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第一章

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 ヒツジはおじいさんや、おじいさんの犬と、とても仲良しでした。ヒツジは自分のおとうさんとおかあさんのことを知りませんでしたが、仲間のヒツジの親子たちを見ていて、きっと自分に親があれば、このおじいさんとおじいさんの犬のようなんだろうと思っていました。
 おじいさんはときどき、ヒツジにむかって「おまえはとくべつだよ」と言ってくれることがありました。そう言われると、ヒツジは自分があのポラリスになったような気がして、くすぐったいような、胸を張りたいような、そんなうれしい気持ちになったものでした。
 ある日、ヒツジたちをいつものように小屋から出して、自分の仕事に取り掛かっていたおじいさんは、突然ヒツジの目の前でぱったりと倒れ、それからヒツジがどんなに鳴いて呼びかけても、ちっとも動きませんでした。
 犬は吠えながらどこかに行ってしまいましたが、しばらくすると、何人かの人間たちを連れて戻ってきました。人間たちは倒れているおじいさんを急いで抱え上げ、吠えつづける犬と一緒におじいさんを運び去っていきました。
 ヒツジは運ばれていくおじいさんに向かって鳴きつづけましたが、数人の男たちに抱え上げられたおじいさんは、やっぱり返事をしてくれることもなく、ヒツジをやさしくなでてくれたおじいさんの手だけが、風に揺れる木々の葉のようにぶらぶらと揺れ動いているだけでした。

 そのとき、少し前から空を厚くおおいはじめていた黒い雲から、ぽたぽたと雨粒が落ちてきて、あっという間にはげしく降り出し、おじいさんに刈ってもらったばかりのヒツジの毛をしとどに濡らしました。それ以来、おじいさんがヒツジたちのもとに訪れることはありませんでした。
 おじいさんは死んだそうです。ヒツジには死ぬということの意味がわかりませんでした。けれど、朝になって太陽が昇っても、おじいさんがヒツジ小屋に顔を出すことはなく、今にも空から星が落ちてきそうなほどの美しい夜が来ても、あたらしい星座のなまえを教えるために、おじいさんが小屋のなかのヒツジのもとを訪れることも二度とありませんでした。
 どんなに待ってもおじいさんが来ることはもうないのだということがわかって、死ぬというのは、自分の前からいなくなって、見えなくなることなのだとヒツジは理解しました。せめておじいさんの犬がいてくれれば、と思いましたが、おじいさんが死んだのと同時に、おじいさんの犬の姿も見なくなりました。それでヒツジは、犬も死んだのだろうと思いました。

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