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一年目 ~移民の歌~
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「朝早くからごめんね」
「いえ、大丈夫です。もう起きてコーヒーを淹れていましたから」
「戸田くんのコーヒーね。とてもいい香り」
そう言って優しい笑顔を僕に向けたが、どこか寂しそうだ。
「いきなりで申し訳ないんだけど、ゆきちゃんが飼ってるワンちゃん知ってる?」
「ええ、何度か一緒に散歩しましたから」
ゆきちゃんはタマという猫みたいな名前の茶色いチワワを飼っている。とても人懐こくて、まさにゆきちゃんの相棒といった感じだ。
「タマちゃんですよね」
僕が言うと、ゆきちゃんが顔を上げた。マキさんはゆきちゃんの肩を優しくなでながら「世界一可愛いんだよね」と囁くと、ゆきちゃんが「うん」と小さく笑ってマキさんと顔を見合わせた。
チワワといえばいつも大きな声で鳴いているイメージだったが、タマちゃんは物静かでほとんど鳴かない。その代わり大型犬のごとく舌を出して「ハッハッハッハッ」と言っている。物静かでいいと思っていたが、迷子になってみると吠えてくれた方がありがたいような気もする。
「でね、タマちゃんが昨日からどこかに行っちゃったみたいなんだよねえ」
小山さんが言うと、なんとか泣き止んでいたゆきちゃんがまた泣き始めた。そんなゆきちゃんの肩を、マキさんが優しく撫でながら言った。
「それでね、タマちゃんを探したいんだけど、ゆきちゃんは学校に行かないとダメだし、私も今日はどうしても休めないし」
「戸田君もお師匠さんが撮影旅行に出ている間は店を任されているから、参加できなくてねえ」
にも関わらず、戸田はマキさんと違って常識がないから店を閉めようとしたのだけれど、ゆきちゃんに止められて仕事に向かったようだ。
「僕も探します」
即答した。当たり前だ。もちろんゆきちゃんやタマの為でもあるけれど、マキさんの頼みを断れるハズがない。正確にはまだ何も頼まれていないけれど、頼まれる前に了解するのが正解だと思うのだ。
「ありがとー」
小山さんがのんびり言って、ゆきちゃんとマキさんの方に向き直った。
「僕らは暇人だから、探すよお」
マキさんは慌てて手を振って「そういう意味で言ったんじゃないよ」と言った。でも、僕らは暇だ。是非お手伝いさせてくださいと言い、ゆきちゃんとマキさんを見送った。
「まるで探偵みたいだねえ」
小山さんはのんびりしている。決してタマちゃんの迷子という事態を軽く見ているわけではないけれど、小山さんは慌てるということとは無縁だから、いつもこんな感じだ。
「でも、何からすればいいんでしょうか」
まずはこれである。迷子を捜すなんてことはしたことがないから、何からすればいいのか、どこに行けばいいのかなんて分からない。
「大丈夫だよお。こういう時はまず情報屋さんのところに行くんだ」
のんびりした口調で、頼もしいのか頼もしくないのかよく分からないことを言った。
情報屋。
小説なんかでは薄暗い場末のバーなんかに行くと、後ろからこっそり近づいて来て「五万」などとつぶやく情報屋がいる。主人公が五万円を渡すと、「四番倉庫に午前二時、ブツは八十キロだ」などと言って去っていく。そんなハードボイルドな世界は小説か映画にしかないと思っていたが、まさか身近にその情報屋がいたなんて。しかも小山さんは今から会いに行くという。
「じょ、情報屋さんって、ど、どんな人なんでしょうか・・・」
緊張で声が震えているのが自分でも分かる。当然だ。今から場末のバーで正体不明の情報屋に会うのだ。
「ええっとねえ、顔にすごい傷があるけど、気にしないでねえ」
その言葉に不安を覚えない人がいるならぜひお会いしたい。
小山さんは僕の不安など微塵も気にせずにどんどん歩いていく。僕は前を歩く大きな背中を眺めながら、どんどん自分が小さくなっていくのを感じていた。
しかし、小山さんはいっこうに場末のバーがありそうな場所、たとえば裏路地や合言葉で通してもらえる秘密の通路などには向かわず、ずっと明るい大通りを歩いている。こんな所に情報屋が住んでいるのだろうか。
「ここだよー」
そう言って小山さんが指し示したのは場末のバーではなく、なんと病院だった。
「竹村医院、ですか」
「うん。情報屋さん」
そりゃそうだよな。僕は思った。そんな映画みたいな情報屋なんかいないだろうし、いたとしても危ない世界の住人しか会うことはない。僕らみたいな人にとっての「情報屋」とは、「色んなことを知ることができる人」なのだ。確かに病院なら患者さんたちから色んな話を聞けるだろう。でも、迷子の犬の情報など知っている人がいるだろうか。まあ、何もないよりはいい。僕は小山さんの後ろについて病院に入って行った。
大きな病院ではなく、ロビーには所狭しと長椅子が並べられており、そこにぎっしりお年寄りが座っている。病院のロビーというより、老人会の寄合といった感じだ。
「よう、どうした」
奥から白衣を着た男性が出てきたが、その姿を見て僕はびっくりしてしまった。短く刈り上げられた髪に無精ひげ、銀縁のメガネの奥で光る眼は異様に鋭い。なにより、左目の横を走る傷跡が迫力満点だ。白衣を着ているのだからこの男性が竹村医院長だろうか。それとも竹村組組長だろうか。
「いえ、大丈夫です。もう起きてコーヒーを淹れていましたから」
「戸田くんのコーヒーね。とてもいい香り」
そう言って優しい笑顔を僕に向けたが、どこか寂しそうだ。
「いきなりで申し訳ないんだけど、ゆきちゃんが飼ってるワンちゃん知ってる?」
「ええ、何度か一緒に散歩しましたから」
ゆきちゃんはタマという猫みたいな名前の茶色いチワワを飼っている。とても人懐こくて、まさにゆきちゃんの相棒といった感じだ。
「タマちゃんですよね」
僕が言うと、ゆきちゃんが顔を上げた。マキさんはゆきちゃんの肩を優しくなでながら「世界一可愛いんだよね」と囁くと、ゆきちゃんが「うん」と小さく笑ってマキさんと顔を見合わせた。
チワワといえばいつも大きな声で鳴いているイメージだったが、タマちゃんは物静かでほとんど鳴かない。その代わり大型犬のごとく舌を出して「ハッハッハッハッ」と言っている。物静かでいいと思っていたが、迷子になってみると吠えてくれた方がありがたいような気もする。
「でね、タマちゃんが昨日からどこかに行っちゃったみたいなんだよねえ」
小山さんが言うと、なんとか泣き止んでいたゆきちゃんがまた泣き始めた。そんなゆきちゃんの肩を、マキさんが優しく撫でながら言った。
「それでね、タマちゃんを探したいんだけど、ゆきちゃんは学校に行かないとダメだし、私も今日はどうしても休めないし」
「戸田君もお師匠さんが撮影旅行に出ている間は店を任されているから、参加できなくてねえ」
にも関わらず、戸田はマキさんと違って常識がないから店を閉めようとしたのだけれど、ゆきちゃんに止められて仕事に向かったようだ。
「僕も探します」
即答した。当たり前だ。もちろんゆきちゃんやタマの為でもあるけれど、マキさんの頼みを断れるハズがない。正確にはまだ何も頼まれていないけれど、頼まれる前に了解するのが正解だと思うのだ。
「ありがとー」
小山さんがのんびり言って、ゆきちゃんとマキさんの方に向き直った。
「僕らは暇人だから、探すよお」
マキさんは慌てて手を振って「そういう意味で言ったんじゃないよ」と言った。でも、僕らは暇だ。是非お手伝いさせてくださいと言い、ゆきちゃんとマキさんを見送った。
「まるで探偵みたいだねえ」
小山さんはのんびりしている。決してタマちゃんの迷子という事態を軽く見ているわけではないけれど、小山さんは慌てるということとは無縁だから、いつもこんな感じだ。
「でも、何からすればいいんでしょうか」
まずはこれである。迷子を捜すなんてことはしたことがないから、何からすればいいのか、どこに行けばいいのかなんて分からない。
「大丈夫だよお。こういう時はまず情報屋さんのところに行くんだ」
のんびりした口調で、頼もしいのか頼もしくないのかよく分からないことを言った。
情報屋。
小説なんかでは薄暗い場末のバーなんかに行くと、後ろからこっそり近づいて来て「五万」などとつぶやく情報屋がいる。主人公が五万円を渡すと、「四番倉庫に午前二時、ブツは八十キロだ」などと言って去っていく。そんなハードボイルドな世界は小説か映画にしかないと思っていたが、まさか身近にその情報屋がいたなんて。しかも小山さんは今から会いに行くという。
「じょ、情報屋さんって、ど、どんな人なんでしょうか・・・」
緊張で声が震えているのが自分でも分かる。当然だ。今から場末のバーで正体不明の情報屋に会うのだ。
「ええっとねえ、顔にすごい傷があるけど、気にしないでねえ」
その言葉に不安を覚えない人がいるならぜひお会いしたい。
小山さんは僕の不安など微塵も気にせずにどんどん歩いていく。僕は前を歩く大きな背中を眺めながら、どんどん自分が小さくなっていくのを感じていた。
しかし、小山さんはいっこうに場末のバーがありそうな場所、たとえば裏路地や合言葉で通してもらえる秘密の通路などには向かわず、ずっと明るい大通りを歩いている。こんな所に情報屋が住んでいるのだろうか。
「ここだよー」
そう言って小山さんが指し示したのは場末のバーではなく、なんと病院だった。
「竹村医院、ですか」
「うん。情報屋さん」
そりゃそうだよな。僕は思った。そんな映画みたいな情報屋なんかいないだろうし、いたとしても危ない世界の住人しか会うことはない。僕らみたいな人にとっての「情報屋」とは、「色んなことを知ることができる人」なのだ。確かに病院なら患者さんたちから色んな話を聞けるだろう。でも、迷子の犬の情報など知っている人がいるだろうか。まあ、何もないよりはいい。僕は小山さんの後ろについて病院に入って行った。
大きな病院ではなく、ロビーには所狭しと長椅子が並べられており、そこにぎっしりお年寄りが座っている。病院のロビーというより、老人会の寄合といった感じだ。
「よう、どうした」
奥から白衣を着た男性が出てきたが、その姿を見て僕はびっくりしてしまった。短く刈り上げられた髪に無精ひげ、銀縁のメガネの奥で光る眼は異様に鋭い。なにより、左目の横を走る傷跡が迫力満点だ。白衣を着ているのだからこの男性が竹村医院長だろうか。それとも竹村組組長だろうか。
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