レコンキスタ

琥斗

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 第1章 生きる、堕ちる

 5.親鳥のいない雛たちは

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「びっくりしたな。ロシャナクが結婚していたなんて」
 しかも、お相手は故郷のシバ王国ではなく、エルシャニア王国にいるなんてな──ロシャナクが立ち去ってまだ間もない天幕の中で、ティルスは驚きを隠せない様子で呟いた。アレリアも、こくん、と静かに頷く。

(ロシャナクさん、貴族の奴隷だったんだ……)

 海を越えた先にある砂漠の国──シバ王国の兵士だったロシャナクは、ある日帝国の捕虜となってしまった。
 奴隷として売り飛ばされた先は異国の地、エルシャニア属州。かの青年はとある貴族の屋敷で、家内奴隷として隷属の日々を送ることになった、が。しくもその場所で、ロシャナクは心を寄せる相手と巡り合い、結ばれたのだった。
 慕い合う相手は、彼と同じように奴隷に身をやつした、シバ人の女性なのだという。

(だけど……)

 一年半ほど前。ロシャナクは主人の不興を買い、あろうことか帝国立剣闘士養成所へと売り払われてしまったのだ。「それきり、彼女と会うことはおろか、連絡を取ることさえできていないんだ」と、ロシャナクはいつになく肩を落として己の半生を語った。

(ロシャナクさんも、彼女さんも……)

 互いの状況が分からず、どれほど眠れない夜を過ごしてきたことだろう。貴族の屋敷で奴隷として過ごす日々も、剣奴として使役される日々も、どちらも不安と苦痛に満ちあふれていることを知っているアレリアは、今にも胸が張り裂けそうだった。

「……アレリア、大丈夫か?」
 うつむいた瞳からこぼれてしまった涙をそっとぬぐったつもりだったが、ティルスには悟られてしまったらしい。

「……ごめんなさい。ロシャナクさんのことを考えたら、すぐにでも彼女さんに会いたいだろうなって」
「そうだな、ロシャナクは今すぐにでもエルシャニア王国の主都に戻りたいだろうな」

 ティルスも神妙な面持ちで答える。

 燭台の上では、ろうそくの灯りがゆらゆらと優しく揺れていた。ロシャナクが「せっかくだから夜は二人でゆっくり過ごして」「真っ暗な中だと気持ちも滅入るだろうから」と、灯してくれた光だった。

「あのさ」
 眠くなったらいつでも言ってほしいんだけど、と前置きした上で、ティルスは唇を開いた。

「ロシャナクもいろいろ教えてくれたことだしさ、せっかくだからオレ達も少し、今後のことを話さないか?」
「は、はい」
「!! そういえばさ、オレずっと言いたかったことがあって!」
 アレリアが身構えると、ティルスは「そんな大した話じゃないから」と柔らかく笑ってみせた。

「オレのことは【ティルス】って呼んでくれればいい。敬語も使わなくていいよ。ってかさ、歳も同じぐらいだろ? オレだけじゃなく、みんなにもさ」
「あっ……」

 剣奴達と、どんな距離感で接したらいいか分からず、アレリアは常に皆に敬語で話しかけていた。特にティルスとは、父親が懇意にしていた隊員だと分かったあとも、今日までどんな調子で話していいか分からず、彼のことを名前で呼ぶことができていなかった。

「は……わ、わかった、わ」
 ぎこちない返事をしてしまったが、目の前の寝床に腰かけるティルスは、目を細めて嬉しそうに笑った。

 その後、とりとめのない会話の中で、お互いが今年の誕生日で十八歳を迎える同い年であることが分かった。ティルスが「オレのこと年下だと思ってただろ?」と尋ねてきたので、アレリアはぶんぶんと首を振った。

(そんなことないよ)
 まだ出会って間もないのに、自分の窮地を何度も救ってくれた人だ。むしろその背中は大きくて、とても、とても頼もしかった。

(そうだ、あたし)
 まだティルスにしっかりとお礼を伝えていないことを思い出し、アレリアは居住まいを正した。

「あの、ティルス……」
「ん?」
あの日・・・、あたしを助けてくれて、ありがとう」
「……!!」

 膝の上で固く結ぶ手が、少しだけ震える。でも、この気持ちはきちんとティルスに伝えなければいけないと思っていた。なんとなく、彼は「自分のせいで脱走が始まってしまった」と、ひとりきりでずっと罪悪感に似た何かを抱えていそうだったから。

「養成所や闘技場では、あんなことがあっても……」
 ただ遠巻きに見物されることが多かったから、と口にしようとして、この言葉は音にできなかった。喉の奥がギュッと締め付けられて苦しい。胸のざわつきが大きくなる。常に蓋をしている仄暗い感情が、せり上がってきそうだった。

 あの日──脱走が始まる前の時間──興行師に手を引かれていた時の嫌悪感がまざまざと蘇る。ティルスが助けに来てくれなかったら、あのあと自分はどうなっていたんだろう? またあの倉庫に連れて行かれたのだろうか。

(ううん、どうなっていても関係なかった)
 アレリアは、長袖に覆われた左腕に視線を落とした。

 一命を取り留めた後も、もはや生に対する執着はなかった。床に伏している間はずっと、次の試合で死のう自決しよう、と考えていた。

(でも)

 見て見ぬふりをせず、駆けつけてくれた人がいる、差し伸べてくれた手があったことは、アレリアにとってほんのかすかな〝救い〟だった。そういえば、過去にはティルスの他にも、闘技場で興行師の行動に異を唱えてくれた友人がいたではないか。ほんの短い期間だけ一緒に過ごした剣奴でも、自分を庇ってくれたことがあった。助けてくれる男の人が、いないわけではなかった──。

「だから、ありがとう……」

 あふれる涙を隠すように、両手で顔を覆った。お礼の言葉を伝えたかっただけなのに、どうしてこんなにも胸が詰まりそうになるのだろう。

「…………こちらこそ、だよ」
「えっ……?」 

 うつむいていた顔を上げると、涙ぐむティルスの顔がそこにはあった。ティルスは眉間にしわを寄せて「うーん」と言葉を選ぶようなそぶりをしている。
 どうしよう、困惑させてしまった。謝罪の言葉を口にしようとして、その言葉はティルスの穏やかな言葉と重なった。

「今の話さ、めちゃくちゃ話すのに勇気出しただろ? 伝えてくれて、ありがとう」

 ティルスはそれだけ言うと、それ以上深く話を広げなかった。

 しばらくの間、二人はただ静かに、雨の音に耳を傾けながら、揺らめく炎を見つめていた。ぽたぽたと天幕に落ちる雫の音と、自分達を照らすほのかな灯りが、なんとなく心地よかった。話し始めた時から続いていた息苦しさも、不思議と自然に治まっていった。

◆◆◆◆◆◆ 

 しばしの静寂の後、「そうだ、今後の話だったね」と二人は互いに顔を見合わせた。

「アレリアはさ、ティエーラ王国に家族とか親戚っているのか?」

(親戚……)
 アレリアの瞳が、ふっとかげった。未来を語るには、やはり過去を避けて通ることができない。

「あ、ごめん、オレさ。隊長からほとんどアレリアの話って聞けてなくて!」
 怪訝な顔をしたように見えてしまったのだろうか、ティルスはあたふたと弁明の言を続けた。

「オレさ、隊長の前で『なんでオレには家族がいないんだ~!』ってめちゃくちゃ泣いたことがあってさ。だから隊長は、わざわざオレの前で自分の娘の話とか、家族の話をしなかったんだと思う」

 ふいに語られた父の話に驚きつつ、アレリアは目をしばたかせた。

「え? ティルスには、家族がいないの?」
「いないよ。お母さんはオレが三歳の時に亡くなってしまったし、お父さんは物心ついた時にはいなかった。兄弟も親戚もいなかったから、四歳の時から城の中にある孤児院で暮らしたよ」

 だから、職業も兵士という選択肢しかなかったんだよな、とティルスはあっけらかんとした様子で半生を語った。

(そう、だったんだ……)

 アレリアがなんと返そうか迷っていると、ティルスは「あ、そうだった」と思い出したように話し続ける。

「隊長のペンダント、養成所に置いてきてしまった。本当にごめん!」

 もっと早くにアレリアに渡しておくべきだった、とティルスは残念そうに顔をしかめた。訓練の最中はいつも寝床の下に隠していたのだという。当然ながら、あの騒ぎの中で取りに戻っている時間はなかった。



「…………あたしにも」

 ティルスの素直さに惹かれて、アレリアもついぞこれまで他の剣奴に語ったことのない想いを打ち明けた。

「あたしも、大切な友人の形見を寝床の下に隠していたよ。さみしいね……いつか、戻ってくるのかな」
「そうだな。戻ってきてくれたら、いいな……」
 遺品心のよりどころ達を取りに行くことも、何かの巡り合わせで再び手元に戻ってくることも、到底叶わぬ夢であることは二人にも分かり切っていた。心に寂しい風が吹き抜ける。

(それでも……)

 ティルスが今日までずっとペンダントのことを気にかけてくれていたこと。「戻ってきたらいいね」と心を寄せ合えたことが、温かく思えた。

「あたしも、もう誰も家族はいないの」
 家族の話だったね、とアレリアは気を取り直した。

「お母さんは三歳の頃に病気で亡くなっちゃった。それからはお屋敷で、お父さんや使用人の人達と暮らしていたんだけど……二年ぐらい前かな、あたしだけ王都から、ソロンゴ山岳の伯母の家に引っ越したの」
「え? ソロンゴ山岳に?」

 ソロンゴ山岳地帯は、ティエーラ王国の西部に位置する、いわば僻地だった。「帝国軍が攻めてくるとすれば、エルシャニア王国側から北上してくるだろう」というのが父ゲルハルトの見立てだった。故に、戦禍を避ける目的で、アレリアだけが引っ越しを余儀なくされたのだった。しかし不幸にも、その配慮が裏目に出ることになった。

「その年の秋に、帝国軍が湖を渡って攻めてきて」
 アレリアはぎゅっと目をつむった。大自然に囲まれた小さな集落での暮らしは、なだれ込んできた帝国兵達によって壊された。いくつもの思い出したくないことが脳裏に浮かぶ。

「伯母さんはその場で帝国兵に殺された。あたしは」
 ──こいつは上玉・・だ、ここで犯すなよ。
 ──処女の若い娘は高く売れるからな、と。

 そこから先は、もう二度と思い出したくないことばかりだった。固く閉じた瞳から、涙があふれる。

「ごめん。辛い話を、させて、しまったな……」

 ティルスが「これ以上は話さなくて大丈夫だ」と、そっとアレリアに寄り添ってくれた。アレリアは手の甲でそっと涙をぬぐうと、動悸が落ち着くのを待った。


「そうか、じゃあどっちも、国に戻っても頼れる人はいなさそうだな……」
 アレリアの様子が落ち着いた頃合いを見計らって、ティルスがぽつりと呟いた。

「なぁ。それでもアレリアは、ティエーラ王国に戻りたい、か?」
「……………………」
 屈託のない問い掛けだったが、アレリアは言葉に詰まった。〝これから〟の話をしようとしている場で、「死のうと思っていた」なんて言えるはずがなかった。

(それに……)

 ティルスに訊いた話によれば、今のティエーラ王国はすでに王族の血も絶え、兵力もほとんど残っていないのだと云う。


「……お父さんが生きていたら」
 帰りたかったな、と涙交じりに声にするのがアレリアの精いっぱいだった。

「そうだよな、どうしたらいいか分かんないよな。オレもすげー迷ってる。ロシャナクは『一緒に来る?』って言ってくれたけど、そもそもエルシャニア王国を経由してティエーラ王国に戻るかどうかも含めてさ」

「えっ!?」

 意外だった。ティルスは自分なんかとは違って、とっくに「故郷に帰って再び帝国と戦うべきだ」と覚悟を決めているとばかり思っていたから。

「あ、いや、帰りたいとは思ってるよ」
 目を丸くするアレリアに向かって、ティルスは間を置かずに付け加えた。

「でもさ、それぞれの国に戻って、それぞれで帝国と戦って……ってさ、それで本当に勝てる・・・のかな、それでいいのかなって、ずっと考えててさ」

 結局、個々の〝想い〟だけで踏ん張って、限界が来たのが【ティエーラ属州完全平定将軍アヴェルヌスへの敗北】だろ、とティルスは顎に手を当てて、しばらく考え込んでしまった。

「やっぱりアルクの言うように、情勢についてもっと正確な情報を得てから、決めた方がいいのかもしれないな」
 
 ティルスは自分自身に言い聞かせるように、続けた。

「いろんな犠牲の上に、今の自分達が生きていると思うと、絶対に負けられないし、適当に決められないよ」


(犠牲……)


 アレリアの鼓動が、どくん、と大きく波打った。
 そうだ。自分はこれまで。
 自身の身勝手な願いのために。
 何人もの罪のない人々を闘技場で──。


「……………………」


「あ、ごめん。今日はもう疲れたよな」
 ぼんやりと虚空を見つめるアレリアを見かねて、ティルスが「今日はこのぐらいにしようぜ」と対話の終わりを持ちかけた。

「色々話せてよかったよ」
「うん、あたしも……」

 高熱が下がったばかりにも関わらず、ティルスは「今日までたくさん寝させてもらったから」と、夜間の見張りを買って出た。代わりにアレリアが、ティルスの温もりがほんのりと残る寝床に身を横たえる。

 ほぼ初めて、彼に自分が経験した一部分を話したせいだろうか。薄布にくるまっても、しばらくの間は気持ちが高揚して寝付けなかった。

(いろんな犠牲の上に、今の自分達が生きている……)
 その通りだ、とアレリアは身をちぢこめた。

 もう監視の目などない。死ぬことは多分、しようと思えば、いつでも、できるのだ。

(自分の目標がないなら……)

 そうだ。ならせめて、皆のために。皆の力になろう。
 そして、同じような誰かを救ってから──。
 そうしてから、なら。

◆◆◆◆◆◆

 ピュロロロロ、と鳥が鳴く音で、アレリアは目を覚ました。天幕の中は淡い明るさに満ちていた。どうやらもう夜が明けたらしい。

「あ、おはよう」

 ティルスがあくびをしながら、椅子に腰かけたまま体を伸ばす。その時だった。
 天幕の外で、何かがドサッと倒れた音がした。
 突然の出来事に、ティルスとアレリアは、どうしていいか分からず互いに顔を見交わした。

「わわ、ど、動物か?」
「見に行って、みる……?」

 念のため両者とも腰に剣を携えて、恐る恐る天幕の出入り口から身を乗り出す。

「!!」

 雨はすっかり上がっていた。
 白み始めた空の下、ぬかるんだ道に。
 倒れ込んでいたのは、泥だらけの見知らぬ少女だった。
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