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第32章 春のキャンパス
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春。
私は、無事、兄さんが入院しているこの病院の附属大学、
そして麻衣子さんが勤める医学部に合格することができた。
合格発表の日。
スマホの画面に自分の受験番号を見つけた瞬間、息が止まった。
「……あった。」
それだけしか言えなかった。
葵くんも同じ大学に合格していて、もう、うれしすぎて泣いてしまった。
二人で電話越しに「やったね!」って叫んで、
麻衣子さんに連絡したら、研究室のみんなまで拍手してくれた。
正直、学科試験のときは「もうダメかも」って思ってた。
英語の長文で時間が足りなくなって、物理も途中で焦って頭が真っ白になった。
でも、面接では、兄さんのことを話した。
ICUで眠り続ける兄のこと、そして、私が脳医学を学びたい理由。
自分でも驚くくらい、必死に語っていた。
「医療って、命を支えるだけじゃなくて、“つながり”を守るものだと思います」
そのとき、面接官の先生の目が少し柔らかくなったのを覚えている。
もしかしたら、その熱だけは、伝わったのかもしれない。
四月は、入学式や健康診断、学生証の発行に授業登録
……バタバタしているうちに過ぎてしまった。
気がつけば、もう五月。
まだ大学生活に慣れきれていないけど、
少しずつ、自分のペースが見えてきた。
五月のある日。
ようやく授業にも慣れてきたころ、
クラス分けの一覧表が掲示された。
医学部は、同じ学年でも百人を超える学生がいる。
そのため、一年生の最初にいくつかのクラスに分けられる。
クラスといっても、高校のように担任がいて席順があるわけじゃない。
講義の出席確認やグループワーク、基礎実習で一緒になる仲間たち――
いわば、六年間を共に過ごす「同期の核」みたいな存在だ。
私はCクラスだった。
葵くんも同じクラスで、心の底からほっとした。
初対面の人ばかりなのに、みんな妙に落ち着いていて、
少し緊張しているのが分かった。
でも、誰かが「六年間、一緒に頑張ろうね」と笑って言った瞬間、
空気がふっとやわらいだ。
そのとき気づいた。
――医学部って、きっと“孤独では進めない場所”なんだ。
講義の範囲は広く、覚えることも多い。
一人で抱え込んでいたら、あっという間に置いていかれる。
だからこそ、ノートを共有したり、試験の出題傾向を教え合ったり、
誰かが欠席したらプリントを回す。
そうやって支え合うのが、当たり前になっていく。
クラスのLINEグループが毎日鳴り続けるのも、なんだか温かい。
この「六年間一緒」という仕組みが、自然と連帯感を育てていくのだと思う。
誰かの頑張りが励みになって、誰かの悩みが自分のことのように感じられる。
少し重たいけれど、それがこの道を歩く“覚悟”でもあるのかもしれない。
昼休みの学食は、ざわざわとした声と、味噌汁の湯気で満たされていた。
トレイを持った学生たちが行き交い、
窓際の席では白衣姿の先輩たちが参考書を広げている。
私は、葵くん、
そして、同じクラスの悠生(ゆうき)くん、美琴(みこと)ちゃんの四人で、
カレーうどんの香りが漂うテーブルを囲んでいた。
「それで、お兄さんは、今も入院中なんだよね?」
美琴ちゃんが、少し遠慮がちに尋ねる。
「うん。でも、最近は少し反応がある気がする。
手を握ると、指がわずかに動くの」
そう言いながら、私はスプーンを持つ手を少し止めた。
「医学的に説明できるかはわからないけど
……なんか、意識の奥の方で、生きようとしてる感じがするんだ。」
「……きっと、届いてるんだと思うよ。」
葵くんが静かに言った。
「前に話した“夢の中の内容を読み取る研究”って、
あれも、意識の扉を少し開ける試みなんだよね。」
彼の言葉に、私と美琴ちゃんが顔を上げた。
「でも、実際のところ、まだ難しいんだ。」
葵くんは、カップを指でなぞりながら続けた。
「脳波やfMRIでの解析にも限界がある。
『夢』の内容を正確に“翻訳”するには、
膨大なデータとアルゴリズムが必要だし、
人間の主観を完全に数値化することは、
今の技術ではまだ遠い。」
そのとき、悠生くんが箸を置き、少し前のめりになった。
「でもさ、“今は難しい”って言葉、
歴史の中で何度もひっくり返ってきたんだよ。」
「……出た、悠生の歴史講座。」
美琴ちゃんが笑う。
けれど悠生くんは、真面目な顔のまま静かに語り始めた。
「最初の転換点は“農業”。
狩りと採集しか知らなかった人間が、
種をまき、土地を管理するようになって、
“自然の力”を自分のものにした。
次が“産業革命”。
“機械の力”を手に入れて、身体の限界を超えた。
三つ目は“コンピュータ”。
“情報の力”を使って、世界をデータで理解しはじめた。
そして今、四つ目の転換点が来てる。――“AI”だ。」
「AIかぁ。」
葵くんがうなずく。
「人類はずっと、自分の外側にある力を取り込んで進化してきた。
でもAIは違う。
それは“知能”という、
自分たちの内側にあったものを外に作り出した最初の存在なんだ。
AIの登場で、
これまで考えられなかった領域に人間が踏み込もうとしている。
もしかしたら、脳科学だってその波に飲み込まれるかもしれない。
夢や記憶、意識の構造……。
今は想像すらできないほどの速度で、解明されていく可能性がある。」
私は、息をのんだ。
彼の言葉が、静かに心の中に響いていく。
「……もしかしたら、兄さんの“意識”も、
いつか解析できるようになるのかな。」
つい、そんなことを口にしてしまった。
悠生くんは、少し微笑んで言った。
「うん。
人類が“夢を読む”日が来たら、
きっとそれは、君みたいな人の願いから始まるんだと思う。」
美琴ちゃんが「ちょっと、いいこと言うじゃん」と笑って、
空気がまた柔らかくなる。
学食のざわめきの中で、私たちはトレイを片づけながら、
それぞれの胸の奥に、小さな“希望の火”みたいなものを感じていた。
私は、無事、兄さんが入院しているこの病院の附属大学、
そして麻衣子さんが勤める医学部に合格することができた。
合格発表の日。
スマホの画面に自分の受験番号を見つけた瞬間、息が止まった。
「……あった。」
それだけしか言えなかった。
葵くんも同じ大学に合格していて、もう、うれしすぎて泣いてしまった。
二人で電話越しに「やったね!」って叫んで、
麻衣子さんに連絡したら、研究室のみんなまで拍手してくれた。
正直、学科試験のときは「もうダメかも」って思ってた。
英語の長文で時間が足りなくなって、物理も途中で焦って頭が真っ白になった。
でも、面接では、兄さんのことを話した。
ICUで眠り続ける兄のこと、そして、私が脳医学を学びたい理由。
自分でも驚くくらい、必死に語っていた。
「医療って、命を支えるだけじゃなくて、“つながり”を守るものだと思います」
そのとき、面接官の先生の目が少し柔らかくなったのを覚えている。
もしかしたら、その熱だけは、伝わったのかもしれない。
四月は、入学式や健康診断、学生証の発行に授業登録
……バタバタしているうちに過ぎてしまった。
気がつけば、もう五月。
まだ大学生活に慣れきれていないけど、
少しずつ、自分のペースが見えてきた。
五月のある日。
ようやく授業にも慣れてきたころ、
クラス分けの一覧表が掲示された。
医学部は、同じ学年でも百人を超える学生がいる。
そのため、一年生の最初にいくつかのクラスに分けられる。
クラスといっても、高校のように担任がいて席順があるわけじゃない。
講義の出席確認やグループワーク、基礎実習で一緒になる仲間たち――
いわば、六年間を共に過ごす「同期の核」みたいな存在だ。
私はCクラスだった。
葵くんも同じクラスで、心の底からほっとした。
初対面の人ばかりなのに、みんな妙に落ち着いていて、
少し緊張しているのが分かった。
でも、誰かが「六年間、一緒に頑張ろうね」と笑って言った瞬間、
空気がふっとやわらいだ。
そのとき気づいた。
――医学部って、きっと“孤独では進めない場所”なんだ。
講義の範囲は広く、覚えることも多い。
一人で抱え込んでいたら、あっという間に置いていかれる。
だからこそ、ノートを共有したり、試験の出題傾向を教え合ったり、
誰かが欠席したらプリントを回す。
そうやって支え合うのが、当たり前になっていく。
クラスのLINEグループが毎日鳴り続けるのも、なんだか温かい。
この「六年間一緒」という仕組みが、自然と連帯感を育てていくのだと思う。
誰かの頑張りが励みになって、誰かの悩みが自分のことのように感じられる。
少し重たいけれど、それがこの道を歩く“覚悟”でもあるのかもしれない。
昼休みの学食は、ざわざわとした声と、味噌汁の湯気で満たされていた。
トレイを持った学生たちが行き交い、
窓際の席では白衣姿の先輩たちが参考書を広げている。
私は、葵くん、
そして、同じクラスの悠生(ゆうき)くん、美琴(みこと)ちゃんの四人で、
カレーうどんの香りが漂うテーブルを囲んでいた。
「それで、お兄さんは、今も入院中なんだよね?」
美琴ちゃんが、少し遠慮がちに尋ねる。
「うん。でも、最近は少し反応がある気がする。
手を握ると、指がわずかに動くの」
そう言いながら、私はスプーンを持つ手を少し止めた。
「医学的に説明できるかはわからないけど
……なんか、意識の奥の方で、生きようとしてる感じがするんだ。」
「……きっと、届いてるんだと思うよ。」
葵くんが静かに言った。
「前に話した“夢の中の内容を読み取る研究”って、
あれも、意識の扉を少し開ける試みなんだよね。」
彼の言葉に、私と美琴ちゃんが顔を上げた。
「でも、実際のところ、まだ難しいんだ。」
葵くんは、カップを指でなぞりながら続けた。
「脳波やfMRIでの解析にも限界がある。
『夢』の内容を正確に“翻訳”するには、
膨大なデータとアルゴリズムが必要だし、
人間の主観を完全に数値化することは、
今の技術ではまだ遠い。」
そのとき、悠生くんが箸を置き、少し前のめりになった。
「でもさ、“今は難しい”って言葉、
歴史の中で何度もひっくり返ってきたんだよ。」
「……出た、悠生の歴史講座。」
美琴ちゃんが笑う。
けれど悠生くんは、真面目な顔のまま静かに語り始めた。
「最初の転換点は“農業”。
狩りと採集しか知らなかった人間が、
種をまき、土地を管理するようになって、
“自然の力”を自分のものにした。
次が“産業革命”。
“機械の力”を手に入れて、身体の限界を超えた。
三つ目は“コンピュータ”。
“情報の力”を使って、世界をデータで理解しはじめた。
そして今、四つ目の転換点が来てる。――“AI”だ。」
「AIかぁ。」
葵くんがうなずく。
「人類はずっと、自分の外側にある力を取り込んで進化してきた。
でもAIは違う。
それは“知能”という、
自分たちの内側にあったものを外に作り出した最初の存在なんだ。
AIの登場で、
これまで考えられなかった領域に人間が踏み込もうとしている。
もしかしたら、脳科学だってその波に飲み込まれるかもしれない。
夢や記憶、意識の構造……。
今は想像すらできないほどの速度で、解明されていく可能性がある。」
私は、息をのんだ。
彼の言葉が、静かに心の中に響いていく。
「……もしかしたら、兄さんの“意識”も、
いつか解析できるようになるのかな。」
つい、そんなことを口にしてしまった。
悠生くんは、少し微笑んで言った。
「うん。
人類が“夢を読む”日が来たら、
きっとそれは、君みたいな人の願いから始まるんだと思う。」
美琴ちゃんが「ちょっと、いいこと言うじゃん」と笑って、
空気がまた柔らかくなる。
学食のざわめきの中で、私たちはトレイを片づけながら、
それぞれの胸の奥に、小さな“希望の火”みたいなものを感じていた。
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