南部の懐刀

不来方久遠

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ごんぼ掘り

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〝さんささんさ 〟
 幼い童達が輪になって掛け声を上げながら踊っていた。
 神様への感謝の言霊だった。
 古来、陸奥は魔界から鬼が出入りする鬼門に当たり、特に岩手は鬼の巣窟と言
われた。
 その昔、赤い髪に青い目で身体が黒い羅刹という悪鬼のあまりの悪行に里人は
困り果てていた。
 里人は人力ではとても動かせないほどの大きさで並んで立った二つの石と、や
や小さな石一つが寄り添っている、三ツ石の神様に祈った。
 里人の願いを聞き入れた三ツ石の神様は、鬼を捕まえて岩の中に閉じ込めよう
とした。
 大いに怖れた鬼は悔い改めた印として、この巨岩に「手形」を押し、許しを乞
うたので神様は二度とこの地に来ないよう諭して放免した。
 それからは羅刹が再び姿を見せるような事はなくなったので、この地を「不来
方」と呼び、岩に手形の意から『岩手』の名が生まれたと伝わる。
〝ダーンコン ダンガトカ、ダーンコン ダンガトカ〟
〝さっこら ちょいわやっせ 〟
 大人達が腹に乗せた太鼓を撥で叩きながら唱えた。
 幸呼来、すなわち鬼が去り幸せよ再びやって来いという意味であった。
 北の先住民が暮らす岩手は野蛮人が棲むという意味で蝦夷地と蔑称された。
 いにしえより、朝敵とされるモノが鬼と呼ばれた。
 隷属させて搾取するため、従わぬ蝦夷は鬼として退治する対象とされた。
 北の民には、飢えと寒さより非道い仕打ちであった。
 だが、叛旗を翻した者が現れた。
 平安時代初期、京から蝦夷の鬼、悪路王と怖れられたアテルイという勇者であ
った。
 陸奥の支配を目論んだ朝廷は、坂上田村麻呂を派遣して賊徒アテルイを滅ぼし
た。
 時を経て、不来方の地を逃げ出した羅刹鬼は京の都に辿り着き、羅生門を住処
にして性懲りも無く再び悪さを繰り返した。
 その狼藉に困り果てた朝廷は、鬼退治を命じた。
 帝の血筋である源氏に連なる渡辺綱が一条戻橋の上で羅刹を迎え討った。
 羅刹鬼は腕を切り落されて、冥界に帰ったと言われる。
 平安後期になると、源氏が領地欲しさに前九年・後三年の役を惹起したが、陸
奥の地は蝦夷の末裔でもある奥州藤原氏が取り戻す結果となった。
 この戦で坂東太郎と名を馳せた源義家の弟の義光を始祖とする甲斐源氏に、南
部光行という者がいた。
 甲斐の南部郷にいたため、南部氏と名乗っていた。
 源頼朝が石橋山で挙兵した際、南部光行はそれに従った。
 その覇権のために頼朝は不仲の義経を匿った事を口実に、奥州征伐を断行した。
 南部光行は阿津賀志山の戦で藤原国衡を破った功で糠部五郡を賜り、三戸平に
城を築いた。
 こうして、南部氏は滅亡させた奥州藤原氏の陸奥に根を張った。
 南部領は本家の三戸を含めて一戸、二戸と続き、九戸まで九つの戸に分かれて
いる。
 三戸氏を守るために、それぞれ領内に置かれた分家の単位である。
 それぞれを戸単位で名付け、警護させていたのであった。
 戸とは、平安時代からあった糠部郡を蝦夷から守るために四方の柵を設けて、
東・西・南・北に門番を置いたのが始まりであるとされる。
 後にはその囲いで軍馬を育てるようになり、木戸の門に一から九までの番号を
ふって、一戸に一牧場を置く九戸四門制をとった名残と伝えられている。
 三日月の円くなるまで南部領。
 北は下北半島から南の北上川流域の中央部までと、その支配地は三日月が満月
になるまでの期間を歩き通せる程広いと言われた。
 その四国に匹敵する位の広大な領地の北の海沿いに、種市の地があった。
 陸奥地方に多い佐藤、加藤、工藤、これらの姓は藤原を補佐する、藤原に加わ
る、藤原に工面する等、奥州藤原氏を助ける家来の由来からの名であった。
 藤原氏の家来として北方に住んでいた工藤氏は藤原氏滅亡後そこで畑に作物を
植え、海に出て魚を獲る半農半漁の生活をし、土着してその地名である種市と称
した。
 やがて、三戸近くの剣吉村に移り住むと、その村を治めていたため長として剣
吉姓を名乗るようになった。
 村長である剣吉左衛門尉致愛に、子が生まれた。
 彦太郎と名付けられた。
 後の北信愛であった。
 色白肌に映える大きな黒い瞳で、目元がぱっちりとした眼力の強い印象であっ
た。
 よく寝る子であったが、一刻半ごとに腹が空いたと大泣きするごんぼほりだっ
た。
 ごんぼほるという南部言葉がある。
 牛蒡を掘るから由来するごんぼほりとは、地中の牛蒡を掘るのに手間がかかる
事から駄々をこねるのを言う。
 母は昼も夜もろくに眠る暇も無く乳を与えた。
 体の小さき子であったが、よく乳を呑んだ。
 産後の肥立ちが悪かった母は子が一つ歳をとる前に死んだ。
 五歳になった御祝いに父から小刀を貰った。
 綺麗な刃を日にかざして、その眩く光る刃文に見とれていた時だった。
 何の気なしに、刃物に慣れていない彦太郎は刃を左指で握ってしまった。
 親指の中ほどまで切れ込んだ。
 指が取れかかったが、幸い刃が小さく親指の骨が堅かったので指は取れなかっ
た。
 腰に着ける大小の刀は、武士としての身なりである。
 太刀は敵を斬るためにある。
 脇差は太刀の予備で勝ち戦で敵の首を搔くためであり、かつ敗れた際には腹を
召すもの也。
 ともに、武士の本懐なり。
 それに対し、身を守る刀として起きている時は無論の事、寝ている時でさえ肌
身離さず所持するそれは己の身を守るため小刀。
 使い方を誤れば、そのように自らを傷つける。
 この小刀は相手に見付からぬように懐に収め、いざという時に使う刀から懐刀
とも言う。
 そう、父は静かに語った。
 左の親指の創痕は終生消えずに残った。
 以後、その創を見るたび父を思い出し、己の傲慢さを封じる事ができた。
〝どどっごけぇ、ががっごけぇ〟
 父っ粉食ぇ、母っ粉食ぇと、陸奥の山鳩は啼く。
 土地の老婆の昔語りによれば、飢饉で亡くなった児が鳩に生まれ変わり、嘆い
ている父母に豆の粉でも食べて飢えをしのげと告げていると言う。
 総じて、北の大地の難儀な暮らしぶりを表わしていた。
 陸奥の自然は厳しく、冷害の年には米は育たず飢餓と疫病が蔓延した。
 父は彦太郎が物心つく頃に流行り病で早世した。
 それから父方の祖父母に引取られたが祖父も死別し、祖母によって少年期まで
育てられた。
 その後、祖母が亡くなると複数の親戚に盥回しに預けられた。
 ただ飯を食らう禄を食んでおるだけの禄で無し、穀潰しと陰口をされた。
 元服する十有五にして、一人立ちする事になった。
 食い扶持を減らすため、体よく放り出されたのであった。
 自分は要らない人間なのか。
 山奥に行き、滝が落ちる崖上に立った。
 自死を考え、滝壺に飛び込もうかと思った。
 その時、ぐうと急に腹が鳴った。
 何か食ってからにしようと思い止まった。
 渓流沿いを上って行った。
 時折、水面に鮭が飛び跳ねた。
 産卵のために遡上してきた秋鮭を、喉に三日月形の白い毛がある月の輪熊が器
用に口に咥えていた。
 風下を避けるようにして、彦太郎も川面に群がる鮭を手づかみした。
 彦太郎は、日の高い内に父から貰った懐刀で竹を削いで竹槍を作った。
 そして、獲った鮭を餌にして獣道にかかる樹の上で待っていた。
 日暮れになり、餌を求めて猪が下を通った。
 竹槍に体重を乗せたまま樹から落下するように、彦太郎が竹槍で猪の胴体を串
刺しにした。
 彦太郎は、よく乾いた落ち葉や木々をかき集めた。
 その細木を錐のように両手で擦り合わせた。
 次第に、細木の先が摩擦熱によって煙が出てきた。
 頃合いを見計らって、細木の先をふうふうと吹いた。
 少しだけ赤くなった先を、乾燥した蓬の葉に付けた。
 その火種に一生懸命に息を吹きかけて、他の葉っぱに引火させていった。
 ようやく、小さな火が炎となって燃え広がった。
 素早く枯れ木を積んで焚き火を起こした。
 その炎で猪を丸焼きにして、空腹を満たした。
 腹が膨れると、死ぬという考えはどこかに消え失せた。
 そして、諸国を行脚する修行僧である雲水のなりをして一人で旅に出た。
 行く当ても無く彦太郎は、糸の切れた凧の如く奥州街道を南下し中山道を渡っ
て北信濃に向かう途上だった。
 信濃路の峠道にさしかかると、赤い前掛けをした六地蔵が見えた。
 それゆえに、地蔵峠と呼ばれた。
 斜面に、猫の額ほどの小さい畑があった。
 蕎麦の花が咲いていた。
 その隣には通常のものより長い葉が伸びている大根が育っていた。
 山国の痩せ地に対応した細く小ぶりで貧弱な、その形が鼠に似ているためねず
み大根とと呼ばれた。
〝雲行きが怪しくなってきたべ〟
 空を見上げて、彦太郎は思った。
 山の天気は変わりやすい。
 風雲急を告げるように、寒風吹き荒んだ。
 横殴りの雨が降り注いできた。
 彦太郎は、急いで懐刀で木の枝をぶった切って集めてその下に潜り込んだ。
 冷たい風雨を、彦太郎は野良犬のようにじっと凌いだ。
 一夜明け、荒天をやり過ごすと衰弱した体を引きずるようにしてやっとの思い
で下山した。
 眼前に、こざっぱりした小屋が見えた。
 吸い込まれるように、彦太郎は小屋を目指した。
 すると、中から小屋の住人らしき男が戸を開けた。
 寒さと飢えでがちがちと全身を震わせて、彦太郎は無言で突っ立った。
 風格を備えた男は囲炉裏の前に彦太郎を座らせて、台所で何やら作り出した。
 ねずみ大根をすりおろし、しぼり汁を蕎麦つゆにたっぷりと合わせた。
「ここらでしか採れないねずみ大根を使った真田そばと言う。さ、召し上がれ」
 男が、一椀の蕎麦と箸を彦太郎の前に置いた。
「もうさげながんす」
 礼を述べると、空腹の彦太郎はがっつくように蕎麦を食い汁を啜った。
「かれぇっ」
 舌がひんがまるような辛さに、彦太郎が悲鳴を上げた。
 あまりのつゆの辛さに蕎麦の味も何もあったものではなかったが、その激辛さ
ゆえ心身ともに冷え切った体が芯から温まった。
「それ、口直しだ」
 水で洗い流した蕎麦の椀に、男が煎じ薬を入れて差し出した。
「にげぇ。これは何だべ」
 彦太郎が、言った。
 馬の蹄のような形で、まるで猿が腰掛けるのに都合の良い木の位置に生えた茸
であった。
「良薬口に苦し。猿の腰掛を煎じた物で効くぞ。南部の者か」
 男は、聞いた。
「んだ」
 彦太郎は、頷いた。
 武士と分かるような家紋を記した大小は元より、身元が割れるような物を一切
所持せず、頭を丸め修行僧に扮していたのに、何故分かるのか不思議であった。
 だが、お国訛りだけはそのままだった。
「若い頃の武者修行で、その抑揚の話しぶりを聞いた事がある。我は真田幸隆」
 そう、蕎麦を振舞った男は名乗った。
 その子は昌幸、孫は幸村と言った。
 後に、子孫共に徳川と相対する定めの武将であった。
「名族の甲斐源氏を祖とする陸奥の南部家。奇遇だな、我等のお仕えするのも甲
斐の虎と異名を取る武田の殿である。これも何かの縁かの」
 幸隆が、言った。
「虎とは何だべ」
 彦太郎は、呟いた。
「猫は知っておるか」
 幸隆は、聞いた。
「見た事はねえが、鼠っこを捕るどか」
 彦太郎が、答えた。
 陸奥の中でも岩手の言葉には、鼠っこのように名詞の語尾に“こ”を付けて表
現を柔らかくする傾向がある。
 これは、穏やかな物言いを好む南部の人柄を表出した言葉遣いであった。
「犬よりも大きく、黄色の体に黒い縦縞がある。鋭い爪と牙を持ち、人をも食う
と言う。例えるならば、猫の化け物だな」
 仰々しく、幸隆は語った。
「おっがねごと」
 彦太郎は、身を縮めた。
「遥々陸奥からと言うが、どこに行きなさる」
 幸隆が、行き先を訊ねた。
「虎っこ、見に」
 彦太郎が、答えた。
 因みに大坂の陣後、南蛮渡来の二頭の虎が徳川家康から南部に拝領されるのだ
った。
「ははは。面白い奴よのう。敵も多い殿に会うのは容易い事ではないぞ。本物の
虎同様に、迂闊に近づけば殺されるかも知れぬ。もう遅いゆえ、今夜はここに寝
ていきなさい」
 幸隆は、笑顔で言った。
 真田に一宿一飯の恩義を得て、彦太郎は翌日発った。
 山を一つ越えた辺りだった。
 しとしとと、雨が降り続いた。
 彦太郎は、近くの廃屋の庇に身を寄せた。
〝ぴっちゃんぴっちゃん〟
 庇から落ちる雨音に混じって、別の音が聞こえてきた。
〝ちんちろりん〟
 廃屋の建て付けの悪い板壁の隙間を、彦太郎がそっと覗いた。
 縁の欠けた茶碗の中に、さいころが転がされていた。
「うわっ。負けた」
 喚声が上がった。
 格子越しに、どっかと上座に胡坐をかいた男が見えた。
 色黒で右眼が見えない片目、無数の傷がある容貌醜いその男の下で、賭場が開
帳されていた。
 十数名のうらぶれた浪人達が集っていた。
 鉄火場と化したそこは、判断力を失わせる目的で酒がふんだんに振舞われた。
 そうとは知らず、ただ酒に正体を無くすほど浪人達は呑んだくれて博打に興じ
た。
「さあ、張った張った」
 がたいの大きい賽振り役が言った。
「丁」
 博徒の一人が言った。
「半だ」
 他の博徒達も賭けた。
「さんぴんの丁」
 茶碗にさいころが投げ込まれ、三と一の賽の目で止まった。
「よし、いただきだ」
 博徒が、言った。
「さあ、どうだ」
 賽振りは促した。
「丁だ」
 博徒が賭けた。
 茶碗に二つのさいころが入れられた。
 一のぞろ目であった。
「ぴんぞろの丁」
 賽振りの声が響いた。
「くそっ。二だ」
 博徒の一人が怒りを露にして、傍の空になった徳利を悔し紛れに倒した。
「いい歳して、当り散らすな」
 隣の博徒が、その子供じみた行動を揶揄した。
「さっきから丁ばかりではないか」
 負けが込んでいるその博徒は、納得が行かない様子であった。
「こうも偶然が続くか」
 同様に負けている者が同意した。
 どこを見ているのか焦点の定まらない瞳で睨みながら隻眼の男が、左手で顎を
撫でる仕草をした。
 それを、賽振りが見ていた。
 何気なく賽振りはさいころを右の袂に仕舞い込むと、左の袂から別のさいころ
と取り替えた。
「次は、半」
 隻眼の男からの合図を見て取ると、配下の者が張った。
「ならば、丁だ」
 他の博徒達が反対の目に張った。
 賽の目は四と一であった。
「しっぴんの半」
 賽振りは、無情に言った。
「今度は逆だ」
 すっかり、賭け事にはまった博徒達は熱くなっていた。
 今は食いはぐれて博徒に身をやつしてはいるが、かつては一角の武士であった
者もいた。
 この者達は相次ぐ戦乱によって、主を失い路頭に放り出されて浪人に成り果て
たのだった。
 そして、仕官先の当ても無いまま無頼の徒と化して流浪していた。
 賭ける金が無くなると、武士の魂である筈の腰の大小もあっさりと差し出した。
 博打に熱くなった結果、一人勝ちの配下の他はほとんどが素寒貧になった。
「これは変だ」
 負けた博徒が言った。
「何だ」
 隻眼が、返した。
「いんちきじゃねえのか」
 他の博徒も言った。
「とんだ言いがかりだな。代金、耳を揃えて置いていってもらおう」
 冷たく、隻眼が言った。
「こんなの認められねえ。馬鹿らしくて払えるか。なあ、そうだろう」
 博徒の一人が、言った。
「そうだそうだ」
 他の博徒も同調した。
「負けた腹いせをほざいたところで、身ぐるみ剥がし簀巻きにして川に流すだけ
だ」
 ぎろりと、隻眼が目を剥いて鶺鴒の尾のように後ろに長く突き出す鶺鴒差しに
した刀の鞘を左手で支えた。
 固唾を呑んで、彦太郎は覗いていた。
「銭など無い」
 博徒は、嘯いた。
「見え透いた嘘を」
 賽振りが、言った。
「もう無い、おけらだ」
 博徒は、言い逃れをした。
「なれば、その場で飛び跳ねてみよ」
 賽振りは、言った。
 隻眼が、刀の柄に右手を置いた。
「田舎侍共。京流を極めた達人のあれが抜かれたら、貴様等の首がここに並ぶ事
になるぞ」
 罵倒して、賽振りが脅した。
 仕方なく、博徒等は垂直に飛び跳ねた。
〝じゃらじゃら〟
 銭の音が鳴った。
「持ってるじゃねえか。ごまかす気だったな」
 賽振りは、言った。
 抜刀する勢いで、隻眼が刀の柄を握った。
「い、いや。そんなつもりは、なあ」
 恐れをなして、博徒は腰砕けた。
「う、うむ」
 付和雷同の博徒達だった。
 そして、泣く泣く有り金全てを差し出した。
「これでは足りぬ」
 無情に、賽振りは言った。
「今度は本当におけらだ」
 博徒は、泣き付いた。
「銭が無いのであれば、残り分は身体で払ってもらう」
 そう、賽振りが提案した。
「どういう意味だ」
 博徒が、聞いた。
「こさえた借金の棒引きをしてやろうと言うのだ」
 奇異な事を、隻眼は言った。
「何をすれば」
 追いすがるように、博徒は言った。
「城取りぞ」
 一言、隻眼は答えた。
「馬鹿を言うな」
「雑兵として犬死するだけだ」
「城など取っても、腹の足しにもならぬわ」
「そうだそうだ」
 口々に、博徒等は異議を唱えた。
「その城は小城ながら北条の支配下にある。だが、甲斐、相模、駿河の三方の国
境にあるため所領主は猫の目の如く変わっている。欲しがる国は引く手数多ぞ。
取った城を他国に売り渡せば褒美も取り放題よ」
 隻眼は、言った。
「そんな虫の良い話があるかよ」
 博徒等の不審は取れなかった。
「我が策を弄しておるゆえ、勝てる戦ぞ」
 隻眼が、答えた。
「それが信ずるに足るという証はあるのか」
 博徒は、訊いた。
「このまま、野伏りで一生を終わりたければ、この話は受けずとも良い」
 一転、突き放すように隻眼は言った。
「元より失うものなど無き身の上の貴様等にあっては一か八、やってみる価値は
あるのではないか」
 賽振りは、進言した。
「しかし、一口に城取りと言ってもそう容易くはあるまい。手立てはあるのだろ
うな」
 博徒が、質した。
 隻眼は、具体的な攻め取り方と日取りを伝えた。
 城の近くに砦を築き、そこを足掛かりとして後陣が詰め、眼前の城を囲む。
 そして、籠城する相手を孤立させ攻め落とすというものであった。
「出城か」
 覗き見していた彦太郎が一人ごちた。
「砦など普請する暇があろうか」
 端的に、疑問を博徒がぶつけた。
「砦は既にある。そこを占拠すれば良いだけの事」
 隻眼は、答えた。
「出城である砦ならば、それなりに兵が詰めておろう」
 博徒は、食い下がった。
「そこは、寺だ。いるのは坊主のみ」
 隻眼が、言った。
「なるほど」
 得心したように、博徒が頷いた。
 寺に押し入るのは容易だが、占拠後に本城から逆に攻められぬ手筈を整えねば
ならないと隻眼は思っていた。
 それには、兵の頭数が必要だった。
 手っ取り早く用立てするために、こたび博打場を開いて浪人等を呼び寄せたの
であった。
 何とかと鋏みは使いよう。
 浪人から金を巻き上げ、丸裸にした上に借金の形に傭兵として使う算段だった。
 そのため、いかさま博打を打った。
 有り金全てと刀を巻き上げられた裸同然の浪人達は、降りしきる長雨の中、外
に逃げる事も叶わず隻眼に従う他なかった。
 賽振りから隻眼が密かにさいころを受け取ると、席を立って戸に向かった。
 彦太郎は、身を沈めて廃屋の後ろ側に身を隠した。
 ねぐらである廃屋を出て、隻眼が欠けた茶碗を懐から出した。
 そして、右の袂から二個のさいころを投げ入れた。
 二個ともに丁の側が上向きになった。
 芯が一・三・五の奇数面の片側に寄せてあった。
 常に、二・四・六の偶数面が表になる仕掛けである。
 次に、左の袂から別の二つのさいころを振り込んだ。
 さいころは半の出目を上にした。
 こちらは奇数と偶数が表になるように細工が施されていた。
 六面から成るさいころの目は、一と六・二と五・三と四のように対面の数字の
和が七になるように構成されている。
 各面は一・三・五の奇数と二・四・六の偶数の三面ずつに、それぞれ固まって
いる。
 二つのさいころを同時に振り出す場合、両方のさいころの出目を奇数、あるい
は偶数同士であれば合計数も偶数になる。
 また、片方のさいころの出目を奇数、もう一方を偶数になるようにすればその
合計数は奇数になる。
 つまり、奇数と偶数の目を自在に出せれば、さいころが二個であっても丁半の
出目の操作が可能となるのである。
「うまくしたものだ」
 茶碗を石で叩き割ると、隻眼が呟いた。
 そして、がりりと奥歯で噛み砕いてさいころを吐き出すと、全てのさいころを
裏山に投げ込んで捨てた。
 いんちきの証拠隠滅であった。
 と、その時であった。
 自身を見る視線を、隻眼は感じた。
「そこにこそこそと隠れている者」
 隻眼が、言った。
 彦太郎は、心の臓が破裂しそうなほどであった。
 彦太郎の前に、不自由な片足を引き摺りながら隻眼が立ちはだかった。
 彦太郎は、後ずさった。
〝ぴいぃ〟
 隻眼が、指笛を吹いた。
「鼠が一匹、迷い込んだようだ。では早速一仕事して貰おうか」
 隻眼からの合図を受けて、賽振りが博徒の浪人達に言った。
「一体、何を」
 博徒は、聞いた。
「鼠取りだ」
 賽振りが外を見て、大刀を返して答えた。
「おおよ」
 左手で刀を掴むと、浪人等は立ち上がった。
 彦太郎は、腰を落とすと両腕をだらりとぶら下げて無防備状態を敢えて示した。
 そして、丸腰のまま浪人の一人に左の人差し指を出した。
 くるくると、人差し指が回された。
 回る指に、浪人は気を取られた。
 それはまさに、子供が蜻蛉の目を回して捕まえる方法と同じであった。
 右手で相手方の柄を掴み、彦太郎はその刀を抜き取った。
 一瞬の隙に、浪人の刀が彦太郎の手に渡った。
 無刀取りと言われる極意であった。
「っ」
 何が起こったのか理解できない浪人は、呆気に取られていた。
「やるな」
 彦太郎の立ち居振る舞いに、隻眼は唸った。
 奪った刀を振りかざしながら後退した。
 逃げようとした彦太郎の先に、他の浪人等が待ち構えていた。
「袋の鼠ぞ」
 賽振りが、言った。
「お前、名は。歳はいくつだ」
 隻眼は、尋ねた。
「人に名を尋ねるなら、まず己が名乗るのが礼儀だべ」
 凛として、彦太郎は言い返した。
「小僧っ」
 賽振りが、凄んだ。
 彦太郎は、動じなかった。
 隻眼が、彦太郎の眼を見つめた。
 腹が座っていると、感じた。
「大した度胸だ。我は山本勘助」
 隻眼が、名乗った。
「剣吉彦太郎。十五だ」
 彦太郎は、答えた。
「どこの出だ」
 勘助は、尋ねた。
「南部だ」
 彦太郎が、答えた。
「陸奥から来たのか」
 驚いたように、賽振りは言った。
「で、いずこに向かう」
 勘助は、聞いた。
「虎っこのいる所」
 彦太郎は、言った。
「虎だと」
 賽振りは、呆れた。
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「見たら、すぐ捕って食われちまうべ」
「はっはっは」
 浪人等が、嘲笑した。
「馬鹿な小僧だ」
 賽振りが、刀に手をかけた。
「今、見た事をばらすぞ」
 彦太郎は、言った。
「何を見たと言うのだ」
 賽振りは、言った。
 袖に手を入れる素振りで、彦太郎はいんちきさいころを暗喩した。
「貴様っ」
 刀から賽振りが一旦手を放した。
「策謀を聞かれたぞ」
「斬り殺せ」
 賽振りの思いとは別の意味合いから浪人等が迫った。
「おらが話せばこいつらも黙ってはいねえべな。城取りどころじゃなくなるべ」
 賽振りを見て、彦太郎も言い返した。
 指示を仰ぐように、賽振りが勘助を見た。
「彦太郎と言ったな。どうやら、智恵が働くようだ」
 そう、勘助は見て取った。
「どうします」
 賽振りが、聞いた。
「人手に加えるか」
 勘助は、答えた。
「おらを博徒のならず者と一緒にすな」
 彦太郎は、言った。
「ほざいたな。この餓鬼がっ」
 浪人の一人が、脅した。
「弁も立つようだ」
 と、勘助は言いながら一瞬にして抜刀し、彦太郎が持つ刀を振り落とした。
 京流免許皆伝の腕前は伊達では無かった。
 そして、彦太郎に顔を寄せた。
 彦太郎は、護身用の刀を取ろうと懐に手を入れようとした。
 それを察して、勘助は彦太郎の右腕をつかんだ。
 強い力であった。
 勘助の隻眼が彦太郎の瞳を射すくめた。
 その腕力と眼力に、完全に身動きを封じられた。
 悪党然としているが、勘助に対して何やら惹かれるものを彦太郎は感じた。
「おらも連れてあべ」
 彦太郎は、帯同を申し出た。
「どさくさに逃げる気だな」
 賽振りが、言った。
「城取りを間近で見てえのす」
 彦太郎は、言った。
「城中の者に言いふらされたらお終いだ。跡腐れなくいっそ一思いに」
 大刀に賽振りは手を掛けながら言った。
 再び、勘助が彦太郎の眼を見た。
 空腹に泥水を啜り、じっと耐えてきた者のみが持つ同じ匂いを感じた。
 彦太郎も見返した。
「采の事を黙っておれるか」
 耳元で、勘助は囁いた。
 無言で、彦太郎は頷いた。
 柄を握って、賽振りが刀を抜く仕草をした。
「あい、分かった。ついて来い」
 賽振りを制して、勘助は言った。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

性別交換ノート

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性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

夫婦交換

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セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

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ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

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