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第19章 再会の時
9.師匠との別れ
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■■■前書き■■■
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今回はシェニカ視点→シャオム視点です。
■■■■■■■■■
「あっという間でしたね」
「もっと色々なお話を聞きたかったです…」
この5日間、ローズ様が現役の頃の話や、配偶者や伴侶の方々とのお話、ローズ様に一途なお爺ちゃんのお話とかたくさん聞いたけど、もっとおしゃべりしたかった。
馬車の用意が出来るまでの僅かな時間も一緒に居たいと、1階の待合いスペースにある窓を臨むソファに、ローズ様と隣り合って座った。この席は籐のパーティションで囲まれて周囲が見えないけど、朝の穏やかな空気が急にガヤガヤとした喧騒に包まれたから、団体客が入ってきたみたいだ。
「フェアニーブでは、またお話出来ますか?」
私がそう尋ねると、ローズ様は静かに首を振った。
「貴女がフェアニーブに行けば、かなり大変な目に遭うと思いましてね。私は貴女の代わりにフェアニーブに行くことは出来ても、旅をしながら治療することはもう出来ませんから、貴女の代わりに私が尋問に出ますよ、と申し出るつもりでした。
でも、そんな心配は杞憂だと分かったので、用事を済ませたら帰国しようと思います」
はしゃぐ幼子を連れて歩く夫婦が窓に映ると、ローズ様は眩しそうに眺めた。
「このさき、失敗することも、痛みを伴うことも起きるかもしれませんが、その時は遠慮なく誰かを頼りなさい。頼るのは信頼しているからこそ。私が貴女に頼られて嬉しいように、きっとその人も喜ぶと思います。それと」
ローズ様は視線を私に移すと、穏やかな微笑を浮かべた。
「ポルペアに行った時に、シェニカがあの護衛を嫌いでなければ。もう少し一緒に居てもいいと思ったなら。ポルペアで別れず、護衛として連れて行ってはどうでしょうか」
「どうして…ですか?」
「私は貴女の安全が脅かされ、自由に生きていけなくなることを心配しています。そのために貴女を大事に想い、実力のある人が護衛になってくれれば良いなと思っています。
ディスコーニ様が側に居てくれればと思いますが、あの方はウィニストラから簡単には出られないようです。それならば、貴女に頭が上がらないあの者に護衛を任せてはどうかと思ったのですよ」
「ポルペアまでという約束なのに、その後も付き合わせるのは…。彼には彼の人生がありますし…」
「強制催眠で彼の心の中を覗きましたが、彼は自分の行いを心底後悔し、ずっと一緒にいたいと言っていましたよ。自分勝手な考えで最低な行動を取ってしまいましたが、貴女を想う気持ちは今でも本物のようです。だから、今後も護衛として一緒に旅をするのは、彼にとっても本望でしょう。でも、恋人や夫にしろなんて言っていませんよ。
彼を側におき続ければ、貴女は護衛を得られ、彼は望みが叶えられる。互いの利益が一致しているのですから、貴女が嫌でなければポルペアを出た後も同行させて問題ないのでは、と思いました」
「ずっと一緒にいたい、って恋人として付き合いたいということでしょうか。でも私はその気持ちに応えられないので、彼を自由にしてあげた方が良いと思うのですが…」
「シェニカの優しいところ、私は大好きですよ。ですが、これからは優しさだけでなく、したたかさも兼ね備えるといいですね。
ポルペアへの道中、貴女も彼も気が変わるかもしれませんし、話し合う機会があるかもしれません。今すぐに結論を出す必要はありませんから、こういう意見もあるのだと頭の隅に置いて欲しいのです」
「……ローズ様なら、どう判断しましたか?」
「彼の身勝手な行為はとても許せませんから、私の気持ちが落ち着くまでは接近禁止にして、悲しみが怒りに変わった時、思い切り殴って別れていたかもしれませんね。
ただ、彼を護衛として側においておくことで自分の利益になるのなら、彼が離れたいと懇願するまでこき使っていたと思います」
「こき使う…」
「奴隷扱いはしませんが、同じ行為をされた時に備えて、主従の誓いを結んでいたかもしれませんね。彼がどんな気持ちで乱暴したのか、関係が壊れた今なにを思うのか、どんな覚悟で償うつもりなのか、どうしたいのか。強制催眠をかけて聞きます」
「恋人だった人に強制催眠をかけるのですか?」
『信頼関係を崩したくなければ、強制催眠は使うべきではない』という白魔道士の暗黙の了解があるからこそ、恋人や家族、友人といった親しい人に使わないほうが良いと思っていたけど。ローズ様は違うのだろうか。
「恋人にかけることはしませんが、関係が壊れた状態では遠慮しません。心から後悔している、やり直したいと思っているのなら、本心を覗かれても困らないでしょう?」
「確かに、そうですね…」
「その結果、彼が誰かの意向を受けて利用しようとしているだけとか、口先だけの謝罪で本音は全く反省していないとか、残念なものであっても早く知れて良かったと思えばいいのですよ。彼の場合、そんなことはありませんでしたから安心しなさいな。
色々と口を出してしまいましたが、私と同じ答えを出す必要はありません。貴女は自分で考えて出した答えに従い、間違ったと思ったらその時に修正すればいいのです。
成人したばかりの貴女を1人で旅立たせた時は心配でたまりませんでしたが、今までよくやってきました。貴女ならこれからも大丈夫ですよ。私もご両親も、ダーファスにいる貴女の友人や知人達も、いつだって貴女の味方です」
「はい。色々とありがとうございます」
ローズ様はそう言うと私の両手を包み込むように握って、安心したような笑顔を見せてくれた。つられて私も笑顔になった時、パーティションの向こう側から「馬車のご用意が出来ました」と声がかけられた。
ーーあれ? ローズ様、背が…?
ローズ様の隣を歩いていると、私が神殿に居た時よりも小さくなっている気がした。ダーファスを出てから私の背は大して伸びていないから、年齢からくるものだろうか。
何かあったら自分で治療出来るし、今はまだお元気そうだけど。無理をさせないためにも、ローズ様に頼りきりではいけないと改めて感じた。
宿の外に繋がる扉を出ると、ディズとファズ様達も見送りに来ていた。
「ローズ様。わざわざ会いに来てくださり、本当にありがとうございました」
「私も会いたかったですし、旅の気持ちを思い出せる良い機会になりました。たくさん話が出来て本当に楽しかったですよ。ご両親にも元気だったと伝えておきます」
ローズ様と別れの抱擁をすると、ニッコリと微笑みかけてくれた。5日という短い時間だったけど、すごく濃い時間だった。少し落ち着いたら、今度はダーファスに里帰りしよう。
「ディスコーニ様、これからもシェニカのことをよろしくお願いします」
「はい、お任せ下さい」
ローズ様はディズにそう言うと、今度は私の後ろにいるルクトに視線を移した。
「自分の行いは回り回って返ってくる。その痛みは自分が誰かに与えた痛みだと思いなさい。同じ失敗をしないよう、後悔しないように、勇気を出して一歩を踏み出し、自分の弱さを克服できるよう努めなさい」
ローズ様はルクトにそう言うと、少し戸惑った様子の彼からの返事を待つことなく馬車に乗り込み、入り口にある小窓のカーテンを開き、私に小さく手を振った。
◆
「昼食を一緒に食べませんか」
「はい」
ボルフォンを出て2つ先の街に到着すると、少し遅めの昼食を取ることになった。いつもならお1人で召し上がるのだが、今日は珍しく自分も一緒にと誘われた。シェニカ様と一緒に昼食を取っていらっしゃったから、1人の昼食が寂しく感じられたのだろうか。
部屋に運ばれてきた食事を前にした時、ローズ様は嬉しそうな微笑みを浮かべていることに気付いた。恐ろしいローズ様の印象が強かったから、こういう表情を間近で見るのは久しぶりだなと思った。
だからなのか、周りに誰も居ない今この場だけなら、ただの孫として居ても良いんだと思えて、かなり久しぶりに肩から力が抜けた。
「ローズ様、機嫌が良いですね」
「立派に成長したシェニカと会えましたからね」
「身内に会う時よりも嬉しそうに見えました」
「あの子は私の過去のような存在ですから…。嬉しさの質が違うのかもしれませんね」
「シェニカ様がローズ様の過去、ですか?」
ローズ様がシェニカ様と同じ身分、同じ立場だったとはいえ、血の繋がりはないし、年齢も性格も考え方も違う。なのに、どうしてシェニカ様を『過去の自分』と思うのだろうか。
「時代や置かれた状況、周囲にいる人物は違っても、悩むところは似ていますね。あの子を前にすると、まるで過去の自分が年老いた私に話しかけているように感じます。
あの子の人生はあの子のもの。私が余計な口を挟むべきではないと思いますが、私が後悔したことをあの子に繰り返して欲しくなくてね。でしゃばってはいけないと分かっているのに、つい口を出してしまう。本当にどうしようもないお節介でワガママな老婆ですこと」
ローズ様はそう言って笑うと、1口サイズに切り分けた魚のテリーヌを口に入れた。美味しかったようで、満足そうに小さく頷いている。
「ローズ様はシェニカ様をとても可愛がっていらっしゃるのに、なぜ護衛に助言を与えられたのですか?」
「あの者の心の中を覗いた時、過去の私や夫達、ユダニカの爺さんと重なったから、ですね」
「じいちゃん達とですか?」
記憶にあるラルじいちゃん、ジュハじいちゃん、ニフェじいちゃんの姿を思い浮かべてみたが、みんな立派で優しくて尊敬出来る人だった。そのなかでも傭兵といえばジュハじいちゃんだが、ローズ様に怒鳴るような粗暴な人ではなかった。それなのに、重なる部分があるなんて。やっぱり孫に見せる顔とは大きく違うものなのだろうか。
「それに。神殿の話も一理あります。今後はそれを免罪符のように掲げて国が動くことになりますから、私が止めようとしても無駄なこと。ならば、あの子にはもっとたくさんの味方が居た方がいいのです」
「神殿の話とは?」
「『白い渡り鳥』の減少が危機的だという話です。ランクS以上は私を含め3人しかいないのは、変えようのない事実です。ランクS以上の者がいなくなれば砂の改良が出来ず、再生部分は灰色になってしまうし、黒魔法の適性の高い人がかけた呪いは一生解けなくなります。だからこそ、ランクの高い『白い渡り鳥』の誕生を望み、その可能性を高めるために結婚相手を紹介する目的は理解できますが…。
あの子の場合、結婚相手を選ぶ時も、結婚した後も大変でしょうね。意に沿わぬ結婚を強いられるかもしれません。私に出来ることは限られていますけど、睨みをきかせる必要がありますからね。長生きしなければなりません」
「じいちゃんのためにも、長生きして下さい」
「なんであの人のために長生きする必要が?」
ローズ様は眉間に皺を寄せて厳しい目を向けてきたが、不思議と今までのような恐ろしさは感じない。よく分からないけど、今なら普段言えないことを言っても怒られない気がする。
「だってローズ様、じいちゃんのこと好きじゃないですか。父さんやおじさん、おばさんたちも、『いい加減素直になればいいのに』って言ってますよ」
「まったく勝手に言いおって…」
「じいちゃんが神殿の前で腹踊りさせられているのは、ダーファスの人たちは見慣れちゃっていますから、『毎回帰国せず、神殿に住めばいいのにね~』『ローズ様が腹踊りさせるのは二フェール様だけ。これも愛情表現だ』って、町の人達が言ってます。それに、現在のユダニカ国王も国民も、プロポーズに向かうじいちゃんを応援し、微笑ましく見守っていると聞いています。
みんな祝福する準備は整っているので、今度じいちゃんがプロポーズをしたら、ちゃんと了承の返事をして下さい」
「……そんな目で見るな」
自分がまだ子供のころ、じいちゃんがダーファスに来ると、護衛の1人だった副官に遊んでもらったり、色んな話を聞いてきた。
副官に『どうしてじいちゃんはダーファスに住まないの?』と聞いたら、『今の状況はニフェール様はローズ様とただ仲が良いだけ。ローズ様が神殿に客人として置くとか、結婚でもしない限りは一緒に住めないんだ。ニフェール様のご意思はユダニカの幼子から老人まで全員知ってる。みんな結婚をお祝いしたいんだけど、なかなか上手くいかないね』と苦笑いを浮かべながら言っていた。
「まさかこんなに長い付き合いになるなんて、思いもしませんでした」
「王族でなければ結婚していましたか?」
「……そうですね」
ローズ様は視線を自分の背後にある壁に向け、何故か自分と目を合わせようとしない。どうしてそんな風にするのか分からないが、いま自分はローズ様を見据えていなければという気がした。
「じいちゃんはもう退位したし、身分は平民になっていますから問題ありません。プロポーズを受けて下さい」
「年寄りが結婚なんて恥ずかしいだけ。それに、今更結婚したらユダニカの国民が黙ってないでしょう」
「そんなことないですよ。じいちゃんが私費から出した配当原資が溜まっていますから、みんな大儲けらしいです」
「あの賭けはまだ続いているのか…」
いくらじいちゃんに弟妹達がいるとはいえ、国王が王妃を迎えないなんて前代未聞。それはじいちゃんも重々分かっていたからこそ、『国を安定させる政治を行うから、ローズ以外と結婚しない我儘を許して欲しい』と結婚話が出るたびに言っていたらしい。
そんなじいちゃんは、『生きている内に結婚できるか』という一方的な賭けを国民に打ち出した。国民に参加の意思を聞かないし、賭け金もなし。じいちゃんが毎年積み上げていく金を、ローズ様と結婚できた時、もしくはじいちゃんかローズ様が亡くなって結婚が実現不可能になった時に、身分に関係なく平等に配当するというものだ。なんでこんな不思議な賭けをしたのか、じいちゃんに聞いたら。
ーーローズに期待する国民の声が一番負担になっていると分かっていたが、儂の力不足でそれを払拭することは出来なかった。血を残すという王族としての義務を果たさない我儘を許してもらうため、自分なりに色々考えた結果、これが一番おもしろくて、しっくりきたんだよ。結婚できたら祝賀と称してどんちゃん騒ぎ。出来なかったら残念会としてどんちゃん騒ぎしてもらおうと思ってね。どっちに転んでも笑ってくれたらそれで良いんだよ。
と、豪快な笑い声をあげながら話してくれた。
退位したじいちゃんは王族の身分を捨てて平民になっているが、前国王という肩書は消えないから、蜂起やクーデターの種にならないよう、じいちゃんの臣下だった貴族の客人となっている。結婚の障害はもうないはずなのに、今度は年齢を出すなんて。ローズ様は本当に素直じゃないなと思う。
「何歳になっても失敗や後悔は挽回出来るのだと、ローズ様自身がシェニカ様に手本を見せてあげてはどうですか?」
ローズ様を諭す言葉なんていつもなら考えてもいないのに、自分でも不思議になるほど無意識に出てきた。怒られるかと思ったが、ローズ様は視線を落として「……そんな目をして、ラルシャみたいなことを言うな」と小さく呟いただけだった。
ローズ様がこんな弱々しい感じになるなんて、ラルじいちゃんが亡くなった時以来じゃなかろうか。
ん?弱々しい…?
そうだ!いまだ!!今ならいけるんじゃないかっ!?
「あと、話のついでですが…。神官長を前にした時とか、ローズ様がすごく怖くて、みんな萎縮しています。特に近くにいる自分は胃が痛くて…。
このままだと胃を患ってしまいそうなので、神殿の建物補修とか備品管理とか、ヤギと一緒に草取りとか、そういう仕事内容の場所へ配置転換をお願いしたいのですが」
「みなに悪いことをしてしまいましたね。ですが、神官長らと面会する時はこれまで以上に厳しく接する必要がありましてね。そういう者たちが居ない時は、気持ちを切り替えて穏やかな時間を過ごそうと思いますが、準備と環境が整うまでは仕事と割り切って下さい」
ーー無理です!割り切れません!!
すぐに反論したくなったが、理由を知らなければ我慢の出口が見えないと思い直し、気持ちを落ち着けるためにさり気なく深呼吸をした。
「『再生の砂』が貴重とはいえ、やはり必要なものですし。もう少し手加減をしてあげても…」
「面会に来る神官長たちは、私に何を求めているか分かりますか?」
「『再生の砂』以外の目的があるのですか?」
ローズ様に面会出来た神官長は、挨拶の後に必ず「『再生の砂』をお譲りいただきたいのです」と土下座で訴える。
副官や将軍といった上級兵士が身体の一部を欠損した場合、その部分が灰色で再生されていれば、『私はここを失う怪我をしました』と主張するようなもので、やはり見栄えが悪い。そういう方々の治療のためにも、そこまでやっているのだと思っていたが。神官長らが砂以外に何かを求める様子を見た記憶はないが、何を求めているのだろうか?
ローズ様に気に入ってもらって、その国の首都の神官長になればもっと砂をやると言って欲しいとか?でも、いかにローズ様の発言力が強くても、別の神殿の人事権は持ってないし…。
「シェニカは真面目な子ですからね。師である私の意見なら耳を傾けると踏んで、私からあの子に護衛を変えるように助言するとか、別の護衛を紹介するとか、どこかの国に足を運ぶように言うとか。果てはあの子と神殿で用意した者との仲人役になって欲しいとか、そういうことを期待しているのですよ。
だから、そういったことを私に言えないような雰囲気にしてきましたが、世界中の神官長達は私に知られないように注意を払い、あの子に随分とちょっかいをかけていたのが判明しましてね。これからは、彼らにしっかりお灸を据えてあげなければならないのですよ。
毎日治療魔法をかけてあげますから、配置転換はそれが整ってから考えましょう」
勇気を振り絞って直談判したものの、配置転換の希望は先送りされてしまった。
ただ、神官長らへの厳しい態度が、ローズ様なりのシェニカ様を守るためのことだったこと。ダスカス神官長に持ってこさせた資料に、シェニカ様への『ちょっかい』が書かれていたから、逆鱗に触れたのだろうと見当がついたいまなら、あの恐怖の場面に立ち会うことになっても、ダメージが軽減される気がする。そう思えるだけでも、直談判した甲斐があったと思う。
シェニカ様と別れて数日経っているが、ローズ様は今までのような上品で穏やかな状態だ。行く先で神官長と会うことを拒否しているからなのか、直談判が功を奏したからなのかは分からないが、同行している神官巫女たちはその様子を非常に喜んだ。
「平和って良いなぁ」
馬での移動が多いから外の空気がたくさん吸えるし、ローズ様の機嫌も良い。最高の環境だ!と思いながら立ち寄った街の宿屋の前で馬を止めると、遠くからこちらへ歩いてくる神官たちが見えた。先頭にいるのはこの街の神官長のようだが、この平穏が崩されてはたまらないと、馬に跨ったまま大きく首を振って『近寄ってはいけません』と伝えた。
世界中の神殿にローズ様の『今後の付き合いはこれまで以上によく吟味させてもらう』という言葉が伝えられているため、今まで立ち寄った街の神官長らは側仕えのこの行為だけで全てを察し、大人しく引き下がった。しかし、この神官長は諦めの悪い人だったようで、なおもこちらに向かって歩き続けている。
それを見た荷物担当の神官は、神官長に駆け寄って『ローズ様は現在休養中のため、面会はすべてお断りさせて頂いております。ローズ様の不興を買った神官長らがどうなったのかご存知でしょうか。それを知った上で面会を希望されるのなら、取次させていただきます』と書かれた紙を見せると、神官長は肩を落として神殿へ戻っていった。
ローズ様の不興を買えば、その神官長は良くて降格、ほとんどが失職することになる。自身のためにも、今後のためにも、大人しく引き下がるのが一番賢い選択だ。
「あぁ、お腹すいた。軽食の手配をしておくわね」
「交代したらすぐ行くよ」
ローズ様を部屋に案内して交代の側仕えに仕事を引き継ぐと、同僚たちが休憩する大部屋に入った。すると、世話好きなメルスから、分厚いカツサンドをのせた皿を渡された。
「ローズ様に直談判なんて、シャオムじゃなきゃ出来ないわ。ありがとう。本当に助かったわ~!」
「ほんと、ほんと!俺、怖くて言えないです」
「尊敬してますっ!」
「勇気を出してよかったよ…」
ストレスを感じる機会がすっかり減ったことに加え、ローズ様の治療を受けたこともあってか、最近胃の痛みを感じない。こんな状況が続けばいいと心から思うが、神官長たちは今後もローズ様に面会を求めてやってくる。ローズ様は『準備と環境が整うまでは仕事と割り切って下さい』と言っていたが、一体どうするつもりなのだろうか。
「シスート、これをオベール様に送ってくれ」
「はいっ!分かりました!」
雑用係の神官にローズ様から預かった手紙を渡すと、成人したばかりの初々しさが溢れる彼は、仕事を与えられた喜びに満ちた顔で部屋から出ていった。
「あの子はほんと良い顔で仕事するよね。癒やされちゃうっ!」
「メルスはあんなガキがタイプなのかっ!」
「ゴツくて力自慢の男ばっかりモテるわけじゃないのよ。可愛い子だってモテるんだから!」
「可愛い子もいいけど、私は静かに本を読んでる姿が絵になる素敵な人がいいわぁ♪」
「ジェ、ジェンナはそういうのがタイプなんだ…」
ーーあんな風に生き生きと働いていた時期なんて、あったっけ…?
士官学校から軍に入った時、鍛錬、鍛錬ひたすら鍛錬で、初めて戦場に行った時は生き残ることに必死だった記憶しかない。上官は1人の軍人として尊敬はするが、敬愛するような人ではなく、上下関係も規律も厳しい環境だったから、あんな風に『役に立てて嬉しい』と思った記憶もない。
故郷のダーファスから外に出たことがないということもあってか、垢抜けない純朴な彼を見ると、素直さが羨ましいような、不思議な気持ちになる。
「シャオム!ソースがお皿にポタポタ落ちてる!今にも服に付きそうよ」
「あ、本当だ」
「こういう子供っぽいところも案外ポイント高いのよ~」
「そうだったのか!じゃ、俺も真似してみよ!」
「わざとはダメよ!」
ルニットのような一風変わった奴はいるが、同僚たちには恵まれているし、給料も悪くない。このままローズ様が怒らずに居てくれたら…と願わずにはいられないが。無理だろうなぁ…。
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「あっという間でしたね」
「もっと色々なお話を聞きたかったです…」
この5日間、ローズ様が現役の頃の話や、配偶者や伴侶の方々とのお話、ローズ様に一途なお爺ちゃんのお話とかたくさん聞いたけど、もっとおしゃべりしたかった。
馬車の用意が出来るまでの僅かな時間も一緒に居たいと、1階の待合いスペースにある窓を臨むソファに、ローズ様と隣り合って座った。この席は籐のパーティションで囲まれて周囲が見えないけど、朝の穏やかな空気が急にガヤガヤとした喧騒に包まれたから、団体客が入ってきたみたいだ。
「フェアニーブでは、またお話出来ますか?」
私がそう尋ねると、ローズ様は静かに首を振った。
「貴女がフェアニーブに行けば、かなり大変な目に遭うと思いましてね。私は貴女の代わりにフェアニーブに行くことは出来ても、旅をしながら治療することはもう出来ませんから、貴女の代わりに私が尋問に出ますよ、と申し出るつもりでした。
でも、そんな心配は杞憂だと分かったので、用事を済ませたら帰国しようと思います」
はしゃぐ幼子を連れて歩く夫婦が窓に映ると、ローズ様は眩しそうに眺めた。
「このさき、失敗することも、痛みを伴うことも起きるかもしれませんが、その時は遠慮なく誰かを頼りなさい。頼るのは信頼しているからこそ。私が貴女に頼られて嬉しいように、きっとその人も喜ぶと思います。それと」
ローズ様は視線を私に移すと、穏やかな微笑を浮かべた。
「ポルペアに行った時に、シェニカがあの護衛を嫌いでなければ。もう少し一緒に居てもいいと思ったなら。ポルペアで別れず、護衛として連れて行ってはどうでしょうか」
「どうして…ですか?」
「私は貴女の安全が脅かされ、自由に生きていけなくなることを心配しています。そのために貴女を大事に想い、実力のある人が護衛になってくれれば良いなと思っています。
ディスコーニ様が側に居てくれればと思いますが、あの方はウィニストラから簡単には出られないようです。それならば、貴女に頭が上がらないあの者に護衛を任せてはどうかと思ったのですよ」
「ポルペアまでという約束なのに、その後も付き合わせるのは…。彼には彼の人生がありますし…」
「強制催眠で彼の心の中を覗きましたが、彼は自分の行いを心底後悔し、ずっと一緒にいたいと言っていましたよ。自分勝手な考えで最低な行動を取ってしまいましたが、貴女を想う気持ちは今でも本物のようです。だから、今後も護衛として一緒に旅をするのは、彼にとっても本望でしょう。でも、恋人や夫にしろなんて言っていませんよ。
彼を側におき続ければ、貴女は護衛を得られ、彼は望みが叶えられる。互いの利益が一致しているのですから、貴女が嫌でなければポルペアを出た後も同行させて問題ないのでは、と思いました」
「ずっと一緒にいたい、って恋人として付き合いたいということでしょうか。でも私はその気持ちに応えられないので、彼を自由にしてあげた方が良いと思うのですが…」
「シェニカの優しいところ、私は大好きですよ。ですが、これからは優しさだけでなく、したたかさも兼ね備えるといいですね。
ポルペアへの道中、貴女も彼も気が変わるかもしれませんし、話し合う機会があるかもしれません。今すぐに結論を出す必要はありませんから、こういう意見もあるのだと頭の隅に置いて欲しいのです」
「……ローズ様なら、どう判断しましたか?」
「彼の身勝手な行為はとても許せませんから、私の気持ちが落ち着くまでは接近禁止にして、悲しみが怒りに変わった時、思い切り殴って別れていたかもしれませんね。
ただ、彼を護衛として側においておくことで自分の利益になるのなら、彼が離れたいと懇願するまでこき使っていたと思います」
「こき使う…」
「奴隷扱いはしませんが、同じ行為をされた時に備えて、主従の誓いを結んでいたかもしれませんね。彼がどんな気持ちで乱暴したのか、関係が壊れた今なにを思うのか、どんな覚悟で償うつもりなのか、どうしたいのか。強制催眠をかけて聞きます」
「恋人だった人に強制催眠をかけるのですか?」
『信頼関係を崩したくなければ、強制催眠は使うべきではない』という白魔道士の暗黙の了解があるからこそ、恋人や家族、友人といった親しい人に使わないほうが良いと思っていたけど。ローズ様は違うのだろうか。
「恋人にかけることはしませんが、関係が壊れた状態では遠慮しません。心から後悔している、やり直したいと思っているのなら、本心を覗かれても困らないでしょう?」
「確かに、そうですね…」
「その結果、彼が誰かの意向を受けて利用しようとしているだけとか、口先だけの謝罪で本音は全く反省していないとか、残念なものであっても早く知れて良かったと思えばいいのですよ。彼の場合、そんなことはありませんでしたから安心しなさいな。
色々と口を出してしまいましたが、私と同じ答えを出す必要はありません。貴女は自分で考えて出した答えに従い、間違ったと思ったらその時に修正すればいいのです。
成人したばかりの貴女を1人で旅立たせた時は心配でたまりませんでしたが、今までよくやってきました。貴女ならこれからも大丈夫ですよ。私もご両親も、ダーファスにいる貴女の友人や知人達も、いつだって貴女の味方です」
「はい。色々とありがとうございます」
ローズ様はそう言うと私の両手を包み込むように握って、安心したような笑顔を見せてくれた。つられて私も笑顔になった時、パーティションの向こう側から「馬車のご用意が出来ました」と声がかけられた。
ーーあれ? ローズ様、背が…?
ローズ様の隣を歩いていると、私が神殿に居た時よりも小さくなっている気がした。ダーファスを出てから私の背は大して伸びていないから、年齢からくるものだろうか。
何かあったら自分で治療出来るし、今はまだお元気そうだけど。無理をさせないためにも、ローズ様に頼りきりではいけないと改めて感じた。
宿の外に繋がる扉を出ると、ディズとファズ様達も見送りに来ていた。
「ローズ様。わざわざ会いに来てくださり、本当にありがとうございました」
「私も会いたかったですし、旅の気持ちを思い出せる良い機会になりました。たくさん話が出来て本当に楽しかったですよ。ご両親にも元気だったと伝えておきます」
ローズ様と別れの抱擁をすると、ニッコリと微笑みかけてくれた。5日という短い時間だったけど、すごく濃い時間だった。少し落ち着いたら、今度はダーファスに里帰りしよう。
「ディスコーニ様、これからもシェニカのことをよろしくお願いします」
「はい、お任せ下さい」
ローズ様はディズにそう言うと、今度は私の後ろにいるルクトに視線を移した。
「自分の行いは回り回って返ってくる。その痛みは自分が誰かに与えた痛みだと思いなさい。同じ失敗をしないよう、後悔しないように、勇気を出して一歩を踏み出し、自分の弱さを克服できるよう努めなさい」
ローズ様はルクトにそう言うと、少し戸惑った様子の彼からの返事を待つことなく馬車に乗り込み、入り口にある小窓のカーテンを開き、私に小さく手を振った。
◆
「昼食を一緒に食べませんか」
「はい」
ボルフォンを出て2つ先の街に到着すると、少し遅めの昼食を取ることになった。いつもならお1人で召し上がるのだが、今日は珍しく自分も一緒にと誘われた。シェニカ様と一緒に昼食を取っていらっしゃったから、1人の昼食が寂しく感じられたのだろうか。
部屋に運ばれてきた食事を前にした時、ローズ様は嬉しそうな微笑みを浮かべていることに気付いた。恐ろしいローズ様の印象が強かったから、こういう表情を間近で見るのは久しぶりだなと思った。
だからなのか、周りに誰も居ない今この場だけなら、ただの孫として居ても良いんだと思えて、かなり久しぶりに肩から力が抜けた。
「ローズ様、機嫌が良いですね」
「立派に成長したシェニカと会えましたからね」
「身内に会う時よりも嬉しそうに見えました」
「あの子は私の過去のような存在ですから…。嬉しさの質が違うのかもしれませんね」
「シェニカ様がローズ様の過去、ですか?」
ローズ様がシェニカ様と同じ身分、同じ立場だったとはいえ、血の繋がりはないし、年齢も性格も考え方も違う。なのに、どうしてシェニカ様を『過去の自分』と思うのだろうか。
「時代や置かれた状況、周囲にいる人物は違っても、悩むところは似ていますね。あの子を前にすると、まるで過去の自分が年老いた私に話しかけているように感じます。
あの子の人生はあの子のもの。私が余計な口を挟むべきではないと思いますが、私が後悔したことをあの子に繰り返して欲しくなくてね。でしゃばってはいけないと分かっているのに、つい口を出してしまう。本当にどうしようもないお節介でワガママな老婆ですこと」
ローズ様はそう言って笑うと、1口サイズに切り分けた魚のテリーヌを口に入れた。美味しかったようで、満足そうに小さく頷いている。
「ローズ様はシェニカ様をとても可愛がっていらっしゃるのに、なぜ護衛に助言を与えられたのですか?」
「あの者の心の中を覗いた時、過去の私や夫達、ユダニカの爺さんと重なったから、ですね」
「じいちゃん達とですか?」
記憶にあるラルじいちゃん、ジュハじいちゃん、ニフェじいちゃんの姿を思い浮かべてみたが、みんな立派で優しくて尊敬出来る人だった。そのなかでも傭兵といえばジュハじいちゃんだが、ローズ様に怒鳴るような粗暴な人ではなかった。それなのに、重なる部分があるなんて。やっぱり孫に見せる顔とは大きく違うものなのだろうか。
「それに。神殿の話も一理あります。今後はそれを免罪符のように掲げて国が動くことになりますから、私が止めようとしても無駄なこと。ならば、あの子にはもっとたくさんの味方が居た方がいいのです」
「神殿の話とは?」
「『白い渡り鳥』の減少が危機的だという話です。ランクS以上は私を含め3人しかいないのは、変えようのない事実です。ランクS以上の者がいなくなれば砂の改良が出来ず、再生部分は灰色になってしまうし、黒魔法の適性の高い人がかけた呪いは一生解けなくなります。だからこそ、ランクの高い『白い渡り鳥』の誕生を望み、その可能性を高めるために結婚相手を紹介する目的は理解できますが…。
あの子の場合、結婚相手を選ぶ時も、結婚した後も大変でしょうね。意に沿わぬ結婚を強いられるかもしれません。私に出来ることは限られていますけど、睨みをきかせる必要がありますからね。長生きしなければなりません」
「じいちゃんのためにも、長生きして下さい」
「なんであの人のために長生きする必要が?」
ローズ様は眉間に皺を寄せて厳しい目を向けてきたが、不思議と今までのような恐ろしさは感じない。よく分からないけど、今なら普段言えないことを言っても怒られない気がする。
「だってローズ様、じいちゃんのこと好きじゃないですか。父さんやおじさん、おばさんたちも、『いい加減素直になればいいのに』って言ってますよ」
「まったく勝手に言いおって…」
「じいちゃんが神殿の前で腹踊りさせられているのは、ダーファスの人たちは見慣れちゃっていますから、『毎回帰国せず、神殿に住めばいいのにね~』『ローズ様が腹踊りさせるのは二フェール様だけ。これも愛情表現だ』って、町の人達が言ってます。それに、現在のユダニカ国王も国民も、プロポーズに向かうじいちゃんを応援し、微笑ましく見守っていると聞いています。
みんな祝福する準備は整っているので、今度じいちゃんがプロポーズをしたら、ちゃんと了承の返事をして下さい」
「……そんな目で見るな」
自分がまだ子供のころ、じいちゃんがダーファスに来ると、護衛の1人だった副官に遊んでもらったり、色んな話を聞いてきた。
副官に『どうしてじいちゃんはダーファスに住まないの?』と聞いたら、『今の状況はニフェール様はローズ様とただ仲が良いだけ。ローズ様が神殿に客人として置くとか、結婚でもしない限りは一緒に住めないんだ。ニフェール様のご意思はユダニカの幼子から老人まで全員知ってる。みんな結婚をお祝いしたいんだけど、なかなか上手くいかないね』と苦笑いを浮かべながら言っていた。
「まさかこんなに長い付き合いになるなんて、思いもしませんでした」
「王族でなければ結婚していましたか?」
「……そうですね」
ローズ様は視線を自分の背後にある壁に向け、何故か自分と目を合わせようとしない。どうしてそんな風にするのか分からないが、いま自分はローズ様を見据えていなければという気がした。
「じいちゃんはもう退位したし、身分は平民になっていますから問題ありません。プロポーズを受けて下さい」
「年寄りが結婚なんて恥ずかしいだけ。それに、今更結婚したらユダニカの国民が黙ってないでしょう」
「そんなことないですよ。じいちゃんが私費から出した配当原資が溜まっていますから、みんな大儲けらしいです」
「あの賭けはまだ続いているのか…」
いくらじいちゃんに弟妹達がいるとはいえ、国王が王妃を迎えないなんて前代未聞。それはじいちゃんも重々分かっていたからこそ、『国を安定させる政治を行うから、ローズ以外と結婚しない我儘を許して欲しい』と結婚話が出るたびに言っていたらしい。
そんなじいちゃんは、『生きている内に結婚できるか』という一方的な賭けを国民に打ち出した。国民に参加の意思を聞かないし、賭け金もなし。じいちゃんが毎年積み上げていく金を、ローズ様と結婚できた時、もしくはじいちゃんかローズ様が亡くなって結婚が実現不可能になった時に、身分に関係なく平等に配当するというものだ。なんでこんな不思議な賭けをしたのか、じいちゃんに聞いたら。
ーーローズに期待する国民の声が一番負担になっていると分かっていたが、儂の力不足でそれを払拭することは出来なかった。血を残すという王族としての義務を果たさない我儘を許してもらうため、自分なりに色々考えた結果、これが一番おもしろくて、しっくりきたんだよ。結婚できたら祝賀と称してどんちゃん騒ぎ。出来なかったら残念会としてどんちゃん騒ぎしてもらおうと思ってね。どっちに転んでも笑ってくれたらそれで良いんだよ。
と、豪快な笑い声をあげながら話してくれた。
退位したじいちゃんは王族の身分を捨てて平民になっているが、前国王という肩書は消えないから、蜂起やクーデターの種にならないよう、じいちゃんの臣下だった貴族の客人となっている。結婚の障害はもうないはずなのに、今度は年齢を出すなんて。ローズ様は本当に素直じゃないなと思う。
「何歳になっても失敗や後悔は挽回出来るのだと、ローズ様自身がシェニカ様に手本を見せてあげてはどうですか?」
ローズ様を諭す言葉なんていつもなら考えてもいないのに、自分でも不思議になるほど無意識に出てきた。怒られるかと思ったが、ローズ様は視線を落として「……そんな目をして、ラルシャみたいなことを言うな」と小さく呟いただけだった。
ローズ様がこんな弱々しい感じになるなんて、ラルじいちゃんが亡くなった時以来じゃなかろうか。
ん?弱々しい…?
そうだ!いまだ!!今ならいけるんじゃないかっ!?
「あと、話のついでですが…。神官長を前にした時とか、ローズ様がすごく怖くて、みんな萎縮しています。特に近くにいる自分は胃が痛くて…。
このままだと胃を患ってしまいそうなので、神殿の建物補修とか備品管理とか、ヤギと一緒に草取りとか、そういう仕事内容の場所へ配置転換をお願いしたいのですが」
「みなに悪いことをしてしまいましたね。ですが、神官長らと面会する時はこれまで以上に厳しく接する必要がありましてね。そういう者たちが居ない時は、気持ちを切り替えて穏やかな時間を過ごそうと思いますが、準備と環境が整うまでは仕事と割り切って下さい」
ーー無理です!割り切れません!!
すぐに反論したくなったが、理由を知らなければ我慢の出口が見えないと思い直し、気持ちを落ち着けるためにさり気なく深呼吸をした。
「『再生の砂』が貴重とはいえ、やはり必要なものですし。もう少し手加減をしてあげても…」
「面会に来る神官長たちは、私に何を求めているか分かりますか?」
「『再生の砂』以外の目的があるのですか?」
ローズ様に面会出来た神官長は、挨拶の後に必ず「『再生の砂』をお譲りいただきたいのです」と土下座で訴える。
副官や将軍といった上級兵士が身体の一部を欠損した場合、その部分が灰色で再生されていれば、『私はここを失う怪我をしました』と主張するようなもので、やはり見栄えが悪い。そういう方々の治療のためにも、そこまでやっているのだと思っていたが。神官長らが砂以外に何かを求める様子を見た記憶はないが、何を求めているのだろうか?
ローズ様に気に入ってもらって、その国の首都の神官長になればもっと砂をやると言って欲しいとか?でも、いかにローズ様の発言力が強くても、別の神殿の人事権は持ってないし…。
「シェニカは真面目な子ですからね。師である私の意見なら耳を傾けると踏んで、私からあの子に護衛を変えるように助言するとか、別の護衛を紹介するとか、どこかの国に足を運ぶように言うとか。果てはあの子と神殿で用意した者との仲人役になって欲しいとか、そういうことを期待しているのですよ。
だから、そういったことを私に言えないような雰囲気にしてきましたが、世界中の神官長達は私に知られないように注意を払い、あの子に随分とちょっかいをかけていたのが判明しましてね。これからは、彼らにしっかりお灸を据えてあげなければならないのですよ。
毎日治療魔法をかけてあげますから、配置転換はそれが整ってから考えましょう」
勇気を振り絞って直談判したものの、配置転換の希望は先送りされてしまった。
ただ、神官長らへの厳しい態度が、ローズ様なりのシェニカ様を守るためのことだったこと。ダスカス神官長に持ってこさせた資料に、シェニカ様への『ちょっかい』が書かれていたから、逆鱗に触れたのだろうと見当がついたいまなら、あの恐怖の場面に立ち会うことになっても、ダメージが軽減される気がする。そう思えるだけでも、直談判した甲斐があったと思う。
シェニカ様と別れて数日経っているが、ローズ様は今までのような上品で穏やかな状態だ。行く先で神官長と会うことを拒否しているからなのか、直談判が功を奏したからなのかは分からないが、同行している神官巫女たちはその様子を非常に喜んだ。
「平和って良いなぁ」
馬での移動が多いから外の空気がたくさん吸えるし、ローズ様の機嫌も良い。最高の環境だ!と思いながら立ち寄った街の宿屋の前で馬を止めると、遠くからこちらへ歩いてくる神官たちが見えた。先頭にいるのはこの街の神官長のようだが、この平穏が崩されてはたまらないと、馬に跨ったまま大きく首を振って『近寄ってはいけません』と伝えた。
世界中の神殿にローズ様の『今後の付き合いはこれまで以上によく吟味させてもらう』という言葉が伝えられているため、今まで立ち寄った街の神官長らは側仕えのこの行為だけで全てを察し、大人しく引き下がった。しかし、この神官長は諦めの悪い人だったようで、なおもこちらに向かって歩き続けている。
それを見た荷物担当の神官は、神官長に駆け寄って『ローズ様は現在休養中のため、面会はすべてお断りさせて頂いております。ローズ様の不興を買った神官長らがどうなったのかご存知でしょうか。それを知った上で面会を希望されるのなら、取次させていただきます』と書かれた紙を見せると、神官長は肩を落として神殿へ戻っていった。
ローズ様の不興を買えば、その神官長は良くて降格、ほとんどが失職することになる。自身のためにも、今後のためにも、大人しく引き下がるのが一番賢い選択だ。
「あぁ、お腹すいた。軽食の手配をしておくわね」
「交代したらすぐ行くよ」
ローズ様を部屋に案内して交代の側仕えに仕事を引き継ぐと、同僚たちが休憩する大部屋に入った。すると、世話好きなメルスから、分厚いカツサンドをのせた皿を渡された。
「ローズ様に直談判なんて、シャオムじゃなきゃ出来ないわ。ありがとう。本当に助かったわ~!」
「ほんと、ほんと!俺、怖くて言えないです」
「尊敬してますっ!」
「勇気を出してよかったよ…」
ストレスを感じる機会がすっかり減ったことに加え、ローズ様の治療を受けたこともあってか、最近胃の痛みを感じない。こんな状況が続けばいいと心から思うが、神官長たちは今後もローズ様に面会を求めてやってくる。ローズ様は『準備と環境が整うまでは仕事と割り切って下さい』と言っていたが、一体どうするつもりなのだろうか。
「シスート、これをオベール様に送ってくれ」
「はいっ!分かりました!」
雑用係の神官にローズ様から預かった手紙を渡すと、成人したばかりの初々しさが溢れる彼は、仕事を与えられた喜びに満ちた顔で部屋から出ていった。
「あの子はほんと良い顔で仕事するよね。癒やされちゃうっ!」
「メルスはあんなガキがタイプなのかっ!」
「ゴツくて力自慢の男ばっかりモテるわけじゃないのよ。可愛い子だってモテるんだから!」
「可愛い子もいいけど、私は静かに本を読んでる姿が絵になる素敵な人がいいわぁ♪」
「ジェ、ジェンナはそういうのがタイプなんだ…」
ーーあんな風に生き生きと働いていた時期なんて、あったっけ…?
士官学校から軍に入った時、鍛錬、鍛錬ひたすら鍛錬で、初めて戦場に行った時は生き残ることに必死だった記憶しかない。上官は1人の軍人として尊敬はするが、敬愛するような人ではなく、上下関係も規律も厳しい環境だったから、あんな風に『役に立てて嬉しい』と思った記憶もない。
故郷のダーファスから外に出たことがないということもあってか、垢抜けない純朴な彼を見ると、素直さが羨ましいような、不思議な気持ちになる。
「シャオム!ソースがお皿にポタポタ落ちてる!今にも服に付きそうよ」
「あ、本当だ」
「こういう子供っぽいところも案外ポイント高いのよ~」
「そうだったのか!じゃ、俺も真似してみよ!」
「わざとはダメよ!」
ルニットのような一風変わった奴はいるが、同僚たちには恵まれているし、給料も悪くない。このままローズ様が怒らずに居てくれたら…と願わずにはいられないが。無理だろうなぁ…。
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