揺り椅子の女神

白岡 みどり

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一章

05.待人

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 小夜は聡一の言葉に、咄嗟の反応が出来なかった。
 その小夜に聡一は言葉を重ねる。

「今日あいつらから逃げ切れたとしても、それって一生この狭い日本の中で、あいつらから逃げ続けなきゃいけないことなんだって……オレ気付いたんだ」

 小夜の父は、子供二人が持たないものをたくさん持っている。
 金、人望、コネーー人探しをするにはいずれも十分な程度には。
 聡一に諭されて小夜はやっと理解した。
 警察にも病院にも顔が利く父とあの家から逃れることの大変さを。

「そのフレイアルドって人が、姉ちゃんを大切にしてくれるなら、向こうの世界の方がーー」
「そうちゃんは?」

 聡一の言いたいことは、小夜だってもちろん分かる。でもこの世界には、小夜にとっては自分よりも大切なものが、ある。

「ーーわたしが消えたら、そうちゃんは? お父さんは絶対そうちゃんを許さない……そうちゃんに、あんなこと、されたく、ない……」
「姉ちゃん」

 小夜は聡一の肩に額を預けた。
 小夜を背負って走り、ここまで来てくれた弟。
 弟が何と言おうと、首を縦に振るつもりはない。
 
「おいてなんか、いかない……!」
 
 ……ビーーーー!!ビーーーー!!

「きゃっ!!」

 けたたましい音が膝の上の鞄から鳴り響いた。
 小夜は驚き缶から手を離してしまい、缶は音を立てて床に転がっていく。

「なんだ? ーーっ!!」

 聡一は鞄の中を漁り、音の発生源である小夜のノートを開いた。
 その中には黒いカードが挟まっていた。
 それを見た聡一は舌打ちする。

「これ、位置情報発信用のタグだ」
「いち? たぐ?」
「……これを持ってると、オレたちの場所があいつらに筒抜けになるってことだよ」

 小夜は青褪める。場所がばれているなんて、思いもしなかったのである。

 聡一がタグを壊そうとしていたその時、ーー締めたはずの店のシャッターが、ガシャガシャと揺らされた。

「……そこにいるのは分かっているぞ」
「あっ……」

 ーー父だ。
 小夜はガタガタと震える身体を、無意識に小さく縮める。気付いた聡一が手を握ってくれるが、震えは治まらない。鞄が膝から滑り落ちた。

(どうしよう、どうしたら)

 父はシャッターを無理やり開けようとしているのだろう。すごい音がした。

「出てこい!! 今なら、俺の言うとおりにすれば許してやる!!」

 二人は父の尋常ならざる剣幕に、息を呑んだ。

「小夜!! お前が逃げたらなぁ! 聡一をお前の代わりにあの部屋に入れるからな!!」
「やめ……て……」

 店の中は父がシャッターを揺らす音とタグの警報音で満ちているのに、父の声はハッキリと小夜の耳に届いた。
 
「ーーお前のようなゴミが人並みに結婚できるんだぞ!? 有り難くないのか!!」

 ーーヒュッ……と小夜の喉が鳴った。
 そのままヒュッヒュッと荒い息を繰り返す小夜を聡一は守るように抱きしめた。
 
 その時、異変に気づいた店主が激昂しながらやってきた。

「ーーあんた!! 何してんだ!! 不法侵入だよ!! こっちはもう警察呼んでるんだ!!」
「なんだお前!? 邪魔するならこの店ごと潰してやるぞ!! 開けろ!!」

 警察はまだ来ない。
 
 聡一は素早く床に落ちていた鞄を拾い上げ小夜に持たせると、いまだためらう小夜を強引に運んだ。

「そ、うちゃん……まって……!」
「ーー姉ちゃんは幸せにならなきゃダメなんだ」

 そう言って聡一は、鞄を抱かせた小夜を揺り椅子に降ろす。
 小夜は息を荒げながらも咄嗟に聡一の服を掴んだ。

 ーーいやだ。
 ーー弟を置いて、自分だけ逃げるなんて!!

 聡一は厳しい表情で、鞄の中からノートを一冊取り出すと近くにあったペンで走り書きしていく。
 書き終わったノートを小夜に押し付けた。

「オレなら大丈夫だから。ーー行って」
「だめ! そうちゃんーー」

 ーー小夜が掴んでいた聡一の服を、彼が振り払った瞬間。
 眠りにつく時のようにーー小夜は、自分が沈み消えていくのを、感じた。

 ***

 フェイルマー侯爵邸、その離れで一人の青年が溜め息をついた。
 月光を溶かしたような銀の髪、愁いを浮かべる紫水晶の瞳は、その整った顔貌も相まって王国中の女性たちの憧れだった。
 ーー少なくとも、その為人を知るまでは。

 彼は十六歳という若さで侯爵位を得た。
 異例中の異例である。
 
 貴族の子女の十六といえば、まだ貴族院に在籍しているのが当たり前だ。
 しかし彼は通常なら四年は掛かる課程をわずか一年半で終え、卒業している。
 開校以来の快挙ーーしかも侯爵家は王国一の資産家。
 国中の彼と釣り合う身分の女性が婚約を申し込んだと言っても過言ではない。
 中には王太子の側室が産んだ姫君まで含まれていた。

 だが彼はそれら全てを袖にした。
 ーーそれぞれに痛烈な断り文句を添えて。

「あいにくと、化粧くさい女には興味がありませんので」
「四書八巻すら読めぬと? 時間の無駄ですので話しかけないでください」
「私に会うために衣装を新調される暇がお有りでしたら、領地経営の一端でも覚えては如何です?」
「血統しか誇るものが無いのでしたら、軍馬でも寄越してくださったほうがマシというものです」

 徹頭徹尾この状態である。
 ほとんどの貴族はこの仕打ちに、高いだけの鼻っ柱と心を折られすごすご帰っていった。
 しかし中には正室になることさえ出来ればよく、夫の為人など二の次三の次であるーーそういう女性もいた。
 その場合、彼は容赦しなかった。

 自身が築いた情報網を使って相手の弱味や秘密、隠匿していた犯罪行為の証拠まで手に入れちらつかせる。

「明日以降も、王都の中をその白粉顔のまま歩きたければ金輪際私に近づくな」

 こうして今日まで彼は独身を貫いていた。
 
 今年で二十六になる彼の名はフレイアルド。
 『女嫌いの陰険侯爵』の名をほしいままにする、王国きっての美青年である。


 フレイアルドは月光の差し込む部屋の中、何度目かになる溜め息を吐く。

 ーー今日も駄目か。

 部屋の正面には侯爵家の庭を一望できる窓。                           
 窓のすぐ側には一脚の揺り椅子が鎮座していた。
 座るものの無い椅子を彼はじっと見つめる。
 
 彼はこの十年、ずっと一人の少女を待っている。
 少女が現れるのは日が暮れてからまた昇るまでの僅かな時間と決まっていた。
 彼はその時間になると、少女のために軽食を用意して椅子の前で待った。
 眠っている間離れるわけにはいかないため、寝台も持ち込む徹底ぶりである。
 無論、夜会の類には一切参加しない。
 屋敷を訪ねてくれる数少ない友人とこの部屋で酒を酌み交わすことはあれど、正体を失ったことはなかった。

 部屋の外から入室許可を求める声が聞こえた。
 嫌われ者の自分を訪ねてくる、数少ない友人の一人のようだ。
 
 普通の客ならばこの離れどころか母屋にも案内なしでは入れないが、フレイアルドはこの友人にだけ勝手に入ってくることを許可していた。
 あまりに頻繁なので、指示が面倒になったのである。
 
「よう!」
「……飲んだら帰れ」

 仕事道具を片手に、反対の手に酒を持った赤毛の青年は口を尖らせる。

「本当にお前は暗いやつだよ」
「なら盛り場にでも行けばいいだろう。なぜ毎度ここに来る」

 そう言いながらもフレイアルドは慣れた手付きで酒盃を二つ用意していく。
 揺り椅子から離れた場所で、二人は小さな卓を挟んで座った。

「そりゃ、いつ来てもツマミがあるから」
「ーー何度も言わすな。これはお前のためのツマミじゃない」

 少女のために用意した軽食に手をつける赤毛の青年は「ん、うまい」と口をもぐもぐさせる。
 手酌で注いだ酒を飲み、赤毛の青年は目の前の友人を見て眉尻を下げた。

「ーーなあ、お前いつまで待つんだ?」
「……」
「もう、十年なんだろ」

 フレイアルドは苦々しい表情で酒盃を一気に煽る。

「まだ十年だ……私はいつまででも、待つ」

 ーー待つのをやめたその日に、もしサヨが来ていたら?

 それだけは避けたかった。
 もう二度とあの少女を待たせるようなことはしたくない。

 フレイアルドはこの十年、何度も何度もサヨが帰ってくるその時を想像した。
 背は伸びているだろうか。
 あの艶やかな黒髪は、伸ばしているのだろうか。
 ーー約束を守れなかった自分に、再び笑いかけてくれるだろうか。

 そんなことを考えて、寝台に入れば観る夢は彼女ばかり。
 いつもあの柔らかな頬を撫でようとして、目が覚めてしまうのだった。

「サヨは、必ずまた来る」

 頑として譲らないフレイアルドに、赤毛の青年は肩を竦めた。
 この友人は陰険だ女嫌いだと云われているが実際は誠実な男だ、と彼は思っている。
 その誠実さの相手が実在するかどうか分からない少女である、というだけで。

 二人が続ける会話もなく酒を煽っていたその時。

 …ビーー、……ビーー……

 静寂の中、突如鳴り響いた異音に二人は驚き立ち上がった。

「な、なんだ!?」

 フレイアルドは咄嗟に振り向き、揺り椅子の上を確認する。
 
 ーーそして彼は目を見開いた。

「ーーサヨ!!」

 ぐったりと椅子にもたれるーー少女の姿が、そこにはあった。
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