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第8章 旅は道連れ
4.青い悪魔の忠告
しおりを挟むシェニカの特権で、ものの数分で越境を済ませて俺達はトラントに入った。
「嬢ちゃんの特権は良いなぁ。普通に越境するのが馬鹿らしくなるな」
「あははは!そう言ってもらえて嬉しいわ。それにしても、軍人の数が多いね。流石戦争の国ね」
このトラントは国土も戦力も中規模の国で、つい10年ほど前までは『学術の国』として有名だった。国にいる高名な学者達が平和主義を訴えて、自国から隣国へ仕掛ける侵略戦争には消極的だった。
そんな中、この国にも他国からの侵略の手が頻繁に及ぶようになると、学者の平和主義の声は「国内に被害が及ぶ前に先制攻撃を」という国内世論にかき消されてしまった。
そして戦争に積極的な今の国王に代替わりしてからは、優秀な学者達は追い出されるように世界中に亡命し、学術の国は完全に過去のものとなり、今では『戦争の国』となってしまった。
俺達は関所を後にして、ここから一番近い小さな町へと移動すると、シェニカは治療院を開いた。
「ふぁ~!眠いなぁ…」
野宿が続いたわけでもないが、シェニカは寝不足らしく、患者のいない隙によく欠伸をしていた。
こういう姿はたまに見ることがある。眠い眠いと言いながらも、昼寝はしないし真面目に治療しているのは流石だろう。責任感があるのは良いことだ。
「先生、実はあの…」
若い女の患者が、言いにくそうにシェニカの耳元で何か話した。あまり聞かれたくない症状だったり、病気だったりするのだろうか。
シェニカに何か危害を加えるようことをしようとすれば、すぐにでも取り押さえられるように構えているが、2人の様子を見ていると大丈夫のようだ。
「分かります、分かります。そういう時はスッパリ割り切って休んじゃいましょう。何か言われたら、『白い渡り鳥にそう言われた』って言っといたら大丈夫ですよ。こういうのは、ご主人に言ってもなかなか理解して貰えませんからね~」
「ありがとうございます!自分の母親に言っても、母は症状が軽いから分かって貰えなくて…。早速今度そう言ってお店を休ませてもらいます!」
「お姉さんが休んだらお店は大変でしょうけど、つらいものはつらいんで仕方ないですよ。体調バッチリでお店に立った方が、お客さんも喜びますよ。あ、そうだ良い物あげます」
シェニカは椅子から立ち上がり、机の上に置いていた鞄をガサゴソと漁り始めた。しばらく探していると、そこから小さな茶筒と小瓶を取り出した。
机の上に置いた茶筒の中から茶葉の様なものを小瓶に移し替え、目の前の女に渡した。
「私が調合した薬湯の茶葉です。耐えられないような痛みが出たら、お茶にスプーンひと匙分を混ぜて飲んでみて下さい」
「先生、ありがとうございます。これから頑張ります」
治療院を終え、宿に戻って夕食を終えたシェニカは、大きな欠伸を何度もしながら部屋に入っていった。食事中も眠そうだったが、睡魔と戦っているその姿は子供っぽくて可愛かった。
「俺達は下の酒場で酒飲んでるから、外に出るなよ」
「今日はもう眠いから、すぐ寝ちゃうよ。2人で楽しんでおいでよ」
俺とレオンはシェニカが部屋に結界を張ったのを確認すると、宿の1階にある食堂兼酒場に降りてテーブル席で酒を飲み始めた。宿屋の酒場は宿泊客だけでなくこの町の人間も来ていて、傭兵や民間人が入り交じるように座っていてかなり賑わっている。
この国はウィニストラとサザベルの2つの大国と国境を接しているが、その他にもいくつもの小国とも国境を接している。流石にその2つの大国に喧嘩を売ることはしないが、頻繁に隣国の小国への侵略戦争をしかけているから、町にいる傭兵の数はトリニスタよりもかなり多かった。
俺はカウンター席の端に置いてあった新聞をいくつか手にとって、自分の席へと戻った。
「なんか面白い記事があったか?」
パラパラと新聞を読んでいると、向かいの席に座ってタバコを吸っていたレオンが俺に声をかけてきた。
「あぁ。4強でそれぞれ新しい将軍が決まったらしい」
大陸の西にあるサザベル、中央にあるウィニストラ、北にあるドルトネア、東にあるジナの4つの大国は、世界の中でも国土も戦力もある4強と言われる。
これらの国の将軍就任となれば、地方紙だけでなく、世界中で発行される『世界新聞』の紙面でも大きく報道される。
その新聞をレオンに渡せば、タバコを口の端に咥えて読み始めた。
「へぇ。どれどれ。サザベルはユド。ウィニストラはディスコーニ。ジナはリヴェル。ドルトネアはアズネイトか。どれも筆頭将軍付きで、既に二つ名までついてる有名な副官だな」
「同時に4強が将軍を入れ替えるってことは、この4人はライバル関係ってことだな」
通常、将軍の入れ替えは他国と偶然同時になることはあっても、こうして世界新聞の紙面で大きく取り上げられることはまずない。こうして4強が同時に行うというのは偶然ではなく、「そっちがそいつを将軍に就任させるのならば」と、それぞれの国がライバルを同じ役職に就かせたということだ。
だから、この4人は全員が意識し合うライバル同士のはずだ。
「多分そうだろうな。全員就任するのは2ヶ月後か。こいつらとは今も今後も、戦場で会っても俺は相手にするのはごめんだな。さっさと自軍の将軍か副官達に任せて俺は後退するか、別の奴らを相手にしに行くよ」
レオンはそう言うと俺に新聞を返し、頬杖をついて気怠そうに煙草をプカプカと吸い始めた。
「そうなのか?」
「お前のように、大国の筆頭将軍なんかに喧嘩売る真似は俺はやらねぇな。挑んでみたい気持ちはあるが、喧嘩売ったところで勝ち目ないって分かってるからな。挑む気持ちも大事だが、生命あってのものだ。撤退するのも大事なことだ」
「勝ち目のない挑戦をやって悪かったな。でも挑んでみたいって思わねぇか?」
どの国も成人まで学校に通っているが、ドルトネアでは成人して学校を卒業すると、傭兵か軍人かの選択をすることになる。
軍人になると、その国の国防を担う以上、細かく定められた規律を重んじ、上級兵士や将軍から厳しい訓練を受ける。実力がある者は早く昇進していくが、年功序列な部分もあるので、なかなか昇進出来なくて不満を募らせる者もいる。
そういう縛りを嫌い、完全実力主義で自由や高報酬に魅力を感じて傭兵になる者も多いが、軍人でも不満を募らせた結果、軍を退役して傭兵になる者もいる。
俺のように最初から傭兵になる道を選ぶと、独学で技術を上げるか、腕に惚れ込んだ傭兵や元軍人に弟子入りして技量を磨く。でも俺は故郷を出た後は誰にも弟子入りせずに、戦場を1人で切り抜けてここまでの実績を重ねた。
軍人と傭兵では力の差があるのが当たり前で、戦場では将軍には将軍が。副官には副官が相手をすることがほとんどだ。
傭兵が将軍を打ち破れるのなら、今頃世界のどこかに一国でも傭兵が作る国が出来ていたり、傭兵が将軍になっている国があるだろう。だがそんな国は1つもないのが現実だ。
そんなことは重々承知でも、俺は戦う相手に大国ウィニストラの筆頭将軍がいると知った時には、自分の実力を試すためにも挑みたかった。
その結果は散々だったが。
だが、俺はもう一度奴に挑んで、今度はあの男を地面に跪かせたい。
「軍人の頂点である将軍に、傭兵が勝てたら大問題だ。挑んでみたい気持ちは分かるが、 俺は興味ねぇな。お前はプライドが高いから、もう一度挑みたいんだろ?」
「あぁ」
「結果は同じだ。折角嬢ちゃんに助けられた生命なんだから、無駄にするような真似はやめておけ」
「無駄かどうかは、やってみないと分かんねぇだろ?」
「どうするかは自由だが、俺は止めておくぞ。将軍に勝てるのは将軍だけだ。経験上、小国なら将軍相手に運が良ければ勝てるかもしれないが、俺たちが良いところまでいけても大国相手なら副官止まりだ。
固執し過ぎて、何かを失うことにならないようにしろ。実力が及ばないことを認める事も強さだ」
レオンは吸っていた煙草を灰皿に押し付けると、真剣な目で俺をジッと見た。
「余計なお世話だ」
「ははは!そう睨むな。だから傲慢なんて言われるんだ。俺もお前の歳くらいには、そんな風に思っていたこともある。お前を見てたら過去の自分を見ている気がしてね。まぁ、お前は俺とは違うんだし、同じ失敗するとは限らないからな。とりあえず年上の俺からそう忠告されたとだけ覚えてろ」
「大した年の差でもないくせに」
「俺達のような者じゃ、年の差は戦場での経験の差でもあるだろ?今は納得出来なくても、そのうち嫌でも分かる時がくるさ。もしそういう時が来たら、愚痴くらい聞いてやるから生き残って帰って来い」
レオンは笑いながらそう言うと、喉を鳴らしながら酒を一気に飲み干した。
それから他愛のない話や戦場での話をしていたが、いつもは酒よりも煙草を吸ってばかりのレオンだが、この日は珍しく俺と同じように酒を煽るように飲んでいた。
「そういえば、よくゼニールの領主がシェニカをあっさり諦めたな」
「俺とルルベが、嬢ちゃんには付け入る隙はなかったと報告しておいた」
「そうか」
道理でやり手の領主があっさりと引き下がったわけだ。
シェニカと繋がりを持とうとしていた領主が簡単に諦めるのは変だと思ったが、護衛と監視をさせていた2人からそう報告されれば、正直言って打つ手がないだろう。ならば、自分の印象を悪くしないためにも、素直に引き下がった方が今後のことを考えれば得策だ。
「嬢ちゃんはまだ若いし、女だし、護衛はお前1人だし。甘く見られるのは仕方のないことなんだが、無防備なところもあるが意外と嬢ちゃんはしっかりしてるしお前が近くにいる。正直、隙が見当たらなかったよ。だが、もし隙があったとしても俺達は隙がないと報告しておいたよ」
「それは感謝する。虚偽の報告をするくらいシェニカが気に入ったか?」
「まぁ、そうだな。あの嬢ちゃん、最初は若い女の『白い渡り鳥』だからと思って舐めてかかったが、一緒にいる内に見る目が変わったよ。
黒魔法は確かに残念なレベルだが、白魔法の腕はいいし、見たことも聞いたこともない魔法も使える上に知識まで備えてる。
それに、あの明るくて面白くて優しい性格ときたもんだ。嬢ちゃんには見直したと言っておいたが、惚れたと言った方が正しいのかもしれないな」
レオンは酒が回っているのか、いつになく饒舌に話している。だがその目は意志の強さを湛えているから、泥酔しているわけではないらしい。
「惚れたねぇ」
惚れたという割には、必要以上に接触しようとしないし、一定の距離を保っている。こいつはシェニカを妹を見るような目で見ていたと思ったが、それは違ったのだろうかと不思議に思った。
「安心しろ。俺は嬢ちゃんみたいな若い女よりも、熟れた年かさの女が好みなんだ。間違っても手を出そうなんて考えてねぇから安心しとけ」
「手ぇ出したら殺す」
俺が目の前に座るレオンを睨み付けると、目の前の男はプッと吹き出して笑い出した。
「お前独占欲強そうだもんなぁ。嬢ちゃん初めてっぽいから、急に襲いかかるようなことするなよ?ま、お前は従者だから抑え込まれるか。
お前は嬢ちゃんに熱視線送ってるっていうのに、肝心の嬢ちゃんは全く気付いてないし。あの鈍い嬢ちゃんを口説き落とすのは大変そうだなぁ!おあずけくらって長期戦とはお前も大変だな。あははは!」
レオンは豪快に笑ってまた酒を一口飲んだ。
「そんなこと言われなくても分かってるさ。あいつの鈍さは俺が1番分かってるよ」
「さっさとストレートに好きだって言えばいいだろ」
「まだその時期じゃない。あいつは俺を奴隷として見てない分、男として意識してねぇんだよ」
あいつは俺を奴隷扱いしない。だが男としても見ていない。加えて好意に鈍感なあいつは、俺の気持ちにも気付いていない。もどかし過ぎて堪らないが、そんなところもあいつらしいと思えば可愛く思える。
「なるほどねぇ。本当にただの1人の護衛として見られるのか。大変だなぁ。まぁ、それは置いといて。お前も人間の男だったんだな」
今までゴクゴクと喉を鳴らしながら酒を飲んでいたレオンが、今度は酒をちびちび飲みながら、しみじみと言った感じで言い放った。
「なにがだ?」
「いや、戦場で見るお前は傲慢で冷酷な奴だと思っていたが、お前も普通に恋愛するんだなと」
「まあなぁ。お前だってそうじゃないのか?」
「んー。そうなんだけどなぁ。出会ってそんなに時間経ってないんだろ?」
「そうだな。まだ半年も経ってない。でも、毎日一緒にいるからなのか、ずっと前から一緒にいるみたいな感じがするんだよ」
思い返してみれば、ここに来るまでの間に崖から突き落とされたり、攫われたり、夜這いしてくる男を撃退したり、動物をナンパしたり……色んな出来事があった。体感的にはもう数年行動を共にしているような馴染んだ感じなのだが、まだ半年も経っていない。
「それは分かるかもな。なんせ嬢ちゃんはよく喋るし面白いから、時間が濃いんだよな。そして無駄にモテるから、お前も虫除けが大変だな」
「そいつらをからかって遊ぶのも楽しいからな」
レオンはオネエに突き出された男を思い出したらしく、また爆笑し始めた。
シェニカへの気持ちはどんどん膨らむ。
抱きしめたいし、キスもそれ以上のこともしたくなる。
レオンがいるからそういう欲望の歯止めになっているが、居なかったら野宿の時にあいつを襲っているかもしれない。
もし感情と欲望のままに襲ってしまえば、あいつが主人として俺を押さえつけてお終いだろうが、その後は今までの信頼関係は崩れ落ちて、護衛を辞めさせられるだろう。
もしそうなってしまえば、いくら優しいあいつでも、2度と会ってくれなくなるだろう。それは絶対に嫌だ。
だから自分の中にふつふつと湧き立つ欲望と感情を、別れたくないという想いで必死に抑えた。今は我慢の時だが、いつか必ずあいつを俺に振り向かせてみせる。
ーー絶対に俺のものにしてやるからな。覚悟しとけ。
毎日あいつの隣でそう思えば、鈍いあいつとの穏やかな毎日も楽しんで過ごせる。
応援ありがとうございます!
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