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王都で最も華やかな舞踏会。煌びやかなシャンデリアの下、侯爵令嬢エマ・ヴェルヌイは、生涯で最も屈辱的な瞬間に立たされていた。
「エマ・ヴェルヌイ。貴様との婚約を、この場で破棄する」
王太子ルドルフの声は、会場全体に響き渡った。エマの心臓は凍りつき、背筋を冷たい汗が伝う。
「ルドルフ殿下……なぜ、急に……」
「なぜだと?」
ルドルフは鼻で笑った。彼の隣には、エマの従妹で、誰もが認める「家庭的」な令嬢、リリアが寄り添っていた。
「貴様は、侯爵令嬢でありながら、王太子妃となるに相応しくない、致命的な欠陥を持っている。それは、料理への才能の欠如だ」
会場がざわめいた。料理が下手な令嬢は珍しくないが、婚約破棄の理由としては異例だった。
「私の命を救ったリリアの作る滋味深い料理に比べ、貴様が作ったものはどうだ?あれは、料理という名の毒だ。貴様のその才能のない手を、二度と私の前に出すな!」
ルドルフの言葉は、エマの最も繊細な部分を抉った。彼女が作った数少ない手料理を、彼はいつも「不味い」「毒だ」と罵倒していた。
(違う!あれは、不味いんじゃなくて……)
エマの味覚は、常人の何倍も鋭敏だった。料理に含まれる微細な不純物、隠された油の酸化、ハーブの相性の悪さ……それら全てが、エマの口の中では耐え難い不協和音となって感じられてしまう。ルドルフの王宮料理人でさえ、エマにとっては「不味い」のだ。彼女はそれを表現できず、ただ拒否し続けた結果、料理下手という烙印を押された。
「王太子殿下、私は……」
エマが反論しようとした瞬間、ルドルフは冷たく言い放った。
「貴様を侯爵家から追放する。二度と王都に戻るな。貴様の顔を見るだけで、吐き気がする」
婚約破棄、そして追放。エマの人生は、一瞬にして崩壊した。
その夜遅く、エマは一頭の馬車に揺られ、王都を離れた。行き先は、魔力汚染がひどく、作物もろくに育たない辺境。
馬車に揺られて数日。食料も尽き、水も底をついた頃、エマは一軒の古びた宿屋に辿り着いた。
宿屋の厨房からは、異様な焦げ臭い匂いが漂っていた。エマの鋭敏な鼻と舌が、その料理の「不味さ」を即座に感知し、体が拒絶反応を起こす。
(だめ、こんなもの食べられない……!)
しかし、飢えには勝てず、エマは出された煮込み料理を一口、口に含んだ。
「うっ……」
エマは思わず吐き出した。肉の繊維の固さ、ハーブの処理の雑さ、そして何より古くなった油の臭みが、彼女の脳を直撃する。
「貴様、なんだその態度は!」
怒った宿屋の亭主が、エマを怒鳴りつけた。
そのとき、宿屋の奥のテーブルから、低い、魅力的な声が響いた。
「面白い。君の口から、その料理の決定的な不協和音を、聞かせてもらおうか」
声の主は、黒衣を纏った長身の男だった。その容貌は息を呑むほど整っているが、瞳には常に全てに不満を抱いているような冷たさが宿っている。
エマは、その男が「グルメ公爵」として社交界でも有名なライナス・グレイヴ公爵であることに気づいた。そして、彼の目の前の皿には、エマが吐き出したのと同じ煮込み料理が、一口も手をつけられずに残されていた。
公爵の冷たい視線を受け、エマは震える声で、その煮込み料理の「不味さの根源」を指摘した。
「この料理は……煮込みの前に、肉を古い牛脂で焼いています。その酸化臭を、ハーブのローリエが完全に殺しきれていない。そして……その塩気のムラが、全ての味をバラバラにしています」
エマの言葉を聞いたライナスは、初めて満足したような、驚愕の色を瞳に浮かべた。彼は静かに立ち上がり、エマの前に歩み寄った。
「その通りだ。私以外に、この煮込みの毒を見抜いた者がいたとはな」
ライナスは、エマの細い手を掴み、冷たい声で命じた。
「君のその舌は、紛れもない天才だ。私だけのものになれ。私を満足させる、専属の料理人になれ」
エマは、王太子に毒と罵られた手を、今、最強の美食公爵に、天才と評価されていた。屈辱の果てに、彼女の人生は、美食公爵の愛の契約という、新たなステージへと切り開かれたのだった。
「エマ・ヴェルヌイ。貴様との婚約を、この場で破棄する」
王太子ルドルフの声は、会場全体に響き渡った。エマの心臓は凍りつき、背筋を冷たい汗が伝う。
「ルドルフ殿下……なぜ、急に……」
「なぜだと?」
ルドルフは鼻で笑った。彼の隣には、エマの従妹で、誰もが認める「家庭的」な令嬢、リリアが寄り添っていた。
「貴様は、侯爵令嬢でありながら、王太子妃となるに相応しくない、致命的な欠陥を持っている。それは、料理への才能の欠如だ」
会場がざわめいた。料理が下手な令嬢は珍しくないが、婚約破棄の理由としては異例だった。
「私の命を救ったリリアの作る滋味深い料理に比べ、貴様が作ったものはどうだ?あれは、料理という名の毒だ。貴様のその才能のない手を、二度と私の前に出すな!」
ルドルフの言葉は、エマの最も繊細な部分を抉った。彼女が作った数少ない手料理を、彼はいつも「不味い」「毒だ」と罵倒していた。
(違う!あれは、不味いんじゃなくて……)
エマの味覚は、常人の何倍も鋭敏だった。料理に含まれる微細な不純物、隠された油の酸化、ハーブの相性の悪さ……それら全てが、エマの口の中では耐え難い不協和音となって感じられてしまう。ルドルフの王宮料理人でさえ、エマにとっては「不味い」のだ。彼女はそれを表現できず、ただ拒否し続けた結果、料理下手という烙印を押された。
「王太子殿下、私は……」
エマが反論しようとした瞬間、ルドルフは冷たく言い放った。
「貴様を侯爵家から追放する。二度と王都に戻るな。貴様の顔を見るだけで、吐き気がする」
婚約破棄、そして追放。エマの人生は、一瞬にして崩壊した。
その夜遅く、エマは一頭の馬車に揺られ、王都を離れた。行き先は、魔力汚染がひどく、作物もろくに育たない辺境。
馬車に揺られて数日。食料も尽き、水も底をついた頃、エマは一軒の古びた宿屋に辿り着いた。
宿屋の厨房からは、異様な焦げ臭い匂いが漂っていた。エマの鋭敏な鼻と舌が、その料理の「不味さ」を即座に感知し、体が拒絶反応を起こす。
(だめ、こんなもの食べられない……!)
しかし、飢えには勝てず、エマは出された煮込み料理を一口、口に含んだ。
「うっ……」
エマは思わず吐き出した。肉の繊維の固さ、ハーブの処理の雑さ、そして何より古くなった油の臭みが、彼女の脳を直撃する。
「貴様、なんだその態度は!」
怒った宿屋の亭主が、エマを怒鳴りつけた。
そのとき、宿屋の奥のテーブルから、低い、魅力的な声が響いた。
「面白い。君の口から、その料理の決定的な不協和音を、聞かせてもらおうか」
声の主は、黒衣を纏った長身の男だった。その容貌は息を呑むほど整っているが、瞳には常に全てに不満を抱いているような冷たさが宿っている。
エマは、その男が「グルメ公爵」として社交界でも有名なライナス・グレイヴ公爵であることに気づいた。そして、彼の目の前の皿には、エマが吐き出したのと同じ煮込み料理が、一口も手をつけられずに残されていた。
公爵の冷たい視線を受け、エマは震える声で、その煮込み料理の「不味さの根源」を指摘した。
「この料理は……煮込みの前に、肉を古い牛脂で焼いています。その酸化臭を、ハーブのローリエが完全に殺しきれていない。そして……その塩気のムラが、全ての味をバラバラにしています」
エマの言葉を聞いたライナスは、初めて満足したような、驚愕の色を瞳に浮かべた。彼は静かに立ち上がり、エマの前に歩み寄った。
「その通りだ。私以外に、この煮込みの毒を見抜いた者がいたとはな」
ライナスは、エマの細い手を掴み、冷たい声で命じた。
「君のその舌は、紛れもない天才だ。私だけのものになれ。私を満足させる、専属の料理人になれ」
エマは、王太子に毒と罵られた手を、今、最強の美食公爵に、天才と評価されていた。屈辱の果てに、彼女の人生は、美食公爵の愛の契約という、新たなステージへと切り開かれたのだった。
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