ぜんぶのませて

八陣はち

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αのミルクとΩの恋心

夕暮れ時の出来事

 羽鳥と約束を取り付けてから三日後。浮かれている吉井のスマートフォンに羽鳥からメッセージが届いたのは、夕方だった。
 講義室のある建物を出て構内に出ると、日はほとんど沈んで、光を失う西の空は深いオレンジ色から紺色へと色を変えつつあった。

『やばい』
『たすけて』

 吉井のスマートフォンに、そんな緊迫感のあるメッセージが立て続けに届いた。通知欄に見えたそんな単語に、胸の辺りを冷たい風が吹き抜ける。
 吉井は思わず足を止めていた。慌ててメッセージアプリを立ち上げる。

『大丈夫ですか?』
『今どこ?』

 吉井がメッセージを送ると、メッセージはすぐに既読になり返事はすぐに返ってきた。

『えき』
『ベンチで休んでる』

 吉井はすぐにピンときた。

『十五分くらい、待てますか?』

 丸の描かれた札をもったキャラクターのスタンプが返ってきた。
 スタンプを送る余裕があることに安堵しつつ、吉井は校門近くに待機している駅行きのシャトルバスに駆け込んだ。αの羽鳥に対して、Ωの自分ができることはあまりに少ないだろうことはわかっている。それでも、彼が助けてというのだから、何かしたかった。

 渋滞に引っかかることもなく、シャトルバスは予定通り、十五分ほどで駅に到着した。吉井はバスを降りると、急いで改札を抜けてホームに駆け上がった。
 日が暮れて冷たい風の吹き付けるホームの、あのベンチにスーツ姿の羽鳥がいた。

「保さん」

 吉井は咄嗟に名前を呼んでいた。
 俯いて縮こまっている羽鳥に駆け寄ると、顔を上げた羽鳥は眉を八の字にして、濡れた目で吉井を見上げた。

「あ……、ほまれくん、ごめんね、約束、来週だったのに」

 泣き出しそうな顔で、羽鳥は浅い乱れた呼吸を繰り返す。何か言葉を紡ごうと、羽鳥の唇が震えたのが見えた。
吉井の心臓が震える。
 そんな場合ではないと言うのに、嗜虐心が頭を擡げた。

「どうしよ、止まんない……」

 掠れた、切羽詰まった声だった。
 慌てて隣に座ると、甘い匂いがした。前より濃い匂いに胸がざわつく。

「どうしたの? Ωに会ったの?」
「ん、隣駅で、急にヒートになっちゃったΩの子がいて。その子はすぐ保護されたんだけど、その、フェロモンに当てられちゃって」

 吉井は納得した。羽鳥の体質なら、こうなってもおかしくない。相手がヒートのΩなら尚更だった。
そうしている間にも、ミルクの甘い匂いが吉井を煽る。

「保さん、動ける?」
「ん、すこし休んだから、大丈夫」

 吉井が手を貸すと、羽鳥はふらつきながら立ち上がる。
 羽鳥の鞄を持って、吉井は震える羽鳥を家までエスコートする。改札を抜け、タクシーを捕まえ、住所を告げるとタクシーが走り出した。

 隣に座った羽鳥は少し落ち着いたのか、吉井を見て笑った。安堵の色が濃く見える笑みだった。ようやく見えた笑顔に、吉井も胸を撫で下ろす。

「誉くん、ありがとう」

 少しだけ掠れた声で言って、羽鳥はこっそり手を握ってくれた。それだけで、吉井の胸がきゅっと締め付けられる。いじめたい気持ちを抱いてしまったことに罪悪感を抱きながらも、嬉しそうな羽鳥の笑顔は吉井の胸を甘く満たした。

「気にしないで」

 短く答えた吉井が握り返した羽鳥の手は、いつもより温かかった。
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