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とろける琥珀と石油王
プワゾンロゼ
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それは、王子様になりたかった男の話だった。
ルイがユーシーに出会う五年ほど前のこと。ルイは夏のバケーションでギュスターヴとともにロンドンへやってきた。軽い気持ちだ。バケーション以外の意図はない。遊び場を求めてやってきたルイは、運命に出会った。
あの子の、王子様になりたい。
ルイがそう思ったのは、夜のクラブの一角だった。
訪れたのは、血の気の多いならずものたちの集まった夜のクラブ。昂りの発散場所とし作られた小さなリングには、ルールなどない。やるかやられるか、強さだけがルールだった。
数多の男たちが拳を振るう中、誰よりも強く美しい男がいた。
彼は一目でルイの心を攫っていった。
白い左胸に咲く、淡い紫は毒のバラ。汗に濡れた花弁は、朝露できらめいているようだった。
苛烈で美しいその獣を、皆は気狂いロゼと呼んだ。
人混みの向こうに見えた鞭のようにしなる脚が繰り出す蹴りは、容易く大男をなぎ倒した。
決着がつき、人混みを抜け出してきたロゼの前にルイが跪いた。愛していいかと乞えば、ロゼはキョトンとした顔でルイを見た。
白く細い身体は、汗で濡れていた。薄暗いクラブの片隅。その身体は彫像のように美しくルイの目に映った。
「あんた、面白いね。いいよ」
それが二人の出会いだった。
ロゼはルイの二つ上。フランスからロンドンへとやってきたフランス人だった。夜はこのクラブで働いて、こうしてリングに上がる。クラブのスタッフとしての給料とファイトマネーがロゼの主な収入源だった。
ボロボロになるまで闘って、酒を飲んで、泥のように眠る。それがロゼの暮らしだった。
バケーションの間、ルイはロゼの元に通った。初めての恋ではなかったが、鮮烈な恋はひどくルイの心を惹きつけた。
バケーションが終わっても、ルイは月に一度は必ずロゼのもとを訪れた。
自分を痛めつけるような闘い方をするロゼを、ルイは優しく愛した。
リングで見せる苛烈な姿は、ネコ科の猛獣を思わせる獰猛さとしなやかさを持っていた。鞭のようにしなやかな手足から繰り出される打撃、隙を見せれば絡みつく関節技、負傷も流血も恐れないその闘い方にルイは目を奪われた。
ルイが抱けば、その熱い身体を震わせ、愛らしく乱れた。ベッドの上ではクラブでの苛烈さは鳴りを潜め、甘く妖艶に啼き、泣きそうな顔でルイに縋った。
しなやかな身体を緩ませてルイに身を委ねるその姿を、ルイは愛おしく思う。
ロゼの胸には紫の薔薇の刺青、両耳には無数のピアス。舌にも、乳首と性器にも、無機質な銀が艶かしく煌めいていた。
「俺の生き方は俺にしかできないから、ちゃんと、俺を見てね、ルイ」
ベッドの上。ロゼはルイのアイスブルーを真っ直ぐに見据えた。ロゼの瞳は、ロンドンの空を映したみたいな青みがかった灰色だった。髪は緩やかに波打つ色の薄い金髪。ぱっちりとした猫のような目に、薄い唇。何もかもが、ルイを昂らせてやまなかった。
「もし俺が死んでも、それが俺だから。いつまでも、俺に縛られたらダメだよ」
ルイの隣で死を語るロゼの微笑みは穏やかだった。
「そんなこと言わないで。ロゼはちゃんと僕が守るよ」
「例えばの話だよ」
縋るようなルイに、ロゼは目を細めた。
「ルイだって、明日死ぬかもしれない。そしたら、俺はルイのお葬式をした後は、好きに生きるし、新しい恋人もつくるよ」
「寂しい」
「寂しいね。でも、死んだら、そんなこと何もわからなくなる」
まるで子供に言い聞かせるように、ルイの頭を撫でてロゼは続けた。
「死は誰にでもやってくる。でも、いつやってくるかはわからない。だから、俺は今日、精一杯俺として生きるんだよ」
ロゼは首を傾げ、ルイの目を覗き込んだ。
「わかる?」
子どもに言い聞かせるみたいな優しい声に、ルイは素直に頷いた。
「うん」
「いい子だね」
ロゼの骨ばった手がルイの頭を撫でた。
「だから約束。どっちかが先に死んだら、ちゃんと恋人を連れてきて紹介すること」
「わかった」
ルイが頷くと、ロゼはルイの額にキスをひとつした。ルイには、ロゼを先に死なせる気も、自分が先に死ぬ気もなかった。交わした約束は、永遠に約束のままであってほしかった。
ロゼの部屋に、夜の帳が下りる。ロゼが起き出す時間だ。
ベッドから降りようとするロゼを、ルイは捕まえた。
「ロゼ、いかないで」
ロゼが何か薬を飲んでいることは知っていた。それが良くないものだということも。だから、ルイはロゼを行かせたくなかった。行けばきっと、ロゼは薬を飲んでしまう。医者も勧めたが、ロゼは頑なに病院に行こうとはしなかった。
「だめだよ、ルイ、あそこにいられない俺は俺じゃない」
そう言われたら、ルイはその手を離すしかない。ロゼの居場所は、あの地下のクラブだけではない。ルイの腕の中も、ロゼの居場所なのに。
自由な彼が好きだった。ロゼをここへ閉じ込めていられないのも、わかっていた。
「ごめんね、ルイ。愛してるよ」
手を離したルイに、ロゼはキスをしてくれた。キスが欲しかったわけじゃなかった。ルイが欲しかったのは、ロゼのすべてだった。
堪らなく愛おしいその姿は、ある日突然失われた。
寒い、冬の朝だった。
触れた身体の冷たさに、ルイは全身の血の気が引くのがわかった。
「ロゼ」
一緒に、布団に入っていたのに。
「おきて」
声が震えた。目の前で起きたことを、理解したくないと頭も心も拒絶している。
ロゼの肩が冷たい。肩も、手も、頬も。
「ロゼ、風邪ひくよ」
真っ白い肌の上に落ちて弾けた雫が自分の落とした涙だとはすぐに気付けなかった。
「ロゼ」
冷え切った身体に、温もりが戻ることはなかった。
胸のバラは、主人を失ってその色を失ったように見えた。
ロゼの遺体は検視に出され、死因はドラッグの過剰摂取だとわかった。
身寄りのないロゼの墓地はルイが用意した。
ロゼはクラブで薬を手にしたようだったが、彼にドラッグを流した誰かは見つからなかった。そして、今もまだ見つかっていない。
薬の騒ぎがあって、クラブは閉鎖された。媒体を失った思い出は急速に薄れ、その形をぼやかしていった。
あんなにたくさん呼んでくれたのに、ロゼの甘やかな声はどんな響きだったか、ルイにはもう思い出せなかった。
ルイがユーシーに出会う五年ほど前のこと。ルイは夏のバケーションでギュスターヴとともにロンドンへやってきた。軽い気持ちだ。バケーション以外の意図はない。遊び場を求めてやってきたルイは、運命に出会った。
あの子の、王子様になりたい。
ルイがそう思ったのは、夜のクラブの一角だった。
訪れたのは、血の気の多いならずものたちの集まった夜のクラブ。昂りの発散場所とし作られた小さなリングには、ルールなどない。やるかやられるか、強さだけがルールだった。
数多の男たちが拳を振るう中、誰よりも強く美しい男がいた。
彼は一目でルイの心を攫っていった。
白い左胸に咲く、淡い紫は毒のバラ。汗に濡れた花弁は、朝露できらめいているようだった。
苛烈で美しいその獣を、皆は気狂いロゼと呼んだ。
人混みの向こうに見えた鞭のようにしなる脚が繰り出す蹴りは、容易く大男をなぎ倒した。
決着がつき、人混みを抜け出してきたロゼの前にルイが跪いた。愛していいかと乞えば、ロゼはキョトンとした顔でルイを見た。
白く細い身体は、汗で濡れていた。薄暗いクラブの片隅。その身体は彫像のように美しくルイの目に映った。
「あんた、面白いね。いいよ」
それが二人の出会いだった。
ロゼはルイの二つ上。フランスからロンドンへとやってきたフランス人だった。夜はこのクラブで働いて、こうしてリングに上がる。クラブのスタッフとしての給料とファイトマネーがロゼの主な収入源だった。
ボロボロになるまで闘って、酒を飲んで、泥のように眠る。それがロゼの暮らしだった。
バケーションの間、ルイはロゼの元に通った。初めての恋ではなかったが、鮮烈な恋はひどくルイの心を惹きつけた。
バケーションが終わっても、ルイは月に一度は必ずロゼのもとを訪れた。
自分を痛めつけるような闘い方をするロゼを、ルイは優しく愛した。
リングで見せる苛烈な姿は、ネコ科の猛獣を思わせる獰猛さとしなやかさを持っていた。鞭のようにしなやかな手足から繰り出される打撃、隙を見せれば絡みつく関節技、負傷も流血も恐れないその闘い方にルイは目を奪われた。
ルイが抱けば、その熱い身体を震わせ、愛らしく乱れた。ベッドの上ではクラブでの苛烈さは鳴りを潜め、甘く妖艶に啼き、泣きそうな顔でルイに縋った。
しなやかな身体を緩ませてルイに身を委ねるその姿を、ルイは愛おしく思う。
ロゼの胸には紫の薔薇の刺青、両耳には無数のピアス。舌にも、乳首と性器にも、無機質な銀が艶かしく煌めいていた。
「俺の生き方は俺にしかできないから、ちゃんと、俺を見てね、ルイ」
ベッドの上。ロゼはルイのアイスブルーを真っ直ぐに見据えた。ロゼの瞳は、ロンドンの空を映したみたいな青みがかった灰色だった。髪は緩やかに波打つ色の薄い金髪。ぱっちりとした猫のような目に、薄い唇。何もかもが、ルイを昂らせてやまなかった。
「もし俺が死んでも、それが俺だから。いつまでも、俺に縛られたらダメだよ」
ルイの隣で死を語るロゼの微笑みは穏やかだった。
「そんなこと言わないで。ロゼはちゃんと僕が守るよ」
「例えばの話だよ」
縋るようなルイに、ロゼは目を細めた。
「ルイだって、明日死ぬかもしれない。そしたら、俺はルイのお葬式をした後は、好きに生きるし、新しい恋人もつくるよ」
「寂しい」
「寂しいね。でも、死んだら、そんなこと何もわからなくなる」
まるで子供に言い聞かせるように、ルイの頭を撫でてロゼは続けた。
「死は誰にでもやってくる。でも、いつやってくるかはわからない。だから、俺は今日、精一杯俺として生きるんだよ」
ロゼは首を傾げ、ルイの目を覗き込んだ。
「わかる?」
子どもに言い聞かせるみたいな優しい声に、ルイは素直に頷いた。
「うん」
「いい子だね」
ロゼの骨ばった手がルイの頭を撫でた。
「だから約束。どっちかが先に死んだら、ちゃんと恋人を連れてきて紹介すること」
「わかった」
ルイが頷くと、ロゼはルイの額にキスをひとつした。ルイには、ロゼを先に死なせる気も、自分が先に死ぬ気もなかった。交わした約束は、永遠に約束のままであってほしかった。
ロゼの部屋に、夜の帳が下りる。ロゼが起き出す時間だ。
ベッドから降りようとするロゼを、ルイは捕まえた。
「ロゼ、いかないで」
ロゼが何か薬を飲んでいることは知っていた。それが良くないものだということも。だから、ルイはロゼを行かせたくなかった。行けばきっと、ロゼは薬を飲んでしまう。医者も勧めたが、ロゼは頑なに病院に行こうとはしなかった。
「だめだよ、ルイ、あそこにいられない俺は俺じゃない」
そう言われたら、ルイはその手を離すしかない。ロゼの居場所は、あの地下のクラブだけではない。ルイの腕の中も、ロゼの居場所なのに。
自由な彼が好きだった。ロゼをここへ閉じ込めていられないのも、わかっていた。
「ごめんね、ルイ。愛してるよ」
手を離したルイに、ロゼはキスをしてくれた。キスが欲しかったわけじゃなかった。ルイが欲しかったのは、ロゼのすべてだった。
堪らなく愛おしいその姿は、ある日突然失われた。
寒い、冬の朝だった。
触れた身体の冷たさに、ルイは全身の血の気が引くのがわかった。
「ロゼ」
一緒に、布団に入っていたのに。
「おきて」
声が震えた。目の前で起きたことを、理解したくないと頭も心も拒絶している。
ロゼの肩が冷たい。肩も、手も、頬も。
「ロゼ、風邪ひくよ」
真っ白い肌の上に落ちて弾けた雫が自分の落とした涙だとはすぐに気付けなかった。
「ロゼ」
冷え切った身体に、温もりが戻ることはなかった。
胸のバラは、主人を失ってその色を失ったように見えた。
ロゼの遺体は検視に出され、死因はドラッグの過剰摂取だとわかった。
身寄りのないロゼの墓地はルイが用意した。
ロゼはクラブで薬を手にしたようだったが、彼にドラッグを流した誰かは見つからなかった。そして、今もまだ見つかっていない。
薬の騒ぎがあって、クラブは閉鎖された。媒体を失った思い出は急速に薄れ、その形をぼやかしていった。
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