身の娘に酷い誤解を抱かせたまま放置した事にハリエンヌは、気付いたのだろう。
 だからあの様な助言をし、自分の甥の配慮の無さに制裁を下そうとした。
 我が叔母ながら、流石としか言いようがない……。
 そんな叔母の愛情ある制裁を知ったジェラルドが、苦笑する。

「なるほど。流石、叔母上だ……」

 そう言って情けなさそうに笑みをこぼすと、釣られてクレアも微笑む。
 二カ月ぶりに再会してから、やっと以前の様な笑みを浮かべてくれたクレアに思わずジェラルドの両手が伸びる。
 そのままクレアの両頬を優しく包み込み、唇に向かうのをグッと堪えたジェラルドは、クレアの額に前髪の上からそっと口付けを落とす。

「今はまだあなたから婚約の承諾を得ていないので、私が出来る行為はこのぐらいが精一杯だ……。明日、あなたが叔母から預かって来た書類を確認しながら、正式にあなたへの婚約の申し込みをする為の書類を作成し、陛下の了承を得る為、早々に送らなければならない」

 そう言って立ち上がり、本来の目的であった床に放置されたままの黒革のファイルを回収しに向かう。

「明後日からその手続きで、あなたにも記入をお願いする書類がたくさん出てくる……。その際は、是非前向きに協力して欲しい」

 その言葉を発したジェラルドは、クレアが必ずこの婚約を受け入れてくれ事をすでに確信していた。
 そしてクレアの方もそれに応える様に幸せそうな笑みを浮かべてくれる。

 翌日、ジェラルドが兄である現国王にクレアとの婚約を希望している件を綴った添え状と、その手続きに必要な書類を送ると、やっと弟が結婚を考え出した事を喜んだ兄が早々にその話を進めだし、その話はトントン拍子に決まっていく。

 この一週間後、なかなか婚約者を持たなかった王弟である人嫌いな公爵が、赤毛の若い侯爵令嬢と婚約したという噂で、しばらく社交界が賑う事となった。
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アズやっこ
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 ❈ 追記 長編に変更します。 16歳の時、私は第一王子と婚姻した。 いとこの第一王子の事は好き。でもこの好きはお兄様を思う好きと同じ。だから第二王子の事も好き。 私の好きは家族愛として。 第一王子と婚約し婚姻し家族愛とはいえ愛はある。だから何とかなる、そう思った。 でも人の心は何とかならなかった。 この国はもう終わる… 兄弟の対立、公爵の裏切り、まるでボタンの掛け違い。 だから歪み取り返しのつかない事になった。 そして私は暗殺され… 次に目が覚めた時0歳児に戻っていた。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 作者独自の設定です。こういう設定だとご了承頂けると幸いです。

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