隣の黄レンジャー

ぴよ太郎

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 昨日、黄レンジャーを見かけた。

 夜の十一時くらいか。残業を終えた俺は、半分抜け出た魂をなんとか抑えながら我が家に帰った。我が家と言っても、しなびたアパートでの一人暮らしである。ペット禁止だから、帰ると同時に飛びついてくる犬もいない。それ以前に犬アレルギーなので、飛びつかれるとひとたまりもない。
 寂しいひとり暮らしかというとそうでもない。いや、むしろ忙しい。来る将来に備え、いつか出逢うはずの運命の人との幸せな空間を実現するための準備がある。寝る間も惜しいほどだ。人はそれを妄想というけれど、シミュレーションと言い変えてしまえば、実に戦略的である。
 戦略家である俺のシミュレーションでは、運命の人の誕生日は夏である。きっとその人はサプライズが好きだから、初夏の今から準備を始めた方がいいに違いない。昼間のデートは、まあなんとかするとして、今日はディナータイムのシミュレーションだ。その日のために研究している美味しいサングリアも完成間近だし、それをいかに提供するか。それが今夜の課題だ。会社から帰る時も、そのことしか頭になかった。残業を切り抜けるにはこれが一番なのだ。
 夜道を駆け抜ける黄色い人影を見たのは、そんな時だ。驚いて、すでに半分抜け出ていた魂が全部スポンといってしまうかと思ったけれど、なんとか踏みとどまり、黄色い人影を視線で追った。
 工事現場のお兄さんが証明しているように、暗くとも黄色は目立つ。黄色い全身タイツとヘルメットの人影は、目立って仕方ない。そんな黄色が、いや、そんな黄色だからこそ、あたりを見回しながら妙にコソコソ歩いている。
 どこかで見たことがある。もちろん、卒業アルバムや会社の取引先の類ではない。あのエグいほど黄色いタイツに走る一本の銀色のライン。手袋についたヒラヒラ。でかいバックルのついたベルト。小さい頃、テレビか何かで見たのだ。

 思い出した。マイクロレンジャーだ。

 ヒーロー戦隊ものでも異色中の異色作、マイクロレンジャー。おそらく名前を先につけ、ストーリーを後付けにしてしまったのだろう、そのやたらと規模の小さい物語は、当時の子どもたちには噴飯ものだった。ヒーロー戦隊史上唯一、ワンクールも放送されずに打ち切られた伝説のヒーローである。北関東一帯制圧という、現実的には大きいが、悪の秘密組織的にはみみっちい目論見は、マイクロレンジャーと戦うミニマムな組織としては、精一杯な目論見だったのかもしれない。俺はそんな「SFの中に現れる、どうでもいい現実感」が、今は好きだと言えるが、あの当時は受け入れることができなかった。
 そんなマニアックでシュールなレンジャーのコスプレをして街を練り歩く人間がいるとは。やたらとあたりを見渡しているが、そのクセ俺には気づいていない。この迂闊さはどことなく愛らしい。
 さっきまで半分抜け出ていた魂が、やつを追えと俺に告げた。ここからなら家も近いし、明日は休みだ。ちょっと遠回りしてみるのも面白い。
 辺りを見渡しながらぬき足差し足で歩いている。こっそり歩くなら、そんな格好して出歩かなければいいと人は言うかもしれないが、おそらく黄色は、日々家の中だけでコスプレを楽しんでいたのだけれど、どうしてもその格好で外に出たくなった。今日が初めてかどうかは知らないが、ただちょっと外に出るだけでは物足りなくなり、練り歩いてみたくなった。そして、俺に見つかった。そういうことだろう。
 どうやら帰る途中だったらしく、黄色は自宅というのか秘密基地というのか、とにかくヒーローには似合わないしなびたアパートに入って行った。ヒーローらしい素早い動きで、ヒーローらしくないコソコソした歩みで入って行ったその部屋は、俺の隣の部屋だった。黄色は、隣人だった。
 

 となりの部屋に住むのは、確かひとり暮らしの大学生だ。あまり近所づきあいはないからよく知らないが、一度部屋でのんびりしていると、隣の部屋から「レポート~!提出日明日~!間に合わない~!」という悲鳴が聞こえてきたことがあり、誠に勝手ながら大学生だと判断させていただいた。

 そうか、彼は黄色か。

 目が合っても挨拶もしない陰気な青年だと思っていたが、そうか、彼は黄色か。
 赤ではなく黄色を選ぶそのセンスがたまらない。決して主役ではないが、いない場合もある緑ほど存在感が薄くもない黄色。そこに謙虚の心やささやかな自己主張を感じる。

 きっと――。俺は想像する。きっとこの黄色は小さい頃にヒーローになれなかったのだ。友達とするヒーローごっこも、戦闘員Cの役だったに違いない。幼い黄色は心に誓った。いつかヒーローになってやる。そしていつも僕を戦闘員Cにするタカシをやっつけるんだ。タカシはいつも赤レンジャーの役をするけれど、実際のところ悪の統領がイメージ的に近いし、よしんば戦隊メンバーだとしても、紫あたりがお似合いだ。そう堅く誓った。タカシという同級生がいるかどうかは知らないが、具体的な名前があった方がイメージを掴みやすい。

 黄色は夢を叶えるべく、全身タイツを買った。そこらでは取り扱っていない黄色の全身タイツを見つけるのは、骨の折れる作業だったに違いない。黄色のスプレーを吹き付けるというアイデアもあったが、乾いたらパリパリするから動きにくい。黄色はそこに気付ける賢い子だった。フルフェイスのマスクはヘルメットを改造すればいいし、これはスプレーでも構わない。黄色はそういう妥協もできる大人な子だった。
 買った場所は、おそらくドンキホーテだ。パーティーグッズ・コーナーにて、トラックスーツという名で売られているその黄色いスーツは全身タイツではないが、そもそもヘルメット、否、フルフェイスのマスクを被るのだから頭部は必要ない。問題は腕と体に入っている黒いラインだが、四階で売っている夜道で光る銀色の交通安全テープを縫い付けた。俺が遠くからでも見つけられた要因であるのはこの交通安全テープだが、実はマイクロレンジャーのスーツのイメージに一番近い。
 こうして出来上がったマイクロレンジャースーツを、毎晩着ていたのだろう。なんといじらしい。俺はそんな黄色に、興味を持った。

 
 ワインのオシャレな入れ方は、左斜め後方から肩を抱くようにそっと手を肩に添え、もう片方の手でグラスに注ぐことだと確信した。正確にはサングリアだが、運命の人は甘いものが好きだろうからワインよりこちらがいい。食事はサングリアに合うものを用意するとして、一番の問題は、食事の後だ。俺のシミュレーションでは先週買った三人掛けのソファにふたり並んで映画を見るのだが、これは何を見るべきか。三人用を買ったのはスペースに余裕を持って抱きつくためだが、ここはやはりラブストーリーだろうか。とりあえず、いい映画を見るとして、俺は抱きつくタイミングを計るために、実際にダイブしてみた。しかし、思いの他ソファは軽く、俺の体に押されてずれてしまい、俺は壁に思い切り頭をぶつけてしまった。ゴンという音が体の芯まで鳴り響く。痛みに耐えながら、シミュレーションを続ける。

 そうだ。セリフが大事なのだ。俺はシミュレーション用に購入したクマのぬいぐるみの肩を抱きながら、そっと囁く練習をする。

 「今夜の君は、最高だよ」

 ダメだ。チープな映画のチープなラブシーンは、むしろコメディだ。

 「君の瞳に、乾杯」

 ダメだ。噴き出さずに言える自信がない。

 また、どこまではっちゃけていいのかも問題である。せっかく運命の人が来て、ふたりで映画を鑑賞したのだ。運命の人は少し照れ屋に違いないから、いきなりいちゃつきだした俺に、本当はまんざらでもないのに一応拒むフリをする。その時俺は、なんて言えばいい。ふざけてガオーッと襲いかかる時、どう吠えればいやらしくない。

 「食べちゃおうかなー」

 言ってみたそばから自己嫌悪に陥った。こんなチンケなセリフ、今時酔ったおっさんでも言うまい。

 「俺から、逃げられるかな?」

 いかん。これではヒーロー戦隊に出てくる悪者が、小さい子を浚って言うセリフである。
 頭に浮かんだセリフを、ひとつひとつ声に出しながら検証する。時にはソファに座り、時には立ち、時にはまたがり、彼女のハートを掴んで離さない一言を研究する。あくまで自然に、ドラマチックになりすぎないよう、かといって淡泊になりすぎないよう、絶妙な具合を俺は研究する。実際これは意外と難しい。声に出して練習しているとついつい熱が入り、最終的には安い芝居みたいになってしまうのだ。このアパートの壁は決して厚くないから、隣の部屋に聞こえないか心配だ。俺は声が大きくなっていることに気付き、「静かにしようぜ」と自分に言い聞かせて、シミュレーションを再開させる。長い夜になりそうだ。

 
 最近、黄色が妙に目につくようになった。黄色の行動自体は変わらないが、今までは視界の端っこに入っても気にしなかったのが、今は気になって仕方ない。

 どうだ、今日も頑張っているか?

 今日も、世界は平和か?

 俺はそっと彼を見守っている。
 そのせいかやたらと目があうので、最近は頭を下げる程度に会釈するようになった。俺も、いきなり元気に挨拶するのもなんだから、まだ会釈だけだ。いつかは敬礼したいと思っている。
 そんな折、アパートで事件が起きた。いや、起きようとしている、らしい。情報源は大家の家舗さんだ。家舗さんは井戸端会議名誉議長とも呼ぶべき噂好きのご婦人で、ワイドショーがももひきを履いて歩いているようなものだ。「事件の臭いがするわ」が口癖である。

 「あなたの隣にいる学生さん、実はねえ」と、朝の挨拶も早々に切り上げ、顔を近づけてきた。

 曰く、今まで家賃を払う時以外姿を見せなかった黄色だが、最近は双眼鏡を持ってベランダに立つ目撃されるという。趣味にプラスアルファした人たち御用達だという高価な双眼鏡で、近所を見渡しているというのだ。

 「でしょお?」

 「でしょお?」と言われても、何が「でしょお?」なのかはよく分からないが、目的は間違いなく防犯だ。なぜなら黄色はレンジャーだからだ。

 「それも、ずっとキョロキョロしているの。何か探しているのかしら」

 赤レンジャーだろう。

 「ひょっとしたら、誰か見張っているのかも!怖いわあ。気をつけなくちゃねえ」

 それだけ言うと、さっさとどこかへ言ってしまった。

 黄色はレンジャーだぞ。ストーカーみたいな真似をするはずがないだろう。

 しかしその夕方、俺を不安にする出来事が起こった。俺が仕事から帰ってくると、黄色が双眼鏡を使って辺りを見渡しているのを見かけたのだ。黄色がレンジャーであることを知っている俺も、いくらなんでも目立ち過ぎだぞ、それはまずいだろうと思いつつ、それでもこれはあくまで悪を監視する、言ってみればパトロールの一環なのだからと気づかぬフリをした。
 俺はアパートの前にある自動販売機の前に立ち、今夜テレビで漫才を見ながら一杯やるためのビールを購入した。たまにはこうしてシミュレーションも休まないと、いい流れを作ることができない。
 ビール代も馬鹿にならないから一日一本と決めている。明日の分もついでに買っておくか、自動販売機の前に立って悩んでいた時、ふと気がついた。
 黄色の双眼鏡がこちらを向いているのだ。さっきまで定まることのなかった視線が、まっすぐ俺に注がれているような気がする。俺は悩むフリをしながら、顔をアパートの方に向けぬよう目線だけで黄色を見た。黄色は迷いなくこちらを見つめている。知っている人を見つけたから目を向けた、というには長すぎる。

 俺を見ている。間違いなく。いや、見張っている?

 なんということだ。最近目が合うのはお近づきのしるしではなく、見張られていたのかもしれない。
 だとしたら、これはいかんことである。どういった経緯でそんな誤解が生まれたのかは知らぬが、とにかくいかんことである。レンジャーが監視するくらいなのだから、俺は悪だと思われているに違いない。それならば、なんとかして誤解を解かなければならないが、だがどうやって?
 アパートの入口に向かいながら、俺は横目で黄色を追った。黄色は双眼鏡を外し、目を細めて俺を肉眼で確認すると、そそくさと部屋に戻って行った。その戻り方は、テレビで見た張り込み中の刑事のようだった。
 部屋に戻ってもなんだか落ち着かない気分だ。どういうことだ。黄色は俺を見張っているのか?なぜ?
 いや待て。俺は得意のシミュレート能力を発動させた。
 シミュレーションとはあらゆる状況を想定すべきだ。俺の勘違いということももちろんありえる。たとえば黄色は赤レンジャーを探しているのかもしれない。その赤レンジャーとはもう何年も会っておらず、会っていた頃も赤くなっている時ばかり見ていたので、素顔を確認できるか自信がない。そして、記憶の片隅にある赤レンジャーの素顔に、俺はよく似ているのかもしれない。そういうことかもしれないのだ。
 小さい頃、親父が言っていた。むやみに人を疑うな。俺のシミュレーションは、「人への信頼」という美しい信条に基づいている。もう少し様子を見るべきか。

 しかし、そうも言っていられない事態となる。三日後、俺は念のためもう一度自販機の前で立ち止まり、ビールを買うふりをしながら横目でそっとアパートのベランダを見ると、やはり黄色が双眼鏡を持って立っている。そしてこちらを見ている。今までは様々な個所を観察するように見ていたのだが、今は俺に狙いを定めてみているようにしか見えない。まるで張り込み中の刑事だ。きっと手に持っているものはアンパンだろう。
 さすがに黄色も大学生、毎日監視する訳にもいかないらしいが、意識してみればここ数日、確かにその姿が視界に入る。部屋にいても黄色のことが気になり、運命の人との時間も集中しきれない。やはり、今俺の心を捉えている問題を解決せずには何も進まないのかもしれない。

つづく
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