天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第17章 変化の時

9.世の動き

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「ご歓談中のお呼び出し、申し訳ありません」

「相手が相手ですので仕方ありません。私が行くのが一番穏便な解決法です。ラダメール、アヴィス。部屋の外に控えてシェニカ様の護衛をして下さい」


会議室に呼び戻されてみれば、シェニカの側にいるのが気に食わない様子のソルディナンドが、こちらを不満そうに睨んでいた。その後方では、バルジアラ様が面倒くさそうな顔をして頬杖をついている。
この様子だと、ソルディナンドは執拗に言ってきたのだろう。


「シェニカ様のこれからのご予定はどうなっていますか?」

「雨が落ち着いた頃、ウィニストラの首都へと向かいます」

「そうですか。シェニカ様はサザベルとの面会に応じられたと聞きました。我々はキルレに戻りますが、途中までは同じ道。それまでの間に、どこかの街で食事をしたいとシェニカ様に伝えて頂きたい」

「分かりました。お返事を頂きましたら、ご連絡します」

「いかに貴殿がシェニカ様と親しい関係であったとしても、貴殿の同席は遠慮して頂きたい」

「シェニカ様のご意向次第ですので、私は返答のしようがありません」

「そうですか。ではお返事をお待ちしております」

ソルディナンドが腹心と一緒に部屋から出ると、バルジアラ様がこっちに来いと視線を送ってきた。


「本国からの援軍はもう間もなく到着する見込みだ。雨が止んだらエメルバにここを任せて出発する」

「分かりました。エメルバ殿は?」

「貧民街に鍾乳洞への入り口を探しに行った」

「そうですか」

「それと、国王陛下やこちらに向かっている将軍らには、トラント国王の捕縛、シェニカ様の無事についての報告をしておいた。返事はまだだが、シェニカ様を首都へお連れすることになったから、国王陛下との謁見後、しばしの休息をおいてからフェアニーブへと出発することになるだろう。それと、お前も知っておいた方がいい情報をまとめた。ファズに預けておくから読んでおけ」

「はい」

バルジアラ様に返事をすると、目の前の机の上にある新聞が目に入った。
『ウィニストラとサザベル。勝者はどちら?!大罪に関与した『白い渡り鳥』様は一体誰なのか?』と1面に大きな見出しがあるが、その下に気になる見出しがあった。


「ロスカエナで民衆の蜂起が起きた、ということは、とうとう潰されないリーダーが出てきたのですか」

ロスカエナは、ウィニストラと小国を1つ隔てた場所にある。この国の先王はとても長生きをしたことから、崩御した後に即位した国王は50歳を過ぎていた。ロスカエナは地下水と周囲を囲む山からの湧き水から水を得ているのだが、何が原因なのか分からないが、彼が即位した直後から水源からの水量が急激に減った。
水源を広げたり、新たな水源を探したりと色々な方法が試されたものの、新たな水源を得ることも、既存の水源の水量が戻ることもなかった。結局、「水は魔法でどうにかする」という結論に至ったものの、民の生活に欠かせない水が消えるという現象が王の即位の直後であったことから、国民の王への求心力は一気に低下していった。
その空気を察知した国王は、国王の悪口や陰口を言う者を厳しく取り締まるようにと通達を出し、子供から大人まで罪人として牢に入れ、民間人の集まる広場で公開で処刑した。
そんな悪政を行えば、クーデターや民衆の蜂起が起こるのは当然の流れなのだが、王は幼い頃から兄弟の様に育ってきた将軍アミフェルを始めとした軍部との繋がりがやたらと強かったため、クーデターは起こっていなかった。そんな治世が続いて2年、民衆の蜂起が起きても、ディネードと同じで黒魔法の適性の高いアミフェルが国王を守り、将軍たちが暗部を動かして民衆のリーダーをことごとく暗殺してきた。
民衆の不満と不信は高まっているのに蜂起もクーデターも起きない、火種だけが燻り続ける国だった。


「今回の蜂起のリーダーは口が上手いらしくてな。そいつが軍の上層部と何か取引をして、中央の情報を得ているんじゃないかと噂されている」

「そうなのですか。どんなリーダーなのでしょうか」

「暗部からの報告によれば、そいつはロスカエナ国籍じゃない他国の商人らしい。素性は分かっていないが、不満を募らせた民衆のリーダー達と水面下で繋がって、軍部にも気付かせないくらい慎重に、時間をかけて準備してたらしい。
そいつに資金力だけでなくカリスマ性もあるのか、その取巻きや国外から集めた傭兵が強いらしくてね。その集団が首都に入る時には、国内にいる傭兵だけじゃなく、国に不満を持っていた下級から上級までの兵士も寝返ったらしい」

「蜂起のリーダーが国外の者というのは珍しいですが、国内の有望なリーダー達が殺された現状では、あり得る話ですね」

「次のページ見てみろ。ダルタとルベラでクーデターが起きたぞ」

ページを捲ってみると、ウィニストラの隣国ダルタ、ルベラでクーデターが起きたと書いてあった。


「ダルタは毒殺された老将ローバンスの仇討ちですから、すぐ終わるでしょうね」

「貴族への根回しに時間がかかったようだが、奴らが本気になればすぐ終わる。もう国王が捕まって処刑されてるかもな」

ダルタの将軍の中で50歳を越えるローバンスという老将は、強さも賢さも兼ね備えた人だった。ローバンスは政策にも明るく、周辺国にむやみに侵攻せず、国内の発展と軍部の増強を図るべきだと訴えた。先王はその考えに賛成して、内政の安定と産業の活性化を推し進めた結果、人口は増え、国の財政と内政は安定し、将軍等による兵士の育成も行われて軍部の増強にも成功した。
だからダルタは小国ながらも豊かだったのだが、先王が死去して現在の王になると、その政策の結果をもって『侵略の準備は整った』と考えた。しかし、平和な時代を過ごして懐が潤った貴族達や、ローバンスと彼に心酔する軍部は反対した。
対立状態が続く中、国王がローバンスを連れてとある領地を訪れた時、その晩餐の場で、ローバンスに出されたワインに『白い渡り鳥』様しか解毒できない無臭の毒を入れられるという事件が起こった。味に違和感を覚えたローバンスがワインを吐き出したものの、口の粘膜から入り込んだ毒はあっという間に体中を回った。すぐに『白い渡り鳥』様に手紙を送ったものの、ローバンスはその到着を待つことなく死んだ。

国王と筆頭将軍による調査が行われた結果、領主の末息子がローバンス主催の軍事訓練中に死亡したため、それを恨んだ領主によって行われた復讐劇であったと結論づけた。領主は、「息子の死は残念だが、軍に入った時に既に覚悟していたことであり、決してローバンスを恨んでいない。無実である」と訴え続けたが処刑された。これで一応の終結を迎えたローバンス暗殺事件だったが、使用された毒は将軍達が管理している劇毒であるのに、その毒は使用されていなかった。領主がどうやって毒を入手したのかなど、腑に落ちない点がいくつか残った。それを筆頭将軍が調査しようとしたが、早急な結論を求める国王に押し切られる形での幕引きだった。

その態度を不審に思った軍部によって秘密裏に再調査が行われたところ、王の抱える暗部の1人が『事件が起こる2ヶ月前、どこの国の者かは特定出来ないが国王が他国の暗部と接触していた』と証言した。接触したのはその1度きりで決定的な証拠はないが、『国王は、自分よりも求心力があるローバンスを敵視して暗殺した』と筆頭将軍を始めとした者達は考えるようになった。
そこから一気に不信感を募らせた軍部は水面下で動き始め、クーデター後の内政安定のためには貴族達を味方につけておきたいとして根回しを始めた。だが、『そう考えられなくもないが、決定的な証拠がない』『思い込みではないか』と貴族たちは及び腰でクーデターに否定的だったらしい。でもこうしてクーデターが起きたということは、バルジアラ様の言う通り、時間はかかったが根回しを終えたのだろう。

ダルタの記事を読み終えると、すぐ隣にあったルベラの記事に視線を移した。


「クーデターの直後、ルベラ国王は自殺し滅亡。バスパルエジナが国王に即位してネイダスの建国を宣言ですか」

「奴らは今回のトラントの大罪を利用したなぁ。国王も自殺じゃなくて普通に殺したんだろ」

記事を読んでみれば、ルベラの筆頭将軍であったバスパルエジナは『トラントの大罪に、我が国の国王も密かに手を貸していた。我々の手で断罪をすべきである!』と叫んでクーデターを起こすと、国王は追い詰められて自殺したと書いてある。

ルベラは、この十数年の間に国王が8人も変わるという内政が混乱しやすい状況が続いていた。国王が変わる理由は、傲慢な性格故に外交と侵略戦争での失敗が続いた責任、国王がゴリ推しした実力不足の将軍に任せた防衛戦が失敗し、領土の一部を失った責任、天候不順による飢饉への対応を失敗した責任など、国王の質の低さが目立っていた。
そんな中、筆頭将軍バスパルエジナが次々に代わる国王を補佐してきたが、次第に自分こそが王に相応しいと考えて、軍部に自分の考えを浸透させた。今の重臣達を味方につけたら動き出すのではないか、と目されていたが、まさかトラントの大罪を口実にクーデターを起こすとは思ってもみなかった。
仮にルベラがトラントに加担していた場合、国王を捕まえてトラント国王と同様にフェアニーブでの尋問を行うべきなのだが、殺してしまえば真実を闇に葬り去れる。クーデターをしたいと思っていても出来なかった国が、これを真似してクーデターを起こすかもしれない。



「トラントが小国のルベラと手を組んでも、何の利益もないと思いますし、どんな国であろうと、『白い渡り鳥』様を戦場介入させることに加担すれば、トラントと同罪ですからやらないと思いますけど。バスパルエジナにとっては良い口実になりましたね。ウィニストラの周辺は一気に騒がしくなりました」

「ルベラがトラントと組んだなんて誰も信じてねぇが、これを真似してあちこちでクーデターが起きるかもしれないな。まぁ、新しい国になっても長く続くのはごく僅か。どういう国になるかねぇ」

「内政が安定する良い国になれば良いのですが」

「この状況が続くと、ウィニストラに来る『白い渡り鳥』様の足にも影響が出かねない。落ち着いてくれるといいんだが」

「フェアニーブ近くに『白い渡り鳥』様はいらっしゃるのですか?」

自分がそう尋ねると、バルジアラ様は深く長い溜息を吐いた。言葉はなくてもその行動だけで、すべての答えが伝わってきた。


「それがいないんだよ。シェニカ様を除けば、フェアニーブに近いのはドルトネアやジナ方面にいる数人くらいで、ほとんどが南に行ってる。大陸の西や中央にいないのは珍しいな」

今までなら、トラントやサザベルといった大陸の西側や、ウィニストラからフェアニーブといった中央部には、『白い渡り鳥』様が数人いることがほとんどだった。なのに、今シェニカを除いて誰も居ない、となると……。
後ろめたいことがあれば、関わりを避けるために遠ざかるだろうから、トラントと協力予定だったという『白い渡り鳥』様は結構な人数がいたかもしれない。もしそうであれば、『白い渡り鳥』様を味方につけたトラントは、今頃『聖なる一滴』を使ってウィニストラ以外にも侵略の手を伸ばしていたかもしれない。あの時、シェニカという存在が居てくれなかったら、ウィニストラという国はトラントに喰われ、自分やバルジアラ様といった将軍達や副官らは処刑されてもうこの世にいないだろう。


「尋問までまだ時間はありますが、呼んでも来てくれるかどうかは分かりませんね」

「そうだな。頭が痛い」

ガリガリと銀の髪を掻きながら、何度も深い溜息を吐く姿を見ると、苦しい胸の内が簡単に想像出来る。


「では、シェニカ様のところへ戻ります。ファズ、何かあれば呼びに来て下さい」

「呼び出して悪かったな。ソルディナンドが急用でもないのにネチネチうるさくて、ほっといたら部屋に行きかねなくてな」

「あの人はシェニカ様に気に入られようと必死ですから、私とシェニカ様が仲良くなるのは許せないのでしょう。きちんと対応しないと、シェニカ様に迷惑がかかってしまいますから仕方がありません」


1人で会議室を出てシェニカのいる部屋に戻る途中、シェニカと『赤い悪魔』の気配が動いていない。不思議に思いながら部屋のドアを控えめに叩くと、『赤い悪魔』がこちらに向かってきてドアを開けた。


「シェニカは……。眠りましたか」

部屋の中を見ると、シェニカはテーブルに頭を伏せて眠っている。疲れがまだ残っているから、眠ったのは良いことだ。でも、折角眠るのならばベッドで横になった方が良いだろう。


「まだ寝たばかりだ」

「そうですか。ここで眠るのは身体が辛いですから、部屋にお連れしましょう」

部屋の中に入ってシェニカに近寄ろうとすると、『赤い悪魔』は後ろから自分の肩を掴んだ。振り返ってみると、自分よりも背の高い男が睨みながら見下ろしてきた。


「俺が連れてくから、お前は近寄んな。リスを使ってシェニカに取り入りやがって」

「別に取り入るつもりはありませんでした。ただ、恋をしただけです」

「何が恋をしただけ、だよ。人の女に手を出しやがって」

『赤い悪魔』が、自分とシェニカが親しくなったことに納得行かないのは分かる。シェニカがこの男との関係をどうするのかは分からないが、もしやり直すとしたら、こういう状況を受け入れなければ今後やっていけないだろう。


「シェニカが普通の人であれば、貴方という恋人がいるからと諦めたかもしれません。この際はっきり言いますが、シェニカはどこかの国王と結婚しようと、行く先々で愛人目的の男性が近寄ってきます。そういった者は容姿の良さや口の上手さ、性技の技術、実力の高さなど色んな強みをもっていますから、独占し続けるのは至難の業です。
シェニカが貴方以外の誰かを気に入って恋人や愛人、夫に迎えたとしても、自分の目の前で睦みあっていても、貴方を含め誰もやめろなんて言えません。貴方が他の男を近付けたくないのならば、彼女の気持ちが離れないように常日頃から心がけていなければなりません」

「だから、シェニカとお前がイチャイチャしてるのを受け入れろってことか?ふざけんなよ」

「この戦争が始まる前ならば、貴方だけが独占出来ていたのかもしれません。ですが、貴方とシェニカの関係だけでなく、シェニカを取り巻く環境も、シェニカ自身の心境も変化しました。
王族や貴族、将軍らとの接触が増えれば、彼女と親しくなる者が出てくるかもしれません。他の男性を受け入れるだけの度量がなければ、この先、貴方は彼女の側に居続けることは難しくなります。それに、今の貴方では1人でシェニカを守ることは出来ないでしょう」

『白い渡り鳥』様は頻繁に護衛を入れ替えるし、その護衛達は神殿で事前の知識として『白い渡り鳥』様特有の特権や知識を教えられているかもしれない。もしそれを教えられていなくても、すぐに変えるかもしれない護衛に『白い渡り鳥』様自身が教えることはないだろう。
シェニカの場合も、護衛が何も知識を持っていなくても、今回のような事件に巻き込まれなければ問題ないが、最悪の事態のことも考えて知識を持ち合わせた方が良い。
自分がシェニカにそうするように勧めることも出来るし、自分が護衛に教えることも出来なくはない。でも、シェニカが『赤い悪魔』とやり直した場合、彼自身が変わらなければ、シェニカは彼女らしさを失って心苦しい旅をすることになるだろう。どうなるか分からない今の段階では、『足りないものがある』というヒントだけ与えておこう。


「どういう意味だよ」

「ん~」

『赤い悪魔』が声を荒げた時、シェニカは小さな声をあげた。自分の声が彼女の眠りを妨げていると気付いた男は、シェニカの方を向いて起きていないことを確認すると安心したのか小さな溜息を吐いた。


「静かにしていなければ起きてしまいますね。私は別の部屋にいることにしますが、彼女はまだ疲れていますから、大切に思うのならば余計な心労を増やさないように慎んで行動して下さい」

「言われなくても、そうするつもりだよ。余計なお世話だ」

「シェニカに、ソルディナンドから何処かの街で食事をしたいと申し入れがありました。返事は後ほど頂ければ幸いです、と伝えて下さい」

シェニカの傍を離れるのは名残惜しいものの、『赤い悪魔』と2人で部屋にいても彼女の睡眠を邪魔することになりかねない。トラントの残党達もここに忍び込むことは不可能だから、シェニカのことはこの男に任せ、自分がここを離れた方が穏便に済むだろう。


会議室に戻ると、シェニカの護衛に置いてきたラダメールとアヴィスを除く自分の副官達やバルジアラ様が、驚いた顔をして出迎えた。
その表情から、彼らが『まさかシェニカ様との間でまずい事でも起こったのではないか』と思っているのが分かる。一応自分の恋路を見守ってくれるようだが、些細なことも悪い方に進んだのではないかと心配してしまうらしい。それだけ自分は恋愛から遠い存在だと思われていたのだろうか。


「シェニカ様の側を離れていいのか?」

「今、午睡を取られています。部屋の中には『赤い悪魔』がいますし、部屋の外にはラダメールとアヴィスを置いてきました。私はこの時間にバルジアラ様から渡された書類を読んでおこうかと思いまして」

バルジアラ様から少し離れた椅子に座ると、ファズが紐で束ねられた資料の束を持ってきた。
会議室では副官達がバルジアラ様に報告したり、話し合いをしたりと物音と会話で少々騒がしいが、集中して読んでいれば周囲の音は気にならない。

資料の内容は、トラントが建国してからの初代から現在までの国王の変遷、トラントに伝わるガーファエルと寵姫アルナを神格化した御伽噺、現国王になってからの国史。今までトラントが行ってきた侵略戦争と防衛戦の記録。現国王になってからトラントを訪れた『白い渡り鳥』様達の記録、トラントが贈った愛人の記録、ベラルスが隠し部屋で保管していた、シェニカや4人の『白い渡り鳥』様の書類の要点をまとめた報告書など、多岐にわたっている。一通り目を通すと、近くに控えているファズを呼び寄せた。


「神殿が持っていたシェニカ様の資料は、どこにありますか?」

「こちらの木箱に入っています」

自分の言葉を聞いたファズは、部屋の隅に置かれていた木箱を自分の横に持ってきた。その中にある資料に目を通してみると、彼女の足跡はセゼルを出てから始まって、ギルキアを出てアビテードに入る辺りで報告書がなくなっている。アビテードに入って以降のことは、おそらくまだ報告書が出来てないか、出来ていても報告書を携えたフィラを受け取る人が居なくて、ここにまとめられていないのだろう。

神殿の者達はシェニカがどんな人物かを知るために、彼女がどういう幼少期を過ごしたか、学校や神殿ではどんな風に過ごしていたかを知りたがったはずだが、その資料は一切ない。シェニカが過ごした神殿は、今でも絶大な力を持つローズ様が牛耳っているから、神官長がシェニカの過去を調べようとしても、彼女を大事にしていたローズ様が許さないだろう。恐らくローズ様は早い段階でシェニカの白魔法の適性の高さに気付き、神殿に利用されないように神官長らを近付けさせなかったのだろう。
いくつもの報告書を読みすすめると、神殿の者たちがシェニカを道具としてしか見ていないのが嫌でも伝わってきて、どんどん腹が立ってきた。


ーー街に到着したシェニカ様は、安宿に入って護衛と隣り合うシングルの部屋をお取りになった。食事は宿の食堂で、日替わり定食とビールをご注文になった。女将に対し、シェニカ様は日替わり定食の白身魚の香味焼きと手作りクッキーを絶賛されたとのことであった。白身魚の香味焼きについては味も見た目も普通、クッキーは味は普通だが焼きすぎたのか少々硬かった。庶民の食べる定食や焼き菓子を好む傾向があるのかもしれない。

ーーシェニカ様は、連れている『赤い悪魔』とはマードリアを出る時までは別の部屋に泊まっていたが、ギルキア領に入ったあたりから、『赤い悪魔』と同じ部屋に泊まる様になった。
その事から、シェニカ様は『赤い悪魔』と肉体関係を持ったと考えられる。シェニカ様及び護衛の様子を見ても、宝飾品店やドレス専門店に足を運ばないため、ご結婚に向けて動いている様子は見られない。現段階ではまだ恋人の1人として迎えただけのようだ。
シェニカ様の男性の好みは分からないが、このまま放置しておけば、『赤い悪魔』が夫となり、子供が出来てしまうかもしれない。血筋が確かであろうとも、忌まわしき傭兵であることに変わりがないため、そうなる前に『赤い悪魔』を排除しなければ、過去の二の舞になりかねない。なんとしても阻止しなければならない。


報告書には、他にもシェニカに関する色々なことが書いてある。神殿が一番やりたかったのは、自分達の息がかかった護衛を愛人として受け入れてもらうことだから、各地の神殿が出した報告書の中で、一番ページを割いているのはシェニカの恋愛事情だった。
でも、シェニカの過去を調べることが出来ず、本人に接触することも出来ないため、親しく接している護衛にまで調査の対象が広げられている。護衛の性格や経歴、過去に交際していた相手に接触するだけでなく、わざわざ各地の娼館に聞き込みに行って、徹底的に女性遍歴を洗い出されていた。ただ、3番目の護衛については報告書が一切ない。必死に嗅ぎ回っていたと思われるのに、この護衛の時だけ一体何があったのだろうか。
いずれにせよ、シェニカに取り入るために有益な情報を得ようと必死なのが伺える。

シェニカが旅立った後、ローズ様が王族、貴族、将軍らに近寄らせなかったのも、神殿にすら立ち寄らないように教えたのも、成人したてのシェニカを守るためには賢明な判断と言えるだろう。



「シェニカ様の報告書はこれだけですか?」

「はい。バルジアラ様が神殿から持ち帰ったシェニカ様の資料は、その木箱に入っているのが全てです」

自分の問いかけに、近くの壁側に控えているファズがしっかりと答えた。読み終えて机の上に置いた資料を、中身をもう一度確認しながら木箱の中に戻し始めた。


「神殿以外の場所から、シェニカ様の報告書は発見されませんでしたか?」

「ありませんでした」

資料を木箱の中にすべて入れたのだが、目的の物はここにはなかった。『あるはずのものがここにない』ということは、どこか分かりにくい場所に隠されたままか、トラントの者が持ち出しているか、ウィニストラ以外の者がすでに手に入れているか。隠されたままならば隈なく探せば出てくるだろうが、厄介なのはウィニストラ以外の者の手に渡ることだ。
もし他国の者がシェニカや『聖なる一滴』についての重大な情報、トラントが持っていた重要な『何か』を見つけていたら、今後どうなるのかと考えるだけで色んな焦りや不安が生まれてくる。


「何か見つからないものがあるのか?」

「ええ。以前、シェニカ様がこの地を訪問しているのですが、ここを出てアビテードの首都で治療院を開くまで、元将軍らによる尾行をつけられていたようです。その報告書があるはずなのに、ここにはないのです」

報告を聞いたバルジアラ様は、自分と同じことを考えたようで眉間のシワがより深いものになった。


「シェニカ様に関する書類はこれ以外には出てきてない。キルレの連中が使っている部屋とサザベルが使っている棟は奴らが使う前に調べているが、あの手帳があったような場所までは探していないからな。奴らが何も見つけてなければいいんだが。鍾乳洞の中にはなかったか?」

「私が歩いた道にはありませんでしたし、礼拝堂には隠せる場所はなかったように感じます。エメルバ殿が鍾乳洞で見つけてくれると良いのですが」

「お前の疑問については、トラント国王に尋問した時に聞いてみろ。そうだ、ベラルスのメモにあった『あの4人』って誰を指すと思う?」

「おそらく、シェニカ様のランクを見極める試験に同席した、サザベル、ドルトネア、ミルビナ、ロスカエナの首都の神官長だと思います」

「なぜそう特定出来る」

「シェニカ様に試験の日のことを聞きました。その試験の場に同席していたベラルスを含めた5人は、自分の目で『聖なる一滴』を見ています。そして、その5人はまだ洗礼前のシェニカ様に近付こうと必死だったようですから、その5人が互いにライバル視するのが自然だと思うからです」

「なるほどなぁ」

「私からの報告ですが、サザベルの反応に不自然さを感じます」

「どの辺が?」

「鍾乳洞に入ってアステラ達の死体の確認をした時、副官達とユドはいつもどおりの無言、ディネードは要件のみ口を開いていましたが、ヘルベが無言でした。シェニカ様との面会の時も、ディネードとユドには特に違和感を感じませんでしたが、ヘルベがやっぱり無言でした。
シェニカ様と親しくなったことを見せてみたところ、ユドとディネードからは殺気と憎悪が来ましたが、ヘルベはシェニカ様を不快な目で見ていたようです」

シェニカをダシにするのは気が引けたが、彼女に対しての不自然なのかを確認するためにも、すべてを引き受けるつもりで挑発してみた。すると、反応はよく分からないものだった。


「シェニカ様がサザベル側とも親密になった場合、いくらお前のライバルとなるのがユドでも、黒魔法の適性が高いディネードが結婚相手に最適だとして、誰よりも先に接触してくる。
ヘルベは既婚だし、ジジイだからどう足掻いてもお前のようにシェニカ様に近付けないから、シェニカ様とどうこう出来た時のことでも妄想してたんじゃねぇのか?奴が口を開けば、シェニカ様に失礼なことを言ってやらかすかもしれねぇから、黙っとけってディネードが言ったんだろ」

「確かにそう考えるのが妥当なのですが。何か引っかかるというか、喉元に骨が刺さっている感じというか」

国の規模、国の内外に関わらず、どの将軍達もライバル視する相手がいる場合が多い。それはあくまでも互いの能力と実績をライバル視しているから、結婚相手が例え王族であっても競ったりしないのだが、例外なのは『白い渡り鳥』様が結婚相手の場合だ。
『白い渡り鳥』様は複数の相手を持てる特権を持っている人であること、配偶者もしくは伴侶となることで自国に利益をもたらすことから、将軍が配偶者や伴侶に迎えられると他の将軍が競争相手になってきた。だから、過去の歴史を見てみれば、『白い渡り鳥』様の配偶者や伴侶に国の将軍や王族が複数人名を連ねている。
でも今の時代は、退役した貴族の子息や令嬢が愛人となっていることはあっても、将軍や王族が名を連ねていない。それは、将軍や王族といった国の看板を背負う者が『白い渡り鳥』様と結婚しても、愛人達のように簡単に捨てられてしまえば、国をないがしろにされているように感じるからだ。
ただ、能力だけでなく繋がりの価値も高いシェニカの場合、例え流動的な愛人となった場合でも『それは光栄なことだ』と見られ、仲が良い内に自国に足を運んでもらい、愛人以外の男を紹介し、早々に子供を作って、愛人がいつ捨てられても良いように繋がりを確保するだろう。

ウィニストラは恩人のシェニカにそんな考えは持っていないし、自分は下心なしで彼女と将来を共にする相手となりたい。
でも、サザベルやキルレは違う。バルジアラ様の言う通り、能力の高い子供とシェニカとの確かな繋がりが欲しいサザベルは、自分のライバルとされるユドよりもディネードを結婚相手に相応しいと考える。でも、シェニカ狙いの本命となりうるディネードは目立った動きは見せず、自分に対抗意識を燃やしてもおかしくないユドも目立った動きを見せない。ヘルベとソルディナンドは既婚という条件は同じでも、ソルディナンドは女性が好む顔立ちをしているし、ヘルベよりも若い。シェニカの恋愛対象とならなそうなヘルベだけが不自然、というのが腑に落ちない。


「普通に考えれば、悪い印象を残さない方が良いと考えて、シェニカ様が嫌がることは絶対にしない。だが、今回はシェニカ様をウィニストラが囲っている上に、お前と親しくなってるとありゃあ、ディネード達も内心おもしろくねぇよなぁ。かと言って、積極的に動いたところで大した勝算は見込めない。
なら、やっぱりあっさり引くしかない、って結論に至ると思うが、お前が違和感を感じるなら何か裏があるかもしれないな」

「何を考えているのか分からないのですが、面会の去り際に、サザベルは『赤い悪魔』を呼び止めて何かを話したようです。『赤い悪魔』に聞いたところで正直に言うとは思いませんが、彼に話すということから考えて、シェニカ様がらみの話だと思うのです。
面会の時のあっさりした感じ、大人しすぎるヘルベ、『赤い悪魔』に声をかける。彼らのやることは、我々にとって良くないことの方が多いので、私が将軍職を辞して、彼女の旅に護衛として同行出来れば良いのですが」

「許さんぞ」

「ダメですか?ウィニストラのためになると思えば、思い切った決断も出来ますよ」

「万が一、シェニカ様と親しくなったお前が、結婚して一時的でない夫に迎えて貰ったとしよう。シェニカ様の安全を守るために退役して彼女の護衛になれば、どの国もそう簡単にお前を排除出来ん。それは我が国の大恩人シェニカ様にとって良いことだろうし、ウィニストラの利益にもなる。
もし、そういう状況になってシェニカ様が是非にとお望みになれば、国王陛下はお前の退役と出国の許可を出すかもしれん。だが、お前がいなくなると俺の仕事が増えるから、俺は許さん」

将軍が退役する時は筆頭将軍と国王陛下が許可を出し、筆頭将軍が退役する時は国王陛下の許可が必要になる。いくら国王陛下が許して下さっても、この上官は「いくら大恩人シェニカ様の希望と言えど、国防が手薄になるのは避けたいので退役と出国の許可は出せません」と堂々と言うだろう。
バルジアラ様とは付き合いも長いから使い勝手が良いだろうし、散々こき使われてきたから阿吽の呼吸が当たり前になっている。この上官に出会ったからこそ今の自分がある。だから、期待に応えられるように努力してきたし、これからも期待に応えたい気持ちがある。でも愛した人を守りながら一緒に旅がしたい、という気持ちもある。この上官を説得するのは難しいだろうが、彼の期待に応えながらも、シェニカと一緒に旅が出来る道も作らなければ。


「では、エニアスやファズに、私の分まで働いてもらえるように頑張っていただかないと」

自分がそう言って壁側に控える2人ににっこりと微笑むと、エニアスは申し訳なさそうに視線を床に落とし、ファズはしっかりと見返した。

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