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『春を売る?』
しおりを挟むそれからルクレツィオは《ルカ》として足繁くマイシャの元へ通った。
村人からは腐ったものを見るような視線を浴びたが彼等は何もできやしない。
所詮強いものに迎合し、弱いものを甚振るしか能がないのだ。
『マイシャ、よかったらこれ食べて』
『わぁ、お芋! いつもありがとう! ルカ』
花が綻ぶような笑顔に満足感を得る。
初めて会ってからすでに半年が経っていた。
《ルカおねぇちゃん》から《ルカ》へと呼び名を変えさせ、半年間、ほぼ毎日のように食べ物を届けた。
ほんの少し血色の良くなったマイシャを見るだけで、感じたことのない悦びがルクレツィオの体を駆け巡った。
(この子がいい)
それはもはや皇族の本能だった。
女官と住んでいる家から村外れの小屋までの道を、日に何往復もするほど彼女を求めていた。
そんなルクレツィオの様子にマイシャの家の事情を知る女官は悲しげに目を伏せる。
『遅かれ早かれお耳に入るかと思いますが、あの家には少々事情があるようです』
『事情とは? 話してくれ』
そう命じると、女官は誰かに聞かれていないか周囲を確かめてからそっと教えてくれた。
『どうもあの母親は、心が子どものままなのだそうです。それで、これまではその……村の内外の男に春を売って生計を立ててきた、と』
『春を売る?』
女官は躊躇いながらも、それが僅かな金品と引き換えに体を開くことだと教えてくれた。
『マイシャちゃんの父親はどこの誰か分からないそうです』
何度行ってもあの家に父親らしき男の姿はなかった。
だからあの家はあんなにも貧しかったのか。
ルクレツィオは暗澹たる思いで少女の顔を思い浮かべた。
この村を出る時、身分を明かして彼女を連れて行けたら、どんなにか良いだろう。
ルクレツィオは性別すら偽っているので、打ち明けた時は怒るかもしれない。
でもあのマイシャなら怒るのもきっと最初だけだ。事情さえ知ればすぐルクレツィオを許してくれるに違いない。
(マイシャはきっと、どんな僕でも受け入れてくれる)
明日も明後日も会いたい。どうか会えますように。そう願って寝床に潜り込んだ。
次の日は大雨だった。
この村に来て初めての酷い天気だった。
マイシャが心配になり、ルクレツィオは女官の目を盗んで家を出る。
あの荒屋だ。雨漏りで済めばよいが、最悪強風で倒れているかもしれない。
小屋に向かう道はなだらかな傾斜になっている。
泥濘に足を取られないよう、ルクレツィオは慎重に進んでいった。
普段よりも時間をかけて歩き、小屋がやっと見えてきた。
幸いにも崩れたりするようなことは起きておらず、ほっとする。
しかし小屋の全景がはっきり見えるほど近づくと、ルクレツィオは慌てて駆け寄った。
マイシャが庇の下で蹲っていたのである。
こんな強風と大雨の中で。
『マイシャ! どうしたの? こんな……』
『しっ……』
マイシャは唇に指を一本当てた。
静かにしてほしい、という合図に口を閉じ、少女の横にしゃがみ込む。
少女の唇は真っ青だった。
一体いつから外で雨に打たれていたのか。
『ここは寒いよ、家に入ろう?』
『ルカ……』
マイシャは首を振る。
全身ずぶ濡れで、カタカタ震えるほど寒がっているのに頑なに家に入ろうとはしないマイシャ。
怯えた様子に、家の中で何が起こっているのかとそっと古びた壁板の隙間から覗き込んだ。
ルクレツィオは愕然とした。
粗末な寝台の上で、マイシャの母が男と絡み合っている。
それも複数人と。
その内の一人には見覚えがある。村の男だった。
咄嗟に声を出さぬよう口に手を当てる。
めまいと吐き気がした。
ルクレツィオの寝所に忍び込んできた女達を思い出して。
(こんな……マイシャの、目の前で!)
幼い娘を大雨の中、外へ出して。
マイシャの震えは雨によるものなのか、それ以外によるものか。
自らの吐き気をやり過ごし、その肩をそっと抱き寄せた。
いっそ泣き喚いて、自分に縋り付いてくれれば良かった。
だがこんな時でもマイシャは自分よりも、ルクレツィオを案じてくる。
『……ルカ……きもちわるいよね、ごめんね……』
『マイシャ……』
きっとこれまでもこういうことはあったのだろう。
ルクレツィオがマイシャと出会う前にも、たくさん。
その時この子は一人でどうしていたのだろうか。
多分、今みたいに小屋の外で目を閉じ、耳を塞いでいたのだろうと想像した。
胸が鉄の塊で押し潰されたかのように、苦しかった。
『風邪ひくから、雨が止むまでうちにおいで』
『……うん』
二人ずぶ濡れになって帰ると、女官は卒倒しそうになっていた。
『母さん。マイシャをあっためてあげて?』
『ーーええ。ルカ、あなたも頭をきちんと拭くのですよ』
女官の合図の言葉にハッとした。
そう、ルクレツィオの髪は染め粉で染めている。
大雨の中歩き回ったせいで、染め粉が取れかけていたのである。
『マイシャ、また、あとでね』
慌ててマイシャから離れ、予備の染め粉を使って髪を染めた。
十分色が着いたところで女官の元へ戻ると、既にマイシャはぐっすりと眠っていた。
毛布を掛けられ、女官のふくよかな腿に頭を乗せて。
その背を優しく撫でるのは、女官か《ルカの母親》か。
『体を拭いて、スープを差し上げたらすぐお休みになりましたよ』
『そうか……』
マイシャは、あたたかな毛布で包まれたことなどないのかも知れない。
安心したように眠っている。
その顔が見えるところへ腰を下ろし、ルクレツィオは女官に胸の裡を語った。
『僕、マイシャが欲しい。ずっと一緒にいたい。父上は、お許しくださるかな』
女官はとうに気づいていたのだろう。
否定も肯定もしなかったが、その表情は明るいものではない。
『陛下のお考えを私のような下賤のものが推し量ることなどできません。ですが、お許し下さるといいですね』
『うん……』
それから半年後だった。
マイシャに、もう家に来ないでくれと言われたのは。
その時の自分の顔は酷いものだったと思う。
『お母さんが、はいびょうみたいなの。うつるといけないから、もうきちゃダメ』
『肺病……』
それは恐ろしい病の一つだ。
一人が罹ればその家族や住居に出入りする者、隣近所にも広まっていく。
酷い時には村一つ駄目になることもある。
マイシャは、これから肺病の母をたった一人で看病していくなどと馬鹿なことを言った。
『そんな、医者にかかればーー』
そう言って、そんなことマイシャ達が出来るわけがないと気が付いた。
日々の糧を得るのでさえ、この親子は精一杯なのだ。
莫大な診療代も薬代も払えるはずがない。
(僕が出せるものなら、出すのに!!)
だがそんなことをすれば、父にばれてしまう。
ルクレツィオが自由にできるお金など銅貨一枚たりとて無い。全てあの女官が管理していた。
第二皇子が肺病患者の家族と関わること、ましてやその身を引き取ることを、皇帝が許すはずがない。
拳を握り、唇を噛んだ。
鉄の味が口の中に広がっていく。
『ルカ、ありがとう。しんぱいしてくれて。でもだいじょうぶだから』
マイシャが気丈に笑う姿が、眩しくこの目に映る。
ルクレツィオは初めて、早く大人になりたいと心の底から思った。
大人になって権力を持って、この少女を守りたい、と。
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