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光の宮殿
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「妖精女王」
フロイントは前女王に頭を垂れ、敬意を込めて呼び掛けた。光の妖精女王はその退位の後も、フロイントとアデライデの相談役、そして友人としてラングリンドに留まり、二人の治世を助けていた。
妖精女王はフロイントに微笑みながら、
「国境の守備は今日も万全のようですね。森の精霊たちがよく働いてくれるおかげでしょう」
フロイントは精霊たちへの感謝を瞳にあらわし、いかにも謹直な様子で頷いた。
光の妖精女王が退位し、人間がラングリンドの王となったという噂は、瞬く間に影の世界にも伝わった。魔物たちは初め大挙してラングリンドに攻め寄せたが、水も漏らさぬ鉄壁の守りを誇る光の精霊たちと、依然として絶対的な光をもって守護する妖精女王により、この光の王国に影が差すことは防がれていた。
フロイントは国王に就任してからの半年というもの、妖精女王に指し示された世界の本来の姿をラングリンドに打ち立てるべく、影との共存を実現する道を模索し続けていた。それはただ妖精女王の言葉を実現し、恩に報いたいと思う気持ちだけでそうするのではなかった。フロイントはあの荒野の館での最後の夜、自分の身を魔物に変えてでも運命を共にしたいと言ったアデライデの捨て身の愛に触れて沸き起こった、魔物の性に対する悲しい思いを忘れることができなかった。魔物というものに対する憐れみを胸に、光への憧憬を内奥に押し隠して影の世界に潜んでいる魔物の存在の可能性を考えると、奇跡に与ることができた我が身の幸いに感謝する思いは、同時に魔界にいるかもしれぬかつての自分のような者たちに救いをもたらしたいという切願にもなっていた。それは魔物の過去を持つ自分が負うべき使命であるようとも思えるのだった。たが急進はときに望まぬ結果を導いてしまうこともある。フロイントは慎重に、光と影が新たな──本来の関係性を築いて取り戻せる方法を探るべく、考えをめぐらせ続けていた。
そして国王の切なる意思は光の中にまぎれてラングリンドの隅々にまで行き渡り、やがてゆっくりと変化の兆しを見せ始めることとなった。ラングリンドの民たちは自ら影の世界について学び始めるようになったのだ。そうした民の変化を支えたのはラングリンドに暮らす光の眷族たちだった。彼らはフロイントの意思をよく汲み取っており、人々の自発的な学びを細やかに助け、魔物の仕掛ける様々な誘惑に対処し、制御する術を教え授けていた。
しかし凶悪で残忍な上位の魔物たちは人々の魂を手に入れるためには手段を択ばず、好戦的でもあったため、依然として影が危険な存在であるということに変わりはなかった。またフロイントがかつては魔物であったということが知れ渡ることも、魔物たちの世界の混乱の火種となる可能性が否めないことから、影の国の住人たちがラングリンドに入国することを容認はできないというのが現状ではあったが、しかしフロイントはいつの日か世界が本来のバランスを取り戻す日が必ず来ると信じ、そのために身を捧げようと固く心に決めているのだった。
妖精女王は深く考えをめぐらせているフロイントの真剣な面差しを見て微笑むと、窓際のテーブルに近寄って、ゆったりと椅子に腰かけた。
フロイントは慈悲深い微笑みを宿して自分を見守っている妖精女王に気がつくと、ゆるりと微笑を返し、
「女王、お茶はいかがですか。今日はアデライデが城のハーブ園で育てたヒソップを用意してあるのですが」
テーブルの上のティーセットを指して言った。
「いただきましょう」
女王はにっこりと頷いた。
夏の間に摘み取って乾燥させておいたヒソップの葉をガラスのポットに入れるフロイントの優雅な手つきを眺めていた女王は、
「もうその体にもすっかり馴染んだようですね」
「ええ、そうですね……。最初のうちは人間の感覚のあまりの鋭敏さに驚くことも多かったのですが、政務に忙殺されて体にまで気が回らずにいたのがかえって幸いしたのかもしれません。ときどき、自分がかつては魔物であったことすら忘れてしまいそうになるのです……」
フロイントはヒソップの上に湯を注ぎ終えると、ふと両の掌に視線を落とした。
「わたしは自分の過去を忘れたくはないのです。戒めるためではなく、感謝のために。だからわたしは日に何度かは鏡を見ることにしているのです。鏡に映る赤い瞳が、わたしに起こった奇跡を思い出させてくれるから──」
妖精女王は光に満ちた瞳でフロイントを包み込んだ。
フロイントは前女王に頭を垂れ、敬意を込めて呼び掛けた。光の妖精女王はその退位の後も、フロイントとアデライデの相談役、そして友人としてラングリンドに留まり、二人の治世を助けていた。
妖精女王はフロイントに微笑みながら、
「国境の守備は今日も万全のようですね。森の精霊たちがよく働いてくれるおかげでしょう」
フロイントは精霊たちへの感謝を瞳にあらわし、いかにも謹直な様子で頷いた。
光の妖精女王が退位し、人間がラングリンドの王となったという噂は、瞬く間に影の世界にも伝わった。魔物たちは初め大挙してラングリンドに攻め寄せたが、水も漏らさぬ鉄壁の守りを誇る光の精霊たちと、依然として絶対的な光をもって守護する妖精女王により、この光の王国に影が差すことは防がれていた。
フロイントは国王に就任してからの半年というもの、妖精女王に指し示された世界の本来の姿をラングリンドに打ち立てるべく、影との共存を実現する道を模索し続けていた。それはただ妖精女王の言葉を実現し、恩に報いたいと思う気持ちだけでそうするのではなかった。フロイントはあの荒野の館での最後の夜、自分の身を魔物に変えてでも運命を共にしたいと言ったアデライデの捨て身の愛に触れて沸き起こった、魔物の性に対する悲しい思いを忘れることができなかった。魔物というものに対する憐れみを胸に、光への憧憬を内奥に押し隠して影の世界に潜んでいる魔物の存在の可能性を考えると、奇跡に与ることができた我が身の幸いに感謝する思いは、同時に魔界にいるかもしれぬかつての自分のような者たちに救いをもたらしたいという切願にもなっていた。それは魔物の過去を持つ自分が負うべき使命であるようとも思えるのだった。たが急進はときに望まぬ結果を導いてしまうこともある。フロイントは慎重に、光と影が新たな──本来の関係性を築いて取り戻せる方法を探るべく、考えをめぐらせ続けていた。
そして国王の切なる意思は光の中にまぎれてラングリンドの隅々にまで行き渡り、やがてゆっくりと変化の兆しを見せ始めることとなった。ラングリンドの民たちは自ら影の世界について学び始めるようになったのだ。そうした民の変化を支えたのはラングリンドに暮らす光の眷族たちだった。彼らはフロイントの意思をよく汲み取っており、人々の自発的な学びを細やかに助け、魔物の仕掛ける様々な誘惑に対処し、制御する術を教え授けていた。
しかし凶悪で残忍な上位の魔物たちは人々の魂を手に入れるためには手段を択ばず、好戦的でもあったため、依然として影が危険な存在であるということに変わりはなかった。またフロイントがかつては魔物であったということが知れ渡ることも、魔物たちの世界の混乱の火種となる可能性が否めないことから、影の国の住人たちがラングリンドに入国することを容認はできないというのが現状ではあったが、しかしフロイントはいつの日か世界が本来のバランスを取り戻す日が必ず来ると信じ、そのために身を捧げようと固く心に決めているのだった。
妖精女王は深く考えをめぐらせているフロイントの真剣な面差しを見て微笑むと、窓際のテーブルに近寄って、ゆったりと椅子に腰かけた。
フロイントは慈悲深い微笑みを宿して自分を見守っている妖精女王に気がつくと、ゆるりと微笑を返し、
「女王、お茶はいかがですか。今日はアデライデが城のハーブ園で育てたヒソップを用意してあるのですが」
テーブルの上のティーセットを指して言った。
「いただきましょう」
女王はにっこりと頷いた。
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「もうその体にもすっかり馴染んだようですね」
「ええ、そうですね……。最初のうちは人間の感覚のあまりの鋭敏さに驚くことも多かったのですが、政務に忙殺されて体にまで気が回らずにいたのがかえって幸いしたのかもしれません。ときどき、自分がかつては魔物であったことすら忘れてしまいそうになるのです……」
フロイントはヒソップの上に湯を注ぎ終えると、ふと両の掌に視線を落とした。
「わたしは自分の過去を忘れたくはないのです。戒めるためではなく、感謝のために。だからわたしは日に何度かは鏡を見ることにしているのです。鏡に映る赤い瞳が、わたしに起こった奇跡を思い出させてくれるから──」
妖精女王は光に満ちた瞳でフロイントを包み込んだ。
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