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一年目 ~移民の歌~
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「あ、竹村さあん」
いつもの間延びした声で小山さんが呼びかけた。
竹村さんは眉間にしわを寄せたまま近づいてくると、小山さんに向かって一言呟いた。
「腹でも壊したか」
「壊してないですよお」
「壊せよこのやろう」
竹村さんは僕に目を向けると、「こっちのボーヤは」と言った。
「今年の春に引っ越してきた大学生の後藤田清君だよお」
「名前、長えな」
「清君でいいよお」
「そうか、坊や。よろしくなあ」
竹村さんが差し出した手を、僕は慌てて握り返した。戸田と同じく、思いきり握るタイプらしく、手が痛い。
「で、腹も壊してねえくせに何のようだ」
「実はねえ、ゆきちゃんの飼ってる犬がねえ、いなくなっちゃったんですよお」
眉間にしわを寄せた竹村さんはかなりのコワモテで、僕は怖気づいてしまった。小山さんは慣れているのか特に怖さは感じないのか、にこにこと笑顔を浮かべている。
「それでねえ、ここにいる人たちが何か知らないかあと思ってねえ」
小山さんが言うと、僕ら三人はロビーに数おわすご老人たちに視線を向けた。男女はもちろん、ずっと騒がしいおばあさんもいれば静かに耳を傾けているおじいさんもいる。
「まあ、ここにゃジジババ各種揃ってるからな。色々知ってるのもいりゃなーんも分からんのもいるだろうよ。まあ、一通りは取り揃えてるから、何でも聞きな」
竹村さんは失礼極まりないことを言ったが、心のそこでこっそり同意している僕もいる。確かにこれだけたくさんのご老人が集まっていれば、情報もたくさん集まっていることだろう。「情報屋」というのは、情報を仕入れている人ではなく、情報がたくさん集まっている(かもしれない)場所のことを言っていたようだ。
「まあ、タマちゃんがいなくなったってんなら、おめえんとこのアパートの近所の方がいいだろうな」
竹村さんが眉間にしわを寄せながら唸った。
「竹村先生もタマちゃんご存じなんですか?」
僕が言うと、竹村さんは何食わぬ顔で「ああん?」とだけ言った。
「おめえんとこの近所の人だと、賀真田さんだな」
顎をしゃくった先には、ひとりの小柄な老人がちょこんと座っている。
「じゃあ早速聞いてみますねえ」
「おう」
小山さんと僕が近づいても、賀真田さんがこちらを見る気配はない。気付いていないのかもしれない。
「こんにちは」
僕が声をかけると少しだけこちらに視線をやったが、また前を向いてしまった。
「賀真田さんは耳が遠いんだ。真正面からきちんと話しかけねえと伝わらねえよ」
僕は賀真田さんの前に立ち、おじぎをしてもう一度「こんにちは」と言うと、賀真田さんはにっこりと笑った。とても柔和な笑顔だ。
「はじめまして。僕、後藤田といいます」
賀真田さんの反応はない。
「賀真田さんは耳が遠いって言ってんだろう。紙に書け、紙に」
竹村さんはそう言って胸ポケットからメモ帳とペンを出すと僕に投げて寄越した。僕はそのメモ帳に自分の名前を書き、賀真田さんに手渡した。竹村さんが「嫌だねえ、気遣いが足りねえってのは」と小山さんに呟いた。
賀真田さんは僕が手渡した紙をじーっと見つめている。その時間があまりにも長いので、僕は字が汚かったのかと思い、覗き込もうとした。すると、いつの間にか背後にいた竹村さんが僕の首根っこを掴むと、勢いをつけて引き戻した。
「せっかちだな、若ェもんは。行動の速さってのは人それぞれで正しさが違うんだよ。人生の先輩の行動を、自分の物差しで測ってんじゃねえよ、そのちっせえ物差しでよぉ」
竹村さんが得意げに言うと、周りの老人たちから拍手が沸き起こった。竹村さんはそれ見ろと言わんばかりの表情を僕に送り、フンと鼻息を吹いた。小山さんは誰よりも大きな拍手をしており、その横で小柄なおばあさんが綺麗な口笛をふいた。うまい。
でも、竹村さんの言う通りだ。僕は賀真田さんのことなど考えず、自分の物差しだけで物事を見ていたのかもしれない。少し反省する。
そうこうするうちに、ようやく賀真田さんが僕の名前を読み終わったらしく、僕の方を向いて口を開いた。声を出したというより音を出したという感じで、かすれてはいるが元気そうな大きな声だ。
「あー、えー・・・。あと、ふじた君、だね?」
「あ、いえ、ごとうだです。ごとうだきよしと申します」
「あとふじた君・・・。うん、よし」
「あの・・・・・・」
僕がもう一度訂正しようとすると、竹村さんが僕の肩に手を回し、もう一方の手を僕の口の中に突っ込んだ。妙に生暖かい指だ。
「で、患者でもねえお前がなぜここに来たのか、ちゃんと説明しろよ、あとふじた君。え?ヂか?だったらうちじゃねえぞ?」
「ジ?」
「痔だよ、痔。いぼ痔。顔に書いてあるじゃねえか」
「な、何でふか、ほれ・・・」
竹村さんは僕の口に刺したままの指を抜こうとしないので、無理やり引き抜いた。竹村さんは僕のヨダレがついた指を嫌そうな顔で眺めながら言った。
「それだよ。その顔。その締まらねえいぼ痔顔」
戸田みたいなことを言う。どんな顔だ。
「痔ならいい医者を紹介してやれるぞ。茨城にある肛門科だ」
そう言いながら、僕のヨダレを隣にいたおじいさんの肩に擦り付けた。ぎょっとしたが、擦り付けられたおじいさんは気づいている様子もなく、ロビーに置かれたテレビに視線を送っている。ヤクザ映画の傑作、「仁義なき戦い」だ。なぜ病院でこの映画なのだろう。
いつもの間延びした声で小山さんが呼びかけた。
竹村さんは眉間にしわを寄せたまま近づいてくると、小山さんに向かって一言呟いた。
「腹でも壊したか」
「壊してないですよお」
「壊せよこのやろう」
竹村さんは僕に目を向けると、「こっちのボーヤは」と言った。
「今年の春に引っ越してきた大学生の後藤田清君だよお」
「名前、長えな」
「清君でいいよお」
「そうか、坊や。よろしくなあ」
竹村さんが差し出した手を、僕は慌てて握り返した。戸田と同じく、思いきり握るタイプらしく、手が痛い。
「で、腹も壊してねえくせに何のようだ」
「実はねえ、ゆきちゃんの飼ってる犬がねえ、いなくなっちゃったんですよお」
眉間にしわを寄せた竹村さんはかなりのコワモテで、僕は怖気づいてしまった。小山さんは慣れているのか特に怖さは感じないのか、にこにこと笑顔を浮かべている。
「それでねえ、ここにいる人たちが何か知らないかあと思ってねえ」
小山さんが言うと、僕ら三人はロビーに数おわすご老人たちに視線を向けた。男女はもちろん、ずっと騒がしいおばあさんもいれば静かに耳を傾けているおじいさんもいる。
「まあ、ここにゃジジババ各種揃ってるからな。色々知ってるのもいりゃなーんも分からんのもいるだろうよ。まあ、一通りは取り揃えてるから、何でも聞きな」
竹村さんは失礼極まりないことを言ったが、心のそこでこっそり同意している僕もいる。確かにこれだけたくさんのご老人が集まっていれば、情報もたくさん集まっていることだろう。「情報屋」というのは、情報を仕入れている人ではなく、情報がたくさん集まっている(かもしれない)場所のことを言っていたようだ。
「まあ、タマちゃんがいなくなったってんなら、おめえんとこのアパートの近所の方がいいだろうな」
竹村さんが眉間にしわを寄せながら唸った。
「竹村先生もタマちゃんご存じなんですか?」
僕が言うと、竹村さんは何食わぬ顔で「ああん?」とだけ言った。
「おめえんとこの近所の人だと、賀真田さんだな」
顎をしゃくった先には、ひとりの小柄な老人がちょこんと座っている。
「じゃあ早速聞いてみますねえ」
「おう」
小山さんと僕が近づいても、賀真田さんがこちらを見る気配はない。気付いていないのかもしれない。
「こんにちは」
僕が声をかけると少しだけこちらに視線をやったが、また前を向いてしまった。
「賀真田さんは耳が遠いんだ。真正面からきちんと話しかけねえと伝わらねえよ」
僕は賀真田さんの前に立ち、おじぎをしてもう一度「こんにちは」と言うと、賀真田さんはにっこりと笑った。とても柔和な笑顔だ。
「はじめまして。僕、後藤田といいます」
賀真田さんの反応はない。
「賀真田さんは耳が遠いって言ってんだろう。紙に書け、紙に」
竹村さんはそう言って胸ポケットからメモ帳とペンを出すと僕に投げて寄越した。僕はそのメモ帳に自分の名前を書き、賀真田さんに手渡した。竹村さんが「嫌だねえ、気遣いが足りねえってのは」と小山さんに呟いた。
賀真田さんは僕が手渡した紙をじーっと見つめている。その時間があまりにも長いので、僕は字が汚かったのかと思い、覗き込もうとした。すると、いつの間にか背後にいた竹村さんが僕の首根っこを掴むと、勢いをつけて引き戻した。
「せっかちだな、若ェもんは。行動の速さってのは人それぞれで正しさが違うんだよ。人生の先輩の行動を、自分の物差しで測ってんじゃねえよ、そのちっせえ物差しでよぉ」
竹村さんが得意げに言うと、周りの老人たちから拍手が沸き起こった。竹村さんはそれ見ろと言わんばかりの表情を僕に送り、フンと鼻息を吹いた。小山さんは誰よりも大きな拍手をしており、その横で小柄なおばあさんが綺麗な口笛をふいた。うまい。
でも、竹村さんの言う通りだ。僕は賀真田さんのことなど考えず、自分の物差しだけで物事を見ていたのかもしれない。少し反省する。
そうこうするうちに、ようやく賀真田さんが僕の名前を読み終わったらしく、僕の方を向いて口を開いた。声を出したというより音を出したという感じで、かすれてはいるが元気そうな大きな声だ。
「あー、えー・・・。あと、ふじた君、だね?」
「あ、いえ、ごとうだです。ごとうだきよしと申します」
「あとふじた君・・・。うん、よし」
「あの・・・・・・」
僕がもう一度訂正しようとすると、竹村さんが僕の肩に手を回し、もう一方の手を僕の口の中に突っ込んだ。妙に生暖かい指だ。
「で、患者でもねえお前がなぜここに来たのか、ちゃんと説明しろよ、あとふじた君。え?ヂか?だったらうちじゃねえぞ?」
「ジ?」
「痔だよ、痔。いぼ痔。顔に書いてあるじゃねえか」
「な、何でふか、ほれ・・・」
竹村さんは僕の口に刺したままの指を抜こうとしないので、無理やり引き抜いた。竹村さんは僕のヨダレがついた指を嫌そうな顔で眺めながら言った。
「それだよ。その顔。その締まらねえいぼ痔顔」
戸田みたいなことを言う。どんな顔だ。
「痔ならいい医者を紹介してやれるぞ。茨城にある肛門科だ」
そう言いながら、僕のヨダレを隣にいたおじいさんの肩に擦り付けた。ぎょっとしたが、擦り付けられたおじいさんは気づいている様子もなく、ロビーに置かれたテレビに視線を送っている。ヤクザ映画の傑作、「仁義なき戦い」だ。なぜ病院でこの映画なのだろう。
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