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一章
25.供花
しおりを挟む顔に生温かい風がかかった気がした。
深い深い水の底から浮き上がるように、小夜は意識を取り戻した。
ぱちりと目を開ければ、見慣れた寝台の天蓋がある。
小夜は手で支えながらゆっくりと上体を起こした。
まるで長いこと身体を動かしていなかったかのように重く感じる。
小夜は寝台の上でぼうっと視線を巡らせた。
天蓋から布が垂れているせいで寝台の外の様子は分からない。
(……ねてた? あれ、ねたのは、いつだっけ)
自ら寝台に潜り込んだ覚えがなく、小夜は記憶を手繰る。
フレイアルドと王都見物をして、バルトリアスと共に侯爵邸へ戻ってきた。
その時、自分たちを出迎えてくれたのは。
「ーーっぃや!!」
「サヨ!?」
ばさり、と大きな音とともに布が跳ね除けられ、小夜は抱きすくめられる。
荒い呼吸を繰り返す小夜を強く抱き締めるその腕。
触れ合う感触だけで誰なのかすぐ分かる。
だんだんと心が凪いでいくのを感じた。
「フレイアルドさま……」
「サヨ、目が、覚めたんですね……」
小夜の目の高さにある、フレイアルドの肩が震えている。
その様子に一つの推察をした。
「わたしもしかして、すごくたくさん寝てました?」
先ほどから眠る前のことを思い出そうとすると、頭に靄がかかり上手くいかないのである。
王都見物をして、帰ってきたところまではちゃんと記憶がある。
確かーーそう、誰かが出迎えてくれたのだ。
でもそこからは、断片的な記憶しかない。
「帰って来てからの記憶が、ちょっと怪しくて……湯浴みをして、バルトリアス様に助けて頂いたあたりは、思い出せるのですが」
「……ええ、そうですよ」
それ以上フレイアルドは語らない。
もしかしなくても、自分は重要なことを忘れているのではないだろうか。
「あの、一体何があったんでしたっけ……?」
フレイアルドの身体が小夜から離れたので、何気なく彼の顔を見上げた。
その顔を見て、悲鳴をあげなかったことを褒めて欲しい。
「どうしたんですか? フレイアルド様!」
彼の顔は様変わりするほど窶れていた。
目は落ち窪み、その下の隈は生来あったかのように深く刻まれ、頬にも唇にも血の気がない。
「あぁ……問題ありません」
「全然問題ないようには見えませんが」
明らかに病人である。
彼のいつもより乾いた指が小夜の頬を滑る。
「もう、大丈夫なんです」
するすると指が移動し、小夜の首、後頭部を撫でる。
いつもとは違う撫で方に小夜は強い不安を感じた。
「ほんとにどうされたんですか? それに、何があったんですか?」
「……屋敷が、襲撃されました」
「え」
フレイアルドによれば、見物の日にバルトリアスを襲った男達の残党がこの屋敷を襲ったのだという。
小夜は、市場の前で男達が転がる光景を思い出す。
ーーあんなことが、この屋敷で起こるなんて。
どうやら小夜はそれに巻き込まれ、重症を負って眠っていたらしい。
小夜はぞっとした。
ついで、ここにいない人の安否が気に掛かった。
「まさか……わたし以外にも誰か怪我を? もしかしてこ、ころ……」
最悪の想像にぎゅっと掛布を握りしめれば、その手をフレイアルドが包んだ。
「私やラインリヒ、殿下、マーサなどは無事でした。しかし使用人がニ名ほど犠牲になってしまい、還らぬ者に……貴女の侍女だった二人です」
「ひどい……」
告げられた現実に、小夜は胸を抉られた。
決して好きではない人達だった。
けれど実家に帰ると言っていた矢先の出来事に、小夜の目からはボロボロと涙が溢れる。
「おうちに帰れるはずだったのに、そんなことって……」
迎えてくれる親がいて、帰れる家があったのに。
永遠に帰れなくなってしまった侍女達を思って、小夜はとめどなく涙を流した。
「好きなだけ泣いていいんですよ、私はここにいますから」
「う、うぇ」
小夜はフレイアルドにしがみつき泣いた。
泣き終わったら、フレイアルドに許しを貰って庭園に行こう、と小夜は思った。
彼女達に供えるお花が欲しかった。
***
小夜が寝台から出歩くことを、ラインリヒはなかなか許してくれなかった。
「まだだめだ」
一度目にそう言われた時、小夜はすんなり折れた。
左手首以外の遺物は外れていたし、早くお花をとも思ったが医者の言うことである。素直に従った。
しかし何日経っても許してくれないラインリヒに、小夜はとうとう訴えた。
「ラインリヒ様、もうほんとに大丈夫です! そろそろ翻訳にも手を付けたいですし、許可して下さい!」
恐ろしいことにサヨがこの世界に再び来て、すでに一ヶ月近く経とうとしていた。
なにしろ意識不明状態が占める時間の割合が大きすぎる。
四年後までに何とかして翻訳を終わらせたいのに、療養中だからと一度も作業の許可が出ていないのだ。
なお向こうから持ち込んだノートは先日フレイアルドへ改めて渡した。
彼は殿下との約束を知っていたからこれは小夜のものですと言ってくれたが、そもそもはフレイアルドの為に書いたのである。
頑なに渡したい小夜にフレイアルドはある提案をしてくれた。
小夜がこれからする翻訳の直筆と一切の権利をフレイアルドがもらう。
その代わり小夜がいる間に発生するバルトリアスへの支払いは全て侯爵家が行う、と。
小夜が帰る為にすることを侯爵家に負ってもらうのは果たして正しいのかと首を傾げたが、こちらの揺り椅子は侯爵家の所有物だから、と主張するフレイアルドに押し切られてしまった。
いずれにせよ小夜はたくさん翻訳しなければならない。
「でもなぁ……」
渋るラインリヒに小夜は今日も作業を諦めた。けれど作業より優先したいことだけは、と更に頼み込む。
「庭園だけ、庭園だけでもいいですから……」
襲撃で命を落としてしまった侍女達。
彼女達の遺体はとうに荼毘に付され、実家で手厚く葬られたという。
今更花を手向けても仕方ないと言われるかもしれないが、小夜なりの供養がしたかった。
「じゃあ、ちょっとだけだぞ。オレが付き添う。そうじゃなきゃ許さない」
「! はいっ」
ぱっと花が咲いたように笑う小夜に、ラインリヒは苦笑した。
それから、下まで抱えていくというラインリヒの提案を小夜は遠慮した。
「ずっと寝ていましたから、歩かないと。リハビリです」
「あー身体機能の回復訓練、だっけ?」
「そうですよ」
庭園に無事到着するまで結構掛かってしまったが、久しぶりに自力で歩いたことに小夜は満足していた。
事前にフレイアルドからは好きなだけ好きな花を、と許可をもらってある。
こちらでは供花に花の種類は関係ないらしく、季節の花を贈るのが一般的だとマーサに教えてもらった。
だから何となく菊に似たものを探し、集めていく。
小夜が直接彼女達の実家に花を持っていくことは出来ない。
だからこの花は、フレイアルドが手配してそれぞれの家に届けてくれるという。
小夜の存在はあくまで秘密なので、フレイアルドから弔意を込めて贈るという名目になるらしいが、小夜はそれで充分だった。
花を摘む音が静かな庭園に響く。
「なぁサヨ」
「何でしょう?」
小夜の側で見守りながら、摘んだ花を持つ係と化したラインリヒは、小夜を真剣な目で見つめた。
大事な話かな、と勘が働いた小夜は立ち上がり、ラインリヒの正面で次の言葉を待つ。
ーーそしてラインリヒの言葉に、目を見開いた。
「オレの家の子に、ならないか?」
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