揺り椅子の女神

白岡 みどり

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一章

06.治療

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「サヨ、サヨ!! ーー目を開けてください!!」

 フレイアルドが立ち上がった時から、赤毛の青年はずっとその行動を見ていた。
 何もないーー少なくとも自分には何も見えないーー窓辺へと駆け寄り、誰かに必死に呼び掛けている。
 そして自分には見えない何かを持ち上げる仕草をしたと思えば。
 瞬きのその一瞬のあと、フレイアルドの腕にはもう少女が抱かれていた。
 
「ーーラインリヒ!! 治療だ!!」

 フレイアルドの叫びに、赤毛の青年ーーラインリヒは矢のように飛び出す。
 手には仕事道具である、女神の遺物。
 少女は遠目に見ても危険な状態で、近寄ると更に酷かった。

 顔色は蒼白で額には玉のような汗がいくつも浮かんでいる。
 一瞬で全身を確認し、足の怪我が一番重症と診断する。
 骨が折れて、細い足がその周囲だけ赤黒くパンパンに腫れている。
 折れた後無理に動かした形跡もあった。

「骨が折れてる。一旦下ろせフレイアルド」
 
 フレイアルドが寝台に少女を下ろすなり、必要な女神の遺物を取り出す。
 細かな刺繍が施された白い幅広の布の形をした遺物を折れた脚に慎重に巻き付けていく。
 少しもずれが許されない作業に、ラインリヒはかつてないほど集中した。

 やがて巻き終わり、布にびっしりと施された刺繍が仄かに明滅するのを確認すると、ラインリヒは息つく間もなく次の作業へ取り掛かる。

 計測用の遺物を少女に取り付けその鼓動が弱いことに舌打ちした。
 急ぎもう一つ取り出した腕輪型の遺物を少女の左手首へ嵌める。
 それも仄かに瞬きーー安心して肩の力が、抜けた。

「……これで、死ぬことはない」
「すまないーー助かった」
「お前もすまないとか言えたんだな」

 ラインリヒはフレイアルドとの十年以上の付き合いだが、彼がそんな発言をするところなんてついぞ見たことがなかった。
 今日は驚かされてばかりだ、と苦笑する。

「なあ。お前が待ってたのは、この子か?」
「ーーあぁ」

 ラインリヒは、少女から少しも目線を外さない男の姿に心の底から安堵した。
 ようやく親友は、長過ぎる時を経て待人を得たーーそう感じて。

 ***
 
 その日、侯爵家の母屋に激震が走った。

「旦那様が、女性をお連れになった……!?」



 小夜の応急手当をした後。
 まだ陽も登りきらない時刻に離れから母屋へ戻ったフレイアルド達を出迎えたのは、当直の使用人である侍女のマーサと侍従のエマヌエルだった。

 普段ならば朝に母屋へもどる主人。
 その予定より早い帰りに、二人は慌てて玄関を開けた。
 そしてすぐ、主人が一人ではないことに気づく。

 一人はラインリヒ。
 彼が主人の隣にいることはさして珍しくない。
 何なら彼はいつも朝ごはんまでしっかり平らげていく。
 優秀な彼等は仮に一人分の支度が増えたくらいでは少しも動じないが、ラインリヒは離れに行く前必ず一声掛けて行ってくれるので既に用意は万端だった。

 問題はもう一人である。

 フレイアルドの腕に大切そうに抱えられた少女は、どう高く見積もっても貴族院前の年齢だ。
 見たこともないほど真っ直ぐで艶々とした黒髪をしており、マーサに至ってはその美しさに目を奪われていた。
 どうやら離れ用の寝台から引き剥がしたと思われる掛布でぐるぐる巻きにされ眠っているらしい。

 ーー彼等はごくり、と唾を飲み込んだ。
 自分たちの主人は女嫌いで知られている。
 それが、どう見ても若いーー幼い、とさえとれる容貌の少女を連れて来たのである。
 まさかそういう趣味だったのか、とは口が裂けても言えなかった。
 
 普段完璧な仕事振りで知られる彼等が目を見開き、立ち尽くす姿に、ラインリヒはうんうんと頷いた。
 たぶん自分でもそうなる。

「マーサ」
「はい、旦那様」

 フレイアルドの母と言われても違和感がない歳の侍女はキリリと応じた。
 
「この子の着替えを頼む。私の部屋の隣だ」
「!! と、隣でございますね」
「そうだ」

 屋敷の主人の隣部屋は、女主人ーー正室の部屋と決まっている。
 マーサは自らの顔が喜びで紅潮していくのを感じた。
 かたや一緒に聞いていたエマヌエルは驚愕の中に複雑そうな色を浮かべている。

「無礼を承知で申し上げますが……いずこかの家のお嬢様でしょうか」
「女神だ」
「……は……?」

 フレイアルドはエマヌエルに厳しい表情で釘を刺した。

「女神が我が家に齎してくださった娘だ。それ以上でもそれ以下でもない。私が公表するまで、この事は他言無用だ。絶対にこの屋敷の外には漏らさぬよう」

 マーサとエマヌエルが畏まりました、と言うのを確認し、フレイアルドは自室のある二階へ上がっていった。

 フレイアルドは母屋の中に自室と、続き部屋に寝室を持っている。
 細かく言えば他に専用の執務室、書斎、応接室など用途ごとに部屋を持っていたが、最も私的な部屋が自室と寝室である。
 彼は自身の寝室と、内扉で繋がった隣部屋へ入っていく。

 そこは明らかに女性の寝室だった。
 調度は女性らしい丸みを帯びたものが多く、花や蔦、鳥の意匠で纏められていた。
 全てフレイアルドが小夜のために揃えた、一級品である。
 もちろんフレイアルドとて小夜がいつ来るかなど分からなかったが、彼にとってそれは大きな問題ではなかった。

 小夜がいつまたこちらへ来てもすぐ生活出来るよう整えておくのは、彼にとって必要最低限の準備だったのである。
 調度だけでなく、小夜の生活に必要になるだろうと思われるものは、服から日用品までたいてい用意してあった。

 フレイアルドは寝室の中央に位置する寝台へ小夜を静かに寝かせると、痩けた頬を撫でる。
 彼は冷静を装いながら、今も静かに怒りの炎を燃やしていた。

 ラインリヒによる、女神の遺物での治療後。
 気づいたのはほぼ二人同時だった。

『フレイアルド……これーー』
『……わかっている』

 服で見え隠れしてはいるが、小夜の手足には古いものから新しいものまでーー殴られた痣が多数あったのだ。

 おそらく服の下にもあるのだろう。
 それに気になったのは小夜の軽さだった。
 病的なまでに軽い体、紙のように白い顔は小夜が満足な食事さえ取れていなかったその証左に他ならない。

 ーー決して、二度とこんな目に遭わせない。

 フレイアルドはマーサがやって来るまでの僅かな時間、そう心に決めながらずっと小夜の頬を撫でていた。



 久しぶりの女性の支度ということで張り切ってやってきたマーサは、掛布を剥がした小夜の姿を見て、あっと口を押さえた。

 その手足の痣が目に入ったのだろう。
 痛々しすぎる傷痕だった。

「な、なんてことを……」
「ラインリヒに治療させたいが、もう既に二つ使っている。いまは身体を清めて着替えだけ頼む」
「……承知いたしました」

 マーサは小夜が身につける簡易なワンピースを脱がそうとして、まだ主人がそこにいることに気づいた。
 ラインリヒはとうに出て行ったというのに。

「旦那様、お嬢様のお召し替えの間は席を外して下さいませ」
「分かっている。ーーあと少し、夜明けが来たら出ていく」

 マーサは首を傾げた。
 確かにあと少しで夜明けだが、それがこの少女の着替えに立ち会うことと何の関係があるのか分からなかったのである。

 小夜の服を脱がす手を止め、とりあえず寝台の側に控えていると次第に空が白んできた。

「サヨ」

 フレイアルドが寝台のすぐ脇に跪き、小夜の手を握る。
 そして日が登ったその時ーーフレイアルドもマーサも、そして中々外に出てこないフレイアルドを心配し戻ってきたラインリヒも、その光景を目にした。

 小夜の体が淡く光り、少しづつ向こうが透けて見えてくるのである。
 間違いなくそこにいるのに、少女の下の敷布の皺まで見てとれる。
 マーサは小さく叫び声を上げた。

 フレイアルドは自分の手の中にある、血色の失せた小さな手を握りしめた。
 視線は少女から外さず、菫色の瞳で食い入るように見つめ続ける。

 しばらくそうしていると、透けていた小夜の体は段々と色味を増し、やがて元に戻った。まるで何事も無かったかのように。

 誰ともない溜め息が部屋に響いた。

「なんなんだよ、今のは」
「……あちらで説明する。もう大丈夫だろうから、着替えの続きを」
「は、はぁ……」

 フレイアルドはそっと小夜の手を離し、その左腕と右脚に着けられた遺物を見る。
 二つの遺物は淡く瞬くだけだった。

 
 


 
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