異世界でカフェを開店しました。

甘沢林檎

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2巻

2-3

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 第五章 面接は大変です。


 翌日、新しい従業員の募集を開始した。募集人員は、接客担当一名と調理担当一名の、合計二名だ。
 条件は、「出来るだけ長く働ける人」。そして人材教育に時間が取れないので、「経験者に限る」。
 さっそく、店の外と中に募集要項を貼り出した。
 すると、すぐに数件の応募があった。
 面接希望者の名前を聞いて、三日後の開店前に面接をすると伝える。
 うわさを聞きつけたのか、翌日はもっと多くの人が訪ねてきた。
 募集を開始してたった二日間で十数件もの応募があり、リサはかなり喜んでいた。
 ジークもヘレナも、今回のように募集して採用したわけではない。ジークは押しかけてきたようなものだし、ヘレナは罪をつぐなうために働き出したのだ。
 きっかけはどうあれ、二人とも今ではかけがえのない仲間だ。今回採用する新しい従業員も、そうなってくれることをリサは期待していた。
 だが、現実は甘くなかった。いや、もしかしたら期待しすぎたのかもしれない。
 面接当日、店の前に集まった応募者達を見て、リサはぎょっとした。
 事前に知っていたことだが、応募してきた人のほとんどが女性。カフェのお客さんは女性が多いので、そうなるのは予想していたし、全然構わない。
 ただ、その外見が問題だった。彼女たちは非常におしゃれだったのだ。
 おしゃれであるのは悪いことではない。
 けれど、「デートですか?」と聞きたくなるほど気合いの入った格好の女性達を見て、彼女達が本気で飲食店の従業員になりたがっているとは思えなかった。
 もちろん全員がそうというわけではないし、もしかしたら、外見によらずいい人材もいるかもしれない。
 せっかく来てくれたんだしと、とりあえず全員を店に入れた。
 適当に席に座ってもらい、一人ずつ二階に呼んで面接を始める。
 名前、年齢、経歴、志望動機などを聞く。
 志望動機については、どの子も似たようなことを言っていた。それについては、リサもそれほど気にしなかった。かつて自分がアルバイトや就職の面接を受けたときも、そんなことを話したと思う。
 だが、ひどかったのは彼女達の匂いだ。どの子も、例外なく香水がキツい。
 さらに一人ずつ観察してみると、みな手の爪を長く伸ばし、ピカピカにみがげている。手入れをしているという点では良いが、飲食店での接客には不向きだろう。
 全員の面接が終わると、リサは精神的な疲労を感じながら二人に顔を向けた。

「……どう思う?」

 リサが聞くと、ヘレナはげっそりとした顔で答える。

「リサさんが考えてることと同じだと思います」

 ジークは匂いに酔ったらしく、眉間みけんに指を当ててけわしい顔をしている。

「とりあえず採用者なしということで、あの子達を帰しましょう」
「そうですね、これから開店準備もしなきゃですし」

 偶然にも、三人揃って「はぁ」とため息をいてしまった。
 三人は一階に下りる。そして、リサは応募者達に告げた。

「皆さん、今日はお越しくださってありがとうございました。検討した結果、残念ながら今回は採用を見送らせていただくことになりました。ご希望に添えず申し訳ありませんが、今後もお客様として、ご来店いただけたら幸いです」

 声に出して残念がる人、さっさと帰り支度をする人、なぜか嬉しそうにこちらを見ている人など反応は様々だったが、総じて本当に働きたかったようには、やはり見えなかった。
 そのとき、一人の女性がおずおずと言った。

「あのぉ~、最後にジークさんと握手させてもらってもいいですか?」

 彼女は、期待をはらんだ目でジークを見つめている。

「あっ! 私も~」
「ずるい! ジークさぁん!」

 一人が言い出すと、みんな我も我もとジークにむらがっていく。
 ジークはひるんで後ずさった。
 だがそんなことはお構いなしで、女の子達は勝手に彼の手を握り始める。
 ――ツキン。
 リサの胸に、痛みが走った。
 不思議に思って、リサは自分の胸を押さえる。
 痛みはそれっきりだったが、胸の内にじわじわと、黒いもやが広がっていく。
 リサはその感情に覚えがあった。――嫉妬だ。
「ああ」とか「いや」としか言わないジークに、懸命に話しかける女性達。みな一様に目をキラキラさせていて、彼に想いを寄せていることがわかる。
 ジークの心中はどうあれ、今、彼のそばにいるのは、リサではない女の子。

「はいはい、すいませんが、この辺でお引き取り願います!」

 ヘレナがそう言ってパンパンと手を打ち鳴らしたので、リサはハッと我に返った。
 ジークも助かったというように、素早く人垣を抜け出してくる。
 女の子達は「えぇ~!!」と残念そうな声を上げたが、渋々引き上げていった。


 彼女達が帰っても、店内には残り香がしぶとくただよっていた。

「予想はしてましたが、これほどとは思いませんでした」
「予想って?」

 換気かんきのため窓を開けていたリサは、ヘレナの言葉に振り返った。

「どんな応募者が来るかということです。今日来た子達は、この店で働くのがステータスだとでも思っているんでしょう。制服が人気ブランドであるシリルメリー製というのは有名ですし、お菓子は王宮御用達ごようたし。そう思われても仕方ありません。それに、ジークさんの人気。元騎士という経歴に加えて、あの見た目です。ジークさん目当てに来ているお客さんも多いですしね。面接に落ちても、あわよくば彼とお近づきに……なんて思っていた子もいるんじゃないですか?」

 ヘレナはべらべらとしゃべりながら、憤慨ふんがいした様子でテーブルをみがいている。
 今回の応募者は、ほぼ全員が接客を希望していた。
 飲食店の接客は、そう簡単なものではない。
 可愛い制服を着てにこにこ笑っていても、その仕事は肉体労働に他ならない。ケーキや飲み物を載せたトレーはそこそこの重さがあるし、注文のたびに厨房ちゅうぼうと客席の間を往復するので、一日中歩きっぱなしだ。
 面接に来た女の子達に、その覚悟があるとは到底思えなかった。
 接客を担当するヘレナは、リサよりも強くそれを感じたのだろう。残念に思う気持ちを通り越して、怒りすら覚えているらしい。
 それでも、いつも通りちゃきちゃきと働くヘレナを残し、リサは厨房に向かった。
 ――しかし、ジークくんを、ねぇ……
 ジークは、先ほどの面接のことなど忘れたかのように、ランチの準備を始めていた。葉野菜をちぎってボウルに入れるその横顔は、無表情だが綺麗に整っている。
 ほぼ毎日会っているので意識していないが、彼はまぎれもなくイケメンだ。混雑しているときは彼も接客に回るが、接客を受けた女の子が、ポーッとなっていることも多い。
 ――けど今までは、感じなかったのになぁ……
 さっきの嫉妬は、いったい何だったのだろうか。

「どうしたんですか? リサさん」

 厨房の入口に突っ立ったままのリサを、ジークが手を止めて振り返った。

「ごめんごめん、私はスープ作るね」

 リサはなんでもない風をよそおって、彼に笑いかけたのだった。



 第六章 使者、来訪しました。


 料理科設立の話を聞いてから一週間が過ぎ、リサはそろそろ返事をしなければと思っていた。
 考えた末、断ることにしたリサは、ロイズに宛てて断りの手紙を書くためペンを取る。
 書き出しの文章を考えていると、部屋のドアがノックされた。

「お嬢様、今よろしいでしょうか?」

 ドア越しに聞こえてきた声は、侍女長であるマリーのものだ。

「マリーさん、どうしたんですか?」
「奥様がお呼びです」
「シアさんが?」

 手紙は後で書けばいいかと思い、リサは部屋を出てマリーの後についていった。
 どうやら、アナスタシアは応接室にいるようだ。
 ――またロイズさんがいらっしゃってるのかな? だったら直接お断りしよう。
 そう思ったが、リサを待っていたのはロイズではなかった。
 応接室でアナスタシアの向かいに座る壮年の男性。ロマンスグレーの髪と銀色の瞳をもつ彼の表情は柔和にゅうわで、眼鏡めがねの奥にある眼差しは温かい。
 けれど、リサの人となりをはかるように、じっと観察しているようなところもあった。

「リサちゃん、こちらへいらっしゃい」

 アナスタシアが手招きしたので、部屋の入口に立っていたリサは彼女の隣に並んだ。

「この子が娘のリサです」
「初めまして、リサです」
「お初にお目にかかります。わたくしは、ルシウス・ザハーと申します」

 彼は、洗練された礼をもって自己紹介をした。

「ルシウスさんは、王宮の侍従長じじゅうちょうを務めている方なのよ」
「ほほほ、もういい年なので、そろそろ引退しようと思っているところなんですがね」

 アナスタシアが紹介すると、ルシウスはおだやかに笑った。
 その肩書きを聞いて、リサは疑問を浮かべる。
 王宮の侍従長が、どのような用事で訪れたのだろうか。
 お互いの自己紹介が済み、リサがソファに腰かけると、ルシウスが切り出した。

「先ほどアナスタシア様にはお伝えしたのですが、ご本人にも直接お伝えしておきたいと思いまして、ご同席いただきました。まだ内々のお話なのですが、リサ様にエドガー王太子殿下との縁談話がございます」
「縁談……ですか?」
「私も驚いたのよ! まさかそんな話があるなんて! アデルと冗談で『私達の子供が結婚したら親戚しんせきになれるわね~』と話したことはあるけれど……」

 エドガー殿下とは、各国王宮会談の準備のために王宮の厨房ちゅうぼうに出入りしていたとき、何度か会ったことがある。
 それに会談のときの舞踏会では、リサのエスコート役も務めてくれた。

「アデル王妃殿下から、ぜひにというお言葉がございましたので」
「はあ」

 実感がわかず、リサは気の抜けた返事をする。
 ――側室とか、そういう話だろうか……

「エドガー殿下は、ゆくゆくは王位を継がれます。もし縁談がまとまれば、リサ様は未来の王妃になられるのです」

 リサの考えを否定するように、ルシウスは言葉を重ねた。
 ――未来の王妃……私が?
 リサは、ぽかんとした表情でルシウスを見つめる。

「失礼ながら、リサ様は現在、お付き合いされている男性はいらっしゃいますか?」
「いえ、いませんけど……」
「さようでございますか。安心いたしました。エドガー殿下とは何度かご面識もおありでしょうから、人となりはご存知ですね。ご年齢も近くていらっしゃいますので、良きパートナーになれるのではないでしょうか」
「エドガー殿下は、確かリサちゃんの一つ年上だったかしら。以前、リサちゃんをエスコートしていただいたとき、二人で並んだ姿はとてもお似合いだったわ」

 アナスタシアは胸の前で手を合わせて、嬉しそうな声で言った。
 あの日、エドガー殿下の隣に並んでどうにか格好がついたのは、アナスタシアとアデル王妃殿下、王宮の侍女さん達が見事に飾りつけてくれたおかげだ。普段の自分の容姿では、とても見られなかっただろうとリサは思っている。
 突然降ってわいた縁談話に恐縮するリサだったが、アナスタシアは大変乗り気のようだ。
 ルシウスは「ぜひ前向きにご検討を」と言い残し、帰っていった。



 第七章 悩んでいるときはメレンゲ作りに限ります。


 シャカシャカシャカと、金属がぶつかる軽い音がリズムを刻む。
 リサは銀色のボウルを抱え、卵白を泡立て器でかきまぜていた。
 普段ならミキサー任せにするメレンゲ作りを、今日ばかりは自分でやろうと思い立ったのだ。
 今日は休息日なので、店にはお客さんも、従業員の二人もいない。
 なんとなく自宅にいたくなくて、リサは一人カフェの厨房にこもっていた。
 だからと言って新しいメニューの試作をする気にもなれず、ただ単純作業をしている。
 ここ最近、いろんなことが立て続けに起こりすぎているので、一人で考える時間がほしかった。
 料理科設立への協力依頼。新たな従業員の募集。そしてエドガー殿下との縁談。
 従業員募集の件はともかく、料理科の件と縁談は、はなはだしく身に余る内容だった。
 仮にエドガー殿下と結婚したら、カフェの仕事は続けられない。
 フェリフォミア王国では、成人している王族はみな政治に関わる。国王夫妻はもちろんのこと、次代を担うエドガー殿下も既に政務についている。その配偶者になれば、リサにも政治的な役割が与えられるだろう。
 そんなの考えるまでもなく無理だ。
 何しろリサはこの国、いやこの世界に来て、まだ二年足らずなのだ。知っていることよりも、知らないことの方が多い。特に政治に関することは、全くわからない。
 それに、リサは侯爵こうしゃく家の娘ではあっても、あくまで養子だ。
 もちろんルシウスがそれを知らないはずはないと思うが、やはり王太子のお相手には貴族の血を引くご令嬢がふさわしいだろう。
 これが普通の縁談ならば、エドガー殿下は人柄も収入も申し分なく、理想的な相手かもしれない。だが、彼は一国の王太子なのである。
 そもそも、エドガー殿下のことを好きというわけでもない。
 けれど、すっぱりと断り切れない理由があった。
 それは、アナスタシアのあの喜びようだ。
 エドガー殿下の母であるアデリシア王妃殿下とアナスタシアは、親友同士である。
 もし断れば、彼女が悲しむのではないかと思い、踏み切れないのだ。
 それに……と、リサは考える。
 この世界の人々は、リサが未知の味、新しい味を提供してくれることを期待している。それを嬉しく思う反面、重圧にも感じていた。
 エドガー殿下と結婚したら、その重圧から解放されるのではないか。
 想像のつかない王太子妃の責務と苦悩よりも、今、心の内に抱える悩みから逃げたくて、リサは流されそうになる。
 ハッと現実に意識を戻すと、いつの間にかボウルの中にはしっかりしたメレンゲが出来上がっていた。
 急に右腕にダルさを感じたリサは、ボウルを調理台に置く。
 ため息をくと、シンと静まった厨房ちゅうぼうに、やけに大きく響いた。



 第八章 図星でした。


 ――最近の彼女は様子がおかしい。
 ジークは、リサに違和感を覚えていた。
 料理科設立の件を打ち明けられた日は、明らかに変だった。だがここ数日の彼女は、一見そうは見えないけれども、どこか変なのだ。
 いつもと変わらずてきぱきと調理をこなし、臨機応変な接客をしている。
 けれど、ふとした瞬間その顔から笑みが消え、憂鬱ゆううつな表情が浮かんでいるのを何度も見た。
 いつも彼女の姿を目で追っているジークだからこそ、気付いたのかもしれない。
 ジークは、あるときヘレナに指摘されてから、リサへの想いを自覚していた。

「ジークさんって、リサさんのことが好きですよね」

 その言葉を聞いて、ジークの内にあったぼんやりした感情の正体がわかったのだ。
 ――ああ、自分は彼女に恋をしている。
 自覚した瞬間、顔の温度が急上昇した。
 自分の身に初めて起こった異変に驚き、ジークは手の甲を額に当てた。

「……あれ? カマをかけたんですが、図星でした?」

 ヘレナは唖然あぜんとしてジークを見つめた。
 クールなジークだが、決して感情がないわけではない。
 好きな料理のことを考えているときは楽しい。理不尽なことにはもちろん怒りを感じるし、喜びも悲しみもある。
 ただ、それらはほとんど表情に出ないのだ。その上、口数が少ないので、何を考えているのか他人にはわかりにくいらしい。
 ジークの感情を読み取ってくれるのは、長年一緒にいる家族や友人くらいだ。
 けれど今思えば、リサは出会った頃からそうだった。
 したっている相手だから願望も入っているのかもしれない。だが表情にとぼしい自分の感情を、うまくみ取ってくれているように思う。
 そんなリサだが、ジークの恋愛感情には気付かないらしい。彼女はジークの好意を、尊敬から来ているものとしか思っていないだろう。
 だからといって、自分の想いに気付いてほしいというわけでもない。そのせいで、今の良好な関係が壊れてしまうのを恐れているのだ。
 それに、自分は彼女と釣り合うだろうかと考えてしまう。
 料理人として、自分はまだ未熟だ。この店で働き始めた頃よりは、知識も技術も成長したと思う。けれども、未だ彼女に教えをうている状態だ。
 彼女の深い知識と常識を飛び越えたアイデアに、ジークは日々圧倒されている。そんな彼女との距離は、どれほどのものだろうか。
 それでも、いつかはリサのすべてが欲しい。
 何かに思い悩んでいても、笑顔の仮面で本心を隠すリサ。
 その悩みも、ため息も、すべて自分が引き受けたい。
 思いやりと下心とが入り混じったその思いは、本人に告げることが出来ないまま、ジークの胸の内でくすぶり続けていた。



 第九章 困ったさんが来店しました。


 カフェのホールに、ガラスの割れる音が響いた。
 次いで、女性の金切り声が上がる。
 厨房ちゅうぼうにいたリサは、何事かとホールへ飛び出した。
 お客さん達の会話がぴたりとんだ空間には、謝罪するヘレナの声と、早口でまくしたてる女性客の声だけが響く。
 お客さん達が注視しているその真っ只中へ、リサはけ込んだ。

「いかがなさいましたか?」

 ヘレナの隣に立つと、床には割れたグラスが転がっていた。
 そのすぐ横の席には、恰幅かっぷくの良い女性客がデンと座っている。
 彼女は、リサの体を上から下まで眺めてから言った。

「あなたが、ここの店長さん?」
「はい、そうです」
「そう、じゃあこの無礼な店員を、今すぐクビにしなさいな」

 ヘレナをにらみつけた女性客は、さも当然のように言う。
 リサには何があったのかまだわからないが、丁寧に腰を折って謝罪した。

「何かご不快な思いをさせたのならば、申し訳ありません」

 隣にいるヘレナも頭を下げたのが、気配でわかる。

「おかげで、新調したばかりの服が台無しだわ! あなた方にはわからないでしょうが、オーダーメイドの最高級品ですのよ!?」
「それは失礼いたしました。ひとまず、お召し物をおきします」

 リサはヘレナに目配めくばせして、乾いた布を持ってこさせる。
 幸いにもこぼれたのは水だったらしく、服のほんの一部分が、水分を吸って濃い色になっていた。
 リサは女性客のそばにかがみ、布で水分を吸い取っていく。

「せっかくのお召し物をらしてしまい、申し訳ありません」
「まったくですわ」
「床もすぐ片づけますね。ところで、ご注文はお済みですか?」
「まだに決まってるじゃない」
「それは失礼いたしました。では、私がおうかがいします」

 女性客の興奮が少し収まってきたところで、リサはすかさず注文を聞く。とにかく、そのお腹を満たそうと思ったのだ。
 女性客はメニューから、迷わず目的のものを選ぶ。そして、向かいの席に黙ったまま座っている少女の分も注文した。
 どうやら少女は彼女の娘のようだ。母親とは違い華奢きゃしゃな体型で、自らの存在感を消すようにじっとしている。
 苛烈かれつな母親とは対照的で、おとなしい性格に見えた。
 女性客はまだ苛立いらだっているみたいだが、注目を浴びて居心地が悪くなったのだろう。リサにメニューを返すと、「早く持ってきて」と追い払うように言う。
 リサはこれ幸いと、割れたグラスを片づけ終えたヘレナと共に厨房ちゅうぼうへ戻った。

「すみませんでした」

 しゅんとした様子で、ヘレナは頭を下げた。

「大丈夫。あの人も、とりあえず落ち着いたみたいだし」
「でも……」
「ああ、クビにしろって言われたのは気にしなくていいよ。あれくらいでクビになんてするわけないから、安心して、ね?」
「私が水を置いた位置が悪かったんです。ちょうど、お客さんの腕にぶつかってしまって……」

 それだけであんなに怒るとは、何とも沸点の低い人だ。
 いろんなお客さんがいるので臨機応変に対応しなければいけないが、ヘレナは元々そういうのがうまい。そのヘレナがこんなに困るのも、珍しいことだった。

「あのお客さんには私が応対するから、彼女がいる間は厨房でジークくんの補助をしてもらってもいい?」

 後ろでこちらをうかがっていたジークに目線を送ると、彼はうなずいた。
 ヘレナのことはジークに任せ、リサは彼が仕上げてくれたケーキプレートを持って厨房を出た。

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