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第一章

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 あたらしい農場主には、まだ若い男がなりましたが、彼はヒツジたちをひどく乱暴に扱ったので、ヒツジはこの男のことがあまり好きではありませんでした。彼もまた犬を飼っていましたが、その犬はおじいさんの犬とはちがって気が荒く、しょっちゅうヒツジたちにやかましく吠えかかってきました。だからヒツジは、このあたらしい犬のことも、あまり好きではありませんでした。
 男には、男と同様、まだ若い奥さんがいましたが、この奥さんはとても不愛想で、いつも不機嫌な顔でヒツジたちを睨みつけるのでした。おまけに夫婦には四人の子どもがいて、この子どもたちはひまを見つけてはヒツジたちのところに大声を上げながらやってきて、毛をむしろうとしたり、耳を引っ張ったり、背中にとびのろうと追い回したので、ヒツジには気の休まるときがありませんでした。
 あたらしい犬が猛り狂ったようにヒツジたちの誰かに向かって吠えはじめたときや、子どもたちのヒステリックな叫び声に耳がつんざかれそうになるとき、ヒツジは恐怖に震えながら、おじいさんのことを思い出しました。
 おじいさんはヒツジをやさしくなでてくれたり、歌をうたってくれたり、おじいさんの子ども時代の話を聞かせてくれたりすることもありました。そんなことを思い出していると、ヒツジは耐えがたい恐ろしさの中にあっても、ふとした安らぎを心のうちに見出だすことができました。
 そんなふうに、おじいさんがいなくなってからの日々を、なんとかやり過ごしていたヒツジは、ある日自分がもう何日も眠っていないことに気がつきました。
 おじいさんと夜空を眺めるときなど、夜更かしをすることはありましたが、そんなときにもおじいさんのかたわらで寝息を立てていたものでした。
 いったいいつから眠っていないのだろうと思い返してみると、おじいさんが死んだという日からこっち、眠っていないように思います。
 陽が落ちて、牧草地から小屋の中に入っても、ヒツジのまぶたが重くなることはなく、かと言って、昼間に草を食べながらうつらうつらするということなどもありませんでした。
 夜になると、ヒツジの目はむしろはっきりと冴えるようで、小屋の中で仲間たちの寝息を聞きながら、壁の板木のすき間からほんのちょっと見えている星をとらえては、小さな声で、あれはカシオペア、これはオリオンなどとひとりごちて過ごしていました。
 そんな日々のなかでも、ヒツジはひとつの楽しみを見つけました。あたらしい農場主の一家は、犬のほかに一匹のメスのネコを飼っていました。
 ネコの体つきは華奢でしたが、とてもしなやかで、長い手足としっぽはいかにも優美でした。歩くときにはまるでダンスでもおどっているかのように、小さな手足をつま先立ちにして華麗に歩くのでした。
 このネコは、まるで風にたなびく草原を思い起こさせる美しい毛皮を持っていました。毛皮は光の当たり具合によって、銀色にかがやいたり、不思議に青っぽく光ったり、ヒツジの心をひきつけてはなしませんでした。
 ネコは犬とはちがって、ヒツジたちに噛みつくことはありませんでした。しかし、ヒツジがあいさつをしても、小屋の屋根の上でヒツジを遠巻きにしながら、長いしっぽをゆらゆらさせて、プイとそっぽを向いたきり、返事のひとつも返しませんでした。

 けれど、ヒツジはこのネコのことがなんだかとても気になって、そんな態度をとられても、嫌いになることはありませんでした。むしろ、ヒツジはこっそりとネコの姿を目の端にとらえて見ることに、ちょっとした喜びを感じていました。ネコはいつも上品な様子で、そしてなにより、とてもきれいだったのです。

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