天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第17章 変化の時

15.下心のある食事会

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休憩地を出発した後も、相変わらず休憩はほとんど取らず国境へと一直線に向かっている。
昼休憩では強い疲労感を感じて接触できないまま終わってしまったから、次の休憩、もしくは夕食の時にはどうにかチャンスを掴みたい。話すきっかけが欲しいと、軍馬を器用に乗りこなすシェニカ様の背中に熱視線を送るのだが、肝心の想い人は視線に気付かないのか振り返ってもくれない。
なんとかしてシェニカ様と親しくなる方法はないか、ディスコーニを排除する方法はないのかと考えながら移動をしていると、トラント領ベスティナという中規模の街が見え始めた頃に日が傾き始めた。

藍色の空を連れながら街に近付くと、街を囲む高い壁と、街で一番高い時計塔のてっぺんには、ウィニストラの国旗が掲げられているのがはっきりと見える。街から離れた平原には、レイビニオンとコルゼニスが来る時に置いてきたらしいウィニストラ兵がテントを設営し、整列してこちらの到着を待っている。先頭を行くバルジアラを間近に捉えた兵士達は、歓喜の声を上げながら迎えた。


歓声が少し遠くに聞こえる場所で馬から降ると、シェニカ様はディスコーニと『赤い悪魔』と共にテントの方へと歩き出していた。遅れを取るまいと同じ方向に早足で追いかけようとすると、アヴィスとラダメールが邪魔をするように立ち塞がった。


「今夜はここで休みますが、キルレの皆様には街の宿をお取りします」

「シェニカ様は宿でお休みにならないのですか?」

「生憎と街の軍の施設では心許ありません。トラントの残党による襲撃の可能性がありますので、テントでお休みになっていただくことにしております」

拠点に出来る軍の建物がある大規模な街ならば、レイビニオン達が実力のある上級兵士と大量の兵士を残してきただろう。そこにいる兵士を使って街中を厳重警戒に出来るのだが、この程度の街では配置されたウィニストラ兵は数十人程度だろうから、ウィニストラに帰還する兵士を使わないとそれが出来ない。移動している兵士を休ませなければ、いざ戦闘が起きた場合に役に立たないから外で休むと判断するだろう。

それに、ここはまだ残党達にとって地の利のあるトラント領の街だから、狭い上に戦闘時には保護しなければならない市民のいる市街戦は避けたいはずだ。
街で余計な被害を出せば戦地ではない場所で戦闘が起きたということで、住民のウィニストラの印象を悪くして蜂起の火種を作ったり、統治するウィニストラが修復費用を出さないといけなくなるから、狙われる可能性のある者を街の外の自分達の目の届くところにおいておく。
テントで休むのはシェニカ様にとって悪い環境ではあるが、建物などの遮るもののない環境なら、将軍3人の守備範囲に収まるから残党達は手が出しにくい。

その点、戦争に直接関係がなく残党に襲われる心配もない我々は、客人という立場だから街の宿に泊まれ、という流れなのは分かる。でも、それを口実にシェニカ様との接点をまたも邪魔されている気がして、こちらはまったく面白くない。


「本来なら、シェニカ様はきちんとしたもてなしをすべき方です。狭くてむさ苦しい場所にいれば、気も滅入ってしまうことでしょう。襲撃の可能性に備えて外で休むのは仕方ないと思いますが、せめて食事だけはきちんとした物を召し上がるべきです。シェニカ様に、我々が休む宿にあるレストランで夕食をしたいと伝えて頂きたい」

「分かりました。お伝えします」

アヴィスが相変わらずの無表情で答えると、ラダメールの案内で街に入った。
街の治安維持のために残されていた少数のトラント兵が、ウィニストラ兵と共に街の中を警備しているのを見ていると、ラダメールは1軒の高級宿に入った。
受付をしているラダメールを横目に、ガラス張りになっているレストランの様子を窺ってみると、年齢の若い給仕がそつなく動いているから、よく教育されているようだ。シェニカ様との食事は失敗出来ないから、きちんとした場所で臨みたいのだが、良い返事は貰えるだろうか。


「お待たせいたしました。皆様のお部屋は3階です。明日の出発前に、お迎えに参ります」

ラダメールから鍵を受け取ると、早速豪華な螺旋階段を上って3階に向かった。それぞれの部屋の位置を確認すると、自分と5人の副官、バーナン殿に用意された7つの部屋は、廊下ですぐ行き来できるように隣り合っている。


「バーナン殿、私の部屋で一杯いかがですか?」

「ではお邪魔いたしましょう」

すぐにバーナン殿を部屋に招き入れると、壁側にある戸棚から赤ワイン1瓶とグラス2個取り出し、テーブルの上に置いた。向かい合うように置かれた黒い革張りのソファに座ったバーナン殿は、すぐにワインを開けて2つのグラスに注ぎ始めた。
部屋の広さや調度品から考えると、与えられたのは高級宿の中でも上の中くらい部屋だ。


「死体確認の時、ディスコーニはシェニカ様との関係をはっきり言わなかったことから、恋人になったわけではないのかと思いましたが。あの様子を見ると、ディスコーニがシェニカ様の恋人と発表されるのは時間の問題かもしれませんね」

部屋中を見て回ってソファに座ると、向かいに座るバーナン殿は飲み干したグラスにまたワインを注ぎ始めた。それを見ながら、目の前のテーブルに置かれたワインに口をつけた。


「ディスコーニに遅れを取らぬようにしなければならないのですが、風は奴に向かって吹き続けているのを感じて悔しいですよ」

奴はシェニカ様を射止めただけでなく、トラント国王を発見し、生け捕りにして前代未聞の戦争を終わらせた。この結果は、奴が将来筆頭将軍となる確かな実績となる。まだ新任の将軍でしかないのに、将来への地盤を着々と固めていっている。


「風というのは気まぐれなもの。同じ方向に吹き続けることはありませんから、そのうち向きを変えるでしょう。
それにしても、2人はどんな話をしているのでしょうか。ディスコーニ以外の者が同じ話題で会話しても盛り上がるとは限りませんが、その内容についてはとても興味を持ちます」

「落盤の時、目の前の『赤い悪魔』を押し退けてシェニカ様に向かっていたら……」

「過ぎたことを悔しがっても仕方ありません。食事の席では、シェニカ様が副官方やソルディナンド様、我が国にも興味を持って下さると良いのですが」

バーナン殿のため息混じりの呟きの直後、扉の外に部下5人の気配が止まった。シェニカ様から返事が来たのだろうと思い、すぐに扉を開けた。


「食事の件はご了承下さったとのことです。すぐに階下のレストランに手配をしました。シェニカ様は準備が出来次第こちらに向かうとのことです」

「そうか!いいか。『白い渡り鳥』様は多くの人間と交流するから、ただ座っているだけでは名前も顔も覚えてもらえない。お前達の持ちうる全てを使って、良い意味でシェニカ様の印象に残るように努力しろ」

「分かりました」

5人が気を引き締めて頷いたのを見ると、部屋から出たバーナン殿は笑顔を浮かべながら深く頭を下げた。

「良き一報をお待ちしております」


レストランに向かう階段を下りながら、色んなことを考える。ディスコーニとシェニカ様の距離が急速に縮まったのは、鍾乳洞に閉じ込められるという特殊な環境下に置かれたからだろうが、閉じ込められていた間、一体どんな会話をして、どんな態度で接して、どういう流れで肉体関係を持つに至ったのか。
その経緯をシェニカ様に聞くわけにもいかないが、ディスコーニに聞いたところで正直に言うはずもない。

自分の副官達の容姿は悪くなく、女遊びもそれなりにやっているから上手くやれる可能性はあると思うのだが、ロクに会話もしたことがない上に、相手とは接触する機会が極端に少なく、時間が限られているという悪条件だ。自分だけでなく国のためにも結果を残さなければならないのだが、高貴な相手に失敗出来ないから慎重にならざるを得ない。まずはシェニカ様の警戒心を解かないといけないのに、肝心の会話の種が見つからない。
こういうことを避けるためにも、『白い渡り鳥』様は洗礼後に世界中を巡って顔合わせしておくのに。ローズ様の図らいで顔合わせの機会が失われてしまったと聞いたが、なんと厄介なことをしてくれたのだろうか。


『赤い悪魔』は仕方がないとしても、ディスコーニが同席しないことを祈るしか無い。



「いらっしゃいませ。お部屋にご案内いたします」

レストランに入ると、真っ白な髪を撫で付けた老給仕が奥の個室に案内した。雰囲気も服装も身だしなみも上品さと自信に満ちたこの男が、このレストランで一番経験と責任ある給仕なのだろう。

白を基調とした清楚で上品な部屋の中央には、10人が一度に座れる程の大きな円卓と椅子が8つ置いてある。椅子の数から考えると、ディスコーニは同席しないようだ。
テーブルの上には、白地に水色の光沢のある糸で大小様々な水玉の刺繍を施したテーブルクロスが敷いてあり、その中央には平べったい高坏に似たガラスの花器があって、名前の分からない黄色や淡いオレンジの小花、かすみ草、鮮やかな緑のモンステラやシャガの葉などが生けてある。それは決して大きなものではないし、円卓を挟んで向かい合う人の表情が見えるような高さしかないが、この場にふさわしい豪華さと高潔さを両立させたように生けてある。
壁側には控えの椅子や食器やカトラリーが入ったガラス棚、どこかの風景画、木の実を使ったリースが飾ってあり、重厚な印象を与える漆黒の木製棚がある。大きな装飾皿を置いたその棚の横には2人の若い給仕がいて、部屋に入ってきた自分達に頭を下げて迎え入れた。礼を終えた若い給仕が引いた椅子に座ると、老給仕が自分の隣に膝をついてメニューを差し出した。


「コース料理を承っていますが、乾杯のお飲み物はどれになさいますか」

「相手の女性は我々とほぼ初対面で、この場に緊張して臨まれる方だ。身分の高い方でもあるから、乾杯からデザートまで和やかな空気で進め、失敗のないようにしたい。貴方の意見を伺いたい」

「まず乾杯には飲み口が軽く、アルコールの匂いが抑えられたボルボード産の赤ワインをお勧めいたします。その後は、甘みと後味の良さ、爽やかな口当たりが女性に大変好評なリンゴのシードルをメインディッシュまでご提供し、デザートの時には香り高い紅茶をお出しするのはいかがでしょうか」

「では、そうしてくれ」

「かしこまりました」

給仕達がグラスやワインの準備をし始めると、扉が開かれてシェニカ様と『赤い悪魔』と一緒に部屋に入ってきた。ディスコーニとファズも一緒にいたが、奴は微笑を浮かべた胡散臭い顔で扉を閉めると、隣の部屋に行った。


「シェニカ様、お疲れのところ申し訳ありません。この場に同席する私の副官をご紹介します。こちらから……」

シェニカ様が老給仕が引いた椅子に座ったのを見届けると、副官達を1人ずつ紹介し始めた。すると、シェニカ様は1人1人に「この度はお世話になりました」と言って小さく頭を下げる。
今まで『白い渡り鳥』様に自分や部下を紹介しても、「はいはい」と流すような返事をされることが多く、こんなに丁寧な対応をされたことはない。シェニカ様は律儀な性格のようだ。


「乾杯のワインは、ボルボード産の赤ワインでございます。乾杯の後は、リンゴのシードルをお召し上がり下さいませ」

紹介を終えると、老給仕はそう言ってシェニカ様のグラスからワインを注ぎ始めた。シェニカ様は、目の前に置かれたグラスに隙のない手付きで注がれるワインをジッと凝視しているが、給仕が何か不手際がないか注目しているのだろうか。乾杯のワインの準備が出来ると、老給仕以外は音もなく部屋から出て行った。
乾杯をしようとグラスを手にとり、シェニカ様に向けて笑顔を向けたのだが、肝心の彼女はグラスの持ち手部分にある蔦の彫刻にばかりに視線が行っている。


「シェニカ様。このような機会を頂きありがとうございます」

声をかけると流石に視線を自分に寄越してくれたものの、緊張しているのかディスコーニに向けていたような笑顔や自然な表情はまったく見えない。


「キルレへの帰国を長引かせてしまって申し訳ありません。私もお礼を述べたいと思っていました。今回はありがとうございました」

「シェニカ様がご無事でなによりです。これから先、シェニカ様に幸あるように。乾杯」

グラスを掲げて乾杯をすると、シェニカ様は少しだけ口をつけた。舐める程度にしか飲んでいないように見えたが、酒はあまり強くないのだろうか。そう思っていたら、グラスの中の赤ワインを揺らして真剣な眼差しで観察し、もう一度口をつけて今度はゴクリと飲んだ。


「料理のメインには牛肉の赤ワイン煮込みとドリアニのムニエルが選べますが、どちらがよろしいですか?」

「そうですね……。ではお肉で」

老給仕は、シェニカ様がグラスを置いたタイミングでそう尋ねると、シェニカ様は数瞬考えたようだが肉料理を選んだ。
ドリアニというのは世界中の湖に生息する魚なのだが、人間が潜れない水深の場所を好む上に餌を啄んでほぐすように食べるため、釣名人と言われる者でもそう簡単には釣り上げられない。そのため、ドリアニが釣り上げられると、真っ先に貴族や王宮が買い取って市場では見ることのない高級魚なのだが、シェニカ様の即答しない様子を見ると、魚が嫌いというわけではないらしい。


「シェニカ様は苦手な食べ物などありますか?もしあれば、それを料理に使わないようにすることも出来ますが」

腹心のミルトがそう言ってさり気なく探り出した。食事の場を共にできれば、こうして自然な流れで好みが探れる。この場でたくさんの収穫を得て、他国の一歩先を行っておきたい。


「特に苦手なものはありませんので、大丈夫です」

「このワイングラスの装飾は素敵ですね。シェニカ様はこうした装飾はお好きですか?」

ミルト以外の部下達も、シェニカ様に印象付けようと口を開き始めた。問いかければ答えてくれるが、会話が長続きしない上に、シェニカ様からは居心地の悪そうな空気が出ていて緊張はまだ解れていない。この状態を早くなんとかしないと、時間が過ぎるばかりで部下も自分も良い雰囲気にもっていけない。


話が途切れた時を見計らったかのように若い給仕達が入ってきて、前菜を運んできた。緑、黄緑、黄色の3色のジュレが海老と一緒にカクテルグラスに入っているもので、こういうレストランではよくある前菜だが、シェニカ様の視線は釘付けになっている。バーナン殿から、安宿に泊まって定食を食べていることが多いようだと聞いたが、シェニカ様はこういう店に行かないのだろうか。


「味気ない食事ばかりでしたから、こういう場所で出されるものは色が鮮やかですね。どうぞお召し上がり下さい」

「とても綺麗ですね。では、いただきます」

シェニカ様はそう言って前菜を食べ始めると、隣の『赤い悪魔』も無言で食べ始めた。
緊張のせいかシェニカ様は最低限の言葉しか発しないし、表情が大きく動くこともないが、前菜が美味しいようで一口食べるごとに口元が少し綻ぶの様子は、小動物を見ているようでなんとも可愛い。


「こちらはリンゴのシードルです」

老給仕が空になったシェニカ様のグラスをシャンパングラスと交換し、淡い琥珀色のシードルを注ぎ始めた。炭酸がシュワシュワと音をたてる様子を、シェニカ様は興味津々で見ている。


「これはみずみずしい甘みと香りの良さ、口当たりの爽やかさが特徴で、女性の方にも大変ご好評を頂いております。お口に合いましたら光栄です」

「そうなんですか」

シェニカ様は早速グラスを手に取ると、中ほどまで注がれたシードルをゆっくりと飲み干し、微笑を我慢したような表情でグラスを置いた。


「もう1杯いかがですか?」

「じゃあお願いします」

シェニカ様はシードルが気に入ったようだ。自分も飲んでみれば、確かに炭酸はきつくないしリンゴの甘味と香りがしっかり感じられるから飲みやすいが、アルコールはそれなりにあるから量を飲めば酔って口も軽くなるだろう。シェニカ様は酒豪という感じはしないから、このシードルを数杯飲めば良い感じにほろ酔いになってくれるはずだ。


「シードルはリンゴ以外にアンズやブルーベリー、イチゴなど地方によってたくさんの種類がありますが、シェニカ様はリンゴが一番お口に合いますか?」

「そんなに種類があるのですか?私はあまりお酒に詳しくないので……」

酒に詳しいミルトが、シェニカ様の反応を見て機を逃さずに話を切り出した。シェニカ様の反応から考えると、酒はいつも同じものを飲んでいるのだろう。


「シードルというのは、リンゴを発酵させたスパークリングワインを指していたのですが、最近ではリンゴ以外の果物からも作ることが出来るようになって、世界各地でその地方で採れる果物を使ったシードルが増えているんです」

「へー。そうなんですか」

「シードルは果実・アルコール・炭酸が自然に馴染んで出来るので、果実酒を炭酸で割るよりもアルコール特有の味や匂いが薄くなって飲みやすいのです。そのため、今まではお酒が苦手だった女性たちの間でも人気が出ているそうですよ」

「美味しいですから、人気が出るのが分かります」

シェニカ様はミルトではなくグラスを見ているが、微笑を浮かべて頷いている。どうやらシードルの話は良い話題だったようだ。


「レモンやライムのシードルも美味しいのですが、柑橘系のシードルは味と肉を引き締める役割も果たすので、料理にもよく使われるんです」

「ミルト様はお酒に詳しいんですね」

「私の父はレストランのシェフをしておりましたので、幼少の時から料理のことを聞かされていたんです」

「じゃあ、ミルト様もお料理が上手なんですか?」

「父には遠く及びませんが、軍に入っていなければシェフを志したと思います」

「そうなんですか。軍の中で役職に就いている方は、ご両親も軍のお偉いさんかと思っていました」

「軍は貴族と違って世襲制ではなく実力主義なのですが、受け継いだ能力が影響するのか親と同等以上に出世する場合もあります。でも、民間人や傭兵の親を持つ副官や将軍の方も結構いるんです。
私の家も代々養蜂をやっているんです。私は家を継がない四男坊でしたので軍に入ったのですが、幼少の時から蜂蜜を食べていたので、蜂蜜を一舐めしただけで蜂が集めた花や種類を特定出来る特技があるんです」

ベイノードはそう言うと、花器を挟んで向かいに座るシェニカ様に女受けする微笑を浮かべた。


「へぇ~!すごいですね!」

シェニカ様は酒が回ってきたのか、部下達と少しずつ会話が続くようになってきた。上官の命令もあるから今回は橋渡し役になろうと思うが、本当なら自分がその会話の中心になってシェニカ様にアピールしたい。
歯がゆい思いをしながら部下達とシェニカ様の会話を見守っていると、じゃがいものポタージュとメインの牛肉の赤ワイン煮込みを食べ終える辺りまで、会話は途切れることなく続いていた。
最初は緊張した様子だったシェニカ様だが、リンゴのシードルが口に合ったのか今では緊張が抜けて頬をピンク色に染めている。このシードルを勧めたあの老給仕はなかなかのものだ。

あとは最後のデザートを残すのみだが、シェニカ様の様子を見ても誰かを気に入った様子はない。このままデザートを終えてしまうと、『和やかな食事』で終わってしまう。部下達はシェニカ様の好みに合わなかったのかもしれないが、どういう男が好きなのかを聞き出したい。
この場にいないかのように静かに座っている『赤い悪魔』だが、シェニカ様は時折この男をチラリと見て気にしている。いかに静かにして邪魔をしなくても、折角この場が盛り上がってもシェニカ様の気がこいつにそれてしまうのだから、やはりその存在自体が邪魔だ。


「やはり世界中を旅していると、美味しい食べ物は楽しみになりますね」

「えぇ。同じリンゴでも、産地が違うと甘みが強かったり酸味が強かったりと違いがあるから、面白いですよね。そうだ、キルレには何か特産の食べ物ってあるのですか?」

「我が国はスモモが特産です。シードルや果実酒、ジュース、ジャム、コンポート、パイ、ステーキにスモモソースをかけたりと、庶民から王族の方々まで広く使われています。とても美味しいので、是非一度シェニカ様にも召し上がって頂きたいです」

「スモモですか。どれも美味しそうですね」

「旅先での食事も旅の醍醐味ですが、良い出会いはおありですか?」

シェニカ様の緊張が随分と解けた様子を見たミルトが、誰もが聞きたい質問を切り出した。すると、シェニカ様は小首を傾げ、困ったような微笑を浮かべた。


「う~ん。行く先々で素敵だな~と思える出会いがあったら声をかけているんですけど、なかなか実を結んでなくて。やっぱり相思相愛になるって難しいんですね。どんな風に口説いたら良いのか分からなくって」

なんとシェニカ様から旅先で声をかけられた男がいようとは。それも、シェニカ様からのお誘いを断るなど、その男は何を考えているのだろうか。シェニカ様の価値が分かっていない、無知な平民や下級兵士なのだろうか。


「シェニカ様、一体どのような男性に」
「あ、そうだ。折角なので、ソルディナンド様にお聞きしたいことがあるのですが良いですか?」

「はい。何でしょうか」

まさか、シェニカ様から自分に聞きたいことがあると言われるなんて!シェニカ様が自分に聞きたいことがある、ということは自分に興味を持ってくれたに違いない。今までは部下に花を持たせるために黙っていたが、これは自分を売り込む大チャンスだ。


「ソルディナンド様は奥様とどのように出会って、恋をしたんですか?」

「え?どうしてそのようなことを?」

どんな質問なのかとドキドキしていると、なんと自分の妻のことだった。なぜそんなことを聞くのだろうか。
もしかして、シェニカ様は密かに自分に恋心を抱いたが、既婚というところに遠慮しているのだろうか?だから妻とのことを聞こうとしているのだろうか。
そうだとすれば、なんというチャンスだろうか!自分は単なる政略結婚であり、シェニカ様が望めば即座に離婚出来ると伝えなければ。上手く行けば愛人ではなく夫になれる。ここでひとまず事実上の恋人にしてもらったら、邪魔な『赤い悪魔』は適当なところで暗殺し、シェニカ様には時間をかけてディスコーニがろくな奴ではないと言い聞かせよう。
夫になれば国からは英雄視されて自分の価値が上がる上に、シェニカ様が自分に依存するようになれば、自分の良いように操作出来るし、『聖なる一滴』を手にすることが出来る。そうなれば、キルレだけでなく世界中の国王や憎たらしい将軍共が自分に頭を下げることになる。なんという輝かしい未来だろうか。


「ソルディナンド様はとても素敵な方ですから、女性が放っておかないと思うのです。たくさんの素敵な女性とお付き合いされてきたと思うのですが、その中でも奥様に一番惹かれてご結婚なさったと思うのです。
こうすればイチコロ!な口説き文句とかお聞きしたいのですが、ダメだったでしょうか」

見えてきた輝かしい未来を想像していると、なぜかシェニカ様は『イチコロ!な口説き文句』を聞きたがった。それを聞いて、シェニカ様が誰かに試すのだろうか。ほろ酔い状態だと思うのだが、シェニカ様の発言が要領を得ない。
とりあえず、シェニカ様に気に入られた男に花を持たせるなんてことはしたくないし、自分が口説きたい相手に手の内を見せるなんて馬鹿な真似はしないから、上手くはぐらかして妻との関係は冷めきったものであると伝えよう。


「妻とは国王陛下の勧めの見合いでの結婚だったので、特に恋をしてはいないのです」

「そうなんですか?きっと奥様はきっと心の広い素敵な方でしょうから、ソルディナンド様はそういう包容力と優しさで結婚を決めたのですか?」

「いいえ。妻にそんな一面はありません」

口説き文句のことは上手くはぐらかしたが、シェニカ様が妻とのことを矢継ぎ早に質問してくるということは、間違いなく自分に興味を持ってくださった。
2人きりになった時に『国王陛下の勧めだったので、私は恋をすることなく結婚することになってしまいましたが、シェニカ様をひと目見たその時から、私は貴女様に恋をしました。私と妻は冷めきった仮面夫婦なので、お互いに離婚したいと思っていましたが、仲介して頂いた国王陛下の手前、それが出来ずにズルズルと続いてきました。
ですが、シェニカ様さえ良ければ国王陛下も納得して下さるのですぐに離婚出来ますし、私自身がシェニカ様の旅の護衛として同行できるように相談してみます。ですので、キルレに一緒に来て頂けないでしょうか』と熱っぽく囁けば、きっと頷いて下さるだろう。
そのためには、まずはこの場でシェニカ様から寄せられる問いかけには、がっかりさせず、かつ好意を失わせないような返事をしつつ、後で矛盾が起きないように誠実に答えなければ。


「いかに国王陛下から勧められたお見合いでも、惹かれるところがあったから結婚なさったと思ったのですが。違うのですか?」

「特に惹かれたところはありません。お恥ずかしいですが、夫婦関係が悪いので離婚を考えているくらいです。ですが、結婚してまだ1年しか経過していないので、国王陛下の顔を潰さぬようにお互い仮面夫婦を演じているのです」

「そうなのですか?では、仮面夫婦ではなく、仲のいい状態の時に、奥様が信頼を失うことをしたらどうしますか?やり直しますか?」

「信頼を失う、ことですか?」

「ええ」

シェニカ様はなぜこんな質問をするのだろうか。
いかにほろ酔いで思考がまとまっていない状態でも、こういう質問をする時は「その状況に自分が陥っているから他人の意見を聞きたいのだ」と考えるのが自然だろう。ということは、付き合いの浅いディスコーニではなく、『赤い悪魔』が信頼を失うことをしたのだろう。最大の敵はディスコーニだが、『赤い悪魔』をここで蹴落としておいた方が暗殺するより早く済む。


「信頼を失うことがあれば、離婚します」

「奥様が真摯に反省し、やり直したいと言ったら?」

「一度壊れた信頼関係は簡単には取り戻せないと思いますので、『やり直す』という選択肢は取りません。なのでどんなに謝っても、反省の態度を示しても私は離婚します」

「でも、挽回の機会を与えないというのは酷だと思いませんか?」

「自分の行いを後悔し、反省することは大事だと思いますが、人には許せることと許せないことがあります。信頼関係が壊れるということは、そう簡単には許されないことをしたのだと思います。それは許せないことに分類されることではないでしょうか。後悔するようなことであれば、最初からやらなければいいのです。
いかに円満な夫婦関係であっても、それ相応の償いをして貰わなければ、自分自身の腹立たしい気持ちは収まりません。私の場合、それが離婚という罰なのです」

「離婚という罰、ですか。政略結婚ということは、奥様は貴族のご出身ですか?もしそうであれば、別れてもどこかで会う機会はありますよね。顔を合わせた時はどのように接するのですか?」

「離婚したら妻は再び侯爵家に戻りますから、どこかのパーティーで顔を合わせる機会はあります。そういう時に会えば、お互い割り切って顔を合わせるでしょう」

「割り切って、ですか?」

「えぇ。心の中でどのように思っていても、割り切った関係で付き合うというのが大人の付き合い方というものです」

シェニカ様は、デザートのアンズクリームのミルフィーユを食べながら難しそうな顔をした。


「そう簡単に割り切れるものなのでしょうか」

「迷いがある時は、過去を未来への土台にするためにおすすめの方法がありますよ」

「それはどんな?」

「心の切り替えを行うために、その相手との思い出の品を処分したり、引っ越して相手の痕跡を消す方法があります。そのほかに、相手との思い出には直接関係ありませんが、普段自分が使っている物を全て入れ替えたり、今まで着なかったような服装をして、新しい気持ちに切り替えると良いと言われています」

『赤い悪魔』と旅をしていたのだから、良い思い出や何か貰った物もあるだろう。そういった物はすぐに捨てて、これから自分と作る思い出や物だけを見ていただかねば。


「なるほど。心機一転ってことですね。ごちそうさまでした。色々なお話と美味しい食事をありがとうございました」

シェニカ様はそういうと、食べていたミルフィーユの最後の一口を食べて、カップに残っていた紅茶を飲み干した。


「シェニカ様。よろしければこの後、2人で夜の街を散歩しませんか?」

「お気遣いありがとうございます。少し疲れていますし、明日のためにも今日は早めに休みたいと思いますので戻ります」

「お疲れのところ申し訳ありませんでした。私が送りましょう」

「いいえ、大丈夫です。素敵な夕食をありがとうございました」

椅子から立ち上がったシェニカ様が一歩踏み出そうとした時、足元がおぼつかなかったらしくふらついた。自分が支えようと手を伸ばそうとした瞬間には、『赤い悪魔』がシェニカ様の肩を掴んで支えた。


「あ、ありがとう。頭はちゃんとしてるのに、なんか足元がフラフラしたや」

「いつも以上に飲んでるからだ」

背中に手を添えられながらシェニカ様がゆっくりと扉に向かって歩き出すと、外にいたディスコーニが扉を開け、心配をアピールするわざとらしい顔で部屋に入ってきた。


「足元がおぼつかないようですが、大丈夫ですか?」

「ありがとう。大丈夫だよ。お酒が美味しくてちょっと飲みすぎちゃったや。ルクト、1人で歩けるから大丈夫だよ」

今回の食事では、シェニカ様が部下達ではなく自分に興味を持っているというのが分かった。これはかなりの成果だろう。
これから先、立ち寄る街で食事を繰り返し、シェニカ様と会話をして距離を近付けて行くことが出来れば、まずはディスコーニのように愛称で呼び合う仲になれる。そしたら部下ではなく自分がシェニカ様とカケラの交換を行い、キルレにお招きしよう。


ディスコーニは『赤い悪魔』と替わるようにゆっくりと歩くシェニカ様の隣を陣取り、『赤い悪魔』はシェニカ様に数歩遅れて扉を通った。赤い髪の男の後ろ姿を見送る時、その右の拳が固く握りしめられているのが見えた。


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