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第96回 白い着物の女
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都市伝説レポート 第96回
「白い着物の女」
取材・文: 野々宮圭介
「その話、まだ残ってたんですね」
大阪・新世界の小さな喫茶店で、古老は自分の記憶を思い出すように目を細めた。私が尋ねたのは、戦後間もない頃に大阪や名古屋の闇市で囁かれていたという「白い着物の女」の噂だ。現代の都市伝説「口裂け女」の源流とも言われるこの怪異譚を追って、私は大阪の下町を歩いていた。
本誌では以前から様々な都市伝説の起源を探る連載を続けているが、今回取り上げる「白い着物の女」は特に資料が乏しく、伝聞の域を出ない。しかし、1970年代に全国的な恐怖を巻き起こした「口裂け女」現象を理解する上で、この戦後直後の怪異譚は無視できない存在だと私は考えている。
「わしゃ、直接見たわけやないけどな。闇市で働いてた叔父から聞いた話や」
コーヒーカップを両手で包み込むように持った杉本正雄さん(92)は、当時13歳だった自分が聞いた噂を語ってくれた。
1947年(昭和22年)頃、戦後の混乱が続く名古屋や大阪の闇市周辺で奇妙な噂が広まり始めた。
「夕暮れ時、白い着物を着た女が突然現れて『私、きれい?』と尋ねてくる」
「イエスと答えると突然ナイフを出して襲いかかる」
「ノーと答えても逃れられない」
この怪異譚の特徴は、戦後の混乱期という社会背景と、被害者が主に若い男性だったという点だ。当時はまだ街灯も少なく、闇市の周辺は日が落ちると闇に包まれた。そんな薄暗い路地裏で、白い着物姿の女性に遭遇したという証言が複数あったという。
「叔父は言うてたな。『あれは本物や、嘘やない』って。実際に友達が遭うたって」と杉本さんは真剣な表情で語る。
「でも、なぜかその友達には二度と会えなくなったって…」
今回の調査では、噂の中心地だった名古屋の栄地区と大阪の新世界周辺を訪れた。戦後の闇市があった場所は現在ではすっかり様変わりし、高層ビルやショッピングモールが立ち並ぶ。
名古屋市栄の老舗喫茶店で、当時を知る店主・宮本和夫さん(86)は「闇市には色んな噂が流れたもんだ」と懐かしむ。
「白い着物の女の話は確かにあったよ。でも、実際に被害にあったという人間には会ったことがない。友達の友達が…みたいな話ばかりでね」
一方、大阪の新世界で古くから商店を営む中島タケシさん(89)は異なる証言をしてくれた。
「うちの店の前の路地で、若い男が血だらけで倒れてるのを見つけたことがある。男は『白い着物…きれいかって…』と言い残して意識を失った。病院に運ばれたが、その後どうなったかは知らない」
中島さんのこの証言は、噂が単なる作り話ではない可能性を示唆している。だが、当時の警察記録を調べても、この種の事件の報告は見つけることができなかった。
「白い着物の女」の正体について、最も衝撃的なのは次の説だ。
闇市近くで廃墟となった家に住み着いていた戦争孤児の少女が、米兵に暴行され、顔を切られたという。彼女は復讐のため、夜になると白い着物姿で現れ、若い男性を襲うようになったというのだ。
この説を裏付ける証拠は乏しいが、終戦直後の混乱期には確かに多くの孤児が街にあふれ、中には米兵との間でトラブルに巻き込まれた少女たちもいたことは歴史的事実である。
民俗学者の乙羽教授は、この噂について興味深い見解を示す。
「戦後の混乱期、特に闇市という非日常空間では、人々の不安や恐怖が怪異譚として形を変えることはよくあります。『白い着物の女』の話には、当時の社会が抱えていた暴力や喪失感、さらには占領軍への複雑な感情が投影されていたのではないでしょうか」
約25年後の1970年代に全国を席巻した「口裂け女」現象との関連性も見逃せない。マスクをした女性が「私、きれい?」と尋ね、マスクを外すと口が耳まで裂けている…というこの都市伝説は、構造的に「白い着物の女」と酷似している。
「二つの怪異譚には、『美醜についての問いかけ』『顔の傷』『攻撃性』という共通項があります」と乙羽教授は指摘する。
「時代背景は異なりますが、社会不安が生み出した都市伝説の系譜として捉えることができるでしょう」
現在、「白い着物の女」の噂を直接知る人々はほとんど残っていない。しかし、その噂は形を変えながら、現代の都市伝説文化に影響を与え続けている。
大阪新世界の古い路地を歩きながら、ふと立ち止まって周囲を見回した。かつての闇市の喧騒は消え、人々の記憶からも薄れつつある。だが、都市の暗部に潜む不安や恐怖の形は、姿を変えながらも私たちの傍らに在り続けているのかもしれない。
「あの女の子がどうなったかは誰も知らんのや」と杉本さんは言う。
「でも、誰かがその子のことを覚えていてくれるのはええことやと思うわ」
本稿では「白い着物の女」という戦後の闇市に現れた怪異譚を追ってきた。客観的な証拠は乏しく、伝聞に頼らざるを得ない調査だったが、都市伝説の背後には必ず何らかの社会的背景や心理があると私は考えている。
「白い着物の女」が実在したのか、それとも戦後の混乱期に生まれた集合的な幻想だったのか——その真偽は読者の皆さんの判断に委ねたい。
(了)
*本誌では読者の皆様からの都市伝説情報を募集しています。身近な不思議体験がありましたら、編集部までお寄せください。
「白い着物の女」
取材・文: 野々宮圭介
「その話、まだ残ってたんですね」
大阪・新世界の小さな喫茶店で、古老は自分の記憶を思い出すように目を細めた。私が尋ねたのは、戦後間もない頃に大阪や名古屋の闇市で囁かれていたという「白い着物の女」の噂だ。現代の都市伝説「口裂け女」の源流とも言われるこの怪異譚を追って、私は大阪の下町を歩いていた。
本誌では以前から様々な都市伝説の起源を探る連載を続けているが、今回取り上げる「白い着物の女」は特に資料が乏しく、伝聞の域を出ない。しかし、1970年代に全国的な恐怖を巻き起こした「口裂け女」現象を理解する上で、この戦後直後の怪異譚は無視できない存在だと私は考えている。
「わしゃ、直接見たわけやないけどな。闇市で働いてた叔父から聞いた話や」
コーヒーカップを両手で包み込むように持った杉本正雄さん(92)は、当時13歳だった自分が聞いた噂を語ってくれた。
1947年(昭和22年)頃、戦後の混乱が続く名古屋や大阪の闇市周辺で奇妙な噂が広まり始めた。
「夕暮れ時、白い着物を着た女が突然現れて『私、きれい?』と尋ねてくる」
「イエスと答えると突然ナイフを出して襲いかかる」
「ノーと答えても逃れられない」
この怪異譚の特徴は、戦後の混乱期という社会背景と、被害者が主に若い男性だったという点だ。当時はまだ街灯も少なく、闇市の周辺は日が落ちると闇に包まれた。そんな薄暗い路地裏で、白い着物姿の女性に遭遇したという証言が複数あったという。
「叔父は言うてたな。『あれは本物や、嘘やない』って。実際に友達が遭うたって」と杉本さんは真剣な表情で語る。
「でも、なぜかその友達には二度と会えなくなったって…」
今回の調査では、噂の中心地だった名古屋の栄地区と大阪の新世界周辺を訪れた。戦後の闇市があった場所は現在ではすっかり様変わりし、高層ビルやショッピングモールが立ち並ぶ。
名古屋市栄の老舗喫茶店で、当時を知る店主・宮本和夫さん(86)は「闇市には色んな噂が流れたもんだ」と懐かしむ。
「白い着物の女の話は確かにあったよ。でも、実際に被害にあったという人間には会ったことがない。友達の友達が…みたいな話ばかりでね」
一方、大阪の新世界で古くから商店を営む中島タケシさん(89)は異なる証言をしてくれた。
「うちの店の前の路地で、若い男が血だらけで倒れてるのを見つけたことがある。男は『白い着物…きれいかって…』と言い残して意識を失った。病院に運ばれたが、その後どうなったかは知らない」
中島さんのこの証言は、噂が単なる作り話ではない可能性を示唆している。だが、当時の警察記録を調べても、この種の事件の報告は見つけることができなかった。
「白い着物の女」の正体について、最も衝撃的なのは次の説だ。
闇市近くで廃墟となった家に住み着いていた戦争孤児の少女が、米兵に暴行され、顔を切られたという。彼女は復讐のため、夜になると白い着物姿で現れ、若い男性を襲うようになったというのだ。
この説を裏付ける証拠は乏しいが、終戦直後の混乱期には確かに多くの孤児が街にあふれ、中には米兵との間でトラブルに巻き込まれた少女たちもいたことは歴史的事実である。
民俗学者の乙羽教授は、この噂について興味深い見解を示す。
「戦後の混乱期、特に闇市という非日常空間では、人々の不安や恐怖が怪異譚として形を変えることはよくあります。『白い着物の女』の話には、当時の社会が抱えていた暴力や喪失感、さらには占領軍への複雑な感情が投影されていたのではないでしょうか」
約25年後の1970年代に全国を席巻した「口裂け女」現象との関連性も見逃せない。マスクをした女性が「私、きれい?」と尋ね、マスクを外すと口が耳まで裂けている…というこの都市伝説は、構造的に「白い着物の女」と酷似している。
「二つの怪異譚には、『美醜についての問いかけ』『顔の傷』『攻撃性』という共通項があります」と乙羽教授は指摘する。
「時代背景は異なりますが、社会不安が生み出した都市伝説の系譜として捉えることができるでしょう」
現在、「白い着物の女」の噂を直接知る人々はほとんど残っていない。しかし、その噂は形を変えながら、現代の都市伝説文化に影響を与え続けている。
大阪新世界の古い路地を歩きながら、ふと立ち止まって周囲を見回した。かつての闇市の喧騒は消え、人々の記憶からも薄れつつある。だが、都市の暗部に潜む不安や恐怖の形は、姿を変えながらも私たちの傍らに在り続けているのかもしれない。
「あの女の子がどうなったかは誰も知らんのや」と杉本さんは言う。
「でも、誰かがその子のことを覚えていてくれるのはええことやと思うわ」
本稿では「白い着物の女」という戦後の闇市に現れた怪異譚を追ってきた。客観的な証拠は乏しく、伝聞に頼らざるを得ない調査だったが、都市伝説の背後には必ず何らかの社会的背景や心理があると私は考えている。
「白い着物の女」が実在したのか、それとも戦後の混乱期に生まれた集合的な幻想だったのか——その真偽は読者の皆さんの判断に委ねたい。
(了)
*本誌では読者の皆様からの都市伝説情報を募集しています。身近な不思議体験がありましたら、編集部までお寄せください。
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