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第65回 ナガモノ
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都市伝説レポート 第65回
「ナガモノ」
取材・文: 野々宮圭介
雨上がりの肌寒い朝、私は相模湾に面した小さな漁港に立っていた。辺りはまだ薄暗く、漁から戻ってきた数隻の船が静かに波に揺られている。私がここを訪れたのは、最近耳にした奇妙な噂を確かめるためだ。
「ナガモノ」
そう呼ばれる存在が、この相模湾の深海に潜んでいるという。
編集部に寄せられた一通の手紙がきっかけだった。差出人は匿名を希望する地元の高校生で、祖父から聞いた不思議な体験を綴っていた。祖父は若い頃、この海域で漁師として働いていたという。ある夜、漁の最中に「人間の顔をした巨大なウナギのような生き物」を目撃し、その後一週間ほど高熱に苦しんだとのことだった。
編集部では「単なる海の怪談」として片付けられそうになったが、私はその手紙の一文に引っかかった。
「ナガモノを見たらすぐに引き返せ。さもないと海に引きずり込まれる」
この言い伝えは、相模湾の漁師たちの間で古くから囁かれているという。しかし、なぜか公になることはなかった。それはなぜか。私は直感的に、この「ナガモノ」の伝承には何か核心があると感じたのだ。
「記事にするなら、名前は出さないでくれ」
そう前置きしたのは、この港で50年以上漁を続けてきた老漁師だ。彼は私を小さな漁師小屋に招き入れ、湯飲みに注いだ緑茶を差し出した。
「ナガモノは確かにいる。俺も二度見たことがある」
彼の語る目撃談は具体的だった。相模湾の特定の海域で、満月の夜に限って出現するという。体長は約5~6メートル、体は巨大なウナギのように細長く、頭部には人間のような顔がついているという。
「顔は…死人のようだった。目も鼻も口もある。だが、それは人間のものではない。何かが人間の姿を真似ているようだ」
彼は続けて、昭和40年代に「ナガモノ」に遭遇したとされる漁船の失踪事件についても語った。公式には嵐による遭難とされているが、地元では「ナガモノに引きずり込まれた」と考える人も少なくないという。
私はさらに数人の漁師から話を聞くことができた。彼らの証言には若干の違いがあったものの、「細長い体に人間のような顔」という特徴は共通していた。また、「ナガモノ」を見た後に体調を崩すという点も複数の証言で一致していた。
「それは船の霊だ」
そう語ったのは、地元の神社で50年以上神職を務める老人だ。彼によれば、「ナガモノ」は過去に相模湾で沈んだ船の霊が変異したものだという。
「海の底で長年眠っていた船乗りたちの魂が、海の生き物と融合したんだ。彼らは自分たちが死んだことを受け入れられず、今も海を彷徨っている」
この地域には、明治時代から昭和初期にかけて、台風や事故で沈没した船の記録が複数残されている。特に大正12年の関東大震災では、津波により多くの船が沈み、犠牲者も出た。
民俗学に詳しい乙羽教授は、「ナガモノ」の伝承はこうした海難事故の記憶が変容したものではないかと指摘する。
「海と共に生きる人々にとって、海の恐ろしさを具現化した存在が必要だったのでしょう。それが『ナガモノ』という形で表現されたのではないでしょうか」
しかし、教授自身も「伝承の背後には、単なる想像を超えた何かがある可能性も否定できない」と付け加えた。
地元の水族館で海洋生物を研究する専門家に「ナガモノ」の特徴を伝えると、「リュウグウノツカイ(竜宮の使い)のような深海魚が、波や光の作用で異なって見えた可能性がある」と説明された。確かに、体長5~6メートルにもなるリュウグウノツカイは、その奇妙な姿から世界各地で「海の怪物」として目撃されてきた。
しかし、「人間のような顔」という特徴は、既知の海洋生物では説明が難しい。
興味深いことに、SNSを調査すると、最近でも「ナガモノ」の目撃情報が散見される。特に、昨年の8月には、夜釣りをしていた大学生のグループが「海面から人間の顔が覗いていた」と報告している。彼らが撮影した動画は不鮮明ながらも、水面に一瞬映る人間のような顔のシルエットが確認できる。
この動画は地元の漁師たちの間で話題になったが、「ナガモノのことは外部に話すな」という暗黙の了解があるため、広く拡散されることはなかった。
私自身も、この取材の過程で奇妙な経験をした。
漁師たちの証言を頼りに、「ナガモノ」が出現するという海域に、満月の夜に船を出した。地元の漁師は首を振って協力を拒んだため、灰原探偵の紹介で、隣町の漁師から小型船を借りることになった。
沖に出て約2時間。海は穏やかで、月明かりが海面に銀色の道を描いていた。私は録音機器とカメラを準備し、海面の変化を観察し続けた。
そして、午前2時15分頃—
海面に奇妙な波紋が広がり、水中からかすかな光が漏れ出しているように見えた。ビデオカメラを向けて録画を開始したその瞬間、船のエンジンが突然止まった。
「バッテリーは満タンのはずだ」
同行した船の持ち主は困惑の表情を浮かべた。私は海面に目を凝らしたが、光の正体を確認することはできなかった。
さらに奇妙なことに、その後確認したビデオカメラの映像には、私が見た光の現象が一切記録されていなかった。機材の不具合だろうか。それとも…。
翌日、私は軽い発熱と倦怠感を覚えた。漁師たちの証言にあった「ナガモノを見た後の体調不良」と一致する症状だ。単なる疲労か、それとも偶然の一致なのか。それとも…。
相模湾の「ナガモノ」は、確かに地元に根付いた伝承である。しかし、その実態については依然として謎に包まれている。
科学的には説明できない現象が、この世に存在するのか。それとも、人間の想像力が生み出した幻なのか。あるいは、かつてこの海で命を落とした人々の魂が、何らかの形で現世に姿を現しているのか。
私にはその答えを断言することはできない。
ただ、相模湾の漁師たちが今も「ナガモノを見たらすぐに引き返せ」という言葉を若い世代に伝え続けていることは事実だ。彼らは何を恐れ、何から後進を守ろうとしているのだろうか。
(了)
*本誌では読者の皆様からの都市伝説情報を募集しています。身近な不思議体験がありましたら、編集部までお寄せください。
「ナガモノ」
取材・文: 野々宮圭介
雨上がりの肌寒い朝、私は相模湾に面した小さな漁港に立っていた。辺りはまだ薄暗く、漁から戻ってきた数隻の船が静かに波に揺られている。私がここを訪れたのは、最近耳にした奇妙な噂を確かめるためだ。
「ナガモノ」
そう呼ばれる存在が、この相模湾の深海に潜んでいるという。
編集部に寄せられた一通の手紙がきっかけだった。差出人は匿名を希望する地元の高校生で、祖父から聞いた不思議な体験を綴っていた。祖父は若い頃、この海域で漁師として働いていたという。ある夜、漁の最中に「人間の顔をした巨大なウナギのような生き物」を目撃し、その後一週間ほど高熱に苦しんだとのことだった。
編集部では「単なる海の怪談」として片付けられそうになったが、私はその手紙の一文に引っかかった。
「ナガモノを見たらすぐに引き返せ。さもないと海に引きずり込まれる」
この言い伝えは、相模湾の漁師たちの間で古くから囁かれているという。しかし、なぜか公になることはなかった。それはなぜか。私は直感的に、この「ナガモノ」の伝承には何か核心があると感じたのだ。
「記事にするなら、名前は出さないでくれ」
そう前置きしたのは、この港で50年以上漁を続けてきた老漁師だ。彼は私を小さな漁師小屋に招き入れ、湯飲みに注いだ緑茶を差し出した。
「ナガモノは確かにいる。俺も二度見たことがある」
彼の語る目撃談は具体的だった。相模湾の特定の海域で、満月の夜に限って出現するという。体長は約5~6メートル、体は巨大なウナギのように細長く、頭部には人間のような顔がついているという。
「顔は…死人のようだった。目も鼻も口もある。だが、それは人間のものではない。何かが人間の姿を真似ているようだ」
彼は続けて、昭和40年代に「ナガモノ」に遭遇したとされる漁船の失踪事件についても語った。公式には嵐による遭難とされているが、地元では「ナガモノに引きずり込まれた」と考える人も少なくないという。
私はさらに数人の漁師から話を聞くことができた。彼らの証言には若干の違いがあったものの、「細長い体に人間のような顔」という特徴は共通していた。また、「ナガモノ」を見た後に体調を崩すという点も複数の証言で一致していた。
「それは船の霊だ」
そう語ったのは、地元の神社で50年以上神職を務める老人だ。彼によれば、「ナガモノ」は過去に相模湾で沈んだ船の霊が変異したものだという。
「海の底で長年眠っていた船乗りたちの魂が、海の生き物と融合したんだ。彼らは自分たちが死んだことを受け入れられず、今も海を彷徨っている」
この地域には、明治時代から昭和初期にかけて、台風や事故で沈没した船の記録が複数残されている。特に大正12年の関東大震災では、津波により多くの船が沈み、犠牲者も出た。
民俗学に詳しい乙羽教授は、「ナガモノ」の伝承はこうした海難事故の記憶が変容したものではないかと指摘する。
「海と共に生きる人々にとって、海の恐ろしさを具現化した存在が必要だったのでしょう。それが『ナガモノ』という形で表現されたのではないでしょうか」
しかし、教授自身も「伝承の背後には、単なる想像を超えた何かがある可能性も否定できない」と付け加えた。
地元の水族館で海洋生物を研究する専門家に「ナガモノ」の特徴を伝えると、「リュウグウノツカイ(竜宮の使い)のような深海魚が、波や光の作用で異なって見えた可能性がある」と説明された。確かに、体長5~6メートルにもなるリュウグウノツカイは、その奇妙な姿から世界各地で「海の怪物」として目撃されてきた。
しかし、「人間のような顔」という特徴は、既知の海洋生物では説明が難しい。
興味深いことに、SNSを調査すると、最近でも「ナガモノ」の目撃情報が散見される。特に、昨年の8月には、夜釣りをしていた大学生のグループが「海面から人間の顔が覗いていた」と報告している。彼らが撮影した動画は不鮮明ながらも、水面に一瞬映る人間のような顔のシルエットが確認できる。
この動画は地元の漁師たちの間で話題になったが、「ナガモノのことは外部に話すな」という暗黙の了解があるため、広く拡散されることはなかった。
私自身も、この取材の過程で奇妙な経験をした。
漁師たちの証言を頼りに、「ナガモノ」が出現するという海域に、満月の夜に船を出した。地元の漁師は首を振って協力を拒んだため、灰原探偵の紹介で、隣町の漁師から小型船を借りることになった。
沖に出て約2時間。海は穏やかで、月明かりが海面に銀色の道を描いていた。私は録音機器とカメラを準備し、海面の変化を観察し続けた。
そして、午前2時15分頃—
海面に奇妙な波紋が広がり、水中からかすかな光が漏れ出しているように見えた。ビデオカメラを向けて録画を開始したその瞬間、船のエンジンが突然止まった。
「バッテリーは満タンのはずだ」
同行した船の持ち主は困惑の表情を浮かべた。私は海面に目を凝らしたが、光の正体を確認することはできなかった。
さらに奇妙なことに、その後確認したビデオカメラの映像には、私が見た光の現象が一切記録されていなかった。機材の不具合だろうか。それとも…。
翌日、私は軽い発熱と倦怠感を覚えた。漁師たちの証言にあった「ナガモノを見た後の体調不良」と一致する症状だ。単なる疲労か、それとも偶然の一致なのか。それとも…。
相模湾の「ナガモノ」は、確かに地元に根付いた伝承である。しかし、その実態については依然として謎に包まれている。
科学的には説明できない現象が、この世に存在するのか。それとも、人間の想像力が生み出した幻なのか。あるいは、かつてこの海で命を落とした人々の魂が、何らかの形で現世に姿を現しているのか。
私にはその答えを断言することはできない。
ただ、相模湾の漁師たちが今も「ナガモノを見たらすぐに引き返せ」という言葉を若い世代に伝え続けていることは事実だ。彼らは何を恐れ、何から後進を守ろうとしているのだろうか。
(了)
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