2人の秘密はにがくてあまい

羽衣野 由布

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秘密がはじまる

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 月曜日。いつも通りに仕度はするが、学校へ行くのが憂鬱で仕方なかった。週末の2日間ずっと小坂との約束について考えていたが、良い案は何も思いつかなかった。

 緑星高校では、試験前の2週間は部活動が休みになる。今日はその初日だった。したがって、小坂とは放課後すぐから一緒にいる事になる可能性が高い。あまり長くなりませんように、と願わずにはいられなかった。





 あっという間に、4限目の終了を告げるチャイムが鳴った。登校してからずっと、いつ小坂が話しかけてくるかとビクビクしながら授業を受けていたのだが、全く何もなく昼休みに突入してしまった。おかげで授業内容が全然頭に入らなかった。

 小坂の席の方を見ると、彼は何人かの友達とお弁当を広げながら、スマホをいじっていた。今までと何も変わらずいつも通りの光景だったので、碧乃だけが1人でモヤモヤしているのがなんとなく腹立たしかった。碧乃の方から話しかけると周りの生徒に怪しがられてしまうので、それはできなかった。

 ……もう、考えるのはやめよう。無駄に疲れるだけだ。

 気分転換に飲み物でも買いに行こうと、財布を取り出すためにかばんを開けた。すると、碧乃のスマホがメールの着信を知らせているのに気が付いた。見ると、なんと小坂がたった今送ったものだった。

 「なっ……」

 なんですぐそこにいるのに直接言いに来ないの?

 思わず小坂をにらむが、当の本人は変わらず友達と談笑していた。何か隠すべき事でも書いてあるのかと思い、メールを開く。内容は、放課後とある喫茶店で待ち合わせしようというものだった。なぜ喫茶店なのかという事は気になるが、直接言えない事ではないように思う。

 何なの、一体………?

 小坂の考えがさっぱり分からず、碧乃は再び1人でモヤモヤさせられる事になったのだった。





 そして放課後。とうとうこの時が来てしまった。表情には出さないが、玄関へ向かう碧乃の足取りは重かった。小坂はすでに友達と出て行ってしまった。現地集合という事らしい。

 靴を履き替え外へ出ようとした時、後ろから声をかけられた。

 「あ、待って斉川さん」

 振り返ると、先週傘を貸した先輩がいた。

 「はい、これ。この前は本当にありがとう。おかげで無事出品できたよ」

 そう言って、可愛い柄が入った小さめの紙袋を差し出した。

 「あ、いえ。役に立って良かったです」

 受け取って中を見ると、碧乃の折りたたみ傘とお菓子の箱が入っていた。

 「そのチョコはお礼ね。すっごくおいしいから絶対食べて!じゃあね」

 バイバイと手を振り、先輩は友達と帰っていった。

 それを見送って、碧乃は少々深めのため息をついた。傘を見たせいで、あの雨の日を思い出してしまった。傘に罪はないのだが、これからは見るたびあの光景が浮かぶのかと思うと、使う気がなくなるのだった。

 碧乃はもう一度ため息をつき、さらに重みが増した足を何とか動かして、指定の場所へと歩き出した。





 待ち合わせ場所に指定されたのは、《小路こみち》という名の喫茶店だった。メールには、その店の住所と行き方の説明が書かれていた。『まずは駅の北口を出て』との事なので、碧乃はその通りに進んだ。通学の際は南口から学校へ向かうので、北口の方に来るのは初めてだった。

 その後もメールの説明通りに歩いていくと、住宅街の一角に、ひっそりと建つ喫茶店を見つけた。近づいてみると、店の前に《小路》と書かれた小さな看板が置いてあった。

 ここで間違いない。

 外観は昭和の香りが満載で、高校生が入るには少し勇気がいりそうな店だった。小坂には全然似合わない気がする。

 とにかく考えていても仕方がないので、恐る恐る扉を開いた。

 カランカラン、と扉につけられたベルが鳴った。

 「いらっしゃいませ」

 中に入ると、メガネをかけた60代くらいの男性がカウンター越しに出迎えてくれた。自分より先に出たはずの小坂は、まだいなかった。

 「あ、もしかして光毅君のお友達かい?」

 「え?」

 『光毅君』って事は、彼とは知り合いなのか。

 「あ…はい」

 きっと、今日待ち合わせをしている事を知らされていたのだろう。友達ではないが、そのまま返事をする。

 「それなら、向こうの一番奥の席へどうぞ」

 「…はい」

 促されるまま、緊張した面持ちでその席に向かった。

 店内も、外観と同様に昭和の雰囲気が漂っていた。他の客は、カウンターに2人、テーブル席に1人いるだけだった。いずれも店主と同年代くらいの男性だった。

 碧乃が席に座ると、店主がお水を持って来てくれた。

 「はじめまして。中野と言います。ここは高校生が待ち合わせるには似合わない所だろう?実は光毅君のおじいさんが私の古い友人でね…」

 碧乃が不思議そうな顔で店内を見ていたせいか、店主の中野さんはいろいろ教えてくれた。

 小坂はこの場所を祖父に聞いて気に入ったようで、1人でたまに来るようになったのだそうだ。高校生が1人でこの店にいるのが珍しかったため、中野さんはある時理由を訊いてみた。すると彼は、誰にも知られずに1人でゆっくりしたいから、と答えたらしい。そのため碧乃がここに来ると聞かされた時は、本当に驚いたとの事だった。

 中野さんは一通り話し終えると、碧乃の注文を訊いてカウンターへ戻っていった。注文はとりあえずブレンドコーヒーにした。

 待っている間、先程の話を思い返していた。

 小坂はいつも人だかりの中心にいた。それはつまり、1人になる時間がなかったという事だ。…人気者であるが故の悩みだ。学校で直接言ってこなかったのは、ここが彼の大事な隠れ家だからに違いない。

 そんな場所を私なんかに教えて良かったのだろうか……?

 モヤモヤが解消されたと思ったら、また1つ疑問が増えてしまった。本当に小坂光毅の言動は、碧乃には理解できない事が多すぎる。





 カランカラン、と音が聞こえた。ついに来た。碧乃の席から、小坂が入ってくるのが見えた。小坂は碧乃を見つけると、真っ直ぐこちらへ向かってきた。

 「ごめん、遅くなって。一緒にいた奴から離れるのに時間かかっちゃった。道すぐ分かった?」

そう話しかけながら、碧乃の向かいの席に座った。

 「う、うん…なんとか」

 「そっか。良かった」

 覚悟はしていたが、やはり緊張してしまう。

 中野さんがコーヒーとお水を持って来た。

 「いらっしゃい、光毅君。はい、こっちはブレンドコーヒーね」

 「こんにちは。この前言った通り、今日はちょっと長居させてもらいます」

 「ああ、どうぞ。しっかり勉強して良い点取らないとね。注文はいつもので良いかい?」

 「はい、ありがとうございます」

 やり取りを終え、中野さんは再びカウンターへ戻っていった。

 話し相手が碧乃へ切り替わる。

 「斉川コーヒー飲めるんだ」

 「え…うん」

 「俺あんまし飲めないんだよね」

 あれ、ここはコーヒーを飲む所じゃなかったっけ?

 「だからいつもカフェオレにしてる」

 「そ、そうなんだ…」

 なんか、変なの……。

 そう思いつつ、コーヒーを一口飲んだ。

 「…おいしい」

 思わず口に出てしまった。それほど美味しかった。香りがとても良く、苦みもあまり強くなくて飲みやすい。それでいてしっかりしたコクがあり、心地よい余韻を感じられるコーヒーだった。

 「そんなにおいしい?」

 小坂は微笑みながら訊いてきた。

 どうやら碧乃の顔がほころんでいたらしい。慌てて表情を戻す。

 「気に入ったんなら、また来てあげてよ。俺飲めないから、なんかいつも申し訳なくてさ」

 一応自分でもおかしいと感じてはいたのか。しかし、良いのだろうか。自分なんかが来ても。

 「でも…誰にも知られたくないんじゃ…」

 「え?ああ、中野さんから何か聞いたのか。…まぁ、そうなんだけど」

 「じゃあ…なんでここで勉強するの?」

 この際なので、思い切って訊いてみた。

 「うーん、他もいろいろ考えたんだけど、どこも邪魔が入りそうでさ」

 「だからって、私に教えて良かったの?」

 「ちゃんと集中したかったし、斉川なら口堅そうだから大丈夫かなーって」

 「あ…そう…」

 イメージだけで信頼するのはいかがなものかと思うのだが。そんなに平然と言われると、こっちが逆に不安になる。

 「だからこの場所は他の奴らには内緒な?」

 「………わかった」

 「絶対な?」

 かなりの目力で念を押され、圧倒されながら何とかうなずき返した。

 これは非常に厄介な秘密を抱えてしまった気がする……。





 程なくして、中野さんがカフェオレを置いていった。

 そろそろ始めよう、と小坂はポケットからスマホを取り出し電源を切った。

 「これでよし」

 相当邪魔されたくないらしい。バスケ禁止は何としても阻止したいという事か。

 「じゃあ、何から教えてくれる?」

 「うーん…、何が苦手なの?」

 そういえば、彼の苦手分野を確認していなかった。

 「え?…全部」

 小坂はばつの悪そうな顔で答えた。

 「ぜっ……」

 全部って……。

 絶句する碧乃に、小坂がおずおずとファイルに入った数枚の紙を渡してきた。それは前回の期末試験の答案だった。

 「!!」

 ファイルの中には、碧乃が見たことのない点数が並んでいた。保健体育以外全てが赤点だった。

 うそ……でしょ……?

 完全に甘く見ていた。まさかここまでとは。彼の親がなぜ禁止令を突きつけるに至ったのか、痛いほど分かった。こんなの、たった2週間でどうにかなるものではない。

 碧乃の表情を伺いながら、小坂は申し訳程度に理由を述べてきた。

 「あー、いや…朝練頑張ったせいで眠くなっちゃってさ。授業中ほとんど寝てたら、そんなことに……」

 そういえば、授業を聞かずに熟睡している姿をよく目にしていたような……。

 「……」

 「……」

 しばし2人の間に沈黙が流れる。碧乃は小坂を凝視し、小坂はそれに耐えられないのか目をそらしていた。

 沈黙を破ったのは碧乃だった。目を閉じて、ため息を1つついた。

 「…わかった。じゃあ、とりあえず一番点数の悪かった数学から始めよう?」

 目を開けてそう言うと、赤点だらけの答案を返した。

 「あ…ああ、わかった」

 碧乃があまりにも真っ直ぐ見つめたため、小坂は少し戸惑いながらそれを受け取った。そしてすぐに数学の教科書などをかばんから取り出した。

 碧乃も自分の勉強道具を出しながら、覚悟を決めていた。

 頼まれたからにはちゃんと教えよう。このまま放っておいたら、赤点は確実だ。つまり小坂はバスケを取り上げられることになる。知ってしまった以上、今日だけで終わるなんてできなかった。そんな事したら、一生罪悪感が残ってしまう。

 「じゃあ…、まずは公式の確認から」

 自分のノートを開き、話しかける。

 「わかった」

 小坂はこくり、と素直にうなずいた。

 碧乃は小坂のペースに合わせて、ゆっくりと教えていった。





 「ちょっと、休憩しよう」

 小坂に提案し、碧乃は腕時計を見た。店内に時計は置いてなかった。時間は午後6時半を過ぎた所だった。さすがに3時間ぶっ続けで教えるのは疲れた。

 「あー……、もう一生分勉強した気がする」

 小坂もかなり疲れたようで、すっかり冷めたカフェオレを一口飲むと、そう吐き出しながらテーブルに突っ伏してしまった。

 碧乃もコーヒーの入ったカップを手に取り、椅子の背に体重を預けた。

 意外にも小坂の理解力は高かった。おかげで思った以上に勉強を進めることができた。きっと授業をもっと真剣に受けていたら、あそこまで酷くはならなかったに違いない。

 どうすれば授業中に寝ないだろうか、とぼんやり考えていると、小坂が顔だけをこちらに向けた。

 「やっぱ上手いじゃん、教えるの」

 「!」

 そっ、そのアングルから笑いかけるな!

 完全に油断した。慌てて手元に目線を落とすが、心臓はすでに跳ね上がっていた。いきなり上目遣いで人を褒めるなんて反則だ。

 小坂は体勢を頬杖に変え、更に続ける。

 「だってこっちのペースに合わせてくれるし、分かりやすい言葉で話してくれるから、すんなり頭に入ってきた」

 「そ、そう…」

 小坂がこちらを見ているのを感じるので、顔を上げられなかった。

 碧乃は持っていたカップを置いた。見つめられるのも褒められるのも慣れていないので、なんだか落ち着かない。

 「初めて数学が楽しいと思ったかも」

 「そっか…。それは良かった…」

 そこへ、中野さんがマグカップの2つ乗ったトレーを持って近づいてきた。

 助かった……。

 辛い状況が終わってほっとした。

 「お疲れ様。一段落したみたいだね。頭を使った時には甘いものが一番だよ」

 そう言って、冷めてしまったコーヒーと持って来たカップを交換した。中身は温かいココアだった。

 「ありがとうございます。なんか、すいません」

 「あ、ありがとうございます…」

 「いや、いいんだよ。若い人が頑張ってるのを見ると、つい応援したくなっちゃってね。あまり遅くならないようにね」

 中野さんは2人に笑いかけ、他のテーブルの食器を下げに行ってしまった。

 碧乃はココアのカップを両手で持ち上げた。ほわん、と甘い香りがした。

 ………ん?

 目の前から視線を感じる。顔を上げると、小坂がカップを口につけながら、じーっとこちらを見ていた。

 「………何?」

 碧乃はキュッとしかめ面になって訊いた。

 「ん?…別に?」

 視線の主はココアを一口飲んで置くと、ここで最初に見たものと同じ微笑みを浮かべた。

 「またおいしいって顔するかと思って」

 「!………しないから」

 しかめ面のまま少し飲み、すぐにカップを置いた。

 「なんだ、残念」

 「……」

 これじゃ全然一息つけない。疲れてるんじゃなかったの……?

 「ああ、そうだ。今日は何時までいられそう?」

 小坂が思い出したように訊いてきた。

 「え?あ…えっと…8時くらい、かな」

 碧乃は腕時計を見ながら答えた。

 「そっか、わかった。ってか今何時?」

 「え、あ…6時35分くらい」

 そういえば、小坂はスマホの電源を切ってたっけ。

 「んー…、じゃああと5分したらさっきの続き教えて」

 「…わかった」

 2人の間に沈黙が訪れる。どうやら会話は終了したようだ。

 やっと終わった……。この人との会話は無駄に疲れる。

 碧乃は気付かれないように息を吐き出した。そしてノートに目をやり、次に教える所の確認をする。

 そこで、ふと思う。小坂は今のところ何も言ってこないが、教えるのは今日だけで良いのだろうか。先のような会話をまたされるかと思うと決意が揺らぐが、中途半端で終わるのは嫌だった。

 気になって仕方がないので、思い切って自分から切り出してみた。

 「あ、あの……」

 「ん?」

 小坂はココアを飲みながら反応した。

 「勉強、明日からも教えた方がいい…?」

 「え、いいの?」

 驚きつつも嬉しそうに訊き返してきた。

 「う、うん…。なんか、心配だし」

 「実は俺も心配だった。でも無理にお願いするのは良くないかなって思って」

 「そう、なんだ…。私は別に大丈夫だけど」

 「やった!じゃあ明日からもよろしくお願いします!」

 笑顔で頭を下げてきた。

 「あ…う、うん」

 碧乃は一瞬戸惑ったが、頑張ってうなずいた。これで、この関係がもうしばらく続くことが確定した。

 大丈夫、試験が終わるまでの間だけだ。真面目にやっていれば、すぐ終わる。大丈夫、大丈夫………多分。

 時計を見ると5分経過していたので、小坂を促して勉強を再開した。





 帰り道。2人は並んで静かな住宅街を歩いていた。コーヒー代は小坂が出してくれた。勉強のお礼との事なので、おとなしく従うことにしたのだ。時刻は午後8時を10分程過ぎ、街灯が道を照らしていた。

 小坂がうーん、と伸びをした。

 「あー、疲れた。これでまだ1教科しか終わってないとか、どんだけだよ…」

 正確にはまだ終わっていないのだが、今それを指摘するのは可哀想なので止めておく。

 「頭使ったら、すげー腹減った。なんか食べ物持ってなかったかな?」

 そう言って、制服のポケットを探り始めた。

 『食べ物』と聞いて思い出した。

 「あ…チョコならあるけど」

 「チョコ?食べる!」

 碧乃は紙袋からチョコレートの箱を取り出し、封を切った。中は1個ずつ包装されているタイプだったので、2人分を出し、1つを小坂に手渡した。

 「サンキュー。これうまいよな」

 「…食べたことない」

 「え、そうなの?ってかさっきから気になってたけど、それ何?」

 小坂は包みを開けながら、紙袋を指さした。

 「あ…傘のお礼にもらったの」

 「傘のお礼?」

 先輩に傘を貸した事を説明した。

 「へぇー、じゃあ俺はラッキーだったんだな」

 「……なんで?」

 「傘貸したおかげで、勉強教えてもらえることになったから」

 「……」

 私はその逆なんだけど。

 モヤモヤしつつ、チョコを口に入れた。甘さが濃厚なミルクチョコレートだった。

 「…甘い」

 「え、うまいだろ?」

 「甘いの苦手」

 「ふーん…、そうなんだ」

 小坂がいかにも珍しいものを見るような顔で返してきた。

 「…あと全部あげる」

 自分では到底食べ切れないので、碧乃はチョコレートを箱ごと差し出した。

 「良いのか?斉川がもらったものだろ?」

 言葉とは裏腹に、小坂はちゃっかり手を伸ばしている。

 「良いよ。1つもらったし、残しちゃう方が申し訳ないから」

 本当は良くないのだろうが、食べもせずに空腹の人の隣で持ち続けているのも悪い気がするので、あげることにした。

 「そっか。んじゃ遠慮なく」

 受け取ると、嬉しそうに2つ目の包みを開けだした。小坂は甘党らしい。そういう所も碧乃とは正反対なようだ。

 平気でバクバク食べる姿に感心していると、小坂が急に謝ってきた。

 「そういえば、今日はごめんな」

 「え?何が?」

 私何かされたっけ…?

 「昼休みのメール。直接言わなかったから」

 「ああ…」

 そのことか。言われるまですっかり忘れていた。

 「いいよ別に。周りにお店のこと知られたくなかったからでしょ?」

 今考えれば、碧乃にとっても良い事だったのだ。2人が話している所を見られずに済んだのだから。

 「え?…うん、まぁ…」

 小坂は苦笑いを浮かべた。

 「…そんなに大事な場所なのに、本当に私に教えて良かったの?」

 小坂の表情を見ていたら、今一度確認せずにはいられなかった。

 「んー………、教えたかったから」

 「は?」

 予想だにしない答えが返ってきた。

 「…最初あの場所を知った時は、絶対誰にも教えるもんかって思ってたんだけど」

 小坂は前を向いたまま話し続けた。

 「何度か通ってるうちに、あんな良いとこが学校の近くにあるんだぞ、って誰かに言いたくなってきちゃってさ。…多分自分がコーヒー飲めないからだと思う。でも他の人に言い触らさずに、ちゃんと共感してくれそうな奴なんていなくて」

 「はぁ……」

 確かに、彼を取り巻いている人達の中にはいないかも知れない。むしろ似合わないとか、古臭いとか言ってきそうだ。例え言わなかったとしても、“小坂光毅の秘密”だなんて大スクープ、あっという間に学校中に拡散されるだろう。そうなったら、あの喫茶店の雰囲気はすぐに台無しにされてしまう。校内一の人気者は内緒話も大変なようだ。

 「んで、誰かいないかなぁって思ってたら、教室で1人で本読んでる斉川が目に入ってさ。それが店の雰囲気にぴったりで、ああ、この人なら分かってくれるかもって思った」

 「……」

 なんてことだ。自分は意外にも彼の視界に入っていたらしい。良く言ってくれて悪い気はしないが、ものすごく変な感じだ。もう少し気を付けて行動するべきか…。

 「でも話したこともないのに、いきなり秘密を打ち明けるなんておかしいだろ?」

 「…そう、だね」

 そんな事されたら、自分は確実に引く。

 「普通に話せるようにならないとダメだよなぁとか考えてたら、タイミング良く玄関にいたからすげーびっくりした」

 そうだったのか。なんて時に自分は……。

 「だから逃げられそうになった時は、ちょっと強引に引き止めちゃった。ごめん」

 小坂が向けてきた顔に悪びれた様子は全く無かった。

 「……」

 あれのどこがちょっとなんだ…?

 思わず、あの時の感触を打ち消すように、ギュッと腕を掴んでいた。

 つまり彼はお店の事を教えたいがために、自分を捕まえたという事か。……ん?あれ?

 ふつふつと幾つか疑問が沸いてきた。

 「じ、じゃあ勉強教えてっていうのは、嘘?」

 「嘘じゃないって。それもちゃんと本当に探してた。一緒に歩いてる時に気付いて、話のきっかけに利用しちゃったけど」

 「そう…」

 良かった。さっきの覚悟が無駄な行為なのかと思った。あの雨の日にいきなり大声を発していたのは、そのせいだったのか。きっと、捕まえたカモがネギを背負っていることに気付いた瞬間だったのだろう。そんな大層なネギは持っていないが。

 ………我ながら表現が古い。この前読んでた本の影響だな。それよりも、まだ解決していない疑問がある。

 「…最初からあの場所を教えるつもりだったんなら、もう少し早く連絡できたよね?」

 そうすれば、あんなにモヤモヤせずに済んだかも知れないのに。

 「あー…、それは、ごめん。いきなり教えたら引くかなとか、あの店好きじゃないって言われたらどうしようとか、いろいろ考えてたらギリギリになっちゃった」

 小坂は照れ笑いしながら答えた。

 「あ…そう…」

 照れが移りそうな気がして、碧乃は彼から目をそらした。

 そんな風に悩む性格だとは思っていなかったので、なんか調子が狂う。

 なんだかよく分からなくなってきた…。頭がうまく働かない。他の子だったら、もっと素直に喜んでいただろうに。

 「でも、悩む必要なかったな」

 「え…?」

 「あそこのコーヒー気に入ってくれたみたいだし」

 「!」

 またあの微笑みだった。思考が鈍った所に話しかけられたので、つい見てしまった。変に恥ずかしさが込み上げてきた。心拍数が上昇していく。

 二度とこの人の前では気を抜くものか。





 いつの間にか駅の北口の前まで来ていた。会話に気を取られて確認を怠っていたが、今日も幸いに生徒の姿はなかった。

 碧乃はホッと胸を撫で下ろした。こんな所を誰かに見られたら、たまったもんじゃない。

 「どうかした?」

 碧乃の行動が気になったのか、小坂が訊いてきた。

 「え?あ、いや…。うちの学校の生徒、いなくて良かったって思って…」

 「……なんで?」

 小坂の表情が少し曇った。

 まずい。絶対不審に思ってる。

 「や、あの…、何してたのか訊かれたら、困るでしょ…?」

 「んー…、まぁ、そうだけど。すぐそこのファミレスにいたとか言っておけば良いんじゃん?」

 それじゃダメなんだって…。2人でいる事自体おかしいんだから。

 「そんなに上手く嘘つける自信ないよ…」

 そう言うと、今度は困った顔をされた。

 うう…。こうなったら、思い切って言うしかない。

 「あ、あの、だから…、こういう、目立つ場所では別行動をして、2人でいる所を、見られないようにした方が、良いと思うんだけど……」

 思い切った割には、しどろもどろになってしまった。

 「…それってもしかして、学校でも?」

 「う、うん…なるべくなら…」

 さすがに、話しかけるなとまでは言えなかった。

 「俺といるのが嫌って訳じゃないんだよな?」

 「えっ、ち、違うよっ」

 再び顔を曇らせた小坂に、碧乃は全力で首を振って見せた。

 「…そっか。分かった」

 小坂は渋々うなずいた。

 その様子に、なぜだかほんの少しだけ心が痛んだ。

 「じゃあ、また明日店でな」

 おやすみ、と小坂は改札の方へ歩き出しながら、手を振った。

 「あ、うん、おやすみ…」

 碧乃は駅の北口に突っ立ったまま、小坂が改札の向こうに消えていくのを見ていた。2人は同じ改札を通るのだが、小坂は先に行ってしまった。どうやら、早速気を遣わせてしまったらしい。

 なんか、申し訳ない事したかな…。

 碧乃は小さくため息をついた。
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代々騎士団寮の寮母を務める家に生まれたレティシアは、若くして騎士団の一つである「群青の騎士団」の寮母になり、 幼少の頃から仲の良い騎士団長のアスールは、そんなレティシアを陰からずっと見守っていた。レティシアにとってアスールは兄のような存在だが、次第に兄としてだけではない思いを持ちはじめてしまう。 アスールにとってもレティシアは妹のような存在というだけではないようで……。兄としてしか思われていないと思っているアスールはレティシアへの思いを拗らせながらどんどん膨らませていく。 すれ違う恋心、アスールとライバルの心理戦。拗らせ溺愛が激しい、じれじれだけどハッピーエンドです。 ☆他投稿サイトにも掲載しています。 ☆番外編はアスールの同僚ノアールがメインの話になっています。

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