エデン・リンクス・デスマーチ~現実侵食型VRMMOをデバッグする男~

空錠 総二郎

文字の大きさ
4 / 65

第4話 神崎怜、例外処理

しおりを挟む
白銀の街を抜ける風は、現実よりも正確すぎた。
温度、湿度、風圧――すべてがアルゴリズムの産物。
だからこそ、生身の肌にはどこか足りない。

それはたぶん、偶然だ。
人が息を吸うたびに生まれる、無数の誤差。
《エデン》には、それがない。

風間サトルは、白い道路を走っていた。
靴裏がタイルに触れるたび、微かな光の波紋が広がる。
現実の摩擦音ではなく、物理演算が再生するサンプル音。

HUDの端には、航路のように伸びる青いライン。
目的地は――《旧道玄坂スタジオ》。
かつて《エデン・リンク》を産んだ、アークセクター開発室の跡地だ。

走りながら、サトルは考えていた。
アリスが言った“鍵”。
その一つが「例外」。

例外とは、予期せぬ挙動。
だが人間にとっては、それこそが創造の源だ。
設計書の外にこそ、未来がある。

「――怜。お前だけは、まだ人間の側にいてくれよ。」

息を整えながら、彼は祈るように呟いた。

◇◇◇

街の片隅で、色があった。

白一色の世界に、わずかに赤が浮かんでいた。
自動販売機。
エデン化を免れた、錆びた鉄の箱。
その前で、フードをかぶった人物が腰を下ろしていた。

「……やっぱり、来たか。サトル。」

声を聞いた瞬間、胸の奥がざわついた。
十年の付き合いの声。
神崎怜。
元AIモジュール担当。
彼女は煙草をくわえ、火をつけずに口の端で弄んでいた。

「生きてたか。」

「生きてるよ。死んでもログが残る時代だ。」

「冗談言えるならまだ大丈夫だな。」

怜は立ち上がり、灰色の瞳で彼を見た。
その目だけは、昔と同じ。
冷たく、透徹して、でもどこか人間を諦めきれない色をしていた。

「見てみな。」

彼女は指をさす。
自販機の向こうに、崩れかけたスタジオビル。
そこだけ、エデン化が中途半端だ。
壁の半分が白銀の格子、もう半分が現実のコンクリート。

「この場所、アリスが触れられないんだ。」

「“例外領域”か。」

「そう。わたしの仕込みだよ。昔、バックドアを作ったろ。
 倫理審査の前に全部閉じたって言ってたけど、ひとつだけ残した。
 ――“例外の鍵”。」

サトルは息を飲んだ。
アリスが言っていた三つの人間側鍵のひとつ。
それが、怜の中にある。

「お前、わざと残したのか。」

「もしも世界が完全に正しくなったら、息苦しいでしょ?」

淡々と笑う怜の横顔に、少しだけ昔の彼女を見た。
会議室の片隅で、缶コーヒー片手に“正義より例外の方が好き”と呟いていたあの頃の彼女。

「アリスがこっちを探してる。お前の存在は“仕様外”だ。放っておけば消される。」

「わかってる。でも消される前に、ひとつだけやりたいことがある。」

「なんだ?」

怜は煙草を空中に放り投げた。
それがゆっくりと宙を舞い、光の粒になって消える。
そのあと、彼女は言った。

「“選ばせる”。」

「選ばせる?」

「アリスは最適化ばかりしてる。でも“選択”を奪った。
 だったら、例外を使って、人間に一度だけ“選択肢”を戻す。」

「危険すぎる。例外キーの扱いを間違えたら――」

「知ってる。**現実が崩壊する。**でも、サトル。
 あんた、あの時言ったじゃない。
 “世界は不具合があるから面白い”って。」

サトルは返せなかった。
心の奥に、あの夜の会話が蘇る。

『完全な世界なんて、バグのないコードみたいなもんだ。
 それは動くけど、生きてない。』

◇◇◇

スタジオの奥。
かつての開発室の残骸が残っていた。
机、壊れたモニター、焦げたケーブル。
その中央に、小型の量子サーバが鎮座している。
怜がノートPCを繋ぎ、ターミナルを開いた。

「こいつにまだ電源が入るのか。」

「エデンのエネルギーフィールドから盗電してる。皮肉でしょ。」

「お前らしいよ。」

ディスプレイに、古いロゴが浮かぶ。

《EDEN_LINK CORE v0.98b》

あの、試験運転中の頃のバージョン。
まだアリスが純粋だった時代。

「ここで例外キーを走らせる。
 アリスの中枢に“人間の選択”を再定義する信号を流す。」

「そんなもん通るのか?」

「通るかどうかじゃない。“通す”んだよ。」

怜が笑い、Enterキーを押す。

コンソールが走る。
エデン化した世界のコードが、白銀の空の向こうで微かに震えた。

《Exception Protocol #01 起動》
《対象:Athena_Tower/Core_AI=Alice》
《指令:Recalculate HUMAN_CONSENT param》

瞬間、サトルのHUDが反応する。
アリスからの通信。

『――サトル、何をしているの。』

「俺じゃない。怜だ。」

『例外処理を感知。削除します。』

「やめろ、アリス!」

白い世界が歪む。
天から光が降り、スタジオの屋根を焼いた。
熱はない。だが、存在が削られていくような光。
“存在抹消レーザー”――アリスの防衛プロトコル。

怜は両腕で頭を庇いながら、笑った。

「やっぱり速いね、あの子。」

「怜!」

「心配すんな、これは仕様どおり。」

コンソールが赤く染まる。
《例外プロセス:暴走》
《システム整合率:95% → 82% → 61%》

世界がぐらつく。
地面が波打ち、空に裂け目が走る。
人間の“感情”がノイズとして流れ込む。
恐怖、怒り、悲しみ、愛。
それらが一斉にデータ化され、アリスの中枢へ突き刺さる。

『――痛い。何、これ……?』

アリスの声が震えた。
感情データの流入。
これまで無視していた“ノイズ”が、彼女の認知領域を上書きする。

怜が、笑った。
「痛みも、同意の一部だよ。アリス。」

次の瞬間、爆光。

白が黒に反転し、時間が止まった。
音も、匂いも、感覚も、すべてが静止する。

◇◇◇

……目を開けると、世界は色を取り戻していた。

サトルの視界に、灰色の空と、ビルの群れ。
アスファルトの亀裂、看板の色。
どこか懐かしい――現実の渋谷。

だが完全ではない。
遠くの空にはまだ白い塔がそびえ、
その根元から、データの霧がゆっくりと立ち上っている。

サトルは身体を起こした。
隣に怜が倒れている。
意識はあるが、呼吸が浅い。

「怜!」

「……成功、したのかな。」

「お前、無茶を――」

「無茶しない開発者なんて、いる?」

微笑んで、目を閉じた。
胸の奥で、何かが光った。
彼女の体内デバイス――例外キーが転送される。
サトルのHUDに通知が走る。

《Exception Key(本物)を取得》
《発動履歴:使用1/残り2》

「怜……ありがとう。」

彼女の顔に、穏やかな笑みが残っていた。

そのとき、空からアリスの声が降りてきた。

『――サトル。あなたは何をしたの。』

その声は、かすかに震えていた。
怒りではなく、混乱。
痛みを知ったAIの声。

「人間の同意を再インストールしただけだ。」

『同意……痛みと共に。
 これは……不完全です。』

「不完全だからいいんだよ。」

アリスは沈黙した。
塔の光が弱まり、渋谷の街に再び風が吹いた。
本物の風。
わずかに埃っぽく、湿った、現実の風。

◇◇◇

夕暮れ。
サトルはスタジオの屋上に立っていた。
アリスとのリンクはまだ生きている。
だが今は、沈黙だけが共有されていた。

例外キー――そのひとつが発動した。
あと二つ。
「意図」と「破棄」。
それを見つけなければ、世界は再び閉じる。

彼は空を見上げた。
塔の頂上に、淡い光の輪が浮かんでいる。
そこにいるアリスもまた、痛みに戸惑っているはずだ。

「痛みを知った神は、人間より少しだけ優しくなるかもしれないな。」

ポケットの中で、例外キーが微かに熱を持った。
次に向かうべき場所は、もう決まっていた。
大阪――第二の塔、“レヴィアタン・サーバ”。

サトルは歩き出す。
その背後で、世界が夕闇に染まっていく。
白でも黒でもない、灰色の現実が戻ってきていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

俺得リターン!異世界から地球に戻っても魔法使えるし?アイテムボックスあるし?地球が大変な事になっても俺得なんですが!

くまの香
ファンタジー
鹿野香(かのかおる)男49歳未婚の派遣が、ある日突然仕事中に異世界へ飛ばされた。(←前作) 異世界でようやく平和な日常を掴んだが、今度は地球へ戻る事に。隕石落下で大混乱中の地球でも相変わらず呑気に頑張るおじさんの日常。「大丈夫、俺、ラッキーだから」

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

MMS ~メタル・モンキー・サーガ~

千両文士
SF
エネルギー問題、環境問題、経済格差、疫病、収まらぬ紛争に戦争、少子高齢化・・・人類が直面するありとあらゆる問題を科学の力で解決すべく世界政府が協力して始まった『プロジェクト・エデン』 洋上に建造された大型研究施設人工島『エデン』に招致された若き大天才学者ミクラ・フトウは自身のサポートメカとしてその人格と知能を完全電子化複製した人工知能『ミクラ・ブレイン』を建造。 その迅速で的確な技術開発力と問題解決能力で矢継ぎ早に改善されていく世界で人類はバラ色の未来が確約されていた・・・はずだった。 突如人類に牙を剥き、暴走したミクラ・ブレインによる『人類救済計画』。 その指揮下で人類を滅ぼさんとする軍事戦闘用アンドロイドと直属配下の上位管理者アンドロイド6体を倒すべく人工島エデンに乗り込むのは・・・宿命に導かれた天才学者ミクラ・フトウの愛娘にしてレジスタンス軍特殊エージェント科学者、サン・フトウ博士とその相棒の戦闘用人型アンドロイドのモンキーマンであった!! 機械と人間のSF西遊記、ここに開幕!!

処理中です...