7 / 89
一章
06.治療
しおりを挟む「サヨ、サヨ!! ーー目を開けてください!!」
フレイアルドが立ち上がった時から、赤毛の青年はずっとその行動を見ていた。
何もないーー少なくとも自分には何も見えないーー窓辺へと駆け寄り、誰かに必死に呼び掛けている。
そして自分には見えない何かを持ち上げる仕草をしたと思えば。
瞬きのその一瞬のあと、フレイアルドの腕にはもう少女が抱かれていた。
「ーーラインリヒ!! 治療だ!!」
フレイアルドの叫びに、赤毛の青年ーーラインリヒは矢のように飛び出す。
手には仕事道具である、女神の遺物。
少女は遠目に見ても危険な状態で、近寄ると更に酷かった。
顔色は蒼白で額には玉のような汗がいくつも浮かんでいる。
一瞬で全身を確認し、足の怪我が一番重症と診断する。
骨が折れて、細い足がその周囲だけ赤黒くパンパンに腫れている。
折れた後無理に動かした形跡もあった。
「骨が折れてる。一旦下ろせフレイアルド」
フレイアルドが寝台に少女を下ろすなり、必要な女神の遺物を取り出す。
細かな刺繍が施された白い幅広の布の形をした遺物を折れた脚に慎重に巻き付けていく。
少しもずれが許されない作業に、ラインリヒはかつてないほど集中した。
やがて巻き終わり、布にびっしりと施された刺繍が仄かに明滅するのを確認すると、ラインリヒは息つく間もなく次の作業へ取り掛かる。
計測用の遺物を少女に取り付けその鼓動が弱いことに舌打ちした。
急ぎもう一つ取り出した腕輪型の遺物を少女の左手首へ嵌める。
それも仄かに瞬きーー安心して肩の力が、抜けた。
「……これで、死ぬことはない」
「すまないーー助かった」
「お前もすまないとか言えたんだな」
ラインリヒはフレイアルドとの十年以上の付き合いだが、彼がそんな発言をするところなんてついぞ見たことがなかった。
今日は驚かされてばかりだ、と苦笑する。
「なあ。お前が待ってたのは、この子か?」
「ーーあぁ」
ラインリヒは、少女から少しも目線を外さない男の姿に心の底から安堵した。
ようやく親友は、長過ぎる時を経て待人を得たーーそう感じて。
***
その日、侯爵家の母屋に激震が走った。
「旦那様が、女性をお連れになった……!?」
小夜の応急手当をした後。
まだ陽も登りきらない時刻に離れから母屋へ戻ったフレイアルド達を出迎えたのは、当直の使用人である侍女のマーサと侍従のエマヌエルだった。
普段ならば朝に母屋へもどる主人。
その予定より早い帰りに、二人は慌てて玄関を開けた。
そしてすぐ、主人が一人ではないことに気づく。
一人はラインリヒ。
彼が主人の隣にいることはさして珍しくない。
何なら彼はいつも朝ごはんまでしっかり平らげていく。
優秀な彼等は仮に一人分の支度が増えたくらいでは少しも動じないが、ラインリヒは離れに行く前必ず一声掛けて行ってくれるので既に用意は万端だった。
問題はもう一人である。
フレイアルドの腕に大切そうに抱えられた少女は、どう高く見積もっても貴族院前の年齢だ。
見たこともないほど真っ直ぐで艶々とした黒髪をしており、マーサに至ってはその美しさに目を奪われていた。
どうやら離れ用の寝台から引き剥がしたと思われる掛布でぐるぐる巻きにされ眠っているらしい。
ーー彼等はごくり、と唾を飲み込んだ。
自分たちの主人は女嫌いで知られている。
それが、どう見ても若いーー幼い、とさえとれる容貌の少女を連れて来たのである。
まさかそういう趣味だったのか、とは口が裂けても言えなかった。
普段完璧な仕事振りで知られる彼等が目を見開き、立ち尽くす姿に、ラインリヒはうんうんと頷いた。
たぶん自分でもそうなる。
「マーサ」
「はい、旦那様」
フレイアルドの母と言われても違和感がない歳の侍女はキリリと応じた。
「この子の着替えを頼む。私の部屋の隣だ」
「!! と、隣でございますね」
「そうだ」
屋敷の主人の隣部屋は、女主人ーー正室の部屋と決まっている。
マーサは自らの顔が喜びで紅潮していくのを感じた。
かたや一緒に聞いていたエマヌエルは驚愕の中に複雑そうな色を浮かべている。
「無礼を承知で申し上げますが……いずこかの家のお嬢様でしょうか」
「女神だ」
「……は……?」
フレイアルドはエマヌエルに厳しい表情で釘を刺した。
「女神が我が家に齎してくださった娘だ。それ以上でもそれ以下でもない。私が公表するまで、この事は他言無用だ。絶対にこの屋敷の外には漏らさぬよう」
マーサとエマヌエルが畏まりました、と言うのを確認し、フレイアルドは自室のある二階へ上がっていった。
フレイアルドは母屋の中に自室と、続き部屋に寝室を持っている。
細かく言えば他に専用の執務室、書斎、応接室など用途ごとに部屋を持っていたが、最も私的な部屋が自室と寝室である。
彼は自身の寝室と、内扉で繋がった隣部屋へ入っていく。
そこは明らかに女性の寝室だった。
調度は女性らしい丸みを帯びたものが多く、花や蔦、鳥の意匠で纏められていた。
全てフレイアルドが小夜のために揃えた、一級品である。
もちろんフレイアルドとて小夜がいつ来るかなど分からなかったが、彼にとってそれは大きな問題ではなかった。
小夜がいつまたこちらへ来てもすぐ生活出来るよう整えておくのは、彼にとって必要最低限の準備だったのである。
調度だけでなく、小夜の生活に必要になるだろうと思われるものは、服から日用品までたいてい用意してあった。
フレイアルドは寝室の中央に位置する寝台へ小夜を静かに寝かせると、痩けた頬を撫でる。
彼は冷静を装いながら、今も静かに怒りの炎を燃やしていた。
ラインリヒによる、女神の遺物での治療後。
気づいたのはほぼ二人同時だった。
『フレイアルド……これーー』
『……わかっている』
服で見え隠れしてはいるが、小夜の手足には古いものから新しいものまでーー殴られた痣が多数あったのだ。
おそらく服の下にもあるのだろう。
それに気になったのは小夜の軽さだった。
病的なまでに軽い体、紙のように白い顔は小夜が満足な食事さえ取れていなかったその証左に他ならない。
ーー決して、二度とこんな目に遭わせない。
フレイアルドはマーサがやって来るまでの僅かな時間、そう心に決めながらずっと小夜の頬を撫でていた。
久しぶりの女性の支度ということで張り切ってやってきたマーサは、掛布を剥がした小夜の姿を見て、あっと口を押さえた。
その手足の痣が目に入ったのだろう。
痛々しすぎる傷痕だった。
「な、なんてことを……」
「ラインリヒに治療させたいが、もう既に二つ使っている。いまは身体を清めて着替えだけ頼む」
「……承知いたしました」
マーサは小夜が身につける簡易なワンピースを脱がそうとして、まだ主人がそこにいることに気づいた。
ラインリヒはとうに出て行ったというのに。
「旦那様、お嬢様のお召し替えの間は席を外して下さいませ」
「分かっている。ーーあと少し、夜明けが来たら出ていく」
マーサは首を傾げた。
確かにあと少しで夜明けだが、それがこの少女の着替えに立ち会うことと何の関係があるのか分からなかったのである。
小夜の服を脱がす手を止め、とりあえず寝台の側に控えていると次第に空が白んできた。
「サヨ」
フレイアルドが寝台のすぐ脇に跪き、小夜の手を握る。
そして日が登ったその時ーーフレイアルドもマーサも、そして中々外に出てこないフレイアルドを心配し戻ってきたラインリヒも、その光景を目にした。
小夜の体が淡く光り、少しづつ向こうが透けて見えてくるのである。
間違いなくそこにいるのに、少女の下の敷布の皺まで見てとれる。
マーサは小さく叫び声を上げた。
フレイアルドは自分の手の中にある、血色の失せた小さな手を握りしめた。
視線は少女から外さず、菫色の瞳で食い入るように見つめ続ける。
しばらくそうしていると、透けていた小夜の体は段々と色味を増し、やがて元に戻った。まるで何事も無かったかのように。
誰ともない溜め息が部屋に響いた。
「なんなんだよ、今のは」
「……あちらで説明する。もう大丈夫だろうから、着替えの続きを」
「は、はぁ……」
フレイアルドはそっと小夜の手を離し、その左腕と右脚に着けられた遺物を見る。
二つの遺物は淡く瞬くだけだった。
0
あなたにおすすめの小説
王宮侍女は穴に落ちる
斑猫
恋愛
婚約破棄されたうえ養家を追い出された
アニエスは王宮で運良く職を得る。
呪われた王女と呼ばれるエリザベ―ト付き
の侍女として。
忙しく働く毎日にやりがいを感じていた。
ところが、ある日ちょっとした諍いから
突き飛ばされて怪しい穴に落ちてしまう。
ちょっと、とぼけた主人公が足フェチな
俺様系騎士団長にいじめ……いや、溺愛され
るお話です。
俺の妻になれと言われたので秒でお断りしてみた
ましろ
恋愛
「俺の妻になれ」
「嫌ですけど」
何かしら、今の台詞は。
思わず脊髄反射的にお断りしてしまいました。
ちなみに『俺』とは皇太子殿下で私は伯爵令嬢。立派に不敬罪なのかもしれません。
✻ゆるふわ設定です。
気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。
✻R-15は保険です。
女王は若き美貌の夫に離婚を申し出る
小西あまね
恋愛
「喜べ!やっと離婚できそうだぞ!」「……は?」
政略結婚して9年目、32歳の女王陛下は22歳の王配陛下に笑顔で告げた。
9年前の約束を叶えるために……。
豪胆果断だがどこか天然な女王と、彼女を敬愛してやまない美貌の若き王配のすれ違い離婚騒動。
「月と雪と温泉と ~幼馴染みの天然王子と最強魔術師~」の王子の姉の話ですが、独立した話で、作風も違います。
本作は小説家になろうにも投稿しています。
リアンの白い雪
ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
その日の朝、リアンは婚約者のフィンリーと言い合いをした。
いつもの日常の、些細な出来事。
仲直りしていつもの二人に戻れるはずだった。
だがその後、二人の関係は一変してしまう。
辺境の地の砦に立ち魔物の棲む森を見張り、魔物から人を守る兵士リアン。
記憶を失くし一人でいたところをリアンに助けられたフィンリー。
二人の未来は?
※全15話
※本作は私の頭のストレッチ第二弾のため感想欄は開けておりません。
(全話投稿完了後、開ける予定です)
※1/29 完結しました。
感想欄を開けさせていただきます。
様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。
ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、
いただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。
申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。
もちろん、私は全て読ませていただきます。
※この作品は小説家になろうさんでも公開しています。
死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について
えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。
しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。
その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。
死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。
戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
妾に恋をした
はなまる
恋愛
ミーシャは22歳の子爵令嬢。でも結婚歴がある。夫との結婚生活は半年。おまけに相手は子持ちの再婚。 そして前妻を愛するあまり不能だった。実家に出戻って来たミーシャは再婚も考えたが何しろ子爵領は超貧乏、それに弟と妹の学費もかさむ。ある日妾の応募を目にしてこれだと思ってしまう。
早速面接に行って経験者だと思われて採用決定。
実際は純潔の乙女なのだがそこは何とかなるだろうと。
だが実際のお相手ネイトは妻とうまくいっておらずその日のうちに純潔を散らされる。ネイトはそれを知って狼狽える。そしてミーシャに好意を寄せてしまい話はおかしな方向に動き始める。
ミーシャは無事ミッションを成せるのか?
それとも玉砕されて追い出されるのか?
ネイトの恋心はどうなってしまうのか?
カオスなガストン侯爵家は一体どうなるのか?
望まぬ結婚をさせられた私のもとに、死んだはずの護衛騎士が帰ってきました~不遇令嬢が世界一幸せな花嫁になるまで
越智屋ノマ
恋愛
「君を愛することはない」で始まった不遇な結婚――。
国王の命令でクラーヴァル公爵家へと嫁いだ伯爵令嬢ヴィオラ。しかし夫のルシウスに愛されることはなく、毎日つらい仕打ちを受けていた。
孤独に耐えるヴィオラにとって唯一の救いは、護衛騎士エデン・アーヴィスと過ごした日々の思い出だった。エデンは強くて誠実で、いつもヴィオラを守ってくれた……でも、彼はもういない。この国を襲った『災禍の竜』と相打ちになって、3年前に戦死してしまったのだから。
ある日、参加した夜会の席でヴィオラは窮地に立たされる。その夜会は夫の愛人が主催するもので、夫と結託してヴィオラを陥れようとしていたのだ。誰に救いを求めることもできず、絶体絶命の彼女を救ったのは――?
(……私の体が、勝手に動いている!?)
「地獄で悔いろ、下郎が。このエデン・アーヴィスの目の黒いうちは、ヴィオラ様に指一本触れさせはしない!」
死んだはずのエデンの魂が、ヴィオラの体に乗り移っていた!?
――これは、望まぬ結婚をさせられた伯爵令嬢ヴィオラと、死んだはずの護衛騎士エデンのふしぎな恋の物語。理不尽な夫になんて、もう絶対に負けません!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる