天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第18章 隆盛の大国

3.デートは死の香り

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戦勝の喧騒が窓越しに伝わってくるラーナの会議室の1つでは、バルジアラと副官達が、机の上に山積みになった書類の束を処理し続けている。時折、部屋全体に響く溜息を吐くのは銀髪の男で、煮詰まったのか髪を雑に掻き回しながら窓の外に視線を向け、また深い溜息を吐く。部下達はそんな上官にお茶を切らさぬように気を配り、溜息を吐くことなく淡々と仕事をこなす。そんな状況が続いていると、トゥーベリアスの副官の1人カーゼラムが入ってきて、不機嫌そうな顔をしたバルジアラの前に立った。


「トゥーベリアス様からのご報告です。ディスコーニ様と協議の結果、トゥーベリアス様がシェニカ様の警備をすることになりました。今からシェニカ様は街の中を散策するそうなので、我々が警備を担当させて頂きます」

「ディスコーニがそう判断したのなら、俺はそれを尊重する。シェニカ様に迷惑をかけるな、とトゥーベリアスに伝えろ」

「分かりました」

カーゼラムが部屋から出て行ったのを見届けると、銀髪の男は呆れの意味を込めた溜息を吐いた。すると、すぐ近くで書類の処理をしていたエニアスが顔を上げ、苦笑いを浮かべた。


「何がディスコーニと協議しただ。どうせトゥーベリアスが一方的にまくしたてたんだろ」

「ですがディスコーニ様は許可なさったんですね」

「あいつのことだから、上級兵士が警備するよりも将軍のトゥーベリアスが警備をした方が抜かりはない。断ったところで煩く言ってくるのは分かってるから、利用してやろうと思ったんだろう」

「トゥーベリアス様は女性に人気ですし、お話も上手ですから、シェニカ様が心変わりするかもしれないのに。大丈夫でしょうか」

「あいつは女関係の経験はないが、利用するものは利用する抜け目のない奴だ。苦境の状態でも、最後は自分の利益になるように、その過程と人物を見ながら冷静に行動する。相手に腹の立つ嫌味を吐いてけしかけることもあるし、不利な状況を利用して部下を奮起させることもある。
シェニカ様に本気のあいつは、そんなことしないだろうし、危険にさらす状況にはしないだろうが、これから先、トゥーベリアスなんて雑魚に見えるような面倒くさい奴が出てくるだろう。これくらい余裕で対処出来ないと、シェニカ様に捨てられる可能性があるから、奴で練習するくらいの気持ちなんじゃないか?」

「シェニカ様が相手となると、スケールが大きいですね」

「それだけ貴重な方だからなぁ。シェニカ様が誰を恋人にし、誰を夫にするのかっていうのは世界中の関心事だ。良識のあるまともな男が選ばれると良いんだが……」

ニドニアーゼルが新しい茶が入った湯呑を持ってきた時、会議室の扉が開いてセナイオルが入ってきた。


「お前はここで待機か?」

「はい、ここで報告書や手紙などの整理をしようと思います」

「トゥーベリアスの挨拶はどうだった?ディスコーニとシェニカ様はどんな感じだ?」

「トゥーベリアス様はシェニカ様にご自身を世話役にと直談判なさいましたが、シェニカ様がお断りになりました。ディスコーニ様とシェニカ様はとても親しいご様子で、街の甘味屋に向かわれました」

「甘味屋ねぇ…。ということは、あいつにとって人生初のデートか。トゥーベリアスに失敗することはないと言い切ったが、いざその時が来ると心配になってきたな。見に行くか」

「やめましょう」

机の上に散らばった書類に手を付き、ため息混じりに立ち上がった上官に、エニアスは頷いて即答した。


「なんでだよ」

「お2人の仲がよいことに変わりはないのですから、見に行かなくても大丈夫ですよ。ディスコーニ様はバルジアラ様のご期待にはすべて応えてきた方ですので、今回も失敗なさいません」

「お前にそう言われたら、なんか不安になった。ほら行くぞ」

「バルジアラ様はまだ未処理の書類が山のようにあるのですから、それから片付けてしまいましょう!」

「座ってばっかりなのは耐えられねぇんだよ」

「やめましょう!絶対良いことありませんから!」

「ガキみたいに駄々こねてんじゃねぇよ。上官の命令には従え」

「で、では私はここでお帰りをお待ちしていますので、他の者を連れて行くか、バルジアラ様がお1人で行って下さい!」

「任務時間中、腹心は上官の行くところに必ずついて来るんだよ。お前は職務放棄するつもりか?」

「そんなことありませんけど!これはバルジアラ様の単なる好奇心ではないんですか?」
 
「あいつがシェニカ様をちゃんともてなしているのか確認するのは、れっきとした仕事だろうが」

「嫌です!」

「エニアス」

「……はい」

必死の抵抗を見せたエニアスだったが、睨みをきかせた上官に一喝されてしまうと「はい」と答えるしかなかった。項垂れながら上官の後ろを歩くエニアスを見送ったセナイオルとバルジアラの副官達は、全員で顔を見合わせながら苦笑いを浮かべると、すぐに書類の処理を始めた。


しょぼくれながら建物の外に出たエニアスだったが、どうにか上官に会議室に戻ってもらおうと、喧騒が聞こえる方へとズカズカ歩く上官の太い腕を掴んで足掻き始めたのだが、残念ながら相手が悪かった。
しがみついた片腕を力任せに引っ張っても、全体重をかけても、大柄な銀の男の歩くスピードは落ちず、エニアスを引きずっている。引き留めようとしがみつくエニアスの足元では、ブーツの底と石畳が擦れて砂埃が立ちのぼっている。


「バルジアラ様、処理しなければならない書類が溜まる一方です。早く戻って処理してしまいましょう!」

「書類を確認するよりも、シェニカ様をもてなす方が優先すべき仕事じゃないのか?」

「そうですけど!見ても良いことないから戻りましょう。ディスコーニ様は何事も上手くやってくださいますから!」

「お前なぁ。あれを見ろ!散歩を嫌がる犬と同じ格好してるぞ!」

エニアスの視線の先には、首輪に繋がるリードを強く引かれ、おしりを石畳でゴリゴリと擦りながら抵抗する犬が映った。その犬が抵抗しながらエニアスを見た時、目が合った1人と1匹の間には何かが通じ合った……かもしれない。

バルジアラが嫌がるエニアスを引きずったまま市場に入ったからなのか、帰還した時に声援を送っていた若い女性達は、遠巻きにその姿を見ているだけであった。バルジアラはそんな女性達に目をくれることもなく、魚や果物、酒を売っている出店の前をズカズカと早足で進んだ。すると、どこからか香るお好み焼きや串焼きの匂いに食欲が刺激されたのか、大きな鼻がひくひくと動いた。匂いに誘われるように市場の奥へと足を進めれば、鉄板の上で店主が手際よく返すお好み焼き、炭火で炙る串焼きの出店に嫌でも視線が行ってしまう。


ーー腹が減ってるとどれも美味そうに見えるが、やっぱり串焼きはガンテツ屋に限る。あそこの串焼きじゃねぇと満足できねぇんだよな。帰ったら、すぐに食いに行こう。とりあえず、スタンダードな塩焼きを30本。俺好みに配合してくれたスパイシー串焼き30本に、山椒との相性バツグンのタレ焼きを20本だな。思い出すだけでヨダレが出るな。

ガンテツ屋の串焼きを恋しく思いながら出店の前を通り過ぎ、道の終わりで立ち止まると、その先には屋外のテーブル席でパフェを美味しそうに食べるシェニカとディスコーニがいた。
トゥーベリアスは……と言えば、バルジアラの近くにある椅子にぐったりと座り込み、口を半開きにし、生気の抜けた顔で何もない中空をぼんやり眺めている。


ーー戦場では毒を使った戦い方を好み、社交の場では蜜を求めて飛び回るハチドリのように、女と喋り回ることで有名なトゥーベリアスは『ウィニストラの毒蜂鳥』と言われる。いつどこで女に会っても良いように常に外見を気にしている奴だが、こんな間抜け面してたら女も幻滅するだろう。
この周辺にいるのは警備するトゥーベリアスの部隊の奴だけで民間人はいないが、ちゃんと仕事をしているのは半数しかいない。残りの半数は道の隅の方に集められ、地面に力なく横たわって白魔道士の治療を順番待ちしている。まるで戦場で負傷者を治療しているような状況だが、ここで戦闘なんて起きていない。ずっとこの街で待機していて元気なはずの兵士が、なぜこんなことになっているのだろうか。


不思議に思いながら周囲を見渡せば、街路樹に背を預ける赤い髪の男の向こう側にいるファズ達が、バルジアラに向かって小さく頷いた。
そして、この場所から大通りに繋がる道に視線を向ければ、ソルディナンドが呪いでも受けたかのように、苦悶の表情で首をかきむしっている。そんな奴の周囲には5人の副官がいるのだが。建物の外壁に額を押し付けて暗いオーラを出していたり、背中を丸くして蹲って地面に指で何かを書き続けていたり、地面に倒れ込んでピクピクと痙攣していたり。地面に座ってトゥーベリアスのように中空をぼんやりと眺めていたり、膝から崩れ落ちた状態でピクリとも動かないという異様な状態だ。
ディスコーニは周辺の気配を感知しているが、上官が来ても視線はシェニカから動くことはない。バルジアラは、2人を邪魔しないように、それぞれの口元を読み取ることにした。


「シェニカのフルーツてんこ盛りパフェ、また1口貰ってもいいですか?」

「うんいいよ。じゃあ、今度はイチゴをあげるね。はい、あーん」

「イチゴがみずみずしくて、甘くて。とても美味しいです。じゃあ、シェニカの番ですね。はい、あーん」

「んふふっ!チョコレートブラウニー、とっても美味しいね」

「シェニカと食べると美味しさが倍増します」

「う、うん。1人で食べるよりも、2人で食べた方が美味しいね」

「好きな人とこういうデートをするのが夢だったんです。だからとても嬉しいです」

「わ、私もこういうデートするのって憧れだったんだ。へへっ」

「じゃあ2人の夢が叶いましたね。はい、あーん」

「……えへへ。美味しい。ディズも、あーん。あ、ユーリくん、おヒゲにクルミのカケラがついてる姿も可愛い~♪」

「シェニカ、こっちを向いて下さい」

「どうかした?」

「はい、クリームが取れました。シェニカについたクリームは、もっと甘くて、美味しくなりますね」

「え、ええええっと……。ディ、ディズにも口の周りにクリームがつくように、今度はてんこ盛りにするね!はい、あーん」

「あぁ、クリームが……。シェニカが取ってくれますか?」

「うん、いいよ」

「味はどうですか?もっと甘く感じませんか?」

「……う、ん。も、もっと甘くて美味しくなったかもしれない」

「じゃあ、またてんこ盛りにして食べさせてあげますね。はい、あーん」

「そんな大きいの、入らないよ……。あ、またクリームがついちゃった」

「あ、触ってはダメです。私がクリームを取りますからそのまま動かないで下さい。
愛しい人とデートするというのは、こんなに幸せで甘い時間なのですね」

「ディズ……」

「シェニカ……」

ディスコーニはテーブルの上にあるシェニカの手に自分の手を重ね、真剣な眼差しでシェニカを見つめた。その眼差しに照れたのか、シェニカはポッと顔を赤くしながら見つめ返せば、2人はそのまま無言で見つめ合った。





ドサッ。

何かが倒れる音に反応したバルジアラが後ろを振り向こうとした時、身体がやけに重だるくなっていることに気付いた。それを不思議に思いながら、音のした方を確認してみれば、エニアスが膝から崩れ落ちていた。


「おい、大丈夫か?しっかりしろ」

バルジアラが膝をついてエニアスの肩を揺さぶってみると、若さあふれる青年のエニアスは老人のように老け込み、顔に死相が出ている。そして、生気を失ったエニアスの目に、疲れたおっさんが映っていたことに気付いた。


「エニアス、生きてるか?とりあえず息をしろ」

風の流れが変わったのか、さっきまで食欲を刺激していたお好み焼きや串焼きの匂いを微かに感じたバルジアラだが、今はそれすら吐き気を催しそうになったようで、エニアスの肩から手を放し、口と胸に手を当てて込み上げてくるものを堪えた。その間にも、エニアスの死相は秒単位でどんどん深くなり、呼吸をするのも忘れている。


「バルジアラ様……」

バルジアラが白魔道士を呼ぼうとした時、虫の息のエニアスは今にも消えそうなか細い声で名前を呼んだ。


「大丈夫か?白魔道士を呼ぶから待ってろ」

「治療は、け、結構です……」

「何があった?何か攻撃を受けたのか?」

「攻撃、は受けていません……。ですが、幸せでキラキラした、ディスコーニ様を見ていると。全身から力が抜けて、空気が、消え失せて、呼吸が出来なく……なりました」

「……もしかしてこの惨状の原因はあいつか?もしそうだとしたら、拗らせた童貞は浮かれただけで周囲を死屍累々にさせるのか。恐ろしいな」

「一刻も早く、この場を離れましょう……。フラレて間もない私には、ディスコーニ様の、幸せなご様子は……。直視、できません」

「あ~……。そういえば、お前フラれたばっかだったな。俺もやたらと疲れた。まぁ上手くいってるみたいで安心した」

エニアスの生存を確認したバルジアラは、巨体を支える足に力を入れてゆっくりと立ち上がった。


「あいつに声をかけてくるが、お前はここにいろ」

「なるべく早く、お願いします……。ここは、とても危険です……」

バルジアラは崩れ落ちたエニアスに背を向け、街路樹に凭れる赤い頭の男の方へと重たい足を動かした。

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