レコンキスタ

琥斗

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 第2章『仲間』

 4.嘆き、木剣(ルディス)が示す先

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「火傷、だいぶ治ってきたね」
 ティルスの太ももに刻まれた焼き印を見て、ロシャナクが感心した様子で呟いた。

「ああ! ロシャナクの薬のおかげだな」
 ティルスが火傷の傷を隠し通せたのはたった一晩だけで、翌朝には丈の短い奴隷服から垣間見える生々しい傷痕にロシャナクがすかさず気付いたのだった。その日から、彼が寝床の下に保管していた薬を塗り続けてくれて、今日に至る。聞けば、数か月前の試合で切り傷を負った際、養成所の医師から渡された物の余りらしい。アルクは「火傷にも効くのかよ、ソレ」と少し怪訝な顔をしていたが、何も処置をしないよりはマシだろうと、ロシャナクは薬を分け与えてくれたのだった。その甲斐あってか、二週間ほど経過した今では、強い痛みと水ぶくれは治まっている。

「ありがとうロシャナク、もう大丈夫だと思う!」
「一応今日も塗っておこう。昨日は塗ってないし。ほらティルス横になって」
「わ~! 大丈夫だって!」

 壺の底、残りわずかとなってしまった薬を見て、ティルスはあわてて首を振った。自分の傷の手当のために、ロシャナクの薬を使い切ってしまうのは申し訳ない。そう率直に伝えると、ロシャナクは柔和な表情で「別に、怪我をしたらまたもらえるから」と、なんとも返答に困る受け答えをするのだった。

 ひとまず促されるままに、ティルスは寝床にうつぶせになった。指先でそっと傷口に触れながら、ロシャナクが声を落とす。

「……昨日どうだった? テンプルとかいう人の部屋で、アレリアと話せたんだよね」
「おう、話せた!」
「いろいろスッキリできたのかな。昨日までと全然表情が違うよ」
「えっ、そんなに分かるか!?」
「うん。訓練の時から見違えるほどに」

 ティルスの反対側の寝床に腰掛けるアルクも、同意ともあきれともとれるような表情で、静かに頷いた。もともと感情が表に出やすい自覚はあったが、改めて言われるとなんだか恥ずかしい。早く話したい、と逸る心を二人には見透かされていたようだ。

「はい、塗り終わったよ」

 ロシャナクにお礼を伝え、素早く身を起こす。
 姿勢を正し、ティルスは改めてロシャナクとアルクに向き合った。

「……伝えたいことと、教えてほしいことがある!」

◆◆◆◆◆◆

「え!? アレリアがゲルハルト隊長の娘さんだった……!?」

 ロシャナクが翡翠ひすい色の瞳を丸くして、驚いている。アルクも何度か瞬きをして目をパチクリさせていた。しばしの沈黙の後、こんな偶然ってあるんだね、とロシャナクは噛み締めるように頷いた。

「昨日、思い切って話に行ってよかったね。ラケルド、今日の夕方には戻ってきちゃったし」
「あのクソ野郎、一生戻ってこなくてよかったのにな。落馬でもして死んでくれれば……!」

 アルクが舌打ちをしながら吐き捨てるのを、まぁまぁとロシャナクがなだめた。

 テンプルの話しぶりでは、ラケルドは数日ほど養成所を不在にするのではないかと思われたが、図らずも興行師はすぐに養成所へと戻ってきてしまった。本当は今日もテンプルの部屋に行きたかったが、部屋の移動を咎められアレリアにまで危害が及ぶのは本意ではない。今宵は大人しく自室で過ごそう、とティルスは決めたのだった。

 しかし、アレリアには辛い話をして泣かせたままである。
 個室で一人、残酷な事実と向き合わなければならない彼女の心が気がかりだった。

(また隙を見て、アレリアと話さねぇとな……)

 気持ちを話すだけでも、心が軽くなることをティルスは知っている。ゲルハルト隊長や碧湖守備隊ノール・ヴァルトの仲間たちが、そう教えてくれたからだ。

 ティルスは首にかけている金細工のペンダントをそっと握りしめた。

「……それでな、アレリアと出会って、生きてる限り何が起こるか分からないっていうか、“生きながらえてこそ”って思い直したんだ」

 生きている限り状況は変えられる、という隊長の言葉を心でしっかりと繰り返してから、ティルスは続けた。

「これからの動きを考えるにしても、とにかく生きてねぇとダメなんだ。だからここでのことを、もっと教えてほしい。オレ達は殺し合いをする奴隷だと聞いた。でもラケルドは“全員が死ぬワケじゃない”とも言っていた。要するに、勝ち続ければいいってコトか? そしたら──オレ達は解放されるんだよな?」

 仄暗い部屋の中、ロシャナクとアルクの瞳が泳ぐ。
 希望を込めて力強く投げかけたが、やはりそんな単純なことではないのか。
 一呼吸置いた後、まっすぐにティルスを見据えてロシャナクは言った。

「……そっか。ティルス、ここで生き残る覚悟を決めようとしているんだね」
「ああ。オレは兵士だった。剣の腕なら自信がある。闘技場で見知らぬ人を殺すのは少し気が引けるけど──オレは生き残りたい」

 瞳を逸らすことなく、ティルスは言い切った。

「……分かった。剣闘士養成所の仕組みを、ティルスに教えよう」

 分からないことが多いと気持ちが不安になるよね、とティルスを気遣う言葉を口にするも、ロシャナクの表情は暗い影をまとっていた。

「まず、ラケルドの言っている“全員が死ぬワケじゃない”の意味だけど、僕たちは一応、十回ぐらい勝利を収めれば、“解放される”と言われている」
「十回!? わ、分かった! 早くたくさんの試合に出て、勝てばいいんだなっ!」
「いや、ティルスあの……」
「クソッ!! そんなんでこの場所から出られるなら、俺はとっくに解放されてる!!」
「えっ!?」

 予想外のタイミングでアルクに強い眼差しを向けられ、ティルスは思わずたじろいだ。

「まぁまぁ二人とも落ち着いて。まず試合のことだけど、大きな試合は年に三回か四回しかないから、最短でも三年ぐらいはかかる」
「さ、三年………………?」

 そんな長い年月を、この場所で耐え忍ばなければいけないのか。

「あと“解放”の意味だけど──ラケルドは僕達の戦う意欲を上げるために“奴隷身分からの解放”とか、“自由を得る”なんて表現をするけれど、その実はこの場所から出て自由になれるワケではなくて―剣奴を訓練する側になれるだけだ」
「は!? なんだよソレ!?」
「そもそも解放されるのは、帝国側──ラケルドや皇帝の意に適う奴隷だけだと思う」

 聞けば、華々しい勝利を収め続けた剣奴は、皇帝から幾許いくばくかの賞金と、自由の証である木製の剣ルディスを贈られ、“帝国人”として第二の人生を歩むことになるという。その対象は彼らに“従順な”奴隷のみであることは、ティルスにも容易に想像できた。

「それって解放って言うのか!? そんなの結局、ずっとずっと帝国の奴隷のままじゃねーか!?」
「……うん。そうだね。ティルスの言いたいことは分かるし、僕もそう思う」

 ロシャナクが力なく呟く。

 そして彼自身に言い聞かせるように、「でも」とかすれた声で続けた。

「どんな形であれ、生きていれば……。生きてさえいれば、会いたい人とまた会える」

「ロシャナク……」

 声音は震えてはいたものの、言葉の内には確固たる信念と決意が込められていることをティルスはしっかりと感じ取った。その覚悟に心が揺さぶられる。ロシャナクの言う通り、生き残りたい、生き続けたいと願うのならば、その形になどこだわっている場合ではないのだろう。

(でもそんな形で生き残って、オレはティエーラ王国のために何ができる!?)

 頑張ると決めた矢先。ロシャナクの口から次々と語られる現実に目がくらむ。ティルスは視線を落とした。   
 薄汚い石床が、より一層暗く見える。

「……あと一つ。ティルスに正しい情報を伝えなきゃいけない」
「え……?」

 顔を上げると、大きく眉をひそめたロシャナクと目が合った。
 鉄格子の隙間から漏れるかすかな灯りが、ぼんやりとロシャナクの顔を照らし出す。
 悲しみを湛えた表情が、そこには在った。
 まだ何か、言いづらい話があるのだろうか。
 ティルスは固唾かたずを呑んで言葉を待った。

「……対戦相手は、見知らぬ相手なんかじゃない」

「え!?」


「殺し合いをするのは、同じ養成所の剣奴。
 ──ここで寝食を共にしている“誰か”だ」


◆◆◆◆◆◆

 ロシャナクから告げられた言葉をゆっくり反芻する間もなく、運命の日は訪れた。
 翌日、七月三日の昼下がり。
 夏の日差しが照りつける訓練場の中央に、ティルス達剣奴は集められた。

 監視兵から命じられるままに円陣を組み、互いに顔を見合わせ待機している。
 鉄柵の向こう側から浴びせられるは、貴族達の好奇に満ちた視線。
 闘技場で注がれるよりもずっとずっと近いその距離に、ティルスはより一層の嫌悪感と不快感を覚えた。

 ラケルドが、鉄柵の前に集まった貴族達を前に、意気揚々と声を張った。

「皆様お待たせいたしました。これより、闘技大会の組み合わせ抽選会を行います!」

 歓声と拍手が巻き起こる。状況が飲みこめず立ち尽くしていると、薄い衣をまとった貴婦人が帝国兵と侍女を付き従えてこちらに向かって歩いて来るのが見てとれた。そして円陣の隙間から輪の中心へ躍り出ると、なんと侍女が豪奢ごうしゃな布で貴婦人に目隠しを施し始めた。

(なんだ? 何が始まるんだ!?)

 闘技場に似た異様な空気感に、息が詰まる。じとっとした嫌な汗が額とこめかみをつたうのを、ティルスは何度も手の甲でぬぐった。

「……対戦相手の組み合わせだよ」

 あからさまに落ち着かないティルスの様子を気遣ってか、隣り合う剣奴が耳元で静かにささやいた。

「ほら、アレで決まる」

 中央へ再び視線を戻すと、目隠しをした貴婦人が侍女から木剣を手渡されていた。

「木剣の切っ先が向いた先が、対戦相手だ」

「え……」

『殺し合いをするのは、同じ養成所の剣奴。
 ──ここで寝食を共にしている“誰か ”だ』

 ロシャナクの声が、脳裏に響く。

 ティルスは青ざめた顏で、向かい合う剣奴達をぐるりと見渡した。

 四十人ほどで組む円陣の中には、どういう訳かアレリアはいない。しかし、その中にはロシャナクやアルク、テンプルはもちろん、もはや顔なじみの剣奴ばかりだった。名前は分からないが、木剣で模擬戦をした剣奴、走り込みの時に転倒した自分に手を差し伸べてくれた剣奴。四六時中言葉を交わしているわけではないが、一緒に汗を流しながら厳しい稽古に耐え、寝食も共にしている──いわば皆、仲間だった。

『第一試合! 投網剣闘士レティアリウスマコトロスの対戦相手を決めます』

 目隠しをした貴婦人が輪の中央で数回くるくる回ってから、柄の端ポンメルの方を地面につけた木剣をそっと離す。カランッと乾いた音を立てながら、木剣は砂地を叩いた。

『対戦相手は──シュレイン!』

 落胆なのか感嘆なのか分からない声が満ちる中、名を呼ばれた二人の剣奴は円陣から引きはがされ貴族達の前に整列させられた。円が少しだけ狭まる。

(嫌だ……こんなの嫌だ……!)

 何試合分の組み合わせを決めるのか分からないが、自分の名前が呼ばれる可能性も、木剣の切っ先で指名される確率も、どちらも高いことは一目瞭然だった。どこまでも自分達を見世物おもちゃとして扱う帝国への苛立ちにも勝る、強い強い緊張がティルスを襲った。名前を呼ばれたくない。せめてロシャナク、アルク、テンプルと当たりたくない。それ以外、考えられなかった。

『第二試合……』
『第三試合…………』

 円陣がどんどん小さくなっていく。まだ輪の中には、ロシャナクもアルクもテンプルも残っている。ロシャナクとアルクは、ティルスの対角線上に位置していた。二人とも狼狽しているのかと思いきや、ロシャナクはややあきらめたような顏で、静かに視線を落としている。アルクは眉間に大きくしわを寄せて微動だにしなかった。円陣のやや右側に位置するテンプルは自分と同様にたくさんの汗をかき、大きな体躯を震わせていた。

(ロシャナクやアルクは、慣れているんだ。この状況に……!)


『次! 第五試合! 双刀剣闘士ディマカエルスのティルス!』



(あ…………)



 目の前がくらむ。ついに自分の名前が呼ばれてしまった。

 木剣がくるくると軽快に回り、地面へと倒れる。
 たった数秒の出来事が、不思議とひどく長いように感じられた。

 木剣の切っ先は、対角線上を指し示した。



『対戦相手は──ロシャナク!』



 あまりの衝撃に、ティルスは茫然とする他なかった。


「以上、計十試合の組み合わせ抽選会を終わります。闘技大会──【ティエーラ属州完全平定記念大会】は四週間後です。紳士淑女の皆様方、どうぞお楽しみに!」

 いつの間にか、抽選会は幕を閉じていた。
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