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一章
26.迷子
しおりを挟む小夜はラインリヒの言葉をどう捉えれば良いのか分からず立ち尽くした。
ただ機械のように耳から入った言葉を繰り返す。
「ラインリヒ様の、家の子?」
「といっても、親はオレじゃなくて、オレの親になるからーーつまりだ、オレの妹にならないか?」
(ラインリヒさまの、いもうと?)
彼の言葉を何度も何度も、心の中で鸚鵡のように繰り返す。
硬直したまま反応のない小夜に、ラインリヒは慌てた様子だ。
「悪い、やっぱり嫌か? オレの家は旧いだけで侯爵家みたいな権力も財産もないし、軍人の家系だから粗暴だし、親父は厳しいし、お袋は怖いし、兄貴は何考えてんのかわかんねーし」
だんだん実家の愚痴になってきたラインリヒの言葉に、小夜は少しだけ笑ってしまった。
顔が熱くなり、喉が震えた。
「でも、サヨさえ良ければ、うちの子になろう。オレの家って男兄弟ばっかりだから最初は気が利かないこともあると思うけど、ちゃんとオレが言って聞かせるから」
「……いいん、ですか?」
小夜は声を詰まらせた。
溢れてくる涙に気づかれないよう、顔を俯かせて地面を見る。
「わたしはーー悪い子で、気味が悪くて、出来損ないだって、父が言ってました。そんな、そんなわたしが」
ラインリヒのような人が育つ、暖かくてまともな家庭に入っていっていいのか。
地面に染みを作り始めた小夜の涙を、ラインリヒは取り出した手巾で拭いた。
擦らないように、優しく押し当てる仕草は、彼の性格そのものだった。
「違う。サヨは、良い子で、可愛くて、賢い。そんなこという親なんて女神の便所に捨てちまえ。オレの親で良ければ、分けてやるから」
捨てるなんて考えたこともなかった。
そんなことをしていいだなんて、誰も言ってくれなかった。
小夜には、聡一がいた。
これまでもこれからも大切な弟。
でも、親はいなかった。
「……ったい」
小夜の振り絞るような声にラインリヒは頷いた。
「ーーわたし……ラインリヒさまの、妹に、なりたい……っ」
庭園の真ん中で、恥も外聞もなく小夜は大泣きした。
見つけてもらえた、迷子のように。
***
庭園を見下ろす応接室には、フレイアルドとバルトリアスの姿があった。
二人は、安堵したような、悔しいようなーー複雑な顔でその光景を見おろしている。
流石に声は聞こえないが、ラインリヒからは事前に、小夜へ養子の提案をするとは聞いていた。
フレイアルドを窓辺に一人残し、バルトリアスは長椅子に腰を下ろす。
「結果としては、まあまあ良かったのではないか? ザルトラ伯爵家ならば何の不足もないであろう」
「ーー悔しいです」
意外な答えにバルトリアスは片眉を上げた。
茶器を口に運びながら、いまだ庭園を睨みつけているフレイアルドを観察する。
「私だってーーなれるなら、サヨの父親にも、兄にもなりたかった。あの子を守る、全てになりたかった」
「っ!?」
バルトリアスは突然願望を打ち明けられ飲んでいた茶を吹き出した。
恨みがましい目でフレイアルドを睨む。
「急にそういう話をするな!! 愚か者!」
「胆力が足りないのでは?」
吹きこぼした茶を手拭いで自ら片付けながらバルトリアスは舌打ちする。
フレイアルドは小夜が目覚めた途端元気になり、以前に増して可愛げがない男になった。
しかしそれにほっとしている自分もいることをバルトリアスはよく知っていた。腹立たしいが。
「兄になれば夫にはなれんぞ。其方離れで言っていたであろう」
「やはりあの時聞いていらっしゃいましたか」
「あの狭い部屋で聞くなという方が無理だ」
フレイアルドの眼は、まだ小夜を追いかけている。
「だから悔しいのです」
ーーこの男は心の底から、本気で言っている。
その事実に若干の薄寒さを感じて、バルトリアスは温かい茶を飲み干した。やはり酒が欲しい。
「あれは随分と肩入れしていたからな。其方を差し置いてでも嫁に欲しいと言い出さぬか、気が気ではなかったぞ」
「ラインリヒに限ってそれは有り得ません」
キッパリと断言するフレイアルドに興味本位からその理由を尋ねようとしたが、それは踏み込みすぎかと断念する。
窓から離れたフレイアルドはバルトリアスと向かい合うよう腰を下ろし、自分用の茶器に注いでいった。
「殿下の仰ったとおりになるかも知れません」
「どの件だ」
「揺り椅子の、影響です」
バルトリアスは抜いていた気を引き締めると、腕を組みフレイアルドの次の言葉に集中する。
「サヨはおそらく、祝福を与えています」
二人の間に沈黙が流れる。
やがてどちらともなく溜め息がでた。
「やはりな……馬車でおかしいとは思っていた。あの左腕の遺物は、これほど長期間着け続けられる代物ではない」
「はい」
本来ならば救命のため一時だけ着ける遺物を、常時着ける。それでいて祝福が切れないという異常事態にすでにバルトリアスは気づいていた。
胸元から一つ遺物を取り出すと、フレイアルドへ提示する。
「公爵家から借り受けた遺物だが、あの娘に使ったあと祝福に満ちていた。俺は一体どんな言い訳をしてこれを返せばいいんだ?」
「……心中、お察しいたします」
「察するだけか」
そのような軽口を叩くが、お互い空元気だった。
今後の小夜のことを思うと、焦りとも恐怖とも呼べる思考に支配されそうになる。
バルトリアスは遺物を元通りしまった。
「ーー本人にも聞かせたほうが良かろう」
「呼んで参ります」
そう言い、重そうな腰をあげたフレイアルドは、小夜とラインリヒを呼ぶため応接室を出て行った。
フレイアルドとともに帰ってきた時、小夜はまだしゃくり上げていた。
ラインリヒの首に、子供のようにしがみついている。
それを見たバルトリアスは今すぐ帰りたくなった。
「おい……」
「ふぇ、う、ひっ、く」
「すみません殿下……」
「重要な話になる。とりあえずそこへ座らせろ」
目元と鼻を真っ赤にしたサヨを挟むようにフレイアルドとラインリヒは腰を下ろした。
バルトリアスは目のやり場に困ったが、何かを諦めると胸元から幾つかの遺物を取り出す。
艶のある長机の上に並べられた遺物。
それは今回の小夜の治療のため、バルトリアスが親交のある貴族から借り受けたものだった。
「これは今回其方の治療に使ったものだ。いずれも、それぞれの家の家宝として遜色ない品だ」
「家宝……」
「だがこれを返却するにあたり、問題が生じている」
重々しい雰囲気に涙が引っ込んだ小夜は、首を縮こませながら尋ねた。
「あの、もしかして壊してしまったとか、使い切ってしまったとかでしょうか」
遺物とは充電不可の内蔵バッテリー式の家電、と認識している小夜は自分が使ってバッテリーが切れてしまったらどう詫びればいいのかと冷や汗を流した。
バルトリアスは腕を組んだまま、疲れたように目を伏せる。
「逆だ、馬鹿者」
逆とは? と小夜は首を傾げた。
ちらりと両隣を伺うが、疑問に感じているのは小夜だけらしい。
「其方はーー遺物に祝福を与えている。ここにあるものは、其方が今身に付けているものも含めて、この後数百年は使い続けられるだろう」
「……それは、ええと?」
小夜はバルトリアスの言いたいことが分かるようで分からず誤魔化したが、そんな態度はすぐ見抜かれてしまった。
呆れたような深い溜め息と、可哀想な者を見る目が小夜の心を的確に抉る。
「分からぬか? 祝福を与えられるということはだ、休眠を気にすることなく使えるということだ。ーー其方の場合、休眠すら関係ないかも知れぬ」
「えっと……それは、良かったですね……?」
ーー小夜がそう言った瞬間、バルトリアスの血管が切れる音がした。
「ーーこの、馬鹿娘が!! もっと危機感を持たんか!!」
「ひゃい!」
その後小夜は説明という名のお説教を延々と喰らい、急に与えられた多量の情報で知恵熱を出した。
小夜に無理をさせたことに対して激怒したフレイアルドが、バルトリアスをしばらく門前払いにしたのは言うまでもない。
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