夜街迷宮

八陣はち

文字の大きさ
47 / 48
とろける琥珀と石油王

プワゾンロゼ

しおりを挟む
 それは、王子様になりたかった男の話だった。
 ルイがユーシーに出会う五年ほど前のこと。ルイは夏のバケーションでギュスターヴとともにロンドンへやってきた。軽い気持ちだ。バケーション以外の意図はない。遊び場を求めてやってきたルイは、運命に出会った。
 あの子の、王子様になりたい。
 ルイがそう思ったのは、夜のクラブの一角だった。
 訪れたのは、血の気の多いならずものたちの集まった夜のクラブ。昂りの発散場所とし作られた小さなリングには、ルールなどない。やるかやられるか、強さだけがルールだった。
 数多の男たちが拳を振るう中、誰よりも強く美しい男がいた。
 彼は一目でルイの心を攫っていった。
 白い左胸に咲く、淡い紫は毒のバラ。汗に濡れた花弁は、朝露できらめいているようだった。
 苛烈で美しいその獣を、皆は気狂いロゼと呼んだ。
 人混みの向こうに見えた鞭のようにしなる脚が繰り出す蹴りは、容易く大男をなぎ倒した。
 決着がつき、人混みを抜け出してきたロゼの前にルイが跪いた。愛していいかと乞えば、ロゼはキョトンとした顔でルイを見た。
 白く細い身体は、汗で濡れていた。薄暗いクラブの片隅。その身体は彫像のように美しくルイの目に映った。
「あんた、面白いね。いいよ」
 それが二人の出会いだった。
 ロゼはルイの二つ上。フランスからロンドンへとやってきたフランス人だった。夜はこのクラブで働いて、こうしてリングに上がる。クラブのスタッフとしての給料とファイトマネーがロゼの主な収入源だった。
 ボロボロになるまで闘って、酒を飲んで、泥のように眠る。それがロゼの暮らしだった。
 バケーションの間、ルイはロゼの元に通った。初めての恋ではなかったが、鮮烈な恋はひどくルイの心を惹きつけた。
 バケーションが終わっても、ルイは月に一度は必ずロゼのもとを訪れた。
 自分を痛めつけるような闘い方をするロゼを、ルイは優しく愛した。
 リングで見せる苛烈な姿は、ネコ科の猛獣を思わせる獰猛さとしなやかさを持っていた。鞭のようにしなやかな手足から繰り出される打撃、隙を見せれば絡みつく関節技、負傷も流血も恐れないその闘い方にルイは目を奪われた。
 ルイが抱けば、その熱い身体を震わせ、愛らしく乱れた。ベッドの上ではクラブでの苛烈さは鳴りを潜め、甘く妖艶に啼き、泣きそうな顔でルイに縋った。
 しなやかな身体を緩ませてルイに身を委ねるその姿を、ルイは愛おしく思う。
 ロゼの胸には紫の薔薇の刺青、両耳には無数のピアス。舌にも、乳首と性器にも、無機質な銀が艶かしく煌めいていた。
「俺の生き方は俺にしかできないから、ちゃんと、俺を見てね、ルイ」
 ベッドの上。ロゼはルイのアイスブルーを真っ直ぐに見据えた。ロゼの瞳は、ロンドンの空を映したみたいな青みがかった灰色だった。髪は緩やかに波打つ色の薄い金髪。ぱっちりとした猫のような目に、薄い唇。何もかもが、ルイを昂らせてやまなかった。
「もし俺が死んでも、それが俺だから。いつまでも、俺に縛られたらダメだよ」
 ルイの隣で死を語るロゼの微笑みは穏やかだった。
「そんなこと言わないで。ロゼはちゃんと僕が守るよ」
「例えばの話だよ」
 縋るようなルイに、ロゼは目を細めた。
「ルイだって、明日死ぬかもしれない。そしたら、俺はルイのお葬式をした後は、好きに生きるし、新しい恋人もつくるよ」
「寂しい」
「寂しいね。でも、死んだら、そんなこと何もわからなくなる」
 まるで子供に言い聞かせるように、ルイの頭を撫でてロゼは続けた。
「死は誰にでもやってくる。でも、いつやってくるかはわからない。だから、俺は今日、精一杯俺として生きるんだよ」
 ロゼは首を傾げ、ルイの目を覗き込んだ。
「わかる?」
 子どもに言い聞かせるみたいな優しい声に、ルイは素直に頷いた。
「うん」
「いい子だね」
 ロゼの骨ばった手がルイの頭を撫でた。
「だから約束。どっちかが先に死んだら、ちゃんと恋人を連れてきて紹介すること」
「わかった」
 ルイが頷くと、ロゼはルイの額にキスをひとつした。ルイには、ロゼを先に死なせる気も、自分が先に死ぬ気もなかった。交わした約束は、永遠に約束のままであってほしかった。



 ロゼの部屋に、夜の帳が下りる。ロゼが起き出す時間だ。
 ベッドから降りようとするロゼを、ルイは捕まえた。
「ロゼ、いかないで」
 ロゼが何か薬を飲んでいることは知っていた。それが良くないものだということも。だから、ルイはロゼを行かせたくなかった。行けばきっと、ロゼは薬を飲んでしまう。医者も勧めたが、ロゼは頑なに病院に行こうとはしなかった。
「だめだよ、ルイ、あそこにいられない俺は俺じゃない」
 そう言われたら、ルイはその手を離すしかない。ロゼの居場所は、あの地下のクラブだけではない。ルイの腕の中も、ロゼの居場所なのに。
 自由な彼が好きだった。ロゼをここへ閉じ込めていられないのも、わかっていた。
「ごめんね、ルイ。愛してるよ」
 手を離したルイに、ロゼはキスをしてくれた。キスが欲しかったわけじゃなかった。ルイが欲しかったのは、ロゼのすべてだった。
 堪らなく愛おしいその姿は、ある日突然失われた。
 寒い、冬の朝だった。
 触れた身体の冷たさに、ルイは全身の血の気が引くのがわかった。
「ロゼ」
 一緒に、布団に入っていたのに。
「おきて」
 声が震えた。目の前で起きたことを、理解したくないと頭も心も拒絶している。
 ロゼの肩が冷たい。肩も、手も、頬も。
「ロゼ、風邪ひくよ」
 真っ白い肌の上に落ちて弾けた雫が自分の落とした涙だとはすぐに気付けなかった。
「ロゼ」
 冷え切った身体に、温もりが戻ることはなかった。
 胸のバラは、主人を失ってその色を失ったように見えた。
 ロゼの遺体は検視に出され、死因はドラッグの過剰摂取だとわかった。
 身寄りのないロゼの墓地はルイが用意した。
 ロゼはクラブで薬を手にしたようだったが、彼にドラッグを流した誰かは見つからなかった。そして、今もまだ見つかっていない。
 薬の騒ぎがあって、クラブは閉鎖された。媒体を失った思い出は急速に薄れ、その形をぼやかしていった。
 あんなにたくさん呼んでくれたのに、ロゼの甘やかな声はどんな響きだったか、ルイにはもう思い出せなかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

創作BL短編集

さるやま
BL
短編まとめました。 美形×平凡、ヤンデレ、執着・溺愛攻め多め

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

ふたなり治験棟 企画12月31公開

ほたる
BL
ふたなりとして生を受けた柊は、16歳の年に国の義務により、ふたなり治験棟に入所する事になる。 男として育ってきた為、子供を孕み産むふたなりに成り下がりたくないと抗うが…?!

処理中です...