南部の懐刀

不来方久遠

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なった気負け

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 本家を守るため、各戸に囲まれるような地勢で三戸が位置していた。
 各戸の中でも、本家からどれほど血筋が近いかで序列が決められていた。
 政を司っていたのは、代々当主を輩出してきた三戸氏であった。
 だが、武力においては九戸が他戸を圧倒していた。
 濃い桃色をした山桜が満開になる時分に、九戸の海辺側の久慈に城を構える三
男の政則は、隣国の津軽に出立するよう政実からの密命を受けた。
 政実自らが出向きたかったが、いつ敵に暗殺されるかもしれない立場上、政則
を名代として向かわせた。
 また、久慈を知る政則ならば、相手方の信頼を得る事ができると政実は考えた。
 大刀を城に置いたまま、政則は供を二人連れただけの行者の扮装で、隠密裏に
八甲田山を越えて津軽領に入った。
 津軽は大浦為信の所領であった。
 久慈生まれの為信は、大浦氏に養子に出された身の上だった。
 大浦氏は、安倍貞任の遺児を始祖とする藤原秀衡の弟である秀栄より続く奥州
藤原氏の末裔で、秋田安東一族として独立していた。
 源義家の弟の義光を始祖とする南部一族とは、宿敵とも言える間柄である。
 政則は、命懸けで為信に面会を申し出た。
 単身で面会を許された政則の前に現われたのは、六尺五寸の巨漢であった。
「大浦為信である」
 上座にどっかりと胡座をかくと、ぶっきらぼうに言った。
「九戸政実の弟、久慈に城を構える政則と申します」
 政則は、頭を上げずに丁重に名乗った。
「久慈とな」
 生まれ故郷の地名に、為信が反応したようだった。
「はっ」
 使者である証拠に、鍔に向い鶴の家紋の入った脇差を見せた。
 南部家の家紋には割菱があるが、正式な場で使われる定紋は向かい合って翼を
広げた一方は口を開き、もう一方は口を閉じた阿吽の形状をした二羽の鶴の文様
である。
 胸に九曜をしつらえたこの家紋は向鶴または双鶴などと呼ばれ、盛岡南部家史
においては双舞鶴と記されている。
 南部初代、光行が源頼朝に従い信州浅間山に狩りに赴いた折、近くの沼に飛来
した二羽の鶴を生け捕りに射落した僥倖から双鶴を、南部家の家紋としたと伝わ
っている。
 そして、恭しく久慈特産の琥珀を為信に進呈した。
 黄色に透き通った中心に赤茶の芯の入った美しい樹脂の化石は、為信の心をつ
かんだ。
「で、用向きは」
 為信が、聞いた。
「言伝にございます。南部にあって九戸を預かる兄、政実が他国の当主に対して
あからさまに接触すれば、謀叛の兆しありとされます」
 政則は、内情を説明した。
「うむ」
 さもあらんと、為信は頷いた。
「書状など送れば、たちまち戦を仕掛けられる口実に使われます」
 後の証拠になるような物は、一切残せない事を政則は訴えた。
「であろうな」
 聡明な為信は、理解したようであった。
「兄、九戸政実と会って頂きたい」
 政則が、為信の眼を真正面に見据えて単刀直入に言った。
「なるほど」
 為信は、政則の眼差しに実直さを感じ取った。
 以心伝心で、政則を介した政実の考えを為信は悟ったようだった。
「承知した」
 多くを語らず、為信が即決した。
 約定を取り付けると、政則は取り急ぎ九戸に戻り、政実にその旨を伝えた。
 梅雨が明けて、ようやく天候も安定した晩であった。
 今夜の久慈の海は、穏やかだった。
 浜辺に、一軒の漁師小屋がぽつんとあった。
 小屋の中では、薪が燃やされていた。
 夜、約束通りに木戸の小窓から、その炎の灯りが外に漏らされた。
 灯りは、海上から必ず見えているはずだった。
 漁師の扮装をした政実と三男の政則は、囲炉裏を囲みながら待っていた。
 二人とも、刀を持っていなかった。
 付近一帯は政則の輩下の者達により立入禁止にされ、余所者の侵入を阻んでい
た。
 不意の夜襲に備えての警戒を怠らなかった。
 二人は、まんじりともせずじっと待っていた。
 夜も更けて、北の空に星々が降るように輝いていた。
〝きぃきぃ〟
 と、木の擦れる音が聞えてきた。
 政則は、囲炉裏の火を松明に移して外に出た。
 政実が、後に続いた。
 久慈の夜の海に、一艘の舟が流れ着いた。
 政則が、松明で辺りを照らした。
 乗っているのは、櫓の漕ぎ手の他に頬被りをした大男だった。
 松明越しに、政実が陸に上がって来た舟乗りの物腰を見た。
 刀は所持していないようだった。
 舟が浜辺に乗り上げると、漕ぎ手が舫を近くの赤松に巻き付けた。
「魚っこいだが」
 魚がいたのかと南部弁を使い、政実は武士である身分を隠しながら舟の中を見
た。
 舟にも武器は見当たらなかった。
「まんづまんづな」
 頬被りの男が、まあまあだなと津軽弁で答えた。
「何獲れだべ」
 引き続き、政実は何が獲れたのかを聞いた。
「はたはただ」
 螇蚸は、南部の海では見かけない魚であった。
 主に、奥羽地方の海に棲息する種類である。
 政実は、確信した。
「政実どんでねえすか」
 男は、頬被りを脱ぎながら聞いてきた。
 男の顔を検分した政則が、兄に頷いて見せた。
 津軽で会った男であった。
「如何にも。為信殿だな」
 政実は、言った。
「そんでがんす」
 大浦為信と名乗った男は、政実に握手を求めながら答えた。
 政実は、為信を漁師小屋に案内した。
 政則と漕ぎ手は双方ともに主人を護る役目であったが、政実が為信と差しで話
したいと言ったので、外で待機する事になった。
 小屋の囲炉裏の上座には、複数の徳利が置かれていた。
 上座に徳利を配置する事によって、互いに同じ立場で上下など無いという意味
が込められていた。
「わざわざ、出向いて頂いて感謝致します。まずは、一献」
 政実が、持参した杯を為信に手渡した。
 政実から濁酒を注がれると、為信は頬を緩ませた。
「政実殿も」
 為信も、政実の杯に酒を注いだ。
「互いの未来に」
 杯を上げながら政実は言った。
「暫し、待たれよ」
 為信が、制止した。
「毒など入ってはおらぬ」
 怪訝な表情を、政実はした。
「外の二人にも、分けて上げたい」
 為信は、徳利を持って外に出た。
「おおい、南部の酒だ」
 と言って、漕ぎ手と政則に渡した。
 政実は、そんな為信の気配りにそのこまやかな人となりを感じた。
「忘れておった」
 と言って、為信は舟から魚を持って来た。 
 螇蚸が串焼きにされて、その香ばしい匂いが小屋の外に洩れていた。
 食べ頃に焼けた魚を、為信が政実に手渡した。
「かたじけない」
 政実は、魚を受け取りながら為信を見た。
 為信が自分で別の串を取ると、卵の溢れた腹を啜るようにかぶりついた。
 政実は、外の政則と漕ぎ手にも串焼きの魚を分け与えた。
 徳利を回し呑みして意気投合していた外の二人は、嬉々として焼き魚にかぶり
ついた。
「遠交近攻」
 政実が、静かに言った。
「遠い国と親しくし連合して、近い国を攻め取ろうとする策。南部の先々代も同
様な事を言っておった」
 政実の真意を確かめるように、為信は言った。
「元は、津軽の領地。己が才覚で切り取るがよい。我は一切、手出しはせぬ」
 政実は、北の三戸領の一部をやると言った。
「九戸に何の利がある」
 その真意を、為信が質した。
「本家を弱体化させるのと、九戸なくして南部は立ち行かぬ事を知らしめるため
ぞ」
 政実は、正直に答えた。
「謀叛では」
 為信は、核心を突いた。
「真に南部を憂いての行動だ」
 政実は、言った。
 南部最強の兵力を持つ九戸が動かないとすれば、領地を奪還するのは可能であ
ると為信は思った。
 二人の密約は成った。
「何の武装もして来ないとは、大した度胸だの」
 政実が、別れ際に舟を押しながら言った。
 すると、為信は舟の櫓を担いだ。
 櫓をくるくる回して外し、中心から二つに分けた。
 一つを漕ぎ手に渡し、片方を自身が持った。
 そして、二人が同時に櫓の仕込みを抜いた。
 抜き身だった。
 決して侮れぬ相手であると、政実は思い直した。
 九戸の北側の三戸は、大浦為信の津軽領に接していた。
 南側は斯波氏の領地があり、その先には伊達氏が睨みを利かせていた。
 政実は、以前から頻発していた境での小競合いを利用して斯波領に攻め入った。
 時を同じくして、津軽から大浦為信が三戸領内に侵攻して来た。
 三戸から出陣の要請があったが、政実は斯波との戦を口実に出兵を断わった。
 南部精鋭の兵を持つ九戸の応援が無かった北部三戸領は、易々と津軽に切り取
られる事になった。
 事前に三男の政則に敵地を探索させ、その軍備を測っていた九戸勢は斯波の出
城を一方的に落とした。
 九戸軍は、瞬く間に本陣である高水寺城を取り囲んだ。
 斯波の敗戦は、火を見るより明らかであった。
 機を見て、政実は和議を申し入れた。
 このまま九戸と戦を続けるか、末弟の康実の婿入れを了承するかのいずれかを
迫った。
「まるで貢物を与えるが如き処遇。私が従順ゆえ、文句も言わず従うと侮ってお
られるのでしょう」
 滅多に怒りを表さない康実が、珍しく兄に食ってかかった。
「そうではない」
 政実は、落ち着き払って言った。
「何がです」
 康実の怒りは収まるはずは無かった。
「三日月の円くなるまで広しと言われる南部領とはいえ、北に大浦、南の伊達勢
との間に挟まれ危うい状況にある」
「それが何か」
 苛立ちを抑えながら、康実が聞いた。
「斯波との家格の違いを埋めるために、この戦を仕組んだのだ。為信は抑え込む
ゆえ、伊達に対しての楔になってくれ」
 そう言って、政実は康実をなだめた。
 足利一族に連なる斯波氏は、昔は管領家として奥州を治めていた。
 過去の名声を頼りに、斯波御所と言われる高水寺城を構えてはいたが、名ばか
りで戦国の世にあってはその家系も風前の灯火であった。
「縁組をする大儀を与えてやったまで。管領家の立場を慮ったのだ。斯波とて生
き延びていくには、必要悪と思ったであろうよ」
 政実は、答えた。
「では、始めから私を婿入りさせるための戦だったと」
 康実は、政実の考えを悟ったようだった。
「頼む。九戸安泰のために、行ってくれ」
 政実は、康実に土下座した。
「兄者…」
 斯波に婿入りした康実は、名を中野修理と改名する事となった。
 破竹の勢いの織田信長が本能寺で討たれたとの報は、南部にも伝えられた。
 目の上の瘤であった武田信玄に次いで、信長が最も怖れた上杉謙信も亡くな
り、いよいよ天下を手中に収めようとしていた矢先であった。
 大勢の僧を焼き殺し、帝をも下に置こうとした信長に対して天罰が下ったのだ
と、町衆の噂になっていた。
 それは、政実の居城する九戸城にも届いた。
 九戸城は、南部氏一族の大身であった九戸光政が明応年間に築いたと推定され
ている。
 この頃から九戸氏は、近隣豪族たちと積極的に婚姻関係を結んで力をつけてい
った。
 城の北・東・西は、それぞれ白鳥川・猫淵川・馬淵川の深谷に囲まれていた。
 南は、浪打峠の険を控え空堀を掘り、本丸・二の丸・松の丸、そして後詰の曲
輪である若狭館と石沢館を擁した。
 政実の代になると、より戦える城として改築され、東北地方稀にみる山城から
平山城に移る過渡期の当時無類の城郭であった。
 城の中枢部を形成する本丸は、高台の北西隅に位置し、背後には石垣、土塁、
空堀が巡らされている。
 本丸の東側と南側を包むように巡った二の丸周辺には、土居が築かれた。
 二の丸と本丸西側にある三の丸・在府小路を隔てる堀は水堀だったが、それ以
外は空堀であった。
 比較的水はけがよい地盤で、豪雨になっても水はたまらない。
 東面の中央には、人改めを行なう四角形の広場の枡形が設けられ、南東には大
手門、北東には搦手門があり、二の丸から本丸の北側下方にかけて腰曲輪があっ
た。
 政実とその弟達が、九戸城の本丸に集まっていた。
「輩下の明智光秀の軍勢に囲まれた四面楚歌において、人間五十年と敦盛を舞い
ながら散っていったそうな」
 次男の実親が、聞いてきた事を述べた。
「信長らしい天晴れな最期。我も三年もすれば齢五十となる。もう先も長くない。
もののふとしての死に場所があろうかの」
 政実は、独り言のように呟いた。
「そのような不吉な事を…」
 実親が、困惑げに言った。
「その後、百姓から成り上がった猿顔の羽柴秀吉が後釜に座ったとの事」
 三男の政則が、言った。
「天下は動いておるの」
 政実が、何事かを考えながら言った。


 信長が本能寺で討たれてから八年の月日が経ち、世は秀吉の天下となっていた。
 九戸に、逆心の動きあり。
 陸奥では南部を二つに割る三戸と九戸との戦が勃発した。
 他の戸の長達は、いたずらに軍備を拡張し、縁戚関係を固めている政実の動き
を警戒していた。
 本家からの出兵要請を断わったのみならず、宗家の許諾なしに勝手に他国との
縁組みを決めた九戸に対して、三戸本家では軍議が行なわれていた。
「もはや、疑念の余地無し。九戸政実を本家への逆賊と見做し、討つべも」
 懐刀の北信愛が、口火を切った。
 信愛の提案は正論だったので、誰もが頷いた。
「さし当たり、先鋒を決めたいと思うべも、我こそはという者はおるべか」
 信愛の声が、響いた。
 が、居並ぶ戸長達は下を向いたまま誰一人として名乗りを上げなかった。
 ここにいる全ての戦力を集めたとしても、九戸の精鋭軍にはかなわない事は分
かりきっていたからである。
「ええい。誰もいねがぁ」
 焦れた声を、信愛は荒げた。
 戸長達は皆、視線を逸らした。
「では、二戸に任せるべ」
 信愛が、名指しした。
「そ、そんな」
 とんだ貧乏籤を引かされた二戸氏は、動揺した。
「主命だべ」
 信愛は、当主信直の顔色を窺うように言った。
 無口で無表情な信直の態度は、異存がない事を表わしていた。
 信愛は、髻に観音様を忍ばせた。
 そして、合戦に向かった。
 形ばかりで進軍した二戸勢は九戸方の軍勢に敗れ、ほうほうの体で退散した。
 北信愛の考えは甘かった。
 南部随一の九戸の兵力を知らぬ者はいなかったが、宗家の御館が出張ると知れ
ば、他戸の長達が勇んで合力すると思っていた。
 しかし、実際は政実の母の出である八戸氏など様子見の戸長が続出した。
 それでも、一旦振り上げた拳を安易に振り下ろす事は、宗家の頭領としての立
場上できず、信直は息子の晴直を三戸城に残して出陣した。
 信直自らが指揮を執り、何とか急造で掻き集めた南部各戸の連合軍が九戸に向
かった。
 その数、総勢五千。
 対する九戸は、二千。
 数の上では、倍以上の差で本家の三戸軍が勝っていた。
 政実は、三戸との境にある出城を敢えて空にした。
 三戸軍は、そのまま九戸領に易々と分け入った。
 九戸城前の白鳥川の河原に着陣すると、信直は使者を遣わした。
 本家の威光をかざして、和議に持ち込む算段であった。
 南部の同士討ちをする気は毛頭無い。
 政実さえ引き渡せば、その家臣は不問に付すと伝えた。
 城内に通ずる唯一の一本橋を使者が渡っていった。
 城門が開き、使者が招き入れられると、再び門が閉じられた。
 が、一刻を過ぎても使者はなかなか戻って来なかった。
「本家の使者をも無視する所業。まさに逆賊なり」
 単なる示威行為ではなく本気である事を示すため、信直は参謀の北信愛に渡河
して兵を前に進めるように指示した。
「だども、二戸からの援軍がまだだも。なったきしてはだめだ」
 一端の当主になった気になっている信直に対して、信愛はその思い上がりを諌
めた。
「構わぬ。兵を進めよ」
 信直は、本隊だけで九戸を叩けると踏んでいた。
 主命とあっては従わざるを得ない信愛は、嫌な予感を抱きながら軍扇を三角の
形を示すようにひらめかせた。
 本来、軍扇は大将が所持する物であるが、軍略の指揮を一任されていたため信
直の代わりを信愛は務めていた。
 三戸軍が、魚の鱗のような三角模様の陣形を取り出した。
 中央部を敵に向かって突出前進させ、逐次後方の部隊は少しずつ左右に広がり
山形に兵を並べた。
「魚鱗の陣か」
 城門の櫓から、政実は高みの見物といった風で言った。
 弓矢が届く距離まで、三戸軍が接近して来た時であった。
 城塀にある狭間と呼ばれる小窓から、三戸の陣に弓矢が雨のように降ってきた。
「これが、政実の答えなのだな。九戸を討伐する」
 信直は、命じた。
 三戸の兵達は、楯に隠れて身を防いだ。
 九戸城の南西の方角に、黒煙が上がっていた。
「門を開けよ」
 三男、政則からの狼煙の合図を見て取ると、政実が号令した。
 そして、武者と馬上筒を携えた足軽の二人乗りからなる百の騎馬鉄砲を引き連
れて、城外の三戸軍に討って出た。
 政実は、戦を長引かせないために敢えて籠城策を捨てたのであった。
 日没迄に決着させる短期決戦になるように仕向けた。
 三戸軍は、九戸城を前にして鶴が翼を前に張ったような陣形を取った。
 逆三角形を成すように両翼を著しく左右に展開前進させて中央部を開け、そこ
に敵を取り込んで包囲攻撃しようとする態勢を敷いた。
「今度は、鶴翼の陣か。本陣目指して、我が中央突破を試みるとでも思うたか」
 自ら出陣した政実は言った。
 三戸軍の中央部に驟雨の如く矢を浴びさせている間に、政実率いる騎馬軍団は
左右二手に五十騎ずつ分かれた。
 あっという間に三戸軍の両翼にそれぞれ展開し、鉄砲を構えた。
 馬上の武者が鉄砲を放つと、後ろに同乗した仕込役が続けて撃てるように準備
した別の鉄砲を、使用済みの物と交換して乗り手に手渡した。
 三戸軍の正面に配した弓隊は、城からの攻撃を防戦するのが精一杯で、両横に
広がった三戸兵を援護する事が出来なかった。
 疾風のように動き回る九戸の騎馬鉄砲隊に連弾される三戸勢は、纏りを失い後
退を余儀なくされた。
「生兵法は大怪我の元よ」
 そう言うと、政実は騎馬兵を城内に戻し、陣振れの太鼓を叩かせた。
 太鼓の音色が、城外に響いた。
 三戸勢は、何事かと訝しがった。
 その時、城の北東の山に隠れていた次男の実親が引き連れた五百の兵達が、鯨
波を上げながら白鳥川の向かいに現れた。
 実親軍は、白鳥川に架かる橋を落とした。
 三戸軍は、前を九戸城、白鳥川を挟んで背後を実親の兵達に囲まれて挟み撃ち
に合い、進退極まる状況に置かれる事となった。
 すると、時を計ったかのように、無しのつぶてであった九戸に送ったままの使
者が三戸の陣に戻って来た。
〝二戸からの援軍は来ぬぞ〟
 政実から信直に伝えられたのは、そんな返答であった。
 囮となって先陣を切った二戸勢を蹴散らされ、信直は逆に袋小路にされた事を
悟った。
 降伏するなら、信直とその重臣以外は生きて帰城を許すと、政実は三戸側に猶
予を与えた。
 信直は、自身が落ち延びる時間を稼ぐため、兵に突撃の号令をかけた。
 法螺貝の音が太く一帯に響いた。
 信直に対して、政実は決して深追いせず敢えて逃げ道を残した。
 無用に追いつめれば、鼠といえど猫に噛みつく。
 政実は、信直に対して囲師必闕でやり返した。
 信直さえ捕らえれば、本家の強制により仕方なく合力していた長衆は戦場から
雲散霧消する。
 案の定、号令を掛けて率いて来た兵をそのまま戦地に置き去りにして、信直は
少数の供だけを従えて密かに戦線を離脱した。
 信直は、全軍を囮にして敵前逃亡したのであった。
 政実は、信直を丸裸同然にして野山に放り出す事に成功した。
 その戦力差のため自力では九戸を倒せないので、策士である北信愛の提案によ
り和議に持ち込み、その隙に信直は息子である晴直を加賀に向かわせた。
 晴直と一つ違いで先生まれで、信愛の養子となった十左衛門を供に付かせた。
 十左衛門は、石橋山で挙兵した源頼朝に付き従った南部光行の奥州下向以前か
ら譜代の武門の家柄で、南部四天王の一角を担う桜庭家の次男坊であった。
 信愛は、何の面識も無い前田利家に会うために優秀な南部の鷹を売り込む用で
鷹商人の清茂と面識を得た。
 鷹を通じて、清茂は大名の寵愛を得ていた。
 清茂の力を借りて、信愛が前田利家と会う算段を企てた。
 そして、十左衛門に様々な入れ智恵をして信直を加賀に向かわせた。
 密命を帯びた二人が、すぐに旅立った。
 信愛から諸国を巡った経験を伝授され、晴直共々僧侶姿で十左衛門は奥州街道
を南下し、中山道を渡って北信濃に向かう途上だった。
 二人は北国街道、そして北陸道を踏破して加賀へ到達した。
 利家の居る奥座敷に、信直と十左衛門は案内された。
 長槍と鎧兜が置かれたいた。
「前田殿は槍の名手と聞き及んでおります」
 信直は、信愛から聞きかじった通り一遍のお愛想を言った。
 利家は、無言だった。
「あれは蜻蛉だな。前しか進まねえため勝ち虫と呼ぶべ」
 兜の前立てを指差して、十左衛門が聞いた。
「うむ」
 利家が、頷いた。
 実直な十左衛門の人となりを、利家は大層気に入った。
 晴直は利家の一字を賜わる事となり、先々代の南部晴政から貰った晴の字をあ
っさりと捨て去って以後は利直と名乗った。
 利家の仲立ちにより秀吉への帰属を約束し、その代わり本領安堵と九戸政実の
討伐を願い出た。
 南部信直は京で秀吉に謁見する運びとなった。
 秀吉は、近々に北条を討つゆえ、その時は召集に応ずるように言った。
 信直は、快諾した。
 翌年、下克上で国盗りをした先駆けである北条早雲を祖とする相模国の小田原
城は、天下統一を敢行する秀吉によって掻き集められた諸将の兵二十五万騎で包
囲された。
 晴直改め利直に陸奥の留守を預からせ、南部信直は北信愛と兵を引き連れて参
陣した。
 十左衛門もまた来ていた。
 これだけの大兵力を集められる秀吉という男の力を、十左衛門はまざまざと見
せ付けられた思いであった。
 圧倒的な軍勢で、秀吉は北条の各支城を落とし、小田原を孤立させていた。
 対する北条氏が四万騎で籠城して和戦の是非を論じている間に、小田原城の目
と鼻の先に位置する石垣山の木々が一夜にして全て伐採された。
 日が昇ると、そこには秀吉が命じて作らせた出城が建っていた。
 世に言う、石垣山一夜城であった。
 美濃の墨俣では河原に柵であったが、今度のは一坐をも切り崩した大掛かりな
山城だった。
 度胆を抜かれた北条方は、呆気無く降伏し、優柔不断な対応の代名詞として小
田原評定という汚名を後世に残す羽目となった。
 明くる年、黄金の衣装を纏った秀吉は、京の聚楽第で新年を迎えていた。
 主だった大名達が、天下統一のお祝いに馳せ参じていた。
 秀吉による天下統一は、小田原合戦で成就したと言われる。
 が、秀吉は不満であった。
 まだ、満足な検地もされていない場所があると秀吉は思いを巡らしていた。
 陸奥の北方は手付かずのままであった。
 それを手中に収めなければ、真に天下を取ったとは公言できぬと。
 雪に閉ざされた南部にも恒例の新年の参賀が行われていた。
 年始ご祝儀のため、各戸一門が本家三戸城に出仕するのが慣行であった。
 和議が成った後、九戸の頭領の政実は腰痛だの風邪を拗らせただのとその都度
何かと口実を作っては形だけの名代を本家に送り、決して自ら出向く事はなかっ
た。
 先代を謀殺したとされる信直を警戒しての事だった。
 しかし、この年は異変が起こった。
 年初の挨拶に、九戸一族だけは登城しなかったのである。
 戦わずして秀吉の臣下に成り下がった三戸本家に足を踏み入れる事を拒否した。
 南部には付き従うが、どこの馬の骨とも分からぬ猿の家来になるつもりは無い
というのが、政実からの返答だった。
 宗家をないがしろにする南部始まって以来の出来事に、本家は激怒した。
 南部を統率する者として、九戸政実の専行をこのまま野放しにはできない。
 九戸の独断を許せば、他戸の長衆にも示しがつかず、宗家を継いだ自身の器量
が疑われてしまう。
 兵を動かすには、春を待たねばならない。
 信直は、忸怩たる思いで冬を過ごした。
 一日千秋の思いでようやく雪融けになると、京の秀吉に対して舟で三陸から矢
継ぎ早に、九戸政実の乱に対する出兵要請の使者を出した。
 南部信直からの矢の催促に対して、ついに秀吉は九戸討伐を名目に奥州攻めを
下知した。
 独眼龍の伊達政宗以外に、名立たる武将の噂も耳にしない陸奥など、自ら指揮
するほどの事もなく容易いと侮った秀吉は、甥の秀次にその仕置を命じた。
 豊臣方は北条攻めほどではないにせよ、実に五万の大軍を送り込んで乱の鎮圧
に当てた。
 この反乱があちこちに飛び火して秀吉の天下統一を脅かす恐れがあったからで
ある。
 葉月の晦日だった。
 九戸政実には、勝算があった。
 兵法によれば、城攻めは城内にいる十倍の数で討たなければ破れないのが定石
である。
 兵法通りであれば、籠城戦を取る限り五分の戦ができると、政実は踏んでいた。
 この半年ほどを凌げば、冬将軍が到来し、陸奥の厳しい寒波が野営地を襲い、
兵糧が尽きて敵を蹴散らしてくれる。
 それを承知している敵方も、短期決戦に持ち込む腹積もりである事も明白であ
った。
 豊臣秀次を総大将にした五万余の軍勢が北に向かって、陸奥と東国の境界であ
る勿来の関を越えたのは、政実の思惑通り陸奥の短い夏の盛りであった。
 朝晩冷えて、秋の気配がする時節になり、沿道に龍胆と七竃が咲き出した。
 無数の豊臣兵の軍靴によって、青紫色の花と赤い実が踏み潰されて、鮮血のよ
うに道端に飛び散った。
 それはまるで、古来より続く中央軍の蹂躙により流された陸奥の人々の血のよ
うな光景だった。
 秀次の出陣による九戸攻めの報を聞いた政実の妹の嫁ぎ先である七戸家国など、
豊臣に叛旗を翻して続々と政実に与する者が兵を連れて九戸城に参集していた。
「武士において重要なのは成功する事ではなく、努力する事である。征服したか
否かにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある」
 そう言い放つ政実の率いる九戸軍は、総勢五千に膨れ上がっていた。
 南部一戸領の南境に位置する沼宮内に、豊臣軍は一旦着陣した。
 ナイで終わる地名は北海道や樺太に多くあり、アイヌ語で川や沼を意味した。
 その昔、蝦夷地は北海道と陸奥の総称であった。
 “えぞ”とは、アイヌを総称する古称で、“encu”から変化した詞だと言われ
る。
 また、サンスクリット語には生命を意味するアンクという言霊もある。
 語源のいずれにせよ、文字を持たないアイヌに対して、中央の人間が蔑称を込
めて呼んでいる事はその当てた漢字が証明している。
 蝦夷の蝦という字は、虫偏で成り立っており、夷は未開の人種という意味であ
る。
 食糧を奪い、女は犯し、男は奴隷にして付き従わない者は容赦無く殺害してい
った。
 虫けらのような野蛮人は害虫として駆除すべき存在であり、即ち同じ人間とし
て見ていない、思い上がった差別意識がうかがえる。
 北海道のアイヌと東北の蝦夷の祖先は同民族という説もある中、津軽海峡を隔
てて両者は異なる営みを辿る事となるが、共に隷属される運命にあった。
 蝦夷の悪路王と恐れられたアテルイが生きていた頃、大蛇があたり一面を大沼
にしてしまった。
 暴れま回る大蛇を鎮めるために、村人は人身御供を差し出す事になった。
 人身御供に決まった母親の身代りとなった寄寿姫は、経文の力で大蛇を倒した。
 洪水で氾濫した川の流れが変わって残った沼、アイヌ語で川を意味するナイ、
沼のナイがヌマクナイ、沼宮内と呼称されるようになったともされる。
 南部本家三戸城の留守を預かっていた信直の子である利直が、この沼宮内に合
流していた。
 利直の初陣であった。
 利直は、相模国河原氏一族から連なる沼宮内の山城の城主である民部常利に、
豊臣軍の指揮所を設けさせた。
「民部殿には各将の休息場の提供とこの後、戦が長引いた場合の兵站を担って頂
く」
 九戸の乱の総指揮を執る、将監の蒲生氏郷が申し伝えた。
 戦場の後方にあって、兵糧及び武器や弾薬等の物資を補給する兵站は、長期の
戦をする上で生命線とも言える機関であった。
「慎んで承りました」
 民部常利は、深々と頭を下げて答えた。
 沼宮内の民部氏は、北国の飢饉に備えて積極的に開墾を奨励していた。
 その地に開かれた田んぼの一字を民部の下に当てた『民部田』が、現在の同地
域の地名や姓に残って受け継がれている。
 民部氏の案内で、城内全てが豊臣方の将兵で埋め尽くされた。
 沼宮内城の本丸で、九戸城攻めに対する軍議が開かれた。
「立て籠もった九戸の兵は、精鋭と聞く」
 軍監として総奉行を司る、浅野長政が言った。
「うむ」
 指揮を取る蒲生氏郷が、頷いた。
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