放課後、秘めやかに

はち

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三月某日【卒業式、サボってあの場所で】鴫野

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 卒業式がついにやってきてしまった。
 三年生最後のイベント。在校生にも、まあ大きなイベントだ。俺の所属する写真部からは二人、撮影係をさせられるのが恒例になっていた。
 今年は部長の俺と、副部長の森下が抜擢された。森下は一年の時からの付き合いで気心が知れた仲だ。カメラオタクの男子、といった感じだけど写真も上手い。人物を撮るのは正直俺よりも上手いと思う。
 新部長としての初仕事。新しいカメラであわよくば先輩の良い写真を撮ってやろうという気でいた。
 そんな腹づもりでやってきた卒業の体育館には、式典特有のかしこまった空気が流れていた。まだ朝の冷たさの残る体育館。学ランの袖には撮影係の腕章。
 身の引き締まる思いで俺は在校生席とは別に用意されたパイプ椅子に座っていた。
 それなのに。俺の意気込みを嘲笑うかのような、とんでもないものを見つけてしまった。
 よりにもよって、先輩が体育館を抜け出すところだった。
 それを見つけたのは偶然だ。偶々、視界の隅に映る動くものを目で追ったら、先輩だった。
 見間違いなんかじゃなかった。具合が悪くて、保健室に行くだけかもしれない。トイレに行くだけかもしれない。そうは思ったけど、俺の胸には、一つの予感めいたものがあった。

「ごめん、ちょっと、トイレ」
 そんな適当な嘘をついてカメラを隣にいた副部長の森下に渡すと、俺は先輩の後を追った。
 誰もいない校内。念のため覗いた保健室にはやはり誰もいなくて、そうなると俺の中に残る候補は一つだけだった。
 俺と先輩の思い出の場所。
 物置みたいな、立入禁止のあの場所だ。
 俺は足音を殺して階段を上る。一階から四階まで上がって、さらにもう一階分なので、流石にちょっとしんどかった。上がる息を押し殺して、一歩ずつ階段を踏み締める。
 昼前の眩しい光の満ちた塔屋の中は白い光で溢れていて、なんだか神聖な場所みたいに思えた。
 階段を上り切って覗き込んだ資材置き場には、退屈そうに座り込んだ先輩の姿があった。
 何をするでもなく、ぼんやりと視線を虚空に投げた横顔は気怠げで、今ここにカメラがないことが悔やまれるくらい綺麗だった。
 そんな横顔を崩してしまうのを惜しいと思いながらも、俺は声をかけた。
「何してるんすか。主役なのに」
 先輩が弾かれたみたいにこちらを見た。
 目を見開いた驚きの表情は、俺を見つけるとすぐに笑みに変わる。
「腹痛いって抜けてきた」
 先輩は悪戯ぽく笑う。
「お前も、なんで来ちゃったの、部長」
 先輩にそう呼ばれるとなんだかくすぐったい。なんでと言われたら、先輩の姿が見えたからとしか言えない。他に理由なんてなかった。強いて言うなら、先輩がここに行きそうな気がしたからだ。
「先輩が、抜けるの見えたから、なんとなく」
 俺が正直に言うと、先輩は少しだけ身体を奥にずらす。先輩の隣に、俺が入れそうなスペースが空く。
「来いよ」
 どうやら隣に座れということらしく、先輩はスペースの空いた隣を叩いてみせた。
 俺は素直にそこに座る。隣にいる先輩のシャンプーの匂いがした。
 ここに先輩と来るのは、初めて会った翌日以来だ。あれから色々あって、先輩とこうやって付き合うことになって、なんだか不思議な感じだった。
 それでも未だに、俺の脳裏にはあの日の先輩の姿が鮮やかに焼き付いている。一年の俺が見た、先輩と誰かの秘密の時間。もう、相手が誰だとか、そんなことはどうでもよかった。
 今、先輩の隣にいるのは俺で、触れられるのも俺だけ。今この瞬間、先輩を独占しているのは、俺だ。
「先輩、俺、あんなこと言いましたけど」
 俺の口からは勝手に言葉が出ていた。
 手を伸ばして、身体の横に置かれた先輩の指先に触れる。
 先輩の手は逃げない。俺はその手をそっと握った。先輩の手は、あったかい。
 塔屋の中は静かで、俺の胸で鳴り響く心臓ばかりが煩かった。
「ここだけはちゃんと、俺で上書きしたい」
 俺は隣の先輩を、真っ直ぐに見た。
 上書きなんてやめようと言った口で、ここだけは上書きしたいなんて宣う俺を、先輩は許してくれるだろうか。
 怒られても構わない。これは、俺のエゴだ。小さくて汚い、独占欲からくるものだった。
 視線がぶつかると、先輩は呆けたような、驚いたような顔で俺を見ていた。
 心臓は、もう少しで爆発するんじゃないかというくらいに煩い。
「だめ、すか」
 このまま抱きしめることだってできるのに、俺は伺いを立てる。この人が望まないことはしたくない。だけど、望んでくれるならなんだってしたい。喜んでくれるなら、笑ってくれるなら、なんでもしたい。
 先輩を縋るような目で見てしまう。
 震える俺の手を、先輩のあったかい手が握り返した。
「ダメなわけ、ねーだろ」
 先輩は、目を細めて笑った。俺を挑発する時の顔だった。
「美紀孝」
 やけにはっきりと名前を呼ばれる。学校でそうやって呼ばれると、なんだかいけないことをしているみたいで、ひどく興奮してしまう。
「お前が来てくれると思ってなかったから、すげー嬉しい」
 先輩は泣きそうな顔で笑った。その顔があまりに好きで、心臓が痛いくらいに脈打った。
「しようぜ」
 先輩にそんなこと言われたら、俺はもう逃げられない。引き返せない。たったそれだけの言葉で、先輩は俺の手綱をしっかりと握っていた。
 戻らなきゃと考えていたのに、こんな先輩を前にしたらそんなのどうでもよくなってしまった。
 俺は力いっぱい先輩を抱き寄せて、先輩を腕の中に閉じ込めた。先輩の身体があったかい。うっすら鼓動が聞こえる気がする。きっと俺の煩い心臓の音も先輩に聴かれている。かっこ悪いとわかっているけど、それでもよかった。
 俺の全部を知ってほしい。弱いところも汚いところも、どうしようもないところも。全部受け止めなくていいから、俺を知ってほしいと思った。
「キスしていいすか」
 俺からのお伺いに、顔は見えないけど、先輩は腕の中で笑った気がした。
「いちいち訊くなって。いいよ」
 お許しが出たので、俺は抱きしめる腕を緩めて、手のひらで頬に触れた。
 見上げる先輩と視線が合うと、先輩は薄く笑って目を伏せる。
 先輩の笑みの形の唇に、唇を押し当てる。
 そうやって唇に触れたら、もう止められなかった。
 柔らかくて溶けそうな先輩の唇を優しく齧って、吸って、舐めて。
 揶揄うように差し込まれた舌先を絡め取って、それも吸って。
 ずっと先輩の味がしていた。
 眩い光の中、先輩と密やかに交わすキスはどうしようもなく美味しくて、ずっとこのままでいたいと思う。食い合うみたいに舌を絡ませ、唇に甘く歯を立てて。どうしてこんなに美味しいんだろうと思いながら、先輩の温かな粘膜を味わった。
 不意に、先輩の手が俺の胸を優しく叩いた。
 そっと口を離すと、先輩は顔を赤くして俺を睨む。
「……長えよ」
 悪態をつく唇は赤い血の色を映して濡れて、腫れたみたいに見えた。
「すんません」
 謝ると、先輩は笑って顔を近付けた。
「いいけど。なあ、続き」
 甘えるみたいな声と一緒に、俺の唇に、先輩の唇から漏れた湿った吐息が触れる。
「準備、してあるから、しろよ」
 先輩の低く甘い声が響く。それは俺を誘うためのものだとはっきりわかる。はっきりと、俺に対して、欲を滲ませた声だ。
 そんなもの聞かされて、俺が平気でいられるわけもない。
「あんた、ほんと、それ……」
「反則、だろ?」
 全部お見通しな先輩の笑みも、もはや俺を煽るためのものでしかなくて、俺ははしたなく喉を鳴らした。

 ゴムをつけて、ローションを垂らして。必要なものは全部先輩の制服のポケットから出てきた。先輩、準備良すぎでしょ。どうなってんの。
 俺は対面座位で、下着とスラックスを中途半端に脱がせた先輩を抱え上げる。太腿まで下げただけの制服と下着は先輩の自由を奪っていた。うまく動けない先輩を抱えて、ゆっくりと先輩を揺する。
「っ、ん、う」
 先輩の自重で勝手に深くまで入ってしまうからか、先輩は苦しげな声を上げる。
「こう、大丈夫?」
「ん、い、から、動け、よ」
 せつなそうな声をあげて、先輩は俺にしがみつく。
「声、出せねーように、キス、して」
 言われるままに唇を塞いで、抱えた先輩をゆったりと揺する。ほんとこの人、なんでそういうこと言うの。どこで覚えてくるの。
 先輩の締まった尻の肉を掴んで、ゆっくりと腰をうごかして先輩の中を擦る。鍛えててよかった。前のままの俺なら、絶対こんなことできない。
 先輩の中は熱くて気持ちいい。時々甘えるみたいにきゅうきゅうと俺を締め付けて、俺を昂らせる。
 先輩は必死にしがみついて、俺の唇に食らいつく。俺を求めるみたいなキスに、心臓の裏側をくすぐられる。この人、どれだけ俺のこと煽れば気が済むの。
 突き上げる俺の先端はずっと奥の窄まりに当たっていて、そこも甘えるみたいに吸い付いてくるから、すぐにいきそうだった。
「ン、む」
 奥を叩くたびに上がるくぐもった声がまた煽情的で、俺は突き上げるのを止められない。先輩の言葉の体をなさない甘い声だけで、気持ちよさそうなのがわかる。先輩が感じてくれているのが嬉しい。
「んふ、ぅ」
 吸い付くような奥の窄まりを捏ね回して優しく突き上げると、先輩は甘く鼻に抜けるような声を上げる。
「んう、みきたか、いきそ」
 唇が離れて、唇が触れ合いそうな距離で言葉を交わすと、湿った吐息が一緒に唇をくすぐる。
「いいすよ、いって、こう」
 奥を強めに突き上げると、とうとう深いところに俺の先端がはまって、先輩の身体が跳ねる。先輩が喉を引き攣らせて、背中がしなやかに反った。
 腹の下に視線を落とすと、先輩につけたゴムの中に白いものが溜まっていた。
「こう、もう少し、できる?」
「ん」
 俺は先輩の中を突き上げる。中は熱く泥濘んで、不規則に俺を締め上げる。
 先輩をきつく抱きしめて、先輩も俺にしがみついて、制服が邪魔なくらい身体がくっつく。一番奥の柔いところを捏ねて、薄い膜の中に熱いものを吐き出した。
 戦慄く先輩の中で、何度も脈打つ。気持ちいい。熱くて柔らかくて、甘えるみたいに縋りついてくる、先輩の腹の中。
「みきたか」
 先輩のうっとりとした声がして、俺は伏せていた瞼を持ち上げる。
 差し込んでくる真っ白い陽射しが眩しい。
 白昼堂々と、卒業式をさぼって先輩といけないことをしているのを責められているような気はするけど、腕の中で震える先輩の温もりがあったらそんなものはどうでも良くなってしまう。
「こう、大丈夫?」
「ん、へーき」
 ゆっくりと引き抜いた俺のちんこには、たっぷりと白いものが溜まったゴムが垂れ下がっていた。
 先輩が出してくれたティッシュに包んで、制服を汚さないように後始末をした。戻る時にどこかのゴミ箱に捨てないと、なんて思っている俺の隣に腰を下ろして、先輩は身なりを整えている。
 気怠さの残る身体はまだ動きたくないと言っているけど、流石にそろそろ戻らないとまずい。森下に任せっぱなしだ。腕についた撮影係の腕章が無言の圧力をかけてくるので、俺はそっと立ち上がった。
「戻んの?」
 先輩が俺を見た。そは顔は少しだけ寂しそうで俺は後ろ髪を引かれる。
「そうっすね。こうは?」
「もう少し休んだら行く」
 先輩は気怠げに髪を指先で梳く。
「わかりました」
「美紀孝」
 呼び止められて振り返ると、先輩が手のひらを差し出していた。手のひらの上には、制服のボタンが一つ乗っている。金のボタンは、年季が入って少し凸凹して、塗装も少しはげている。
「やるよ、第二ボタン」
 俺の心臓が跳ねた。先輩の心臓に近いその場所で、三年間を過ごしたボタンだ。女子たちが欲しがるであろうそれが、先輩から差し出されている。
 あわよくば欲しかったけど、きっと俺が貰いに行く頃には無くなっているだろうと思っていたそれ。
 俺は躊躇いながら先輩の手のひらからボタンを拾い上げた。金属の感触のボタンだった。
「ありがとうございます。これ、今取っちゃっていいんすか」
 これからまだ式はあるから、無いとちょっとまずい気はする。
「いいよ。スペアあるし」
 どうするんだろうと思っていると、先輩は新しいボタンを付け始めた。下から一個ずつずらして付け直している。悪い男だ。
 だけど嬉しい。先輩の第二ボタンを狙ってた子たちには悪いけど。
「家宝にします」
 俺が言うと先輩は楽しげに笑った。
「お前の第二ボタンは、俺が予約、な」
 甘い笑みと一緒にそんなこと言われたら、俺は頷くしかない。あと一年、この第二ボタンを守り抜かないといけない。
「はい」
「またあとでな」
「はい」
 先輩の第二ボタンをポケットにしまって、静かに階段を降りる。途中のトイレのゴミ箱にティッシュに包んだゴムを捨てて、人気のない廊下を走った。

 戻った体育館には、来賓の退屈な話が響いていた。
「おせーよ、鴫野」
 席に戻ると、隣の席に座っていた森下が小声で俺を小突く。
「ごめん」
「カメラ使わせてもらったけど、めちゃくちゃいいな、それ」
「だろ」
 どうやらカメラのおかげでそんなにご機嫌は損ねていなかったみたいで安心した。
 俺は急いでカメラのストラップを首にかける。
 セッティングは森下がある程度弄ったみたいでそんなに大きく変えなくても大丈夫そうだった。
 退屈な話を聞きながら、カメラの設定を少しだけ調整する。試し撮りを何枚かして準備ができた頃、先輩が戻ってくるのが見えた。
 式が終わる前に戻ってきてくれて安心した。
 森下の目を盗んで、俺は退屈そうな先輩の横顔をこっそり写真に収めた。制服姿の先輩を、写真に収めておきたかった。
 その後、式はつつがなく進み、無事終わった。
 これで先輩は卒業。来月には大学生になってしまう。会えなくなるわけじゃないけど、なんだか寂しく思った。

 先輩はバスケ部の追い出し会の後、写真部の追い出し会にやってきた。写真部の部室にやってきた先輩の学ランのボタンはほとんどなくなっていた。そんな先輩が俺に第二ボタンくれたの、やばくない?
 写真部の追い出し会はいつも通りのお茶会だった。先輩は完全に写真部に馴染んでいて、コミュ力の違いを思い知らされた。
 夕暮れ前、みんなで写真を撮って会がお開きになった帰り、みんなが帰るのを後ろからそっとついていって、こっそり二人で抜け出して家へ向かった。
 俺の部屋に入るなり、俺は先輩を腕の中に閉じ込めた。後ろから先輩を抱きしめて、鼻先を先輩の首筋に埋める。
 先輩からはシャンプーの匂いがする。
 なんだか寂しくて、先輩を離したくなかった。もう高校生じゃなくなってしまう先輩。ずっと先輩でいてほしい。どこにも行かないで、ずっと俺だけのものでいてほしい。
 そんな子どもっぽい思いが、寂しさが、胸を埋めていた。
「どうした?」
 先輩は抱きついて離れない俺に甘い声を吹き込む。
「ね、先輩、ちゃんと、会いに行くから」
 泣きそうで顔を上げられなくて、先輩の首筋に顔を押し付けたまま、俺は震える声で言った。声が震えてんの、カッコ悪いけど。
「ばか、おまえ、受験生だろ」
 先輩が笑った気配がして、雑に頭を撫でられる。犬じゃないんだから。と思ったけど、犬みたいなもんだった。あんたが何か嬉しいことをしてくれたら、俺は千切れるくらい全力で尻尾を振ってしまう。
「俺が来るから、浮気すんなよ」
「誰に言ってるんすか」
 俺は思わず顔を上げた。俺が、浮気なんかするわけないでしょ。そんな俺に先輩は笑って、お前にだよ、と言った。
「悪いけど、俺、あんた以外に興味ないですよ」
 はっきりと言葉にすると、先輩はまたあの挑発的な笑みを浮かべる。
「流石、美紀孝は言うことが違うな」
「当たり前でしょ。あんたの彼氏なんだから」
 その後しばらく、俺は先輩から離れられなかった。先輩はずっと、俺の気が済むまでそのまま頭を撫でてくれた。
 それが無性に嬉しくて、本格的に、犬かもしれないと思った。
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