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第116回 深夜の山岳放送
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都市伝説レポート 第116回
「深夜の山岳放送」
取材・文: 野々宮圭介
雪解けを迎えた5月の北アルプス。登山シーズンの開幕と共に、再び奇妙な噂が山岳愛好家たちの間で囁かれ始めた。標高2,500メートルを超える深夜の登山道で、どこからともなく聞こえる「助けて」という声の正体とは―。2012年頃から断続的に報告されているこの現象を、今回『現代怪異録』では徹底調査した。
本誌編集部に一本の電話が入ったのは、ちょうど4月号の校了が終わった翌日のことだった。
「山で、変なことがあったんです。でも警察に言っても相手にされなくて…」
電話の主は北村雄一さん(仮名・42歳)。登山歴15年のベテランだ。普段は冷静沈着な性格だという北村さんが、明らかに動揺した様子で語ったのは、昨年10月に経験した不可解な出来事についてだった。
北アルプス燕岳への単独登山中、標高約2,700メートル付近のテント場で就寝準備をしていた午後9時頃のことだ。テントの外から、はっきりとした女性の声で「助けて、どなたか助けて」と呼びかける声が聞こえてきたという。
「最初は遭難者かと思いました。ヘッドライトを付けて外に出たんです。でも、声がするはずの方向には誰もいなかった。もう一度、同じ声がしたので、今度は懐中電灯も持って捜索したんですが…」
北村さんは約30分間、声のする方向を捜索したが、人影はおろか足跡さえ見つからなかった。さらに奇妙なことに、北村さんはボイスレコーダーで周囲の音を録音していたが、再生してみると風の音や自分の足音は記録されているのに、あの「助けて」という声だけが録音されていなかったという。
「あれは何だったのか、今でも分からない。でも確かに聞こえたんです」
北村さんの証言を聞き、私は調査を決意した。取材というのは足で稼ぐもの。北アルプスへ向かうことにした。
長野県の登山口に到着したのは5月上旬のこと。まだ残雪が残る早朝の登山道を、私は地元のベテランガイド・三島和彦さん(58歳)と共に登り始めた。
「そういう話は、この10年ほどで増えましたね」と三島さんは淡々と語る。
「特に2012年から2015年にかけて報告が多かった。私自身も一度だけ経験があります」
三島さんによれば、2013年の夏、ツアーガイドとして客を案内していた際、一行が仮眠を取っていた深夜2時頃、「誰か、誰かいませんか」という男性の声が聞こえてきたという。ガイドとしての責任から即座に対応したが、周囲に人影はなく、翌朝まで待機しても救助を求める登山者は現れなかった。
「不思議なのは、お客さん全員がその声を聞いたわけではないんです。6人のうち3人だけが聞いて、他の3人は『何の話をしているのか分からない』と言っていました」
私たちは北村さんが体験した場所とほぼ同じ標高のテント場に到着し、一泊することにした。夕食後、私は録音機器をセットし、待機した。しかし、その夜は何も起こらなかった。
帰京後、私は北アルプスでの類似体験を持つ人々を探し始めた。SNSや登山愛好家のコミュニティに問い合わせると、予想以上の反響があった。その中から信頼性の高い証言をいくつか紹介したい。
松田理恵さん(35歳・登山歴8年):
「2014年9月、常念岳に友人と登った時です。午前2時頃、テントの外から『ここはどこですか、道に迷いました』という老人の声が聞こえました。友人も聞いています。外に出ると誰もいなくて、翌朝も遭難者の情報はありませんでした」
渡辺修一さん(49歳・登山ガイド):
「2015年の夏、槍ヶ岳の肩付近で客を案内中、『水をください』という子供の声を私だけが聞きました。防災無線のようなマイクを通した声に聞こえましたが、あんな場所に防災設備はありません」
特に興味深かったのは、山岳救助隊員の証言だ。名前を伏せることを条件に応じてくれた50代の男性隊員によれば、実際に「声だけ」の遭難通報を受けて出動したものの、誰も見つからないという事例が年に数回あるという。
「無線やトランシーバーのトラブルと片付けられることも多いですが、機器の異常が見つからないケースもある。本部との通信記録に残っていないのに、複数の隊員が同じ内容の声を聞いたという事例もありました」
さらに彼は意外な情報も教えてくれた。
「実は、こういう現象があるのは北アルプスだけではなく、南アルプスや八ヶ岳でも報告があります。共通しているのは標高2,500メートル前後の場所と、夜間から明け方にかけての時間帯です」
この奇妙な現象について、私は様々な分野の専門家に意見を求めた。
気象学者の田中博士(62歳)は「山岳地帯特有の気圧配置と地形により、遠距離の音が異常に伝わる『異常伝播』の可能性がある」と指摘する。実際、海上で数十キロ離れた場所の会話が聞こえたという記録も存在する。
一方、音響工学を専門とする佐藤教授(58歳)は別の見解を示した。
「録音されないという点は物理的に説明が難しい。もし事実なら、何らかの心理的現象、または集団的な聴覚体験の可能性も考慮すべきでしょう」
最も興味深かったのは、民俗学者の乙羽教授の指摘だ。
「日本の山岳信仰には『山の神の声』や『天狗の囃子』など、山中で不思議な音を聞くという伝承が多数存在します。現代の『声』現象はその現代版とも考えられる」
乙羽教授によれば、信州の一部地域では「山に入る者の心を試す声」という古い言い伝えもあるという。
「助けを求める声に惑わされて道を外れると遭難する—そんな戒めの話が伝わっていました」
取材を終え、私は多くの証言と様々な専門家の見解を得たが、明確な結論には至らなかった。録音されない声、選択的に聞こえる声、そして何より、その後に救助を要する実際の遭難者が発見されないという事実。
これらをすべて説明できる仮説は、現時点では存在しない。気象現象か、集団心理か、あるいは古くから山に伝わる何かの声なのか—。
噂の真偽は別として、一つ言えることがある。北アルプスの深い闇の中で聞こえるという「助けて」の声は、今もなお登山者たちを困惑させ続けている。
もし読者の皆さんが山中で不思議な声を聞いたなら、慎重な行動をお勧めする。それが実際の遭難者なのか、あるいは別の何かなのかを見極めるのは容易ではない。
本誌では引き続き、この「山岳放送声事件」について情報を集めていく予定だ。類似体験をお持ちの方は、ぜひ編集部までご連絡いただきたい。
(了)
*本誌では読者の皆様からの都市伝説情報を募集しています。身近な不思議体験がありましたら、編集部までお寄せください。
「深夜の山岳放送」
取材・文: 野々宮圭介
雪解けを迎えた5月の北アルプス。登山シーズンの開幕と共に、再び奇妙な噂が山岳愛好家たちの間で囁かれ始めた。標高2,500メートルを超える深夜の登山道で、どこからともなく聞こえる「助けて」という声の正体とは―。2012年頃から断続的に報告されているこの現象を、今回『現代怪異録』では徹底調査した。
本誌編集部に一本の電話が入ったのは、ちょうど4月号の校了が終わった翌日のことだった。
「山で、変なことがあったんです。でも警察に言っても相手にされなくて…」
電話の主は北村雄一さん(仮名・42歳)。登山歴15年のベテランだ。普段は冷静沈着な性格だという北村さんが、明らかに動揺した様子で語ったのは、昨年10月に経験した不可解な出来事についてだった。
北アルプス燕岳への単独登山中、標高約2,700メートル付近のテント場で就寝準備をしていた午後9時頃のことだ。テントの外から、はっきりとした女性の声で「助けて、どなたか助けて」と呼びかける声が聞こえてきたという。
「最初は遭難者かと思いました。ヘッドライトを付けて外に出たんです。でも、声がするはずの方向には誰もいなかった。もう一度、同じ声がしたので、今度は懐中電灯も持って捜索したんですが…」
北村さんは約30分間、声のする方向を捜索したが、人影はおろか足跡さえ見つからなかった。さらに奇妙なことに、北村さんはボイスレコーダーで周囲の音を録音していたが、再生してみると風の音や自分の足音は記録されているのに、あの「助けて」という声だけが録音されていなかったという。
「あれは何だったのか、今でも分からない。でも確かに聞こえたんです」
北村さんの証言を聞き、私は調査を決意した。取材というのは足で稼ぐもの。北アルプスへ向かうことにした。
長野県の登山口に到着したのは5月上旬のこと。まだ残雪が残る早朝の登山道を、私は地元のベテランガイド・三島和彦さん(58歳)と共に登り始めた。
「そういう話は、この10年ほどで増えましたね」と三島さんは淡々と語る。
「特に2012年から2015年にかけて報告が多かった。私自身も一度だけ経験があります」
三島さんによれば、2013年の夏、ツアーガイドとして客を案内していた際、一行が仮眠を取っていた深夜2時頃、「誰か、誰かいませんか」という男性の声が聞こえてきたという。ガイドとしての責任から即座に対応したが、周囲に人影はなく、翌朝まで待機しても救助を求める登山者は現れなかった。
「不思議なのは、お客さん全員がその声を聞いたわけではないんです。6人のうち3人だけが聞いて、他の3人は『何の話をしているのか分からない』と言っていました」
私たちは北村さんが体験した場所とほぼ同じ標高のテント場に到着し、一泊することにした。夕食後、私は録音機器をセットし、待機した。しかし、その夜は何も起こらなかった。
帰京後、私は北アルプスでの類似体験を持つ人々を探し始めた。SNSや登山愛好家のコミュニティに問い合わせると、予想以上の反響があった。その中から信頼性の高い証言をいくつか紹介したい。
松田理恵さん(35歳・登山歴8年):
「2014年9月、常念岳に友人と登った時です。午前2時頃、テントの外から『ここはどこですか、道に迷いました』という老人の声が聞こえました。友人も聞いています。外に出ると誰もいなくて、翌朝も遭難者の情報はありませんでした」
渡辺修一さん(49歳・登山ガイド):
「2015年の夏、槍ヶ岳の肩付近で客を案内中、『水をください』という子供の声を私だけが聞きました。防災無線のようなマイクを通した声に聞こえましたが、あんな場所に防災設備はありません」
特に興味深かったのは、山岳救助隊員の証言だ。名前を伏せることを条件に応じてくれた50代の男性隊員によれば、実際に「声だけ」の遭難通報を受けて出動したものの、誰も見つからないという事例が年に数回あるという。
「無線やトランシーバーのトラブルと片付けられることも多いですが、機器の異常が見つからないケースもある。本部との通信記録に残っていないのに、複数の隊員が同じ内容の声を聞いたという事例もありました」
さらに彼は意外な情報も教えてくれた。
「実は、こういう現象があるのは北アルプスだけではなく、南アルプスや八ヶ岳でも報告があります。共通しているのは標高2,500メートル前後の場所と、夜間から明け方にかけての時間帯です」
この奇妙な現象について、私は様々な分野の専門家に意見を求めた。
気象学者の田中博士(62歳)は「山岳地帯特有の気圧配置と地形により、遠距離の音が異常に伝わる『異常伝播』の可能性がある」と指摘する。実際、海上で数十キロ離れた場所の会話が聞こえたという記録も存在する。
一方、音響工学を専門とする佐藤教授(58歳)は別の見解を示した。
「録音されないという点は物理的に説明が難しい。もし事実なら、何らかの心理的現象、または集団的な聴覚体験の可能性も考慮すべきでしょう」
最も興味深かったのは、民俗学者の乙羽教授の指摘だ。
「日本の山岳信仰には『山の神の声』や『天狗の囃子』など、山中で不思議な音を聞くという伝承が多数存在します。現代の『声』現象はその現代版とも考えられる」
乙羽教授によれば、信州の一部地域では「山に入る者の心を試す声」という古い言い伝えもあるという。
「助けを求める声に惑わされて道を外れると遭難する—そんな戒めの話が伝わっていました」
取材を終え、私は多くの証言と様々な専門家の見解を得たが、明確な結論には至らなかった。録音されない声、選択的に聞こえる声、そして何より、その後に救助を要する実際の遭難者が発見されないという事実。
これらをすべて説明できる仮説は、現時点では存在しない。気象現象か、集団心理か、あるいは古くから山に伝わる何かの声なのか—。
噂の真偽は別として、一つ言えることがある。北アルプスの深い闇の中で聞こえるという「助けて」の声は、今もなお登山者たちを困惑させ続けている。
もし読者の皆さんが山中で不思議な声を聞いたなら、慎重な行動をお勧めする。それが実際の遭難者なのか、あるいは別の何かなのかを見極めるのは容易ではない。
本誌では引き続き、この「山岳放送声事件」について情報を集めていく予定だ。類似体験をお持ちの方は、ぜひ編集部までご連絡いただきたい。
(了)
*本誌では読者の皆様からの都市伝説情報を募集しています。身近な不思議体験がありましたら、編集部までお寄せください。
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