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第93回 自転車坂
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都市伝説レポート 第93回
「自転車坂」
取材・文: 野々宮圭介
三月下旬、例年より早く訪れた春の気配に誘われ、私は東京都下の閑静な住宅街を訪れていた。いわゆる「自転車坂の怪」と呼ばれる都市伝説の調査のためだ。噂を聞きつけたのは編集部に届いた一通の投書がきっかけだった。
「私の息子が深夜、あの坂で自転車事故に遭いました。ブレーキが効かなくなったと言うのです。不思議なことに、転倒した場所には小さな手形が…」
この投書の筆者によれば、この住宅街の坂道で深夜に自転車に乗ると、必ず途中でブレーキが利かなくなり、転倒事故が起きるのだという。さらに気味が悪いのは、事故現場には必ず小さな子どもの手形のようなものが残されているということだった。
坂道は「御影坂(みかげざか)」と呼ばれ、高低差約30メートル、距離にして150メートルほどの比較的急な下り坂だ。周囲には築30年ほどの一戸建てが建ち並び、日中は主婦たちの買い物や子どもたちの通学路として利用されている何の変哲もない坂道に見える。
「この辺りで自転車の事故が多いって聞いたんですが」
私が近所のコンビニ店員に尋ねると、20代らしき男性店員は視線を落として答えた。
「ああ、深夜の御影坂のことですね。地元じゃ有名ですよ。僕も一度だけ経験があります」
彼によれば、深夜(特に午前2時から4時の間)に御影坂を自転車で下ると、坂の中間地点でブレーキが利かなくなるのだという。
「理屈じゃないんです。ちゃんと整備された自転車でも、あの場所だけブレーキがスカスカになる。で、転んだ後に見ると…」
彼は言葉を濁した。「濡れたアスファルトに、小さな手形が残るんです。子どもの手のような…」
この奇妙な現象について調べるうち、複数の目撃者から話を聞くことができた。匿名を条件に語ってくれた大学生の女性Aさん(22)は昨年の夏、友人との深夜の帰り道にこの現象に遭遇したという。
「最初は友達と笑い話にしてたんです。『この坂、ブレーキが効かなくなるんだって』って。でも実際に下り始めたら…本当に効かなくなった。私も友達も転んで、擦り傷だらけになりました」
彼女が恐怖を感じたのは、転倒した後だという。
「立ち上がって周りを見たら、アスファルトに何か薄い跡がついていて。よく見たら子どもの手形なんです。しかも二つ。私と友達、二人分の…」
地元の古書店を営む松永さん(68)は、この都市伝説の由来について興味深い話を聞かせてくれた。
「昭和40年代、この坂で交通事故があったんです。下校途中の小学生の集団が、制御を失ったトラックに巻き込まれた。確か5人の子どもが亡くなったはずです」
松永さんの話によれば、事故現場は現在の御影坂の中間地点、ちょうどブレーキが効かなくなると言われる場所だという。
「子どもたちの霊が仲間を求めているという話は、平成になってから広まったものですがね。昔からこの辺りじゃ、深夜のあの坂は避けるものだと言われていました」
話を聞いた私自身も、この現象を体験しようと決意した。メモ帳と録音機を携え、深夜3時頃に御影坂を訪れた。レンタサイクルを借り、念のためブレーキの効き具合を確認してから坂の上に立った。
街灯の明かりだけが頼りの暗い坂道。下を見下ろすと、緩やかに弧を描く道が住宅街の間を通っている。深呼吸して、ペダルを踏み出した。
最初は何の問題もなかった。しかし坂の中間地点に差し掛かったところで、異変が起きた。前輪ブレーキを握っても、効きが悪い。慌てて後輪ブレーキも握るが、スピードは落ちない。
心臓が喉元まで上がるような感覚。そして次の瞬間、前輪が何かに取られたように急に向きを変え、私は路面に投げ出された。
痛みをこらえて立ち上がり、懐中電灯で周囲を照らす。すると確かに、私が転倒した場所から少し離れたアスファルトの上に、うっすらと手形のような跡が見えた。大きさは小学生低学年くらいの子どものものだろうか。触れてみると、わずかに湿り気を感じる。
不思議なことに、その手形は数分後には消えていた。写真に収めようとシャッターを切ったが、フラッシュの光の中では何も写らなかった。
この現象の合理的な説明は可能だろうか。
坂の傾斜と路面状態を調べたが、特に異常は見られない。ただ、現象が起きるという中間地点付近では、道路がわずかに湾曲しており、深夜の薄暗い状況では視認性が低下する可能性がある。
また、地元の気象観測データによれば、この地域は深夜から明け方にかけて特殊な結露現象が起きやすいという。湿度と気温の関係で路面に水分が凝縮し、摩擦係数が低下する可能性は否定できない。
しかし、これらの説明では「必ず事故が起きる」という点や、「子どもの手形が現れる」という現象を十分に説明することはできない。
地元警察の交通課に問い合わせたところ、この坂での自転車事故の報告は確かに深夜帯に集中しているものの、公式には「路面状況と運転者の不注意」という見解だった。手形については「そのような報告はない」とのことだった。
御影坂の不思議は、科学的な説明と超常現象の狭間に立つ典型的な都市伝説だ。路面の特性や深夜特有の視界不良という合理的な説明から、亡くなった子どもたちの霊が「仲間を求めている」という土地の記憶に根ざした説明まで、様々な解釈が可能だろう。
私自身は確かに奇妙な体験をした。ブレーキの効きが突然失われ、そして確かに「何か」を見た。しかし、それが何であるのか、断定することはできない。
読者の皆さんが深夜の坂道を自転車で下る機会があれば…いや、むしろ避けるべきかもしれない。なぜなら、この都市伝説が真実であろうとなかろうと、深夜の急な坂道での自転車走行は危険だからだ。
(了)
*本誌では読者の皆様からの都市伝説情報を募集しています。身近な不思議体験がありましたら、編集部までお寄せください。
「自転車坂」
取材・文: 野々宮圭介
三月下旬、例年より早く訪れた春の気配に誘われ、私は東京都下の閑静な住宅街を訪れていた。いわゆる「自転車坂の怪」と呼ばれる都市伝説の調査のためだ。噂を聞きつけたのは編集部に届いた一通の投書がきっかけだった。
「私の息子が深夜、あの坂で自転車事故に遭いました。ブレーキが効かなくなったと言うのです。不思議なことに、転倒した場所には小さな手形が…」
この投書の筆者によれば、この住宅街の坂道で深夜に自転車に乗ると、必ず途中でブレーキが利かなくなり、転倒事故が起きるのだという。さらに気味が悪いのは、事故現場には必ず小さな子どもの手形のようなものが残されているということだった。
坂道は「御影坂(みかげざか)」と呼ばれ、高低差約30メートル、距離にして150メートルほどの比較的急な下り坂だ。周囲には築30年ほどの一戸建てが建ち並び、日中は主婦たちの買い物や子どもたちの通学路として利用されている何の変哲もない坂道に見える。
「この辺りで自転車の事故が多いって聞いたんですが」
私が近所のコンビニ店員に尋ねると、20代らしき男性店員は視線を落として答えた。
「ああ、深夜の御影坂のことですね。地元じゃ有名ですよ。僕も一度だけ経験があります」
彼によれば、深夜(特に午前2時から4時の間)に御影坂を自転車で下ると、坂の中間地点でブレーキが利かなくなるのだという。
「理屈じゃないんです。ちゃんと整備された自転車でも、あの場所だけブレーキがスカスカになる。で、転んだ後に見ると…」
彼は言葉を濁した。「濡れたアスファルトに、小さな手形が残るんです。子どもの手のような…」
この奇妙な現象について調べるうち、複数の目撃者から話を聞くことができた。匿名を条件に語ってくれた大学生の女性Aさん(22)は昨年の夏、友人との深夜の帰り道にこの現象に遭遇したという。
「最初は友達と笑い話にしてたんです。『この坂、ブレーキが効かなくなるんだって』って。でも実際に下り始めたら…本当に効かなくなった。私も友達も転んで、擦り傷だらけになりました」
彼女が恐怖を感じたのは、転倒した後だという。
「立ち上がって周りを見たら、アスファルトに何か薄い跡がついていて。よく見たら子どもの手形なんです。しかも二つ。私と友達、二人分の…」
地元の古書店を営む松永さん(68)は、この都市伝説の由来について興味深い話を聞かせてくれた。
「昭和40年代、この坂で交通事故があったんです。下校途中の小学生の集団が、制御を失ったトラックに巻き込まれた。確か5人の子どもが亡くなったはずです」
松永さんの話によれば、事故現場は現在の御影坂の中間地点、ちょうどブレーキが効かなくなると言われる場所だという。
「子どもたちの霊が仲間を求めているという話は、平成になってから広まったものですがね。昔からこの辺りじゃ、深夜のあの坂は避けるものだと言われていました」
話を聞いた私自身も、この現象を体験しようと決意した。メモ帳と録音機を携え、深夜3時頃に御影坂を訪れた。レンタサイクルを借り、念のためブレーキの効き具合を確認してから坂の上に立った。
街灯の明かりだけが頼りの暗い坂道。下を見下ろすと、緩やかに弧を描く道が住宅街の間を通っている。深呼吸して、ペダルを踏み出した。
最初は何の問題もなかった。しかし坂の中間地点に差し掛かったところで、異変が起きた。前輪ブレーキを握っても、効きが悪い。慌てて後輪ブレーキも握るが、スピードは落ちない。
心臓が喉元まで上がるような感覚。そして次の瞬間、前輪が何かに取られたように急に向きを変え、私は路面に投げ出された。
痛みをこらえて立ち上がり、懐中電灯で周囲を照らす。すると確かに、私が転倒した場所から少し離れたアスファルトの上に、うっすらと手形のような跡が見えた。大きさは小学生低学年くらいの子どものものだろうか。触れてみると、わずかに湿り気を感じる。
不思議なことに、その手形は数分後には消えていた。写真に収めようとシャッターを切ったが、フラッシュの光の中では何も写らなかった。
この現象の合理的な説明は可能だろうか。
坂の傾斜と路面状態を調べたが、特に異常は見られない。ただ、現象が起きるという中間地点付近では、道路がわずかに湾曲しており、深夜の薄暗い状況では視認性が低下する可能性がある。
また、地元の気象観測データによれば、この地域は深夜から明け方にかけて特殊な結露現象が起きやすいという。湿度と気温の関係で路面に水分が凝縮し、摩擦係数が低下する可能性は否定できない。
しかし、これらの説明では「必ず事故が起きる」という点や、「子どもの手形が現れる」という現象を十分に説明することはできない。
地元警察の交通課に問い合わせたところ、この坂での自転車事故の報告は確かに深夜帯に集中しているものの、公式には「路面状況と運転者の不注意」という見解だった。手形については「そのような報告はない」とのことだった。
御影坂の不思議は、科学的な説明と超常現象の狭間に立つ典型的な都市伝説だ。路面の特性や深夜特有の視界不良という合理的な説明から、亡くなった子どもたちの霊が「仲間を求めている」という土地の記憶に根ざした説明まで、様々な解釈が可能だろう。
私自身は確かに奇妙な体験をした。ブレーキの効きが突然失われ、そして確かに「何か」を見た。しかし、それが何であるのか、断定することはできない。
読者の皆さんが深夜の坂道を自転車で下る機会があれば…いや、むしろ避けるべきかもしれない。なぜなら、この都市伝説が真実であろうとなかろうと、深夜の急な坂道での自転車走行は危険だからだ。
(了)
*本誌では読者の皆様からの都市伝説情報を募集しています。身近な不思議体験がありましたら、編集部までお寄せください。
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