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「嫌いでも良いから、僕を見て」
マイシャを抱えたまま森を出た男は、一台の馬車に近づいた。
虎と剣が交差する紋章を堂々と掲げる馬車は、小振りだがこの辺りでは滅多に見ない最新式。揺れが最小限で乗り心地がいいのだとか。
多分子爵様でさえ乗ったことはないだろう。
なぜマイシャが主人さえ乗ったことのない馬車を知っているかというと、昨日お輿入れのお姫様が乗っていたからである。
なお、詳しい情報源は厩番のテック爺さんだ。
けど馬車がおんぼろだろうが、最新式だろうがそんなことはどうでもいい。
問題は、これに乗ることだから。
「帰る! かえして! 人攫いー!!」
「どうどう」
「ひゃうっ!」
さわり、と腰を撫でられて声が出る。
いちいち触り方のいやらしい男である。
「若、そのお嬢さんは……」
馬車と共に待機していた男性が不思議そうに尋ねる。
「僕の奥さん。マイシャだよ。可愛いでしょ」
「は?」
「合意してませんっ!!」
涙ながらに男性を見ると、憐れみを向けられた。
驚きとかじゃなく、憐れみだ。
「あ……あー、それは、それは、おめでとうございます」
「ありがとう。アルバスならそう言ってくれると思っていたよ」
どうやら助けては貰えないらしい。
周りには他の人影はない。
それまで頑張って暴れていたマイシャの心が、ぽきりと折れた。
(これはもしかしてもう、逃げられない……?)
急に力の抜けたマイシャを男が心配そうに覗き込む。
「マイシャ、どうしたの? お腹空いた? すぐ宿に戻るからね」
「……」
男の問いに答えないマイシャはとうとう馬車に乗せられてしまった。
テック爺さんの言う通り、馬車は少しも揺れなかった。
***
子爵領はとても小さいが、特産の葡萄酒でそれなりに豊かである。
領民はみな、日々豊かに暮らせることを、子爵様のおかげとして感謝を捧げているのだ。
マイシャだってそうだ。
子爵様がいなければ、これまで生きてこられなかった。
身の程知らずの失恋でやけ酒はしたが、これからもお仕えしよう。
そう、思っていたのに。
マイシャの目の前には、子爵領の一番大きな街で一番高級な宿。
縁のない自分でさえ耳にしたことがある、貴族や大商人が泊まる宿だ。
男の服でぐるぐる巻きにされた姿でここに来るなんて、一体どうして想像できただろうか。
「アルバス、いくつかマイシャの服を見繕ってきてくれ」
「はっ」
マイシャはそれを聞きながら、初めて入った宿の中をきょろきょろ眺めていた。
内装は豪華、の一言でしかない。
学もなく、教養もない自分にはその言葉でしか表せられなかった。
子爵様のお城の中だってこんなに豪華ではない。
ぼうっと眺めている間も男はマイシャを抱えて歩く。
馬車の中で自分だけきちんと服を着た男は、白いシャツを纏っていた。
やがて目的の部屋に着いたらしい。
玄関から一つ上の階だ。
男がその部屋の前で足を止め扉を開けると、そこは毛足の長い絨毯が惜しげもなく敷かれた部屋だった。
(うわ、ぁ……)
白と金で統一された家具は、優美な曲線の装飾がついている。
よく見れば細かい彫刻まで施されていた。
これは家具ではない、芸術品である。
「マイシャ、ここに座って」
下ろされた一人掛けの椅子はふかふかだ。
自分の状況すら忘れて、マイシャは初めての感触に心を躍らせてしまった。
見ていると、男は近くの戸棚から何かを取り出す。
薬瓶のようだ。
蓋が開くと白い軟膏が見えた。
「手を出して」
言われるまま、男の服の隙間から手を出すとその軟膏を丹念に塗り込められる。
反対も、同様に。
丁寧に指先まで塗って、男はマイシャに微笑んだ。
「これから毎日塗るからね。そしたら、垢切れが良くなるから」
「あ、ありがとう……」
最悪な相手なのに、無意識にお礼が口をついた。
はっとして顔を背けると、男の指がマイシャの顎を捕える。
「嫌いでも良いから、僕を見て」
「ーーっん」
気付けば唇を重ねられていた。
軟膏を塗ったばかりの手は、男に手首を掴まれて役に立たない。
「ん、んぅ……」
口の中で男の舌が、蠢く。
マイシャの逃げようとする舌を追いかけて、絡め取り、吸い上げる。
上顎をざらり、と男の舌先が舐め上げた。
(や、ぁ……)
ーー自分がおかしい。
こんな、無遠慮に、マイシャの意思を無視した口付け、なのに。
ーー頭がくらくらするほど、気持ちがいい。
「……ぁ」
「ーー可愛い。可愛いね、マイシャ」
マイシャの唇を解放した男は、そのままマイシャの耳朶を舐めとる。
「ひゃ、あっ、や……っ」
耳の穴に、あの舌がぬるりと入ってくる。
「~~! ……っ!」
自分の体が自分のものじゃないみたいに跳ねる。お魚みたいに。
その体を、男が抱き締める。
唇と耳を解放されてもまったく息の整わないマイシャを、男は宝物を愛でるように撫でた。
「……続きはあとでね」
「……やだ、ぁ……」
力の入らない体で、できる限りの抵抗をしていたら、部屋の扉が叩かれた。
アルバスと呼ばれていた、男の従者が手に女物の服を持って現れたのである。
この部屋で行われていることに気づいているのかいないのか、従者は服を置いてさっさと下がってしまった。
やはり助けなどないと、絶望する。
「マイシャ、どれがいい? 着せてあげるから……」
「~~ひとりで着れます!!」
適当な服を掴み、その服で自分を隠すようにぎゅっと抱えると、男は困ったように微笑んだ。
ーー困ってるのはこっちだ!!
「じゃあ外にいるから。絶対絶対逃げたりしちゃダメだよ?」
「わかりました! わかりましたから、出てって!!」
男を部屋の外に追い払い、マイシャは速攻で着替えた。
時間がない。
(窓、窓……)
部屋の中央の大きな窓を開くと、一階部分の庇が見えた。
ごくりと唾を飲み込む。
躊躇っている時間など、ない。
(怪我するくらい構わない! 逃げる!!)
そしてマイシャは窓から飛び出すと一階の庇を伝って、地面へと降りた。
宿を振り返ることもなく猛然と走り出す。
裸足だろうがなんだろうが、関係なかった。
***
「追いますか?」
脱兎のごとく逃げるマイシャを、宿の廊下の窓から見下ろす男に、従者が尋ねる。
心地よい風が葡萄酒色の髪を揺らした。
「いや、いい。マイシャが行く場所なんて一つしかない」
「はぁ……」
従者の怪訝な顔に笑顔で応える男の目は、冷たく光っていた。
「ーー大丈夫。逃さないから」
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