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「……本当にこれでいいのか? アルバス」
陽が落ちると同時に、ルクレツィオは従者のアルバスを伴ってマイシャの部屋へとやってきた。
何故か大きな布袋を持って。
それを見たエレインもマイシャも怪訝な顔をしていたと思う。
「畏れながら、殿下。まさかマイシャ様をこの袋に入れるなどと仰いますか?」
すっかりいつも通りの調子になったエレインが、ルクレツィオに向かって行く。
病み上がりなのに、とか、淑女に対する振舞いくらい学んで下さい、とか言いながら。
マイシャは彼女の元気な姿に心底ほっとした。
(淑女らしいエレインも素敵だけど、こうして元気いっぱいのエレインも素敵だよね)
自分と同じ感想を持ってくれる人が彼女を大切にしてくれたらいいな。
そんな風に思っていたら、それは異常なまでに早く現実になった。
「……本当にこれでいいのか? アルバス」
「はい」
げんなりしているルクレツィオの隣に控えていた従者が数歩進み出る。
虚をつかれたエレインの前へ、片膝を立てた姿で青年は跪いた。
「エレイン殿。唐突ではありますが、どうか私と結婚してください」
アルバスのきりりとした眼差しで見つめられたエレインは、その場で棒立ちになった。
マイシャの位置からは、エレインの表情も青年の表情もよく見えない。
けれどその青年の耳がほんのり赤くなっているのだけは、ちゃんと見えていた。
突然の結婚申込にエレインは固まっている。
なかなか帰ってこない彼女に青年はもう一押しとばかりに語る。
「こちらの領主とのご婚約はすでに破棄されたと我が主人より伺いました。殴られても立ち上がる貴女の胆力、我が主人に報告することを選んだ知性。その全てに惚れました。どうか私を夫にして下さい」
マイシャは心の中で拍手した。この人はよく分かっている。
早くエレインがお返事しないかな、とうずうずしながら、大人しく見ていた。青年の勢いは止まらない。
「女官になるのでしたら、どうか我が君の細君にお仕えください。貴女の夢が女官になることならば、私の夢は妻子と共にルクレツィオ殿下と、その妻となられる方、そして御子の代までお支えすることですから」
夢、という言葉にエレインの指がぴくりと動いた。
「わたくしの、夢ーー」
「はい。違いましたか?」
後ろ姿のエレインの肩が震えた。
「アルバス様。あなた様の仰る通り、わたくしの夢は、確かに女官になることでした」
「では」
「けれど今は、違う夢があるのです」
振り返ったエレインがマイシャを見る。
薔薇色の頬に浮かんだ微笑みは最強に可愛かった。
再び返事を待つ青年に向き直ると、彼女は完璧な淑女の礼をする。
「夢は自分の力で叶えるものですわ。わたくしはこの手で叶えたいのですが、それでもよろしいでしょうか?」
「それでこそエレイン殿です。微力ながらお支えしたいと思います」
アルバスが立ち上がり、エレインを見下ろす。
彼はエレインよりちょうど頭ひとつ分背が高いらしい。栗色の頭越しにその顔が見えた。
無表情に見えるが、その耳はもうほんのりどころではなく火傷したかと思うくらいに真っ赤だった。
差し出された青年の大きな手に、白くて細い手が乗せられる。
マイシャは叫ばないように、自分の口を手で塞いだ。
「お受けします」
エレインのはっきりとした声に、マイシャは文字通り、飛び上がるほど喜んだ。
***
こんな幸せな気持ちになるのは、いつぶりだろうか。
エレインのもとに見る目のある人が来てくれた。
嬉しくて嬉しくて、マイシャはついルクレツィオに駆け寄る。
「ルカ! ありがとう!」
その胸に抱きつくと、彼は固まっていた。
「エレインにこんな素敵な人を連れてきてくれて、ほんとにほんとに、ありがとう!」
マイシャの無茶な願いを叶えてくれた。
いくらお礼を言っても足りないくらいだ。何度も繰り返し、ありがとうと口にする。
けれど一向に反応がないので、お礼が足りないのかなと見上げれば、ルクレツィオは顔を真っ赤にさせていた。
初めて見る彼の赤面に、マイシャは驚きのあまり口が開いてしまった。
「ルカ? どうしたの?」
片手で顔の下半分を隠す彼は、その手の中で何ごとか呟いている。
よく聞こえなくて見上げたまま首を傾げれば、視線をそらされた。
どうやら深呼吸しているらしい。
やがて息を整え終わったルクレツィオは彼の背中に回していたマイシャの腕をやんわりと外した。
「……マイシャが喜んでくれたなら、良かった。約束通り迎えにきたよ、これに入れる?」
「うん」
あの布袋はやはりマイシャ用だったらしい。
袋に入るくらい訳ないが、これに入った後はどうするのだろう。
ルクレツィオはマイシャの疑問を感じ取ったのか、安心していい、と前置きした。
「少しここから移動しなきゃならないんだ。でも騎士団や他の男に君の姿を晒したくない。馬車に乗ったら出してあげるから、我慢できる?」
「平気だよ」
視界の端に映ったエレインは不服そうだったが、ルクレツィオが自分を傷つけることはないのだから、そう心配するようなことではない。
その意味を込めてエレインに笑い掛けるも、彼女からは物言いたげな視線しか返って来なかった。
馬車が動き出したあと、マイシャは布袋から出して貰えた。
窓の外には薄暗い道と星空が広がっている。
馬車の中にはルクレツィオしかいない。
「苦しかったよね。ごめん」
左右に首を振る。
布袋の生地は柔らかかったし、空気穴もきちんと開いていたから苦しくはなかった。
しかしこんな袋どうやって調達したのか。それが謎だった。
静かに進む馬車はどうやら街を目指しているらしい。相変わらず、ほとんど揺れることはない。
マイシャは以前、子爵に同乗させてもらった馬車の中を思い出して涙が浮かびそうになった。
(……ちゃんと見ていたら、もっと早く気づけたのかな)
恋という膜さえ張ってなければ、この目はきちんとあの男を見定められただろうか。
エレインにはああ言ったが、マイシャにも数多くの後悔が押し寄せていた。
「マイシャ、これを開けてみて」
窓の外を見ていたマイシャに、ルクレツィオは装飾の無い木箱を差し出した。
勧められるままそっと蓋を開け、我が目を疑った。
「……ルカ、この靴……」
彼の顔と箱の中を何度も見比べた。
木箱の中には、マイシャが貰った靴の色違い、つまり被害者の一人が履いていた靴が入っていたのである。
「この靴を届けたかったんだろう? 合ってた?」
「なんで分かったの?」
マイシャから頼んだことなんてない。返してあげるなんて、絶対に無理だと初めから分かっていたから。
ルクレツィオは気まずそうに微笑んだ。
「宿からマイシャが逃げた後の足取りは、念のため調べさせて貰ってたから。マイシャに靴をくれた女性のところにも一度行った。君なら返したがるんじゃないかと思って」
箱のまま手渡された靴を膝の上に乗せた。
五年振りに外の空気に触れたであろう靴には、ところどころ染みがある。
マイシャにはそれが涙の跡のように見えた。
そっと箱の蓋を閉じる。
「明るくなってから、返しに行こうね」
「……うん」
その時はきっと、一緒に来てくれるのだろう。ルクレツィオならそうする気がした。
「もうすぐ、着くよ」
その声に顔を上げれば、目前に見覚えのある宿が迫っていた。
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