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第18章 隆盛の大国
5.掘り出し物
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■■■前書き■■■
2/2の近況ボードで胸の内を吐露して以降、大変ご心配をおかけしております。遅くなってしまいましたが、温かい励ましのおかげで今回の更新にこぎつけることが出来ました。
これも応援して下さる皆様のおかげです。ありがとうございます。本当に感謝しております。m(__)m
完全復活ではない上に、花粉に悩まされる季節が到来してしまったので、次の更新までまた時間を頂いてしまうかもしれません……。すみません。
今回のお話は、シェニカ視点→ルクト視点となります。
■■■■■■■■■
ラーナを出て3日。傾いた太陽から差す西日が眩しい時間に、街道の分かれ道にあるコッチェルという大きな街に着いた。
「おめでとうございま~す!」
「ディスコーニ様ぁぁ!」「かっこいい~!」
「バルジアラ様っ!俺を部下にしてくれぇっ!」
「レイビニオン様ぁ~!」
「きゃぁぁ!トゥーベリアス様よぉ!」「素敵ぃ!」「抱いてっ!」
市民の大歓声に満ちた大通りを馬に乗ったまま通っていると、私達は軍の建物の方に向かう大きな隊列から外れて、厳重に警備された石造りの大きな宿の前で降りた。
先導するファズ様の後を追うように宿の中に入ると、窓から差し込む光をピカピカと反射する黒の大理石で出来た広いホールに出迎えられた。そこには灰色の太い柱が何本も立っていて、緑の制服をビシッと着こなしたホテルの人が、上品な旅装束を着た旅行客の荷物を運んだり、飲み物を渡したりと忙しそうに動き回っている。
隣を歩くディズがホールの壁側に並ぶソファ席の前で立ち止まると、セナイオル様がホールの奥にある受付に向かって行った。その後ろ姿をぼんやりと見ていると、ディズが1人掛けのソファに座るように促した。
「手続きをしますので、ここで少し待っていて下さいね」
「いつもありがとう」
「これくらい当然のことですよ」
私がソファに座ると、ディズは数歩離れた所でファズ様と話し始めた。そんなに離れていないのに、声が全く聞こえないというのはとても不思議だ。彼は常に私の側にいるけど、忙しい立場の人だから色々と仕事が溜まっているんだろうなと想像できた。
ここに来るまでの間、立ち寄る街に到着するのは夜で出発は翌朝、ということでルクトと約束した街の散策は出来ていなかったけど、この時間なら街を散策出来そうだ。
「ねぇ、ルクト。夕食まで時間ありそうだから、これから街を回らない?」
「いいよ」
フードを少し持ち上げ、近くで立ったままのルクトに話しかけると、彼は無表情を変えることはなかったけど、私を見下ろす目元が一瞬緩んだように見えた。移動ばかりで楽しい事も特になかったから、彼も街を回るのは楽しみだったのかもしれない。
ホールの真ん中にある柱に刻まれた大きな太陽を見ながら、ルクトと2人で街を回るのはいつぶりだろうと振り返ってみると、ルクトに乱暴された後、気まずい空気でラーナの街を歩いた時だと気付いた。あの時は2人きりになりたくなくて、会話したくなくて、時間をかけて街を回ったんだっけ。
ポルペアまで雇い主と護衛という関係でやり直すと決めたけど、話しにくい状況というのは私だけじゃなくルクトもやり辛いと思った。どうにかした方が良いと思うけど、どうすればいいのだろう?と悩んでいたら、顔に出ていたのかディズとラーナの街を歩いている時に「シェニカの悩みは、ルクトさんとの距離感ですか?」と聞かれてしまった。
どうすれば良いか悩んでいると打ち明けてみると、「どういう旅にしたいのかというのは、シェニカだけでなく、ルクトさんや別の護衛にしても大事なことです。彼の意見を聞くためにも、まずはシェニカの希望を彼に伝えてみてはどうでしょうか。
きっかけが見つからないのであれば、お土産を買って、渡す時に少し話してみてはどうですか?」と助言をもらった。
確かにそうだなと思って、お土産のお菓子を渡す時に自分の考えを伝えてみたら、彼も普通に喋れるようになりたいと言ってくれて安心した。
街を回る間、どんなことを喋ったらいいだろう。お店のショウウィンドウを眺めながら、感想を言い合うのが良いだろうか。
そんなことを考えながらフードを外してスカーフを頭に巻いていたら、セナイオル様から鍵を受け取ったディズが私の前にやってきた。
「夕食までまだ時間がありますが、部屋で過ごしますか?」
「ううん、ルクトと一緒に街を回ることにしたんだ」
「分かりました。では私が警備をしましょうか?」
「大丈夫だよ」
ソファから立ち上がってディズにそう返事をした時、自信に満ちた微笑を浮かべるトゥーベリアス様が、ディズの隣で立ち止まった。
「警備は私が務めますから、貴殿は溜まった仕事を片付けてはいかがですか?バルジアラ様は色々と手が回らなくて、手紙の返事を書く時間がないほどお困りのようですよ」
トゥーベリアス様は笑顔を浮かべたままディズにそう言うと、私とディズの間にある空間に入ってきた。握手をするのも近すぎる距離が嫌で、私は少し動いて距離を取った。
「シェニカ様、街を回るのならば私に案内をさせて下さい」
「気を遣って頂きありがとうございます。街を気ままに見たいので、案内は大丈夫です。ルクト、行こうか」
折角空けた距離を詰められそうな気がして、ディズに目で「行ってきます」と伝え、トゥーベリアス様に頭を下げて宿の外に出た。
息が詰まるような空間から出て、外の空気を吸えたと開放的な気持ちになっていたら、こちらに向かってきているソルディナンド様達とばっちり目が合ってしまった。
「シェニカ様」
またお誘いされたら困ると思って、会釈して大通りの喧騒に紛れてしまおうと早足で歩いたのに、あっという間に追いつかれて後ろから声をかけられてしまった。
「どちらに行かれるのですか?」
「えっと、街を散策しようと思いまして」
「私達も今ちょうど街を散策しようかと思っていたところだったんです。よろしければご一緒させて頂けませんか?」
「あ、えっと……。今日は彼と街を回りたくて。すみません」
「いえいえ、恋人と出歩くのはごく自然なことです。お邪魔なことを申し出まして、こちらこそ失礼しました。実は、この街はキルレとウィニストラの首都に分かれる分岐点にあるので、シェニカ様とはここでお別れになってしまうのです。その前にもう一度食事を一緒にしたいのですが、いかがでしょうか」
ソルディナンド様が私とルクトを恋人だと思っていることを聞いて、別れても一緒にいるからそう思われているのかとハッとした。
彼とは恋人関係ではありません、と訂正した方が良いのだろうかと思ったけど、ソルディナンド様に言ったら、これまで以上にしつこくなりそうな気がした。ルクトがいるとナンパを遠慮してくれるというのなら、事実は伏せておいた方が楽だと思った。
「食事は部屋でゆっくり食べたいと思っていまして……」
「そうですか。移動時間が長かったので、お疲れになるのは無理もないことです」
シュンとしょげるソルディナンド様を見ると、何だか申し訳ない気持ちが生まれた。ソルディナンド様達にはレストランの食事もごちそうになったから、何かお返しをした方が良いかもしれない。
「あの、では明日の出発の前に。ささやかですが御礼の品をお渡ししますね」
「本当ですか!光栄です!」
「では、また明日に」
御礼の話をすると、ソルディナンド様はものすごく嬉しそうな声を出し、後ろにいる副官の人達も笑顔になった。早くこの場を去ろうと会釈をして大通りを歩き出すと、私達の周囲に軍服を着た人達が居て、スピードを合わせて歩いていることに気付いた。
ディズと一緒にラーナを回った時、人気者のディズがいるから警備は厳重だったけど、この場に彼は居ないし、私は額飾りを隠しているからこちらを気にかける人はいないから、散策の邪魔をしないように人数は少なく、距離を置いた場所にいてくれているらしい。
なんとなく振り向くと、数歩後ろを歩くトゥーベリアス様と目が合って、彼は小首を傾げながら目を三日月にする可愛らしい笑顔を浮かべた。セナイオル様もトゥーベリアス様みたいに美形な人だけど、最低限の会話しかしないし、必ず距離を空けてくれるから苦手意識は持っていない。でも、ソルディナンド様やトゥーベリアス様のような自信に溢れたイケメンで、よく喋る人はちょっと苦手だ。
大通り沿いに立ち並ぶお店を見ながら歩いていると、飴屋さんを見つけた。アビテードの首都で買った飴は2種類あったけど、1種類は『聖なる一滴』の治療に使って無くなって、もう1種類は残りわずかだ。飴は日持ちするしすぐに食べられるから、口さみしい時や一息つきたい時、気分を変えたい時にはもってこいだ。もう1瓶くらい買っておこうかと思って店の前で立ち止まると、斜め後ろを歩いていたルクトに振り向いた。
「このお店、気になるから寄るね」
「飴、食べたいのか?」
「うん。移動してても、飴ならすぐ食べられるし」
お店に入ると、壁側にはルクトの視線の高さくらいまである棚があって、赤や黄色、白、黒、水色、黄緑色といった色とりどりの小さな飴が瓶詰めされている。色や味の種類だけでなく、飴のオーソドックスな形の丸や楕円形以外に星、ハート、キャンディ、うさぎ、魚、剣といった面白い形も多くて、眺めているだけですごくワクワクする。
「何味が好きなんだ?」
「どんな味も好きだけど、イチゴとかレモンとか甘酸っぱいのが好きかなぁ。ルクトは?」
「俺は……。花の甘い蜜がいい」
「花の蜜ってことは、はちみつとかピピリアの飴が好きなんだ。結構しっかり甘い飴が良いんだね」
「……そうだな」
ルクトって甘いものは嫌いじゃないみたいだけど、柑橘系やミント系の爽やかな感じが良いのかと想像していたから、しっかり甘さのある飴が好きというのは意外だった。飴屋さんはルクトも楽しめる場所なのかもしれないから、行先の街に飴屋さんがあったら立ち寄ってみよう。
カラフルな物に囲まれていると、夢の世界に来たみたいだな~と思いながら棚をじっくり見ていると、『試食用』と書かれたコーナーを見つけた。そこには、飴を作る時に失敗したらしい形が歪なものが小皿に入っている。
「ねぇねぇ、ここに試食用があるよ。食べてみようよ」
少し離れたところで棚を見ていたルクトに声をかけると、すぐにやってきて興味深そうに試食用の小皿を眺め始めた。
「はちみつ味は、林檎はちみつ、レモンはちみつ、ミントはちみつ、濃厚はちみつ、ミルクはちみつがあるよ。食べてみたら?」
「そうだな。イチゴやレモンの飴はこっちにあるぞ」
イチゴの飴のカケラを口に入れて舐めると、甘酸っぱさだけじゃなく、むにゅっとした果肉らしきものを感じた。小皿の横にある説明文には、『採れたての果実を絞って作りました。果汁と一緒に果肉も入っています』を書いてある。
イチゴの他に、クランベリー、ブルーベリー、みかん、グレープフルーツ、レモン、林檎、パイナップル、葡萄、アンズなど、フルーツ系は果肉入りの飴がたくさんあった。普通の飴と比べてお値段はちょっとお高めだけど、果肉入りの飴は珍しいからこれにしよう!
とっても美味しいから、ディズにも飴をお土産に買っていこうかな。そうだ!ファズ様達にも日頃からお世話になっているから、ささやかな御礼の品として贈ろう!
キルレの人達に渡す品も飴にしようかと思って、瓶の前にある値札カードを見ると、一番高いのは1瓶銀貨1枚だ。お礼や感謝の品を贈るのは初めてだけど、ローズ様が『安すぎると相手に失礼になるし、高すぎると気を遣わせることになる。だいたい1人銀貨3枚から5枚くらいの物にしておけば無難』と言っていたような記憶がある。
キルレの人はバーナン神官長を含めて7人。結構な出費になるからハラハラするけど、出すときは惜しみなく出さなければ。そんな風に色々考えた結果、キルレの人達に渡す品は飴じゃない物にすることにした。
「ルクトは決まった?」
色々と味見をした結果、自分用は星型のイチゴと魚型のアンズの飴。ディズには星型のブルーベリーの飴。ファズ様達にはキャンディ型の葡萄と星型のレモンの飴を買うことにした。飴がぎっしり詰まった瓶を籠に入れると、薄緑色の瓶とピンク色の瓶を持ったルクトに声をかけた。
「俺はこれにする」
「桃とミントはちみつかぁ。美味しそうね」
「そんなに買ってどうするんだ?」
ルクトは私が持った籠を指差すと不思議そうな顔をした。
「ディズとファズ様達に、日頃の感謝を込めて渡そうと思って」
「そうか。喜ぶんじゃないか?」
「そうだと良いな」
お会計をしている時にチラッと見たルクトの顔は無表情に近いけど、キレイな飴に囲まれていたし、素敵な買い物をしたからか穏やかな空気を出している気がする。まだぎこちなさはあるけど、買い物って気持ちを楽しくしてくれるし、自然に話しかけられる。気分転換に買い物を繰り返し、少しずつ普段も会話できるようになるといいな。
「キルレの人達に渡す御礼、どんなものが良いかなぁ?」
「土産物屋に行ってみたらどうだ?何かあるだろ」
「じゃあそこのお土産屋さんに行ってみよう!」
「アレは土産物屋なのか?」
「看板に『知る人ぞ知るお土産屋』って書いてあるよ」
私が見つけたのは今いる場所から大通りを挟んで反対側にある、軒先に吊るされた紫や黒、深緑色のショールが風にフワフワ揺れる可愛いお店だ。ショールのカーテンをくぐると、安宿の1部屋くらいしかないこじんまりしたお店で、壁側にある棚には木箱が隙間なく並べられていて、お店の真ん中にはロッキングチェアに座ったお婆ちゃんがお茶を飲んでいた。
窓はないけど、お昼のような煌々とした魔力の光で店内は明るく、文字を柄にしたような個性的な壁紙が張られている。私の姿を見たお婆ちゃんは、ニコニコしながら持っていたカップを隣りにある蓋付きワゴンの上に置いた。
「なんだこれ。人形?」
ルクトと並んで木箱を見てみると、そこには可愛い人形がたくさん入っていた。1つ手に取ってみると、大きさはユーリくんよりも少し小さめの手のひらサイズで、材質は藁だ。顔部分に目や口といったパーツはないけど、小さな麦わら帽子を斜めに被り、どこかに飾れるように首の後ろから黒の紐が出ていて、シャツと短パンを身につけている。どの木箱の人形も、大まかな作りは一緒だけど着ている服の色が違っていた。
木箱の縁には、『コッチェル土産はこれで決まり☆ 街の名前と同じだから、旅の思い出もすぐに浮かぶ!藁で出来た祈願人形コッチェルくんです。緑は健康。紫は長寿。黄は出世。青は商売繁盛。オレンジは金運。ピンクは恋愛。黒は子宝。赤は家庭円満。白は学業成就。水色は旅の安全。お好きな願いをお選び下さい』と書いてあった。
「この人形、小さくて可愛い!コッチェルくんだって!」
「これで銀貨2枚?そんな価値があるのか?」
木箱を眺めていただけだったルクトが、不思議そうに1体の人形の紐をつまみ上げ、眉間に皺を寄せて眺めている。
ルクトのその様子を見ていると、『子宝に恵まれました』『人生の落ちこぼれだったけど、コロシアムの賭けで一発逆転の大金を手にしました』『大きな病気や怪我もなく、ひ孫の成人まで見届けて母は天に召されました』『コッチェルくん、最高!』などなど、たくさんの御礼の手紙が天井まで隙間なく張られていたから、文字のような壁紙に見えていたのだと気付いた。
「ねぇ、見て。すごくご利益あるみたいだよ」
「本当に人形のおかげか分からないんじゃないのか?」
ルクトは占いを信じないようだから、こういう祈願人形の効果も信じないのかもしれない。まぁ、信じるかどうかは本人次第だから、何も言えないけど。
「何かお探しですかい?」
どれにしようか悩み始めたら、ニコニコと見守っていたお婆ちゃんが、ロッキングチェアに座ったまま声をかけてくれた。
「あの、このコッチェルくん。本当にご利益があるんですか?」
「ウチは代々祈祷師をやっていてねぇ。家を建てたり、建て替える時。子どもが生まれた時、結婚する時といった節目にその人達のために幸運を祈ってきたんだ。今でも、そういう時にはワシに祈祷を頼むんだよ。その幸運が多くの人に与えられるように、ワシが丁寧に祈りながら作ったから効果あるよ」
「そうなんですか!じゃあ、御礼の品はこのお人形にしようかな」
「渡す相手はどんな人ですかい?」
「神官長と軍の将軍、副官の方々です」
私が答えると、お婆ちゃんは目を閉じてロッキングチェアをユラユラと揺らし始めた。
「神官長の方は首都の神官長かい?」
「はい、そうです」
「神官長としてはそれ以上の出世はないから健康か長寿が良いかね。将軍と副官ならば健康か出世。結婚していれば、家庭円満や子宝も良いかもしれないねぇ」
「なるほど~。じゃあ神官長は健康と長寿。副官の人達は健康と出世の2つにしようかな。ソルディナンド様は……。うーん、ナンパが落ち着くように家庭円満が良いのかなぁ」
「ナンパする相手に家庭円満を願うということは、浮気グセのある男かい?」
私の独り言を聞いたお婆ちゃんは、揺らしていたロッキングチェアをピタリと止め、今までのような穏やかな感じではなく、眉間に深い皺を刻むくらい眉を寄せながら私を見て、少し低い声を出した。
「ご結婚されている方なんですけど、やたらと距離が近い感じでして……」
「んまぁ~…。王族と『白い渡り鳥』様以外は、決まった相手以外に手を出すのは許されていないというのに。そんな女の敵のような男にピッタリの物があるよ」
ゆっくりと立ち上がったお婆ちゃんは、ワゴンの上に置いていたカップを店の奥に持っていくと、3段重ねの裁縫箱を手に戻ってきた。ロッキングチェアに再び座ったお婆ちゃんは、裁縫箱を膝の上に置いてワゴンの蓋を開けた。
その中には、木箱に入っていたコッチェルくんと同じ藁人形や洋服、ハンカチ、布、子供用の靴などが雑然と入っていて、お婆ちゃんは聞き取れない小声で呟きながら何かを探している。お婆ちゃんが引っ掻き回すようにワゴンの中を探す様子を見守っていると、一瞬視界を奪うような鋭い光を感じて、反射的に目を閉じた。
「確かこの辺に……。あった、あった」
恐る恐る目を開けると、コッチェルくんを手にしたお婆ちゃんが私に満面の笑みを見せて振り向いたところだった。その子は顔部分が真っ白に塗られていて、胸元から膝にかけて黒い鎖をキレイに巻き付ける服を着ていて、麦わら帽子と引っ掛ける紐がない。何を祈願するコッチェルくんなのだろうか。
「若い頃、ワシも旦那の浮気に悩まされててねぇ。子どもが出来れば変わってくれるんじゃないかと思って、浮気防止と子宝を祈願して、恨みつらみを込めて丹精に作った特別製なんだ。そのおかげで願いは2つとも無事に叶ったんだよ。この真コッチェルくんでどうかい?」
「もちろんです!ありがとうございます!」
「じゃあ、生命を吹き込んでやろう」
お婆ちゃんは真コッチェルくんの頭を大事に撫でると、裁縫箱から黒のインクと筆を取り出して、白い顔に黒いインクで大きなお目々を1つ描いた。クルンとしたまつげ、白目部分がちょっとしかないくらいに描かれた大きな瞳がとっても可愛らしい。
裁縫箱に筆を戻すと今度は銀の鎖を取り出して、紐の代わりになるように首元に2重に巻き付けて留め金で固定した。ワゴンの中から取り出した、ちょっと褪せてるけど可愛らしい白のレースで出来たミニチュアヘッドドレスを頭に被せ、落ちないように縫い付けた。そして、お婆ちゃんは真コッチェルくんを両手で掲げ、聞き取れない呪文らしき言葉を唱えた。
「この目が男の浮気心を見透かし、巻き付けた鎖で不誠実を働こうとする身体を止めるんだ。そして、子宝に恵まれるようにミニチュアの赤子用ヘッドドレスをつけてるんだよ。他のコッチェルくんもだが、常に持ち歩くように伝えておくれ。ただし、この真コッチェルくんを渡す相手には、何を祈願したのかは黙っておくんだよ」
「分かりました。すごく効果がありそうなので奥さんも喜ぶと思います!おいくらでしょうか?」
「願いが1つにつき銀貨2枚。真コッチェルくんは浮気防止と子宝の2つが込められているから、銀貨4枚だね。よろしいかな?」
「えぇ、もちろんです」
木箱の近くにある深さのある籠を手に取り、受け取った真コッチェルくんを入れた。そして壁側の木箱の前に立つと、副官の人達用に健康と出世のコッチェルくんを5体ずつ。バーナン神官長用に健康と長寿のコッチェルくんを1体ずつ。そして自分用に旅の安全を祈願した水色のコッチェルくんを1体入れた。
ーーそうだ。素敵なスカーフを選んで貰ったお礼に、ユーリくんにコッチェルくんを渡すのはどうだろうか!?
コッチェルくんはぬいぐるみより硬いけど、ユーリくんは気に入ってくれるかもしれない。ユーリくんが噛みついたり、振り回してボロボロにしても、コッチェルくんなら「可愛いから仕方がないなぁ」と許してくれるはず!うん!きっとそうだ!
ユーリくんが喜んでくれる姿を頭に浮かべていたら、いつの間にか全種類1体ずつ籠に入れていた。いつもならお勘定を頭に浮かべてしまうけど、ユーリくんのためならお金なんて惜しくない!
ルンルン気分でお婆ちゃんに籠を渡すと、ニコニコと嬉しそうな笑顔を浮かべてお勘定をして、大きな紙袋に小分け袋とご利益を書いたメモまで入れてくれた。
「こんなにたくさん買ってくれてありがとうねぇ」
「そんなに大量に買って、どうするんだ?」
「えっと、自分用に1体。副官の人達とバーナン神官長に2体ずつ。ソルディナンド様に真コッチェルくんが1体。他は全部ユーリくんにプレゼントするんだ」
「そ、そうか……。喜ぶと良いな」
「コッチェルくん可愛いから、ルクトも買ったら?」
「俺はいいや」
ルクトはそう返事をしたけど、彼の視線がコッチェルくんが入った紙袋にあるということは、興味はあるのだと思う。きっと「あの時買っておけばよかったな~」とか思う日が来るだろう。
「あの、そのワゴンの中の物も売り物なんですか?」
お婆ちゃんがニコニコとご機嫌そうなので、思い切って聞いてみた。
「売り物ではあるんだが、置いとくだけでは売れないものばかりだよ。どんな物が欲しいのかい?」
「さっき。光の反射だと思うんですけど、鋭い光を感じたんです。その正体が知りたくて……」
「光を反射するものってことはアレかな。……あった、あった。探す時に蓋が開いてしまって、その時に光を反射したようだねぇ」
お婆ちゃんが渡してくれたのは、少し厚みのある銀製の丸いコンパクトだった。表面の中心にはメラメラと炎を放つ太陽の彫刻があり、その中心には黒い小さな宝石が1つ嵌っていて、スズランに似た花が外縁をグルリと囲うように彫られている。
パカっと開くと、波打つ蔦の葉が彫られた木製の枠があり、そこに嵌る丸い鏡にはスカーフを巻いた私の顔が映っている。反対側の面は青のビロードが張られていて、指輪やピアスなどを入れられそうな深さがあった。開いた状態で手のひらに乗せても、後ろにひっくり返らない座りの良いコンパクトのようだ。
「一応両面に石はあるけど、小さい上に純度が低いからか何の宝石なのか宝石商にも分からなくてね。それに、表面にある花もスズランのような形をしているけど、スズランは花びらに波打つ模様なんて入ってないし。裏面は月の彫刻があるけど、両面ともシンプルすぎてねぇ。
小物入れもついてて、使い勝手の良いコンパクトだと思うけど、作られて相当の時間が経過してるみたいで、手入れをしていても古めかしい感じが出ちゃうんだ。見向きもされないから宝石商に持ち込もうとしても、何の宝石か分からないと買い取れないと言われて、ずっとワゴンで眠っていたんだよ」
お婆ちゃんの話を聞きながらコンパクトを閉じて裏を見てみると、満月から新月までの満ち欠けを表す小さな月が縁に沿うように彫られていて、面の真ん中には赤、青、黄、緑、黒の小さな楕円形の宝石が5つの花弁になるように嵌っている。彫刻は表よりもシンプルだけど、宝石の色が額飾りと同じだと思って親近感が湧いた。
「どれくらい古いものなんですか?」
「いつ作られたのかは分からないねぇ。記録はないが、この店で一番長く売れ残っている商品だから相当古いんじゃないかな」
「でしたら、私に売って下さいませんか?」
確かにデザインはシンプルだし古めかしい感じはするけど、独特の味わいを感じるし、空のコーヒーカップくらいの重さで、持っていると手に馴染むような感じがする。まだ少ししか触っていないのに、何だか手放したくない気持ちになった。
「ワシは構わないけど、本当にそれで良いのかい?」
「何か親近感が湧いちゃって。おいくらでしょうか?」
「銀貨5枚頂くけど、それもコッチェルくんも返品は受け付けてないよ?」
「この子もコッチェルくんも気に入ったので、返品なんてしませんよ。どれも大事にさせて頂きます」
すごく嬉しそうな笑顔のお婆ちゃんに見送られながら店を出た後、街をグルっと1周して宿の近くまで戻ってきた頃には、茜色の空に闇が滲み始めていた。
「結構歩いたから、喉乾いたね。そこのカフェに寄ってかない?」
「いいよ」
ルクトとは何気ない会話しかしてないけど、今までみたいな自然な空気で楽しかった。これならもう少し話せそうだと思って、宿の近くにあるカフェに誘ってみると、彼は頷いて返事をしてくれた。
「このオレンジジュース、搾りたてだから濃厚で美味しいね」
「そうだな」
お店のオススメだったオレンジジュースは、目の前で搾ってくれるからすごく香りも良いし、味が濃くてとても美味しい。魔力の光で照らされたテラス席でルクトと同じものを飲んでいると、空から急降下してきたフィラがルクトの肩に止まり、フィーフィーと鳴いて、彼の肩をコツコツとつついた。
「手紙が来たみたいだよ」
「レオンだろ」
フィラから手紙を受け取ったルクトは、すぐに開いて中を読み始めた。その間、ローブの内ポケットからコンパクトを取り出して、斜めや横から見ていると、コンパクトの側面の一部に僅かに擦れた痕があることに気付いた。その痕に触れてみたけど、傷は浅いようで、ざらついた感じも不快な手触りもない。
「レオンから、護衛を請けると返事があった。今、ウィニストラ領のアドアニザって街にいるそうだ」
「アドアニザって、どこにあるんだろ?」
手元が明るくなるように魔力の光を作り、コンパクトをポケットに仕舞ってウィニストラの地図を広げると、その街はセゼルとアルベルト、ウィニストラの首都、フェアニーブ方面の4方向に街道が分かれる場所にある大きな拠点街だった。
「フェアニーブに行く道の途中にあるから、立ち寄るかもしれないね。ディズに聞いてみるね」
「分かった」
ルクトは手紙を丁寧に畳んで上着の内ポケットに仕舞うと、彼は私が飲んでいるオレンジジュースのコップを見ている。何か付いているのかと思ってコップを確認してみたけど、水滴くらいしか付いてなかった。
「さっき見てた土産物屋で買った銀のやつ、見せてくれないか?」
「いいよ」
コンパクトをルクトに渡すと、両面の彫刻や宝石に触ったり、開いて蔦が彫られた木枠を指でなぞってみたりしている。コンパクトって女性が主に使うものだけど、彼も興味があるのだろうか。
「ルクトも欲しい?」
「俺はこういうのに興味はないけど。随分気に入っているようだったから、どういう物か見たかっただけだ」
「こういう昔からあるものって何か落ち着くよね。代々受け継いでいくものって素敵だよね」
「そうだな」
「あ、コッチェルくんも見る?」
「いや、そっちはいいや」
ルクトから返してもらったコンパクトをポケットに仕舞うと、私はスカーフの上から額飾りに触れた。
この額飾りはローズ様から受け継いだ大切なもの。この子は今までの『白い渡り鳥』の額で、色んなことを見てきたんだろうな。どんなことがあったんだろう。コンパクトや額飾りとお話出来たら面白いだろうけど、それが出来ないのは残念だ。
◆
「そうだ。ポルペアまでの行き方を相談したかったんだ。フェアニーブで尋問が終わったら、普通の旅に戻ろうと思うけど。
ウィニストラ領内を移動して、トラント領もしくはエルドナを経由してポルペアに入国するルートにする?それともアルベルトやフシュカードを経由して、サザベルかトラント領を通ってポルペアに入国するルートにする?」
思い出したように声を上げたシェニカは、広げていたウィニストラの地図の上に世界地図を広げると、それぞれのルートを指でなぞりながら話し始めた。
「ウィニストラが治めるとはいえ、トラント領内はしばらく混乱してるかもしれねぇな。アルベルトやフシュカードを経由する頃には多少落ち着いてるだろうから、そっちのルートがいいんじゃないか?
トラント領を通るのか、サザベルを通るのかは、街道の分岐点が近くなってきた時に決めたらどうかと思う」
「確かに、国が替わった直後は混乱するものだけど、今回は大事件だったから落ち着くまで時間がかかるかもしれないね。じゃあアルベルト経由にしよう」
侵略戦が成功した時、手に入れた場所に送り込まれる兵士は、地形や気候、街並、民衆の気質など覚えることが多くある上に、新たな防衛線を築くために休む間もなく働き続けることになる。緊張状態の時間が続くから、兵士はストレスや不満を感じやすい。加えて突然よそ者を迎える民衆もイライラしやすく、兵士と揉め事を起こすことがよくある。
民衆も兵士も不満やストレスが溜まれば、それが爆発して蜂起やクーデターに繋がる可能性があるし、落ち着かない状況を好機と見た隣国が、新たに侵略戦を仕掛けてくることもあるから、治める国が替わった場所は混乱しやすいものだというのが共通認識だ。
シェニカもそれを知っているから俺の話に素直に頷いたが、ウィニストラ領を通れば、ディスコーニがずっとついてくる気がしたから避けたかったのが本心だ。
それを正直に言ってしまうと、護衛としての再スタートで構わないけど、ゆくゆくはもう一度恋人になりたい。ずっと一緒にいたい。ディスコーニのことは忘れて、俺だけを見て欲しい。もう一度、シェニカの隣を俺の居場所にしたい、という本音まで言ってしまいそうだった。
こんな本音を口に出せば、「ルクトの想いには応えられない。やっぱりここで別れよう」と言われて、護衛としても一緒に居られなくなってしまうかもしれない。
別れようなんてもう2度と言われたくないし、そんな未来はどうしても迎えたくないから、手を出したくなる甘い香りの誘惑も、本音を言いたいのも必死に我慢して堪えるしか無い。
「あ、そうだ。ルクトにも飴少しあげようか?」
地図を畳む小さな手に触れたくなる衝動を必死に抑えていると、そんな葛藤を知らないシェニカは、自然な笑顔を浮かべて今日買った飴の瓶を鞄から取り出した。
「俺の飴もいるか?」
「いいの?じゃあ交換しようか」
シェニカは鞄から赤とオレンジ色の詰まった瓶を取り出すと、ワクワクしたような無邪気な顔で俺を見てきた。久しぶりに見るその表情に胸が高鳴って、一瞬呼吸を忘れてしまった。
「好きなだけ取っていいぞ」
「じゃあ、喧嘩にならないように同じくらいにするね。手を出して」
シェニカの前に俺が買った2つの瓶を置き、差し出した両手をお椀型にすると、シェニカは自分用の2つの瓶の半分を入れて山を作った。そして、目を輝かせながら俺の飴を取り出して、自分の瓶に入れ始めた。
イチゴの飴の瓶にはミントはちみつの丸い飴を入れ、アンズの飴の瓶には桃の楕円形の飴を入れて、2色になった瓶を楽しそうに見比べていた。魔力の光で照らされるシェニカの顔は、無邪気な子供っぽさが強調されているような感じがして、愛おしさがどんどん込み上げてきた。
ディスコーニやソルディナンド、トゥーベリアス辺りなら『可愛い』とか普通に言えるんだろうが、俺にはなかなか言えない。思っていることを口にしないと伝わらない、というのはディスコーニに言われなくても、シェニカに俺の気持ちが全く伝わってなかったことで痛いほど分かったのに、『可愛い』と言葉を発するのがどうしても恥ずかしい。
「無くなったらまた買えば良いんだし、ガキじゃねぇんだから喧嘩になんねぇよ」
「そうだね。あ、ルクトの持ってる飴、入れてあげるね」
色々と葛藤したものの結局『可愛い』とは言えず、出てきた言葉は今までと大して変わらないものだった。『可愛い』と口に出せなかった自分を情けなく思うが、今俺の目の前にはシェニカがいて、微笑を浮かべながら俺の手の飴を瓶に入れてくれていることが嬉しくてたまらない。嬉しさが外に出ないように堪えながら、周囲にいる警備の連中の様子を窺った。
シェニカのプライベートな時間を邪魔しないように配慮しているのか、警備の奴らやお目付け役らしいアヴィスとラダメールは、見えない場所に控えて真面目に仕事をしている。その一方、警備の責任者であるトゥーベリアスは、俺達がこのカフェに入る直前に会った若い女と、俺たちが見えるカフェの屋内席でお茶を飲んでいる。距離があるから2人の声は聞こえないが、トゥーベリアスはこちらの様子を窺っている。
俺達が街を歩いている間、頭の軽そうな女がトゥーベリアスに声をかけようとするが、奴の部下が押し留めていた。そういう女はただの民間人だったが、今、奴の目の前にいる女は護衛の男を連れているし、着ている服も上等なものだから、どこかの大商人か貴族の娘なのだろう。
シェニカに勘違いされては困るトゥーベリアスは、さっさとこの女と別れたいようだが、適当にあしらえない相手らしく、にこやかな表情を顔に貼り付けながら早く切り上げたいという空気を出している。
空気の読めない女はトゥーベリアスに気があるらしく、口をほとんど動かさない奴の代わりに一方的に喋り、テーブルの下で奴の足に自分の足でこづいている。
「トゥーベリアス様がお茶してるね。何か良い感じだから恋人かな」
「そうかもしれないな」
飴を移し終えたシェニカは俺の視線を辿ったらしく、トゥーベリアスが女といるのを興味深そうに見ながらそんなことを言った。
トゥーベリアスの乗り気じゃない様子は、奴の目の前の女だけでなくシェニカにも伝わっていないようで、あの2人が良い感じの恋人同士に見えたらしい。女と2人っきりになったり、会話しているのを見るだけでシェニカは簡単に勘違いするのだから、ディスコーニのそういう場面を見てくれると良いのにと心から思った。
シェニカの視線に気付いたトゥーベリアスは、真面目そうな顔で席を立ち、急展開に呆然とする女を置いてこっちに向かってきた。
「シェニカ様、少々事情があってこのような状態になっておりますが」
「今、トゥーベリアス様は私とお話していますの。貴女のお顔に覚えがありませんけど、どちらのお家の方かしら?」
トゥーベリアスがシェニカに言い訳を口にしている途中、無表情の女が奴の腕を掴み、座ったままのシェニカを見下ろしながら喧嘩腰に言い放った。
さっきまでトゥーベリアスにニコニコした顔を向けていたこの女は、その嫉妬の炎を灯した目ときつい口調から、自分に自信のある気の強い性格だというのが十分に伝わってきた。
この様子だと、女は止めようとした副官や、仕事中だと断ったであろうトゥーベリアスに、親の影響力を盾にして無理を押し通したのだろう。トゥーベリアス自身も邪険に扱えない上にきつい性格が災いすると思って、少しの間だけ付き合ってどこかに行ってもらう算段だったようだ。
「ナーセル様、こちらは」
「私は宿に戻ります。トゥーベリアス様は素敵な恋人とのデートを楽しんで下さいね。ルクト、行きましょ」
「シェニカ様、ちが」
「ねぇ、お聞きになった?私達恋人ですって!嬉しいわっ!」
「私達はそのような関係では」
「今度夕食を一緒にって約束して下さったから、私は何度もお手紙を送ったんですのよ。なのに、いつも良いお返事が頂けなくて……。私とても寂しかったんですの。お茶会に行ったら、他の令嬢達からトゥーベリアス様と食事をしたとか、夜会でエスコートして頂いたとか話を聞くので、私、泣いてしまいそうで。
折角、ここでお会い出来たのですから、これからうちの別荘にお越し下さいませ。お父様もトゥーベリアス様とお話出来るのをとても楽しみにしていますのよ」
空のコップを近くにある棚の上に置き、店から離れるシェニカを呼び止めようとするトゥーベリアスの声は女の声に見事にかき消され、追いかけようとしても女が腕を放さない。
シェニカはそんな2人を気にすることなく宿に向かってスタスタと歩き、その動きに連動するようにアヴィスとラダメール、警備の連中も姿を現したのだが、そいつらはトゥーベリアスの様子が気になるらしく、困惑した顔でチラチラと振り向きながら歩いている。
「トゥーベリアス様はまだ独身みたいだけど、結婚したらソルディナンド様みたいにならなければいいね」
「そうだな……」
シェニカの声が聞こえるように半歩後ろまで距離を詰めたが、シェニカは嫌がる様子を見せなかった。それはとても嬉しいのだが、シェニカが抱えていた紙袋から取り出したソルディナンド用に買った人形と目が合うと、その嬉しさは一気に霧散した。
「大きなお目々が可愛いなぁ。コッチェルくんも可愛いけど、この真コッチェルくんってそれ以上に可愛くて、見れば見るほど愛着が湧いてきて渡すのが惜しくなっちゃいそう」
他の人形は顔がないし、身につけているのは普通の服と麦わら帽子だから、一般人は近寄らない怪しすぎる店で買ったボッタクリの土産人形だよ、と思いながらも『可愛いんじゃないか?』というお世辞は言える。でも大きな1つ目の人形は全然可愛くないし、いくら長いこと持っていても愛着も湧きそうにもない。そもそも触りたくないし、近付きたくもない。
「ルクトも可愛いと思わない?」
「あ~……。感性は人それぞれだからな」
シェニカは禍々しい人形を俺の方に向けて、自信満々で問いかけてきた。
言葉を濁さずに「可愛い」と無理矢理にでも言えば良かったと思うが、禍々しい目が俺をジッと見ているような気がして、心にもないことは言えなかった。
2/2の近況ボードで胸の内を吐露して以降、大変ご心配をおかけしております。遅くなってしまいましたが、温かい励ましのおかげで今回の更新にこぎつけることが出来ました。
これも応援して下さる皆様のおかげです。ありがとうございます。本当に感謝しております。m(__)m
完全復活ではない上に、花粉に悩まされる季節が到来してしまったので、次の更新までまた時間を頂いてしまうかもしれません……。すみません。
今回のお話は、シェニカ視点→ルクト視点となります。
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ラーナを出て3日。傾いた太陽から差す西日が眩しい時間に、街道の分かれ道にあるコッチェルという大きな街に着いた。
「おめでとうございま~す!」
「ディスコーニ様ぁぁ!」「かっこいい~!」
「バルジアラ様っ!俺を部下にしてくれぇっ!」
「レイビニオン様ぁ~!」
「きゃぁぁ!トゥーベリアス様よぉ!」「素敵ぃ!」「抱いてっ!」
市民の大歓声に満ちた大通りを馬に乗ったまま通っていると、私達は軍の建物の方に向かう大きな隊列から外れて、厳重に警備された石造りの大きな宿の前で降りた。
先導するファズ様の後を追うように宿の中に入ると、窓から差し込む光をピカピカと反射する黒の大理石で出来た広いホールに出迎えられた。そこには灰色の太い柱が何本も立っていて、緑の制服をビシッと着こなしたホテルの人が、上品な旅装束を着た旅行客の荷物を運んだり、飲み物を渡したりと忙しそうに動き回っている。
隣を歩くディズがホールの壁側に並ぶソファ席の前で立ち止まると、セナイオル様がホールの奥にある受付に向かって行った。その後ろ姿をぼんやりと見ていると、ディズが1人掛けのソファに座るように促した。
「手続きをしますので、ここで少し待っていて下さいね」
「いつもありがとう」
「これくらい当然のことですよ」
私がソファに座ると、ディズは数歩離れた所でファズ様と話し始めた。そんなに離れていないのに、声が全く聞こえないというのはとても不思議だ。彼は常に私の側にいるけど、忙しい立場の人だから色々と仕事が溜まっているんだろうなと想像できた。
ここに来るまでの間、立ち寄る街に到着するのは夜で出発は翌朝、ということでルクトと約束した街の散策は出来ていなかったけど、この時間なら街を散策出来そうだ。
「ねぇ、ルクト。夕食まで時間ありそうだから、これから街を回らない?」
「いいよ」
フードを少し持ち上げ、近くで立ったままのルクトに話しかけると、彼は無表情を変えることはなかったけど、私を見下ろす目元が一瞬緩んだように見えた。移動ばかりで楽しい事も特になかったから、彼も街を回るのは楽しみだったのかもしれない。
ホールの真ん中にある柱に刻まれた大きな太陽を見ながら、ルクトと2人で街を回るのはいつぶりだろうと振り返ってみると、ルクトに乱暴された後、気まずい空気でラーナの街を歩いた時だと気付いた。あの時は2人きりになりたくなくて、会話したくなくて、時間をかけて街を回ったんだっけ。
ポルペアまで雇い主と護衛という関係でやり直すと決めたけど、話しにくい状況というのは私だけじゃなくルクトもやり辛いと思った。どうにかした方が良いと思うけど、どうすればいいのだろう?と悩んでいたら、顔に出ていたのかディズとラーナの街を歩いている時に「シェニカの悩みは、ルクトさんとの距離感ですか?」と聞かれてしまった。
どうすれば良いか悩んでいると打ち明けてみると、「どういう旅にしたいのかというのは、シェニカだけでなく、ルクトさんや別の護衛にしても大事なことです。彼の意見を聞くためにも、まずはシェニカの希望を彼に伝えてみてはどうでしょうか。
きっかけが見つからないのであれば、お土産を買って、渡す時に少し話してみてはどうですか?」と助言をもらった。
確かにそうだなと思って、お土産のお菓子を渡す時に自分の考えを伝えてみたら、彼も普通に喋れるようになりたいと言ってくれて安心した。
街を回る間、どんなことを喋ったらいいだろう。お店のショウウィンドウを眺めながら、感想を言い合うのが良いだろうか。
そんなことを考えながらフードを外してスカーフを頭に巻いていたら、セナイオル様から鍵を受け取ったディズが私の前にやってきた。
「夕食までまだ時間がありますが、部屋で過ごしますか?」
「ううん、ルクトと一緒に街を回ることにしたんだ」
「分かりました。では私が警備をしましょうか?」
「大丈夫だよ」
ソファから立ち上がってディズにそう返事をした時、自信に満ちた微笑を浮かべるトゥーベリアス様が、ディズの隣で立ち止まった。
「警備は私が務めますから、貴殿は溜まった仕事を片付けてはいかがですか?バルジアラ様は色々と手が回らなくて、手紙の返事を書く時間がないほどお困りのようですよ」
トゥーベリアス様は笑顔を浮かべたままディズにそう言うと、私とディズの間にある空間に入ってきた。握手をするのも近すぎる距離が嫌で、私は少し動いて距離を取った。
「シェニカ様、街を回るのならば私に案内をさせて下さい」
「気を遣って頂きありがとうございます。街を気ままに見たいので、案内は大丈夫です。ルクト、行こうか」
折角空けた距離を詰められそうな気がして、ディズに目で「行ってきます」と伝え、トゥーベリアス様に頭を下げて宿の外に出た。
息が詰まるような空間から出て、外の空気を吸えたと開放的な気持ちになっていたら、こちらに向かってきているソルディナンド様達とばっちり目が合ってしまった。
「シェニカ様」
またお誘いされたら困ると思って、会釈して大通りの喧騒に紛れてしまおうと早足で歩いたのに、あっという間に追いつかれて後ろから声をかけられてしまった。
「どちらに行かれるのですか?」
「えっと、街を散策しようと思いまして」
「私達も今ちょうど街を散策しようかと思っていたところだったんです。よろしければご一緒させて頂けませんか?」
「あ、えっと……。今日は彼と街を回りたくて。すみません」
「いえいえ、恋人と出歩くのはごく自然なことです。お邪魔なことを申し出まして、こちらこそ失礼しました。実は、この街はキルレとウィニストラの首都に分かれる分岐点にあるので、シェニカ様とはここでお別れになってしまうのです。その前にもう一度食事を一緒にしたいのですが、いかがでしょうか」
ソルディナンド様が私とルクトを恋人だと思っていることを聞いて、別れても一緒にいるからそう思われているのかとハッとした。
彼とは恋人関係ではありません、と訂正した方が良いのだろうかと思ったけど、ソルディナンド様に言ったら、これまで以上にしつこくなりそうな気がした。ルクトがいるとナンパを遠慮してくれるというのなら、事実は伏せておいた方が楽だと思った。
「食事は部屋でゆっくり食べたいと思っていまして……」
「そうですか。移動時間が長かったので、お疲れになるのは無理もないことです」
シュンとしょげるソルディナンド様を見ると、何だか申し訳ない気持ちが生まれた。ソルディナンド様達にはレストランの食事もごちそうになったから、何かお返しをした方が良いかもしれない。
「あの、では明日の出発の前に。ささやかですが御礼の品をお渡ししますね」
「本当ですか!光栄です!」
「では、また明日に」
御礼の話をすると、ソルディナンド様はものすごく嬉しそうな声を出し、後ろにいる副官の人達も笑顔になった。早くこの場を去ろうと会釈をして大通りを歩き出すと、私達の周囲に軍服を着た人達が居て、スピードを合わせて歩いていることに気付いた。
ディズと一緒にラーナを回った時、人気者のディズがいるから警備は厳重だったけど、この場に彼は居ないし、私は額飾りを隠しているからこちらを気にかける人はいないから、散策の邪魔をしないように人数は少なく、距離を置いた場所にいてくれているらしい。
なんとなく振り向くと、数歩後ろを歩くトゥーベリアス様と目が合って、彼は小首を傾げながら目を三日月にする可愛らしい笑顔を浮かべた。セナイオル様もトゥーベリアス様みたいに美形な人だけど、最低限の会話しかしないし、必ず距離を空けてくれるから苦手意識は持っていない。でも、ソルディナンド様やトゥーベリアス様のような自信に溢れたイケメンで、よく喋る人はちょっと苦手だ。
大通り沿いに立ち並ぶお店を見ながら歩いていると、飴屋さんを見つけた。アビテードの首都で買った飴は2種類あったけど、1種類は『聖なる一滴』の治療に使って無くなって、もう1種類は残りわずかだ。飴は日持ちするしすぐに食べられるから、口さみしい時や一息つきたい時、気分を変えたい時にはもってこいだ。もう1瓶くらい買っておこうかと思って店の前で立ち止まると、斜め後ろを歩いていたルクトに振り向いた。
「このお店、気になるから寄るね」
「飴、食べたいのか?」
「うん。移動してても、飴ならすぐ食べられるし」
お店に入ると、壁側にはルクトの視線の高さくらいまである棚があって、赤や黄色、白、黒、水色、黄緑色といった色とりどりの小さな飴が瓶詰めされている。色や味の種類だけでなく、飴のオーソドックスな形の丸や楕円形以外に星、ハート、キャンディ、うさぎ、魚、剣といった面白い形も多くて、眺めているだけですごくワクワクする。
「何味が好きなんだ?」
「どんな味も好きだけど、イチゴとかレモンとか甘酸っぱいのが好きかなぁ。ルクトは?」
「俺は……。花の甘い蜜がいい」
「花の蜜ってことは、はちみつとかピピリアの飴が好きなんだ。結構しっかり甘い飴が良いんだね」
「……そうだな」
ルクトって甘いものは嫌いじゃないみたいだけど、柑橘系やミント系の爽やかな感じが良いのかと想像していたから、しっかり甘さのある飴が好きというのは意外だった。飴屋さんはルクトも楽しめる場所なのかもしれないから、行先の街に飴屋さんがあったら立ち寄ってみよう。
カラフルな物に囲まれていると、夢の世界に来たみたいだな~と思いながら棚をじっくり見ていると、『試食用』と書かれたコーナーを見つけた。そこには、飴を作る時に失敗したらしい形が歪なものが小皿に入っている。
「ねぇねぇ、ここに試食用があるよ。食べてみようよ」
少し離れたところで棚を見ていたルクトに声をかけると、すぐにやってきて興味深そうに試食用の小皿を眺め始めた。
「はちみつ味は、林檎はちみつ、レモンはちみつ、ミントはちみつ、濃厚はちみつ、ミルクはちみつがあるよ。食べてみたら?」
「そうだな。イチゴやレモンの飴はこっちにあるぞ」
イチゴの飴のカケラを口に入れて舐めると、甘酸っぱさだけじゃなく、むにゅっとした果肉らしきものを感じた。小皿の横にある説明文には、『採れたての果実を絞って作りました。果汁と一緒に果肉も入っています』を書いてある。
イチゴの他に、クランベリー、ブルーベリー、みかん、グレープフルーツ、レモン、林檎、パイナップル、葡萄、アンズなど、フルーツ系は果肉入りの飴がたくさんあった。普通の飴と比べてお値段はちょっとお高めだけど、果肉入りの飴は珍しいからこれにしよう!
とっても美味しいから、ディズにも飴をお土産に買っていこうかな。そうだ!ファズ様達にも日頃からお世話になっているから、ささやかな御礼の品として贈ろう!
キルレの人達に渡す品も飴にしようかと思って、瓶の前にある値札カードを見ると、一番高いのは1瓶銀貨1枚だ。お礼や感謝の品を贈るのは初めてだけど、ローズ様が『安すぎると相手に失礼になるし、高すぎると気を遣わせることになる。だいたい1人銀貨3枚から5枚くらいの物にしておけば無難』と言っていたような記憶がある。
キルレの人はバーナン神官長を含めて7人。結構な出費になるからハラハラするけど、出すときは惜しみなく出さなければ。そんな風に色々考えた結果、キルレの人達に渡す品は飴じゃない物にすることにした。
「ルクトは決まった?」
色々と味見をした結果、自分用は星型のイチゴと魚型のアンズの飴。ディズには星型のブルーベリーの飴。ファズ様達にはキャンディ型の葡萄と星型のレモンの飴を買うことにした。飴がぎっしり詰まった瓶を籠に入れると、薄緑色の瓶とピンク色の瓶を持ったルクトに声をかけた。
「俺はこれにする」
「桃とミントはちみつかぁ。美味しそうね」
「そんなに買ってどうするんだ?」
ルクトは私が持った籠を指差すと不思議そうな顔をした。
「ディズとファズ様達に、日頃の感謝を込めて渡そうと思って」
「そうか。喜ぶんじゃないか?」
「そうだと良いな」
お会計をしている時にチラッと見たルクトの顔は無表情に近いけど、キレイな飴に囲まれていたし、素敵な買い物をしたからか穏やかな空気を出している気がする。まだぎこちなさはあるけど、買い物って気持ちを楽しくしてくれるし、自然に話しかけられる。気分転換に買い物を繰り返し、少しずつ普段も会話できるようになるといいな。
「キルレの人達に渡す御礼、どんなものが良いかなぁ?」
「土産物屋に行ってみたらどうだ?何かあるだろ」
「じゃあそこのお土産屋さんに行ってみよう!」
「アレは土産物屋なのか?」
「看板に『知る人ぞ知るお土産屋』って書いてあるよ」
私が見つけたのは今いる場所から大通りを挟んで反対側にある、軒先に吊るされた紫や黒、深緑色のショールが風にフワフワ揺れる可愛いお店だ。ショールのカーテンをくぐると、安宿の1部屋くらいしかないこじんまりしたお店で、壁側にある棚には木箱が隙間なく並べられていて、お店の真ん中にはロッキングチェアに座ったお婆ちゃんがお茶を飲んでいた。
窓はないけど、お昼のような煌々とした魔力の光で店内は明るく、文字を柄にしたような個性的な壁紙が張られている。私の姿を見たお婆ちゃんは、ニコニコしながら持っていたカップを隣りにある蓋付きワゴンの上に置いた。
「なんだこれ。人形?」
ルクトと並んで木箱を見てみると、そこには可愛い人形がたくさん入っていた。1つ手に取ってみると、大きさはユーリくんよりも少し小さめの手のひらサイズで、材質は藁だ。顔部分に目や口といったパーツはないけど、小さな麦わら帽子を斜めに被り、どこかに飾れるように首の後ろから黒の紐が出ていて、シャツと短パンを身につけている。どの木箱の人形も、大まかな作りは一緒だけど着ている服の色が違っていた。
木箱の縁には、『コッチェル土産はこれで決まり☆ 街の名前と同じだから、旅の思い出もすぐに浮かぶ!藁で出来た祈願人形コッチェルくんです。緑は健康。紫は長寿。黄は出世。青は商売繁盛。オレンジは金運。ピンクは恋愛。黒は子宝。赤は家庭円満。白は学業成就。水色は旅の安全。お好きな願いをお選び下さい』と書いてあった。
「この人形、小さくて可愛い!コッチェルくんだって!」
「これで銀貨2枚?そんな価値があるのか?」
木箱を眺めていただけだったルクトが、不思議そうに1体の人形の紐をつまみ上げ、眉間に皺を寄せて眺めている。
ルクトのその様子を見ていると、『子宝に恵まれました』『人生の落ちこぼれだったけど、コロシアムの賭けで一発逆転の大金を手にしました』『大きな病気や怪我もなく、ひ孫の成人まで見届けて母は天に召されました』『コッチェルくん、最高!』などなど、たくさんの御礼の手紙が天井まで隙間なく張られていたから、文字のような壁紙に見えていたのだと気付いた。
「ねぇ、見て。すごくご利益あるみたいだよ」
「本当に人形のおかげか分からないんじゃないのか?」
ルクトは占いを信じないようだから、こういう祈願人形の効果も信じないのかもしれない。まぁ、信じるかどうかは本人次第だから、何も言えないけど。
「何かお探しですかい?」
どれにしようか悩み始めたら、ニコニコと見守っていたお婆ちゃんが、ロッキングチェアに座ったまま声をかけてくれた。
「あの、このコッチェルくん。本当にご利益があるんですか?」
「ウチは代々祈祷師をやっていてねぇ。家を建てたり、建て替える時。子どもが生まれた時、結婚する時といった節目にその人達のために幸運を祈ってきたんだ。今でも、そういう時にはワシに祈祷を頼むんだよ。その幸運が多くの人に与えられるように、ワシが丁寧に祈りながら作ったから効果あるよ」
「そうなんですか!じゃあ、御礼の品はこのお人形にしようかな」
「渡す相手はどんな人ですかい?」
「神官長と軍の将軍、副官の方々です」
私が答えると、お婆ちゃんは目を閉じてロッキングチェアをユラユラと揺らし始めた。
「神官長の方は首都の神官長かい?」
「はい、そうです」
「神官長としてはそれ以上の出世はないから健康か長寿が良いかね。将軍と副官ならば健康か出世。結婚していれば、家庭円満や子宝も良いかもしれないねぇ」
「なるほど~。じゃあ神官長は健康と長寿。副官の人達は健康と出世の2つにしようかな。ソルディナンド様は……。うーん、ナンパが落ち着くように家庭円満が良いのかなぁ」
「ナンパする相手に家庭円満を願うということは、浮気グセのある男かい?」
私の独り言を聞いたお婆ちゃんは、揺らしていたロッキングチェアをピタリと止め、今までのような穏やかな感じではなく、眉間に深い皺を刻むくらい眉を寄せながら私を見て、少し低い声を出した。
「ご結婚されている方なんですけど、やたらと距離が近い感じでして……」
「んまぁ~…。王族と『白い渡り鳥』様以外は、決まった相手以外に手を出すのは許されていないというのに。そんな女の敵のような男にピッタリの物があるよ」
ゆっくりと立ち上がったお婆ちゃんは、ワゴンの上に置いていたカップを店の奥に持っていくと、3段重ねの裁縫箱を手に戻ってきた。ロッキングチェアに再び座ったお婆ちゃんは、裁縫箱を膝の上に置いてワゴンの蓋を開けた。
その中には、木箱に入っていたコッチェルくんと同じ藁人形や洋服、ハンカチ、布、子供用の靴などが雑然と入っていて、お婆ちゃんは聞き取れない小声で呟きながら何かを探している。お婆ちゃんが引っ掻き回すようにワゴンの中を探す様子を見守っていると、一瞬視界を奪うような鋭い光を感じて、反射的に目を閉じた。
「確かこの辺に……。あった、あった」
恐る恐る目を開けると、コッチェルくんを手にしたお婆ちゃんが私に満面の笑みを見せて振り向いたところだった。その子は顔部分が真っ白に塗られていて、胸元から膝にかけて黒い鎖をキレイに巻き付ける服を着ていて、麦わら帽子と引っ掛ける紐がない。何を祈願するコッチェルくんなのだろうか。
「若い頃、ワシも旦那の浮気に悩まされててねぇ。子どもが出来れば変わってくれるんじゃないかと思って、浮気防止と子宝を祈願して、恨みつらみを込めて丹精に作った特別製なんだ。そのおかげで願いは2つとも無事に叶ったんだよ。この真コッチェルくんでどうかい?」
「もちろんです!ありがとうございます!」
「じゃあ、生命を吹き込んでやろう」
お婆ちゃんは真コッチェルくんの頭を大事に撫でると、裁縫箱から黒のインクと筆を取り出して、白い顔に黒いインクで大きなお目々を1つ描いた。クルンとしたまつげ、白目部分がちょっとしかないくらいに描かれた大きな瞳がとっても可愛らしい。
裁縫箱に筆を戻すと今度は銀の鎖を取り出して、紐の代わりになるように首元に2重に巻き付けて留め金で固定した。ワゴンの中から取り出した、ちょっと褪せてるけど可愛らしい白のレースで出来たミニチュアヘッドドレスを頭に被せ、落ちないように縫い付けた。そして、お婆ちゃんは真コッチェルくんを両手で掲げ、聞き取れない呪文らしき言葉を唱えた。
「この目が男の浮気心を見透かし、巻き付けた鎖で不誠実を働こうとする身体を止めるんだ。そして、子宝に恵まれるようにミニチュアの赤子用ヘッドドレスをつけてるんだよ。他のコッチェルくんもだが、常に持ち歩くように伝えておくれ。ただし、この真コッチェルくんを渡す相手には、何を祈願したのかは黙っておくんだよ」
「分かりました。すごく効果がありそうなので奥さんも喜ぶと思います!おいくらでしょうか?」
「願いが1つにつき銀貨2枚。真コッチェルくんは浮気防止と子宝の2つが込められているから、銀貨4枚だね。よろしいかな?」
「えぇ、もちろんです」
木箱の近くにある深さのある籠を手に取り、受け取った真コッチェルくんを入れた。そして壁側の木箱の前に立つと、副官の人達用に健康と出世のコッチェルくんを5体ずつ。バーナン神官長用に健康と長寿のコッチェルくんを1体ずつ。そして自分用に旅の安全を祈願した水色のコッチェルくんを1体入れた。
ーーそうだ。素敵なスカーフを選んで貰ったお礼に、ユーリくんにコッチェルくんを渡すのはどうだろうか!?
コッチェルくんはぬいぐるみより硬いけど、ユーリくんは気に入ってくれるかもしれない。ユーリくんが噛みついたり、振り回してボロボロにしても、コッチェルくんなら「可愛いから仕方がないなぁ」と許してくれるはず!うん!きっとそうだ!
ユーリくんが喜んでくれる姿を頭に浮かべていたら、いつの間にか全種類1体ずつ籠に入れていた。いつもならお勘定を頭に浮かべてしまうけど、ユーリくんのためならお金なんて惜しくない!
ルンルン気分でお婆ちゃんに籠を渡すと、ニコニコと嬉しそうな笑顔を浮かべてお勘定をして、大きな紙袋に小分け袋とご利益を書いたメモまで入れてくれた。
「こんなにたくさん買ってくれてありがとうねぇ」
「そんなに大量に買って、どうするんだ?」
「えっと、自分用に1体。副官の人達とバーナン神官長に2体ずつ。ソルディナンド様に真コッチェルくんが1体。他は全部ユーリくんにプレゼントするんだ」
「そ、そうか……。喜ぶと良いな」
「コッチェルくん可愛いから、ルクトも買ったら?」
「俺はいいや」
ルクトはそう返事をしたけど、彼の視線がコッチェルくんが入った紙袋にあるということは、興味はあるのだと思う。きっと「あの時買っておけばよかったな~」とか思う日が来るだろう。
「あの、そのワゴンの中の物も売り物なんですか?」
お婆ちゃんがニコニコとご機嫌そうなので、思い切って聞いてみた。
「売り物ではあるんだが、置いとくだけでは売れないものばかりだよ。どんな物が欲しいのかい?」
「さっき。光の反射だと思うんですけど、鋭い光を感じたんです。その正体が知りたくて……」
「光を反射するものってことはアレかな。……あった、あった。探す時に蓋が開いてしまって、その時に光を反射したようだねぇ」
お婆ちゃんが渡してくれたのは、少し厚みのある銀製の丸いコンパクトだった。表面の中心にはメラメラと炎を放つ太陽の彫刻があり、その中心には黒い小さな宝石が1つ嵌っていて、スズランに似た花が外縁をグルリと囲うように彫られている。
パカっと開くと、波打つ蔦の葉が彫られた木製の枠があり、そこに嵌る丸い鏡にはスカーフを巻いた私の顔が映っている。反対側の面は青のビロードが張られていて、指輪やピアスなどを入れられそうな深さがあった。開いた状態で手のひらに乗せても、後ろにひっくり返らない座りの良いコンパクトのようだ。
「一応両面に石はあるけど、小さい上に純度が低いからか何の宝石なのか宝石商にも分からなくてね。それに、表面にある花もスズランのような形をしているけど、スズランは花びらに波打つ模様なんて入ってないし。裏面は月の彫刻があるけど、両面ともシンプルすぎてねぇ。
小物入れもついてて、使い勝手の良いコンパクトだと思うけど、作られて相当の時間が経過してるみたいで、手入れをしていても古めかしい感じが出ちゃうんだ。見向きもされないから宝石商に持ち込もうとしても、何の宝石か分からないと買い取れないと言われて、ずっとワゴンで眠っていたんだよ」
お婆ちゃんの話を聞きながらコンパクトを閉じて裏を見てみると、満月から新月までの満ち欠けを表す小さな月が縁に沿うように彫られていて、面の真ん中には赤、青、黄、緑、黒の小さな楕円形の宝石が5つの花弁になるように嵌っている。彫刻は表よりもシンプルだけど、宝石の色が額飾りと同じだと思って親近感が湧いた。
「どれくらい古いものなんですか?」
「いつ作られたのかは分からないねぇ。記録はないが、この店で一番長く売れ残っている商品だから相当古いんじゃないかな」
「でしたら、私に売って下さいませんか?」
確かにデザインはシンプルだし古めかしい感じはするけど、独特の味わいを感じるし、空のコーヒーカップくらいの重さで、持っていると手に馴染むような感じがする。まだ少ししか触っていないのに、何だか手放したくない気持ちになった。
「ワシは構わないけど、本当にそれで良いのかい?」
「何か親近感が湧いちゃって。おいくらでしょうか?」
「銀貨5枚頂くけど、それもコッチェルくんも返品は受け付けてないよ?」
「この子もコッチェルくんも気に入ったので、返品なんてしませんよ。どれも大事にさせて頂きます」
すごく嬉しそうな笑顔のお婆ちゃんに見送られながら店を出た後、街をグルっと1周して宿の近くまで戻ってきた頃には、茜色の空に闇が滲み始めていた。
「結構歩いたから、喉乾いたね。そこのカフェに寄ってかない?」
「いいよ」
ルクトとは何気ない会話しかしてないけど、今までみたいな自然な空気で楽しかった。これならもう少し話せそうだと思って、宿の近くにあるカフェに誘ってみると、彼は頷いて返事をしてくれた。
「このオレンジジュース、搾りたてだから濃厚で美味しいね」
「そうだな」
お店のオススメだったオレンジジュースは、目の前で搾ってくれるからすごく香りも良いし、味が濃くてとても美味しい。魔力の光で照らされたテラス席でルクトと同じものを飲んでいると、空から急降下してきたフィラがルクトの肩に止まり、フィーフィーと鳴いて、彼の肩をコツコツとつついた。
「手紙が来たみたいだよ」
「レオンだろ」
フィラから手紙を受け取ったルクトは、すぐに開いて中を読み始めた。その間、ローブの内ポケットからコンパクトを取り出して、斜めや横から見ていると、コンパクトの側面の一部に僅かに擦れた痕があることに気付いた。その痕に触れてみたけど、傷は浅いようで、ざらついた感じも不快な手触りもない。
「レオンから、護衛を請けると返事があった。今、ウィニストラ領のアドアニザって街にいるそうだ」
「アドアニザって、どこにあるんだろ?」
手元が明るくなるように魔力の光を作り、コンパクトをポケットに仕舞ってウィニストラの地図を広げると、その街はセゼルとアルベルト、ウィニストラの首都、フェアニーブ方面の4方向に街道が分かれる場所にある大きな拠点街だった。
「フェアニーブに行く道の途中にあるから、立ち寄るかもしれないね。ディズに聞いてみるね」
「分かった」
ルクトは手紙を丁寧に畳んで上着の内ポケットに仕舞うと、彼は私が飲んでいるオレンジジュースのコップを見ている。何か付いているのかと思ってコップを確認してみたけど、水滴くらいしか付いてなかった。
「さっき見てた土産物屋で買った銀のやつ、見せてくれないか?」
「いいよ」
コンパクトをルクトに渡すと、両面の彫刻や宝石に触ったり、開いて蔦が彫られた木枠を指でなぞってみたりしている。コンパクトって女性が主に使うものだけど、彼も興味があるのだろうか。
「ルクトも欲しい?」
「俺はこういうのに興味はないけど。随分気に入っているようだったから、どういう物か見たかっただけだ」
「こういう昔からあるものって何か落ち着くよね。代々受け継いでいくものって素敵だよね」
「そうだな」
「あ、コッチェルくんも見る?」
「いや、そっちはいいや」
ルクトから返してもらったコンパクトをポケットに仕舞うと、私はスカーフの上から額飾りに触れた。
この額飾りはローズ様から受け継いだ大切なもの。この子は今までの『白い渡り鳥』の額で、色んなことを見てきたんだろうな。どんなことがあったんだろう。コンパクトや額飾りとお話出来たら面白いだろうけど、それが出来ないのは残念だ。
◆
「そうだ。ポルペアまでの行き方を相談したかったんだ。フェアニーブで尋問が終わったら、普通の旅に戻ろうと思うけど。
ウィニストラ領内を移動して、トラント領もしくはエルドナを経由してポルペアに入国するルートにする?それともアルベルトやフシュカードを経由して、サザベルかトラント領を通ってポルペアに入国するルートにする?」
思い出したように声を上げたシェニカは、広げていたウィニストラの地図の上に世界地図を広げると、それぞれのルートを指でなぞりながら話し始めた。
「ウィニストラが治めるとはいえ、トラント領内はしばらく混乱してるかもしれねぇな。アルベルトやフシュカードを経由する頃には多少落ち着いてるだろうから、そっちのルートがいいんじゃないか?
トラント領を通るのか、サザベルを通るのかは、街道の分岐点が近くなってきた時に決めたらどうかと思う」
「確かに、国が替わった直後は混乱するものだけど、今回は大事件だったから落ち着くまで時間がかかるかもしれないね。じゃあアルベルト経由にしよう」
侵略戦が成功した時、手に入れた場所に送り込まれる兵士は、地形や気候、街並、民衆の気質など覚えることが多くある上に、新たな防衛線を築くために休む間もなく働き続けることになる。緊張状態の時間が続くから、兵士はストレスや不満を感じやすい。加えて突然よそ者を迎える民衆もイライラしやすく、兵士と揉め事を起こすことがよくある。
民衆も兵士も不満やストレスが溜まれば、それが爆発して蜂起やクーデターに繋がる可能性があるし、落ち着かない状況を好機と見た隣国が、新たに侵略戦を仕掛けてくることもあるから、治める国が替わった場所は混乱しやすいものだというのが共通認識だ。
シェニカもそれを知っているから俺の話に素直に頷いたが、ウィニストラ領を通れば、ディスコーニがずっとついてくる気がしたから避けたかったのが本心だ。
それを正直に言ってしまうと、護衛としての再スタートで構わないけど、ゆくゆくはもう一度恋人になりたい。ずっと一緒にいたい。ディスコーニのことは忘れて、俺だけを見て欲しい。もう一度、シェニカの隣を俺の居場所にしたい、という本音まで言ってしまいそうだった。
こんな本音を口に出せば、「ルクトの想いには応えられない。やっぱりここで別れよう」と言われて、護衛としても一緒に居られなくなってしまうかもしれない。
別れようなんてもう2度と言われたくないし、そんな未来はどうしても迎えたくないから、手を出したくなる甘い香りの誘惑も、本音を言いたいのも必死に我慢して堪えるしか無い。
「あ、そうだ。ルクトにも飴少しあげようか?」
地図を畳む小さな手に触れたくなる衝動を必死に抑えていると、そんな葛藤を知らないシェニカは、自然な笑顔を浮かべて今日買った飴の瓶を鞄から取り出した。
「俺の飴もいるか?」
「いいの?じゃあ交換しようか」
シェニカは鞄から赤とオレンジ色の詰まった瓶を取り出すと、ワクワクしたような無邪気な顔で俺を見てきた。久しぶりに見るその表情に胸が高鳴って、一瞬呼吸を忘れてしまった。
「好きなだけ取っていいぞ」
「じゃあ、喧嘩にならないように同じくらいにするね。手を出して」
シェニカの前に俺が買った2つの瓶を置き、差し出した両手をお椀型にすると、シェニカは自分用の2つの瓶の半分を入れて山を作った。そして、目を輝かせながら俺の飴を取り出して、自分の瓶に入れ始めた。
イチゴの飴の瓶にはミントはちみつの丸い飴を入れ、アンズの飴の瓶には桃の楕円形の飴を入れて、2色になった瓶を楽しそうに見比べていた。魔力の光で照らされるシェニカの顔は、無邪気な子供っぽさが強調されているような感じがして、愛おしさがどんどん込み上げてきた。
ディスコーニやソルディナンド、トゥーベリアス辺りなら『可愛い』とか普通に言えるんだろうが、俺にはなかなか言えない。思っていることを口にしないと伝わらない、というのはディスコーニに言われなくても、シェニカに俺の気持ちが全く伝わってなかったことで痛いほど分かったのに、『可愛い』と言葉を発するのがどうしても恥ずかしい。
「無くなったらまた買えば良いんだし、ガキじゃねぇんだから喧嘩になんねぇよ」
「そうだね。あ、ルクトの持ってる飴、入れてあげるね」
色々と葛藤したものの結局『可愛い』とは言えず、出てきた言葉は今までと大して変わらないものだった。『可愛い』と口に出せなかった自分を情けなく思うが、今俺の目の前にはシェニカがいて、微笑を浮かべながら俺の手の飴を瓶に入れてくれていることが嬉しくてたまらない。嬉しさが外に出ないように堪えながら、周囲にいる警備の連中の様子を窺った。
シェニカのプライベートな時間を邪魔しないように配慮しているのか、警備の奴らやお目付け役らしいアヴィスとラダメールは、見えない場所に控えて真面目に仕事をしている。その一方、警備の責任者であるトゥーベリアスは、俺達がこのカフェに入る直前に会った若い女と、俺たちが見えるカフェの屋内席でお茶を飲んでいる。距離があるから2人の声は聞こえないが、トゥーベリアスはこちらの様子を窺っている。
俺達が街を歩いている間、頭の軽そうな女がトゥーベリアスに声をかけようとするが、奴の部下が押し留めていた。そういう女はただの民間人だったが、今、奴の目の前にいる女は護衛の男を連れているし、着ている服も上等なものだから、どこかの大商人か貴族の娘なのだろう。
シェニカに勘違いされては困るトゥーベリアスは、さっさとこの女と別れたいようだが、適当にあしらえない相手らしく、にこやかな表情を顔に貼り付けながら早く切り上げたいという空気を出している。
空気の読めない女はトゥーベリアスに気があるらしく、口をほとんど動かさない奴の代わりに一方的に喋り、テーブルの下で奴の足に自分の足でこづいている。
「トゥーベリアス様がお茶してるね。何か良い感じだから恋人かな」
「そうかもしれないな」
飴を移し終えたシェニカは俺の視線を辿ったらしく、トゥーベリアスが女といるのを興味深そうに見ながらそんなことを言った。
トゥーベリアスの乗り気じゃない様子は、奴の目の前の女だけでなくシェニカにも伝わっていないようで、あの2人が良い感じの恋人同士に見えたらしい。女と2人っきりになったり、会話しているのを見るだけでシェニカは簡単に勘違いするのだから、ディスコーニのそういう場面を見てくれると良いのにと心から思った。
シェニカの視線に気付いたトゥーベリアスは、真面目そうな顔で席を立ち、急展開に呆然とする女を置いてこっちに向かってきた。
「シェニカ様、少々事情があってこのような状態になっておりますが」
「今、トゥーベリアス様は私とお話していますの。貴女のお顔に覚えがありませんけど、どちらのお家の方かしら?」
トゥーベリアスがシェニカに言い訳を口にしている途中、無表情の女が奴の腕を掴み、座ったままのシェニカを見下ろしながら喧嘩腰に言い放った。
さっきまでトゥーベリアスにニコニコした顔を向けていたこの女は、その嫉妬の炎を灯した目ときつい口調から、自分に自信のある気の強い性格だというのが十分に伝わってきた。
この様子だと、女は止めようとした副官や、仕事中だと断ったであろうトゥーベリアスに、親の影響力を盾にして無理を押し通したのだろう。トゥーベリアス自身も邪険に扱えない上にきつい性格が災いすると思って、少しの間だけ付き合ってどこかに行ってもらう算段だったようだ。
「ナーセル様、こちらは」
「私は宿に戻ります。トゥーベリアス様は素敵な恋人とのデートを楽しんで下さいね。ルクト、行きましょ」
「シェニカ様、ちが」
「ねぇ、お聞きになった?私達恋人ですって!嬉しいわっ!」
「私達はそのような関係では」
「今度夕食を一緒にって約束して下さったから、私は何度もお手紙を送ったんですのよ。なのに、いつも良いお返事が頂けなくて……。私とても寂しかったんですの。お茶会に行ったら、他の令嬢達からトゥーベリアス様と食事をしたとか、夜会でエスコートして頂いたとか話を聞くので、私、泣いてしまいそうで。
折角、ここでお会い出来たのですから、これからうちの別荘にお越し下さいませ。お父様もトゥーベリアス様とお話出来るのをとても楽しみにしていますのよ」
空のコップを近くにある棚の上に置き、店から離れるシェニカを呼び止めようとするトゥーベリアスの声は女の声に見事にかき消され、追いかけようとしても女が腕を放さない。
シェニカはそんな2人を気にすることなく宿に向かってスタスタと歩き、その動きに連動するようにアヴィスとラダメール、警備の連中も姿を現したのだが、そいつらはトゥーベリアスの様子が気になるらしく、困惑した顔でチラチラと振り向きながら歩いている。
「トゥーベリアス様はまだ独身みたいだけど、結婚したらソルディナンド様みたいにならなければいいね」
「そうだな……」
シェニカの声が聞こえるように半歩後ろまで距離を詰めたが、シェニカは嫌がる様子を見せなかった。それはとても嬉しいのだが、シェニカが抱えていた紙袋から取り出したソルディナンド用に買った人形と目が合うと、その嬉しさは一気に霧散した。
「大きなお目々が可愛いなぁ。コッチェルくんも可愛いけど、この真コッチェルくんってそれ以上に可愛くて、見れば見るほど愛着が湧いてきて渡すのが惜しくなっちゃいそう」
他の人形は顔がないし、身につけているのは普通の服と麦わら帽子だから、一般人は近寄らない怪しすぎる店で買ったボッタクリの土産人形だよ、と思いながらも『可愛いんじゃないか?』というお世辞は言える。でも大きな1つ目の人形は全然可愛くないし、いくら長いこと持っていても愛着も湧きそうにもない。そもそも触りたくないし、近付きたくもない。
「ルクトも可愛いと思わない?」
「あ~……。感性は人それぞれだからな」
シェニカは禍々しい人形を俺の方に向けて、自信満々で問いかけてきた。
言葉を濁さずに「可愛い」と無理矢理にでも言えば良かったと思うが、禍々しい目が俺をジッと見ているような気がして、心にもないことは言えなかった。
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