NLP ーNecromancy Laid Programmingー

七里田発泡

文字の大きさ
31 / 31

食事風景2

しおりを挟む
 その日の晩から我が家のテーブルにはたくさんの料理が並べられ、食事の前に祈りの時間が設けられるようになった。わかめと豆腐の味噌汁、五穀米、ほうれん草と油揚げの煮びたし、豚の生姜焼き、しらすとキャベツの塩昆布和え。栄養バランスに気を遣っていることが一目見ただけでよく分かる食事の内容であった。

「祈りましょう」

 そう言うと母は僕の耳に聞き取れないくらい小さな声で何やらぶつぶつと唱えてはじめた。新しくはじまった生活に母は安らぎを感じているようだった。いつもより心なしか声色が明るい。僕は母の口から紡ぎ出されていく意味不明な横文字の羅列をなぞるように何度も繰り返し口にした。その時、僕はどういうわけか頭の片隅のほうで、顔もロクに覚えていない父のことをひたすら考えていた。父に会ってみたかった。家を出て行った父が僕らの今のこの有様を見たら何を思うのだろう。

「話があるの」と母はひどく静かな声で言った。

「センセイに強い不信感を抱いているのでしょう? 最初は私もそうだったわ。でも私はもう何度もこの目で見てきたのよ」

「何を?」と僕は尋ねた。

 母は、いずれ分かるとだけ答え、それ以上は何も教えてくれなかった。私のやっていることをすぐに理解しろとは言わない。でもセンセイのことは信じられなくてもお母さんのことは信じられるでしょ?そう言うと母は僕の目をまっすぐ見つめ、それから口元に僅かな微笑みを浮かべた。三日月のような笑みだった。

「祈りというのはね。言ってしまえば私たち人の目には見えない大きな力の作用を”見える化”させるためのおまじないみたいなものなの。大抵の人はその力の作用のことを”偶然”のひと言で簡単に片付けてしまおうとするけど、実際はそうじゃない。いい? よく聞いて。これはとても大事な話よ。この世に”偶然”なんてものは存在しないの。 物事の結果にはね必ず何かしらの原因があるものなの。そしてそれは人の祈りによってもたらされたり、もたらされなかったりする。それはつまり救済の条件が祈りだけではないということ。当然よね。祈るだけで人に簡単に与する神様が存在していたらこの世はとっくの昔に地獄になってたはずだし、神様は誰にも与しないからこそ神様たり得るのだから」

 僕はよく分からない論理を早口で展開し続ける今の母の姿を、この地球上のどこかで生きているであろう父に見せつけてやりたくなった。あんたの一時的な性的欲求のせいで、僕らはここまで堕ちてしまったのだと、唾を飛ばしながら怒鳴りつけてやりたくなった。

「ねぇ知ってる? 人はね、みんな神様の奴隷なのよ。私たち人は神様にとってただの暇つぶしの道具でしかないの」

 つい先ほどまで、どうなったって構わないという気分でいた自分はすっかり消え失せ、既に遠い過去の存在になってしまっていた。どうしようもない怒りと悲しみが心に重くのしかかり、まるで何もかも終わってしまったような絶望的な気持ちになる。

 本当は分かっていた。僕らの前に立ちはだかる問題に父の不在は一切関係がないことに。母が言うように物事の結果には必ず何かしらの原因があるのだとすれば、父の不在は直接的な原因にはならない。父がいてもいなくてもきっと僕らは道筋を辿っていたに違いなかった。僕はその事実を認めたくなかったから責任の全てを父に擦り付け自分1人だけ楽になろうとしていたのだ。

 原因は恐らく1つだけではない。それぞれの異なる要因が相互に作用し、まるで”ゴルディアスの結び目”のように複雑に絡まってしまっているのだと思う。これを解くには誰も思いつかないような大胆な解き方を思いつくか、神から救いの手を差し伸べられるのをひたすらその場で待つしかない。でも、そんなのどちらも無理に決まっている。

 僕は心の中で言った。この世に救いなんてあるものか。

 「センセイは以前こんなことを仰ってたわ。『私たち人は常に神から試されている。困難を乗り越え、選ばれた人間だけが祝福を得ることができる』。その言葉を耳にした時、視界に飛び込んでくる世界の全てが急にパッと明るくなったように見えたわ。それがどうしてか分かる? 亮介が死んだのにもちゃんとした意味があったということが分かったからよ。 神様が私のための試練を用意するために一時的に私の手から亮介を取り上げたの。だから私が信仰心を失わなければ亮介はきっとまたこの世界に戻ってきてくれる。でも、そのためには直樹の助けが必要なのよ。協力してくれるわよね?  あんただって亮介に会いたいでしょ? 兄弟ですもの。当然よね」

  手近なもので心の空白を埋めようとしてはいけない。ありもしない神からの救済にみっともなく縋り付くことは、人生の手綱を自ら握ることを避けていることと同じだからだ。自分の人生を生きたいと思っているのなら人生の主導権は自分以外の誰かの手に明け渡してはいけないのである。

 母は自分の人生の選択権をセンセイに委ねてしまった。僕は選択する権利を有しているにも関わらず、”何も選ばない”という間違った選択肢を選び続けていた。僕らは自分の人生を生きていなかった。母の人生は今やセンセイの手によって操られ、僕の人生もその母の手によって操られている。この道の先に待ち受けているのは”救済”なんかじゃない。混じりけなしの純粋な"破滅《カタストロフィ》"だけだ。

 母は孤独だった。誰にも心を開こうとしないから誰とも繋がることができない。それはセンセイに対してもそうなのだろう。今日の出来事を振り返ってみてそう思った。

『昔から食事には気を遣ってきました。直樹が将来、変な病気にかからないために栄養バランスの取れた献立をいろいろ考え、与えてきたつもりなのですが……』

 センセイの前にすると母は”良き親”を演じようとする。本当の自分を僕以外の他人に曝け出すのが怖いから嘘で自分を塗り固めてしまう。しかし、嘘は嘘でしかない。いくら嘘に嘘を重ねても本当のことにはならない。散々、見栄を張ったところで残るものはといえば『信頼する人物に嘘をついたという事実』と『激しい自己嫌悪』だけだ。理想と現実のギャップに対処するには”嘘”を”本当”にするしかない。

 ”リヴァイユ”からの帰り道、母は僕の手を握ろうとする素振りすらみせなかった。数か月前、稲田脳神経外科に連れていってもらった時のことを思い出す。エレベーターを待っている間、母はずっと僕の手を握り続けてくれた。そのような機会はもう2度と訪れないかもしれない。

 僕が思うに母は夢を見ているのだと思う。夢を見ている母の耳に僕の言葉は届かない。母には幸せになって欲しかったけど、どうやらそれはもう叶わぬ夢になってしまったらしい。たとえこの道の先に破滅しかなかったとしても、僕は母と同じ方向を向き、母が信じるものを同じように信じていたかった。

「いけない。つい話が長くなっちゃったわね。さぁ早く食べましょう。料理が冷めちゃうわ」

 終わりのない僕らの祈りの日々はこのようにして始まった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

霊和怪異譚 野花と野薔薇[改稿前]

野花マリオ
ホラー
その“語り”が始まったとき、世界に異変が芽吹く。 静かな町、ふとした日常、どこにでもあるはずの風景に咲きはじめる、奇妙な花々――。 『霊和怪異譚 野花と野薔薇』は、不思議な力を持つ語り部・八木楓と鐘技友紀以下彼女達が語る怪異を描く、短編連作形式の怪異譚シリーズ。 一話ごとに異なる舞台、異なる登場人物、異なる恐怖。それでも、語りが始まるたび、必ず“何か”が咲く――。 語られる怪談はただの物語ではない。 それを「聞いた者」に忍び寄る異変、染みわたる不安。 やがて読者自身の身にも、“あの花”が咲くかもしれない。 日常にひっそりと紛れ込む、静かで妖しいホラー。 あなたも一席、語りを聞いてみませんか? 完結いたしました。 タイトル変更しました。 旧 彼女の怪異談は不思議な野花を咲かせる ※この物語はフィクションです。実在する人物、企業、団体、名称などは一切関係ありません。 本作は改稿前/改稿後の複数バージョンが存在します 掲載媒体ごとに内容が異なる場合があります。 改稿後小説作品はカイタとネオページで見られます

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

「お前のカメラ、ずっと映ってるよ」〜ホラースポット配信者が気づいた時には、もう遅かった〜

まさき
ホラー
ホラースポット専門のYouTuber・桐島悠は、霊も怪異も一切信じない合理主義者だ。 ある廃病院での配信中、今まで感じたことのない「違和感」を覚えた。しかし撮影は無事終了。その後も普通に配信を続け、あの夜のことなど忘れかけていた頃——深夜、金縛りにあう。 疲れてるだけだ。 しかし、それは始まりに過ぎなかった。 記憶の空白。知らない足跡。動画に毎回映り込む、同じ女の姿。そして——「やっと、見つけた」という声。 カメラが映し続けていたのは、心霊スポットではなかった。もっとずっと、近いところにいるものだった。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

処理中です...