婚約破棄された私を拾ったのは、辺境のグルメ公爵でした

腐ったバナナ

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2話

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 ライナス公爵の冷たい手のひらが、エマの細い手を力強く掴んでいた。公爵の瞳には、エマの味覚という才能に対する、純粋な驚きと、強い独占欲が燃えている。

「専属の料理人、ですか……?」

 エマは戸惑いながら繰り返した。

「ああ」

 ライナスは、周囲のざわめきを完全に無視し、断言した。

「私は長年、真の『美食』を求めてきた。だが、私の鋭敏な味覚を満足させられる料理人は、この国には存在しない。君の舌は、私と同じ、不協和音に耐えられない呪いにかけられているのだろう。だが、それは料理人にとっての『神の舌』だ」

(この女の舌が、私の救いになる。この孤独から解放してくれるのは、彼女だけだ。何としてでも、私の傍に置かなければならない)

 ライナスは、そう強く思っていた。

 エマは胸を打たれた。「毒」だと罵られた自分の特性を、彼は「神の舌」だと、まるで自分自身のように理解してくれたのだ。

「私を追放した王太子は、私の作った料理を『毒』だと罵りました。私はもう、誰の舌にも合わない料理を作ることに怯えています」

 エマは絞り出すように言った。

「だからこそだ」

 ライナスはエマの手を離さず、強く握りしめた。

「君が自分の味覚に従い、最高に『美味い』と感じるものを作ればいい。それを唯一理解できる舌が、ここにいる。私に最高の料理を提供しろ。その代わり、私が君の身分と安全、そして、君の全てを守る」

 ライナスは、その場で宿屋の亭主に大量の金貨を投げつけ、エマの身柄を引き取った。

「馬車を出す。辺境の公爵領へ向かうぞ。そこには、君の才能を振るえる汚染されていない最高の食材がある」

 数日後、ライナスの公爵領へと続く道のりは、王都周辺とは比べ物にならないほど緑豊かで清浄な空気に満ちていた。ライナスは、馬車の中でエマの過去について尋ねた。

「王太子に毒と罵られた料理とは、具体的にどんなものだ?」

 エマは恐る恐る答えた。

「それは……彼の好む甘いパイです。私は、砂糖の精製過程で残るごく微かな苦味がどうしても気になって、自然の果実の甘さだけで仕上げました。でも、彼は『味が薄い』と……」

「愚かだ」

 ライナスはため息をついた。彼の甥である王子の味覚が人工的な甘さに飼い慣らされた獣に過ぎないことが分かった。

「君の味覚は、天然の調和を求めているのだ」

 ライナスはそこで初めて、エマに温かい視線を向けた。

「安心しろ、エマ。私の領地は、魔力汚染が少なく、食材の純粋な美味しさが保たれている。そこでなら、君の舌が求める真の調和が見つかるはずだ」

 公爵領に到着したエマは、広大な屋敷の厨房に通された。ライナスは、彼女に「最高の食材」を与えることから始めた。土の香りがする新鮮なハーブ、露が残る野菜、澄んだ水で育った肉。

「作ってみろ、エマ。君が今、最も食べたいと感じるものを」

 エマは、ライナスの視線を感じながら、緊張しつつも、心の中で真の調和を求めた。

(私を罵った人たちのためじゃない。この純粋な食材と、私の舌のために……)。

 エマは、シンプルなハーブのスープを作り始めた。鋭敏な味覚が、ハーブと野菜の組み合わせをミリ単位で調整し、最高のバランスを探し当てていく。

 そして、ついに完成した一皿。エマは、恐る恐るスプーンを口に運んだ。

 次の瞬間、エマの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。

「あ……美味しい……」

 それは、彼女の鋭敏な舌が、初めて不協和音のない、完璧な調和を見つけた瞬間だった。

 厨房の隅でそれを見ていたライナスは、エマの歓喜の涙と、料理の香りに、自身の体が熱くなるのを感じていた。

(見つけた!私の求める味だ!そして、この才能は、私が生涯かけて守り、独占しなければならない宝だ!)

 彼の心は、そう叫んでいた。

 エマの才能が覚醒した今、公爵の冷酷な執着は、本格的に始まるのだった。
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