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連想ゲーム

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 兄がまだ生きていた頃の、ある年の正月のことだった。僕と兄は新年の挨拶で伯父の家に訪れていた。しばらくすると母と伯父は僕らを居間に置き去りにし、薄暗い廊下で何やら話し込みはじめた。僕ら子供のいないところでどんな話をしているのか気になった僕は、こたつで暖まりながらミカンをぱくぱくと口の中に放り込んでいる兄にトイレに行ってくると一言だけ告げて、部屋を抜け出した。

 薄暗い廊下には柔らかな午後の日差しが窓から射し込み、陽だまりが丸い円を描いて落ちていた。暗がりの中に自分の体を追いやった僕は意識を2人の会話に傾けた。期待と僅かな不安は奇妙な高揚感となり全身をすっぽりと覆い隠していく。

 しかしいざフタを開けてみると2人の話の内容は想像していたよりも大したものではなく、ごく普通の、当たり障りのない世間話が繰り広げられているだけだった。互いの体調を気遣ったり、苦手な親戚の悪愚痴を言い合ったりと次から次へと話が飛躍していた。思いつくままにただ言葉を口にしている。少なくとも僕の目にはそのように映った。

 資産運用がどうだとか急に小難しい話をした頃には、僕は既に会話の内容を理解しようとする気さえ起こらなくなっていた。このまま部屋に引き返してもよかったのだが、僕はこの時、ふと母と伯父の口から紡がれる言葉の響きからイメージを膨らませていく妙な遊びを思いついた。それはほとんど啓示に近い閃きだった。まるで霊的な何かに導かれたかのように僕はすぐ、この奇妙な連想ゲームに没頭しはじめた。

 人の口から発せられる多様な音の響きは途方もない空想の世界へと僕を誘《いざな》い、退屈を紛らわせてくれた。様々なイメージが頭の中で泡のように浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。

 真っ暗で広大な宇宙を彷徨うロケットの残骸、地の底のように真っ暗な空にぽっかり浮かぶ蒼褪めた月の様子、水槽の中を悠然と泳ぎまわる金魚、茜色に燃える夕日、綿菓子みたいな雲、灌木の茂みの中に隠れている子猫の鳴き声、日の光を目いっぱいに浴びた向日葵の香り、母の朗らかな笑顔。

「直樹と、どう向き合えばいいのか全然分からないの……」

 今にも泣き出しそうな、母の切実な声に想像の世界に旅立っていた僕の自意識はすさまじい勢いで現実へと引き戻された。心臓がいやな感じに跳ねあがった。冷えきった外の風が胸の内側まで流れ込んでくるみたいだった。魚の小骨が喉につかえてしまった時のような正体不明の息苦しさに、僕は戸惑い、困惑するしかなかった。
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