天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第15章 大きな変わり目

5.夜襲

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太陽が上り始めた頃にウィニストラの大軍が出発し、それを見届けた数時間後に私達も出発した。

どんよりとした雲の切れ目から明るい陽の光が差し込む光景を見ながら馬で駆け、生々しさが残る戦場跡をいくつも通り過ぎる。
昨日から何度も戦場跡を通り過ぎたけど、何度見ても見慣れない。何も出来ない私は、俯いて早く通り過ぎることを願うだけだった。




薄雲が空を覆う昼過ぎ。
砦の瓦礫が広がる戦場跡をゆっくりと通り過ぎる時に、私のすぐ後ろで馬を歩ませていたソルディナンド将軍とバーナン神官長の会話が聞こえてきた。





「元々数に大差はあるとは言え、トラント側は兵士の数が少ないようですし、傭兵に至ってはほとんどいませんね」


「私がまだ現役の時、トラントはいつも大勢の傭兵を雇って、大国並に数を揃えてきていたんですけどねぇ。
首都に近付いているというのに兵士が少なくなるというのは妙ですが、トラントは首都決戦に賭けているかもしれませんね」




2人の会話を聞いていると、バーナン神官長はやっぱり元々軍人だったらしい。
戦場跡を通る時は俯いてばかりで気付かなかったけど、そこに横たわる亡骸の多くはトラントの軍服を着た兵士ばかりで傭兵の姿は殆どないらしい。

トラントは兵力を首都に結集しているなら、随分と大規模な戦闘になるんだろう。





戦場の光景を浮かべてしまうと、虚しくて、悲しくて、怖くて気分がドン底まで落ちていった。

ルクトへの恐怖心だけでも頭がいっぱいなのに、慣れない環境と誰にも隙を見せてはならないという緊張感から、気が滅入り始めたのを自覚した。






その日の野営地は、鬱蒼と茂る森の中だった。

私に与えられたテントがある場所も木々が沢山ある場所で、ルクトのテントは昨日と同じように離れた場所にある。
ルクトのテント以外には、キルレの人達のテントも、一般の兵士達の使うテントも、昨日あった誰が使うのか分からない1人用のテントも視界にはない。


ルクトと2人っきりになってしまう場所には居たくなくて、ファズ様から籠に入ったパンを受け取ると、ルクトに『疲れたからもう休む』と言ってテントの中に入って結界を張った。
私がテントに引きこもれば、キルレの人達もウィニストラの人達も余程のことがなければやって来ないだろう。


私は滅入る気持ちをなんとかしたくて堪らなくて、パンを食べながら鞄の口を大きく開いた。




「何か気を紛わせられるような物はないかな…」

鞄の中を整理し直す気待ちで中の物を外に出していくと、懐かしい物が出てきた。

治療院に来た子供達からお礼にと貰ったバッジや押し花の栞、独特の模様が綺麗なビー玉。一つ一つ手に取ってみると、少しずつ波打っていた気持ちが穏やかになってくる。


そして、1番新しい思い出の品。
アネシスの孤児院の子供達から貰った『親愛の鈴』を手に取った。


私を模したその人形は、穏やかに目を閉じて鈴を抱いている。
その姿を見ていると、一緒に遊んだ子供達、慕われているドゥテニーさん、そして私を真剣な目で見つめて想いを伝えてくれたイルバ様の顔が浮かんだ。

アネシスから遠く離れたこの場所まで、この人形が運んで来てくれたみんなの思いが嬉しくて、愛おしくて、胸に強く押し付けるように抱きしめた。
そして押しつぶされそうな孤独感が襲ってくると、自然と涙が溢れてきて、そのまま嗚咽も漏らすこと無く静かに泣いた。





「この子は私の分身だもの。鞄の中じゃなくて、今日は一緒に寝よっか」

涙が落ち着いた頃、人形をギュッと抱き締めて一緒に寝袋の中に入った。




「みんなが無事でいますように。私も無事に帰れますように」


人形に向かってそう祈り、穏やかな気持ちで黒い毛糸の頭を撫でながら目を閉じた。













何だか外が騒がしいことに気付いて目が覚めた。



喧騒は何となく聞こえるけど、テントには窓は無いし、出入口の幕は下ろしたままだから外は見えない。


黒いテント越しに日の光のような明るさが何となく感じられるから、夜明けだろうか?でも、それにしては日の光が随分とゆらめいている気がする。
風もあるみたいだし、木々の葉っぱが動いているのだろう。


外が気になるけど1人で出るのは良くないと、人形を抱きしめ直して、寝袋の中に潜るように身を縮めた。




しばらくそうしていると。




「シェニカ様」


テントの外からかけられた声は聞き覚えのない声だけど、誰だろうか。
人形を抱きしめて寝袋から身体を起こし、入り口の布に向かって顔を向けた。




「はい?」


「敵の奇襲が来ました。こちらにも敵と火の手が迫っておりますので安全な場所にご案内します。どうぞお早く支度を整えて下さい」


「え?奇襲?あ、あの、近くのテントに居る護衛を呼んで下さい」


「護衛の方は敵と戦闘中です。すぐ近くまで敵が来ておりますので、どうぞお早く」


夜襲なんて初めてのことでどうしたらいいか分からないし、敵と火の手が迫っていると言われると緊迫感が増して、とりあえず寝袋を畳んで慌てて身支度を始めた。




「あの、ファズ様は?」



「そちらも戦闘中です。そろそろお支度は整いましたでしょうか。参りましょう」


鞄を背負ってローブを羽織り、鞄に仕舞い忘れた人形を掴んで、結界ギリギリにあるテントの扉代わりの幕を少しめくって隙間から覗いた。




するとそこには、周囲に広がる火の手で照らされた赤い世界があり、目の前に銀の階級章を胸につけたウィニストラの軍服を着た黒髪の男性が立っていた。

緊迫した状況にも関わらず、その人は鋭い目を一瞬細めて微笑を浮かべた。その時、どこかで放たれた風の魔法の影響なのか、男性の耳にかかる黒髪が風でサラリと靡いた。




「あの。お名前は?」



「エメルバ将軍の下で副官を務めておりますジェベルと申します」


3人の将軍の顔や、一緒に移動していたディスコーニ将軍の5人の副官の顔は分かる。でもそれ以外の人の顔までは人数が多くて覚えていない。

この人は私が『聖なる一滴』を説明する場に居ただろうか。
見覚えのない顔に戸惑っていると、ジェベル様は険しい表情を浮かべた。



「シェニカ様、敵も火の手もすぐそこまで迫っておりますから急ぎましょう。この場が戦場となれば、悲惨な光景が目に入って来ますし、戦場介入の禁を犯す事になり兼ねません。
将軍達も戦闘中ですから、私をシェニカ様の元に送ったのです。どうか早く安全な場所にと、エメルバ様からのご命令です。さ、お手を」


ジェベル様はそう言うと、透明に煌めく結界直前に手を差し出した。




「はい。分かりました」

差し出された手を取ろうと右手を伸ばそうとした時、人形が私の左手からスルリと滑り落ち、地面にぶつかると鈴が小さくリンと鳴った。




ーーシェニカ様!こっちで絵本読んで!
ーードゥテニー先生はわたしとケッコンするんだから!
ーーこれから先の旅の無事を、私も祈っています。


そのささやかな音は、まるで子供たちやイルバ様が私にそう言っているような気がして、慌てていた頭の中がスーっと冷静になっていった。


こんな状況で、顔の分からない人について行くのは迂闊ではないだろうか。
味方だと安心出来る人はいないけど、せめて、きちんと紹介された人が来るのを待っていた方が良いのではないだろうか。


私はゆっくりと人形を拾うと、震える両手でしっかりと抱きしめた。



「…すみません。私は貴方様のお顔を覚えていません。ここが戦場になっても私は結界で身を守れますし、禁を犯すことにならないと思いますので、この場で顔を知っている方が来るのを待ちます」


私が失礼を承知でそう言うと、ジェベル様の顔から表情が消えて口元が邪悪に歪んだ。




「大人しく手を取って頂けたら穏便に済ませられたのに。貴女は我々にとって無くてはならない大事な方。今は少々乱暴な真似をさせて頂きますが、この後は丁重に扱わせて頂きますのでご安心下さい」


目の前の男性はそう言うと、早口で詠唱を終えたのか身体に激しくうねる炎を巻きつかせた。




「他の『白い渡り鳥』様の結界は時間をかければ破れましたが、流石にシェニカ様レベルになるともっと時間がかかるでしょうね」


激しくうねる炎がテントにぶつかると、私の結界の外にある黒いテントが一瞬で燃えかすになってしまった。



ーー怖い!誰か…。誰か助けて!!


あたりを見渡しても、目の前で炎を巻きつかせたまま嫌な笑みを湛えた人と、周囲の木々の葉を燃やしながら迫る火の手があるだけで、ルクトもキルレの人達もファズ様達も居ない。




「あぁ、怯えたその顔も良いですね。首都に戻ったら、アステラ様に私の妻として与えてもらえるようにもう一度許しを乞わなければ。
他の将軍達も手を挙げていますが、私なら愛人を3人までは許してあげますよ。大事にしますから私を選んで下さいね」


目の前の人が私に向けて手を向けると、その人に巻き付いていた炎が鋭く尖った短剣の形に変わって一気に襲ってきた。


テントと同じ四角形の形をした結界が阻んでくれていて、ヒビは入っていない。
この様子なら結界が壊れることはないと思うけど、剣や黒魔法が使えない私は結界の外に出ることも、この人を倒すことも出来ない。
頼れる人も守ってくれる人もいなくて、私は目の前に迫る恐怖に耐え切れず、その場に蹲って人形を抱きしめ目を強く瞑った。



ーー誰か、誰か助けて…!



その時。


「シェニカ様っ!」


声のした方を向くと、そこには見知った2人が炎の中から飛び出し、こちらにすごいスピードで走ってきていた。



「ファズ様、ディスコーニ様…」



「なっ!ディスコーニ!?なんでお前がここに!お前は戦闘不能のはずでは…!?」


ローブは着ているけどフードを被っていないディスコーニ将軍の顔を見たジェベルという人は、慌てた様子で森の奥へと逃げて行った。




「ファズ、私がジェベルの相手をしますからシェニカ様を頼みます」

ディスコーニ将軍がそう言って森の中に消えると、ファズ様が私の結界の前で立ち止まった。見知った人の顔を見て安心した気持ちで結界を解くと、私は彼が差し伸べてくれた手を取ってゆっくりと立ち上がった。

恐怖心が隠しきれず、安心して今にも泣き出してしまいそうな私を見かねたのか、ファズ様はそっと背中に手を回して優しくさすってくれた。



「シェニカ様、お怪我はありませんか?」


「はい、大丈夫です。あの、ルクトは…」


今にも大泣きしてしまいそうな衝動を抑え、目に溜まっていた涙を拭って深呼吸しながらそう尋ねた。



「彼はここから少し離れた場所でトラントの副官を相手にしているようです。他の者を加勢に出しましたので、すぐに戦闘を終えて戻ってくるはずです」



「そうですか。あの、さっきの人はトラントの人ですか?」



「あの者はジェベルと言うトラントの将軍の1人です。あの者のほかに、将軍4人がそれぞれ5人の副官達と暗部の者を大量に引き連れてやって来ました」


「そんなに大人数で…。ファズ様達が来て下さって助かりました。でも何のために?」


「普通なら致命的なダメージを与えるのが奇襲の目的ですが、今回はシェニカ様を攫うのが目的です」


「わ、私ですか?」


トラントの将軍が私に接触してくるだろうとは聞いていたけど、私は秘密裏に接触してくるものだと思っていたから、現実との違いに愕然とした。



「シェニカ様が従軍していることを分からないようにするため、こうした夜襲に備えて居場所を分かりにくくしていましたので、彼らは随分と探し回っていました。
シェニカ様の護衛が出てきてようやく居場所が分かったようです」



「そう、だったんですか…」



ジェベルという人はディスコーニ将軍を見て驚いていたから、ウィニストラ側の将軍はバルジアラ将軍とエメルバ将軍の2人しかいないと思っていたみたいだ。


護衛してくれる人達のすぐそばに目的の私が居れば、接触するのは難しくても居場所を特定するのは簡単だろう。
私の居場所が特定出来れば、トラントの将軍らは結集して襲ってくる。
それに対してウィニストラの2人の将軍や副官は、同時に襲ってくる5人の将軍や25人の副官、暗部を相手にしなければならなくなる。それはウィニストラにとって不利だからこそ、数を揃えれば勝機はあるとトラントは思ったのだろう。

敢えて私を離れた場所に置いていたのは、戦力を分散させること、時間を稼ぐためだったんだ…。



もしこの場にファズ様達が来てくれなかったら私はどうなっていただろうか。
もし戦場に同行せずにいたら、ルクトは将軍や副官、暗部達を1人で相手にせねばならず、いくら彼が強くても無事で居られなかったかもしれない。


想像を越えた恐ろしさが襲ってきて、私は『親愛の鈴』を抱きしめたまま、とうとう嗚咽を堪えられずに泣いてしまった。




「我々が必ずお守りします」


ファズ様はそう言うと、無言で私の背中を擦って慰め続けてくれた。


それからしばらくして私の涙も収まった頃、周囲に広がった炎が消えて東の空に太陽の色が滲み始めた。
このまま明るくなれば、一般兵士にも私がここに居るとバレてしまうかもしれないと気付いて、私はフードを目深に被った。



それからほどなくして。
ザッザッと砂地を踏みしめる音に気付いて視線を向ければ、森の方から歩いてきたルクトが私に向かって早足で近寄ってきた。彼はローブを羽織っているけど、フードを浅く被っているから眉間に皺を寄せた不機嫌そうな表情をしっかりと見てしまった。

ルクトが私の所まで来たからか、側に居てくれていたファズ様が近くに居たラダメール様の方へと歩いて行った。



「怪我してないか?」


「あ、う、うん。大丈夫。ルクトは?治療しようか?」


「怪我してねぇよ」


ルクトが無事なのは安心したけど、やっぱり怖くて彼の顔は見れないし、これ以上近付きたくない。重苦しい無言の時間が嫌だけど、会話する内容もない。



居心地が悪くて俯いて、数歩先にある彼の足先を見ていた。

間を持たせるためにはどうしようかと思っていると、見ていたルクトの足が一歩近付いたのが分かって、反射的に一歩引いてしまった。




「あのさ」


「シェニカ様はご無事か?」


彼が何か言おうとした時、いつの間にか私の近くに立っていたファズ様の方に向かって、副官を連れたバルジアラ将軍が歩いてきた。



「はい。ジェベルがシェニカ様を襲っていましたが、シェニカ様の結界に阻まれていた所をディスコーニ様に遠ざけられました。現在ディスコーニ様がジェベルを追っております」



「そうか。ディスコーニの存在は隠したかったが、相手が将軍となると仕方がないか」



「バルジアラ様、ご報告です」


バルジアラ将軍がため息混じりにそう言った後、後ろに控えていた彼の副官の1人がテキパキと報告をし始めた。




ーーーーーーーーー




テントの中で寝袋には入らず自分の毛布に包まって寝ていると、遠くで聞こえるざわめきに気付いて目が覚めた。
外の様子は分からないが、時間は夜明けまであと数時間というところだと思うから、下級兵士がやっている朝の支度とは違うらしい。



「夜襲か?それにしちゃあ、なんか変だな。何か探しているかおびき寄せようとしてんのか?」


普通こういう夜明け前の夜襲は、寝入っている隙に壊滅的なダメージを与えるように野営地の周辺を火の手で囲ったり、水攻めにすることがほとんどだ。
自分がいるのは野営地の外れとは言え、このテントの周辺には火の手は感じないし、大規模な魔法が使われたような音や大きな喧騒は聞こえない。





状況を確認しようとローブを羽織り、浅くフードを被ってテントの外に出て周囲を見渡していると、目深にフードを被った全身黒ずくめの暗部服を着た男が数歩先に現れた。

ーーなんだこの暗部。姿を現す直前まで気配を感じなかった。俺が今まで相手にしてきた暗部より、遥かにレベルが高い。確証はないが、こいつは暗部の格好はしていても、暗部じゃなくて副官のような気がする。



将軍や副官が暗部のような仕事をするらしい、というのは聞いたことがあるが、実際に目の前にするのは初めてだ。
となると、確実に達成したい狙いがあって敵陣のど真ん中に来ているのだろう。




「『赤い悪魔』がいるということは、この周辺か」


男はフードを被ったままの俺を見てそう言うと、魔力で光の玉を作り出して空に放った。
高い位置まで飛んだ光は数瞬またたいて消えたが、その役目はこの場所を照らすためじゃなくて『ここだ』と周囲に知らせるためということだろう。


そんなことをする必要があるということは、こいつはトラント軍の所属。そしてこいつには仲間がいて、その目的はシェニカだ。
シェニカが同行しているのはトラントには知らされていないはずだが、どこかであいつの存在に気付いたらしい。

この周辺にあるのはシェニカのいるテントだけだから、こいつの仲間がシェニカに接触する前にこいつを倒さなければ。




「何か用かよ」


「迎えに来ただけだ」


剣を抜いて一気に間合いを詰めて斬りかかったが、男は引き抜いた自分の剣で一撃を受け止めた。相変わらずフードを被ったままの男は、フードが外れて露出した俺の顔を見て口元だけで嘲笑った。



「随分と必死なんだなぁ」


あいつのいるテントから少し離れた場所とはいえ、大規模な魔法を使えばあいつを巻き込んでしまう。異変を感じたシェニカが結界の外に出たりすれば危険だ。

戦いにシェニカを巻き込まないためにここから離れなければと、わざと後退して森の奥の方へと誘導すると、男は俺の後をついてくるのに、なぜかこの男は剣を鞘に戻すし、俺に自分から攻撃をしようとしてこなかった。





シェニカのテントから十分に距離を取ったことを確認した時、テントの方角から火の手が上がり始めた。こいつの仲間がシェニカのテントに到着してしまったらしい。早くこいつを倒して、シェニカのところに戻らなければ。



「少しは落ち着いて人の話を聞け。お前にも用があるんだよ」


さっさと目の前の男を片付けようとフードを外し、俺が水の魔法で攻撃を仕掛けると男はそう言って後ろに跳び、間合いを取った。

攻撃してくると思ったのに、剣を抜くこともしない。戦う気がないというその態度に、一気に不信感が募って身体を緊張させた。



「お前。こちらにつく気は無いか?」


「はぁ?」


「お前は軍人嫌いで有名だが、特にバルジアラを憎んでいるらしいな。そんな奴に対抗し得るだけの材料と力を約束してやる。
それだけじゃない。ドルトネアがお前の国籍変更を認めない場合でも、お前に我が国で確かな地位と財産を即時与えると確約すると、国王陛下からありがたい書簡を預かった」


口元しか見えない男は、胸ポケットから丸まった小さな巻書簡を出して俺に放り投げてきた。



「傭兵風情が手にすることなど一生ない、国王陛下からの正式な書簡だ。国王陛下だけでなく、アステラ様からも高く買ってもらっているんだ。光栄なことだと思え」


片手で受け取った俺は男に促されて紐を解いて中身を見ると、そこには男の言った通りの内容が書かれていた。
その書簡をグシャリと握り潰し、早口で魔法の詠唱を終えると周囲に炎が広がった。
そこにグシャグシャの書簡を放り投げれば、上質な紙は一瞬で真っ黒の燃えかすになって跡形も無くなった。



「ふざけんな!」


炎を男に放ったが、男は氷の魔法を放って衝撃の余波すら起こさずに相殺させた。



「別に今すぐに返事を出さず、首都に到着してからでも良い。どうせ我々がどこにいるか分からないだろうからな。我々に組する気になったら…っ!」


男が話をしている途中、俺の後ろから雷の魔法が目の前の男に向かって飛んできた。流石と言うべきか、目の前の男は斜め後ろに大きく跳んでそれを避けた。


俺も目の前の男にも魔法を放つ一瞬前まで気配を感じ取らせなかった人物の方を振り向くと、そこにはディスコーニの副官のアヴィスがいた。





「邪魔が入ったか。ではまた」


男は大きく跳び退くと、そう言って森の奥へと消えた。
その気配が遠くで消えたことを確認すると、剣を鞘に戻して俺の後ろに無表情で立っている水色の髪の副官に近付いた。




「てめぇ!なんのマネだ!」


「ディスコーニ様のご命令で、貴方の加勢に参りました」


「はぁ?!余計なことをすんじゃねぇよ!そんなことより、シェニカは…」


「シェニカ様の元にはディスコーニ様とファズが向かいましたから、ご無事だと思います」


「クッソ!」



機械的な返事しかしない男を置いてシェニカの居る場所に戻る途中、森の中で男の死体を引きずったディスコーニが居た。
死体の男は驚愕したように目を見開いて口から血を溢れさせ、前が開け放たれたウィニストラの軍服の下に、さっきの男と同じ黒い暗部服を着ているのが見えた。

この死体は、ずっと前。どこかの戦場で見たことのあるトラントの将軍ジェベルだ。
ジェベルはアステラの次に筆頭将軍になるのではないかと言われるほど実力があると聞いていたが、どうやらディスコーニに倒されたらしい。



「アヴィス、処理を手伝って下さい」


ディスコーニは俺の方を見て立ち止まると、俺の後ろを歩いていたアヴィスに命令を出した。
命令を受けたアヴィスはすぐに駆け寄って、ディスコーニから死体を受け取って所持品の確認をし始めた。



ディスコーニが死体の暗部服の上衣を脱がせて、首元からネームタグを外したのを見た時。



『傭兵でしかないお前に将軍は倒せない。それどころか副官すら倒せないだろう。お前では力不足だ』

あいつらに、そう見下されているような気がして一気に苛立った。




「おいディスコーニ!」


「何ですか?」


イライラする気持ちのままに奴に詰め寄って胸倉を掴もうと手を伸ばすと、死体から手を放したアヴィスが俺の手を片手で掴んで、殺気を込めた目で睨んできた。それだけでなく、もう片方の手に握った短剣を俺の首元に突きつけた。



「手助けなんて余計なんだよ!」

アヴィスの両手を払い退け、数歩先にいるディスコーニに罵声を浴びせた。



「ですが、早く終わらせた方がシェニカ様は安心なさいますよ」


「それでもだ!今後、俺に手助けなんて二度とすんじゃねぇよ!」


そう言い放ってシェニカの所に戻ると、シェニカはファズに寄り添われていた。フードを被っているものの、ちらりと見えたその顔には不安そうな表情が滲んでいた。

シェニカの隣は俺だけの場所なのに、今そこには俺ではなくファズが立っている。
引き離してファズに罵声を浴びせてやりたいが、シェニカの手前、そんな苛立ちを表面に出すことなんて出来ない。その状況にまたイライラが募っていった。



なんて声をかけようか悩みながらシェニカとの距離を縮めていくと、シェニカがアネシスで貰った人形を大事そうに胸に抱えているのが見えた。
愛おしそうに人形の頭を撫で、縋るように目を閉じて強く抱き締める。


イライラする気持ちを発散するように荒い足音を立てながらシェニカに近付くと、ファズは俺にシェニカを任せて離れて行ったが、肝心のシェニカは俺が間合いを詰めようと一歩踏み出すと一歩下がった。
それに加えて人形を強く抱きしめ、俯いて俺を見ようともしない態度にムカムカしてくる。



ーーそんな人形じゃなくて、頼るべきなのは俺だろ!確かにやり過ぎたかもしれねぇが、なんで俺をそんなに怖がるんだよ!

苛々が募り、多少乱暴になっても俺の方を向かせたくなる。でも、その衝動のままに動けば余計に怖がることが目に見えていたから、グッと奥歯を噛み締めて堪えた。
とりあえず謝って、こんな状況だから多少のぎこちなさはあっても、移動中も夜も俺と一時も離れないようにした方が良い。今まで通り、触れ合えるくらい側にいれば、きっとすぐに元の関係に戻れる。



そう思ったのに、俺が何かしようとすると事あるごとに状況が俺を邪魔してくる。



謝る事もシェニカと距離を縮めることも出来ず、俺は見えないガラスの壁を感じながら、暗い顔をして小さくなっているシェニカを見つめた。



ーーーーーーーーーー



数歩先にいるルクトと会話する話題も見つからず、居心地の悪い状況が続いていると、次第にザワザワと騒がしくなってきた。どうしたのだろうかと俯いていた顔を上げると、いつの間にかこの場にキルレの人達も集まっていた。

握りしめていた『親愛の鈴』を鞄の中に戻した時、白いローブのフードを目深に被ったディスコーニ将軍が、アヴィス様を連れて森の中から戻ってきた。



「ディスコーニ、ジェベルは?」


私のすぐ近くにいるバルジアラ将軍が問いかけると、ディスコーニ将軍はネームタグを渡していた。



「この通り討ち取りました。暗部もいないことを確認しましたから、私の存在は知られてはいません。
シェニカ様、お怪我はありませんか?」


ディスコーニ将軍は、物々しいこの場には不釣り合いのような柔和な微笑を浮かべて私に問いかけてきた。
よく見ると、顔に擦り傷のような細かな傷があるだけで大きな怪我はしていないようだ。

私を強力な魔法で襲ってきたジェベルという人を思い出すと、あんな恐ろしい人を大怪我もなく相手にできるのは凄いと感じた。やっぱり将軍職に就くのは強い人なんだと、ボンヤリと思った。




「大丈夫です」



「バルジアラ様、これをジェベルの持ち物から見つけました」


ディスコーニ将軍はローブの胸ポケットから何か紙を取り出すと、それを受け取ったバルジアラ将軍はガサガサと音を立てながら広げた。



「階層に分かれた蟻の巣の様ですから、どこかの地下の地図のようですね」


「これはお前が持っておけ。被害状況の確認でき次第、すぐにこの先の街に向かう」



その後すぐに出発したウィニストラの大軍を見送ると、私達は少し時間を空けて出発し、ゆっくりしたペースで馬を走らせた。


移動中は今までにないほどのピリピリとした緊張感に包まれて、どこから襲ってきても臨戦態勢が整っている体制になった。
そんな時、私のすぐ後ろで馬を走らせているソルディナンド将軍とバーナン神官長の会話が入ってきた。



「トラントは随分と人数を割いたようですから、この作戦にかけていたのでしょうな」


「シェニカ様を攫う作戦が失敗し、暗部16人、副官12人、アンサーク、ディオニス、ジェベルの将軍3人も失う結果とは。想定されていた夜襲とはいえ、時間をかけずに討ち取るのは、流石大国の将軍や副官達だと素直に思いますよ」


未だに夜襲のショックを引きずっている私は、2人の会話をどこか遠い世界のような話で聞いていた。


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