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スピンオフ/ネル家編
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ルシアーノの「両親」が相次いで亡くなり、まだ七つのルシアーノが屋敷に呼ばれてからも、ネル伯爵はルシアーノを己の孫だとは認めていなかった。
娘であるミアヴェラの事は溺愛しているくせに、彼女が産み落とした子のうち、娘については卑賎だと詰り、息子については厄介な預かり物だと眉を顰める。
あくまで、一族の末端という扱いでしかないルシアーノの肩身は狭い。
大人たちはルシアーノに流れる母の、ではなく、もう半分の血を慮ってあからさまになじりはしないが、子供たちはそうもいかない。
出会えば馬鹿にするか、華奢なルシアーノを腕力に物をいわせて従わせようとしてくる者さえいる。
この屋敷にいる間はまだいい。
本家に行けば、行儀見習いと称して集められた一族の子供たちが徒党を組んでこれみよがしにルシアーノに構うのだから、嫌でたまらなかった。
本家の嫡孫であるヴィルヘルムとハインツはさすがにローティーンの子供達と違ってルシアーノをあからさまに虐げるような事はしない。
だが、冷たい灰色の……ハインツは少し青の混じった色の目でルシアーノを一瞥するのが常だった。
「ご機嫌よう、兄上方」
礼儀正しく、家庭教師に教えられた通りに礼を取る。
ヴィルヘルムは微笑んでルシアーノを手招いた。ネル家の男にしては優しげな風貌の、貴公子と言っていい青年の年は十八。
表向き品行方正で文武に長けた彼をヴィルヘルムの父親は誇りに思っているらしい、と聞いたことがある。
ルシアーノは一瞬目の前が暗くなったのを悟られぬように澄ました顔で近づいた。
「あれが、噂のリザベルか。お前の姉は美しいな、ルシ?」
「……そう思います」
これは本心だった。
たまにルシアーノを愛玩しにくる女、母であるミアヴェラも美しい。
だがあの顔は鏡を見れば嫌というほど見る。リザベルのそれはこの東部には珍しく硬質でしかも無垢で清廉で、他にはないものだった。
「平民の娘というのが惜しいな。ミアヴェラの火遊び相手がせめて貴族の男であれば、もっと使い道があっただろうに」
ヴィルヘルムが何をいいたいのかはなんとなくわかる。
それを不快に思いながらもルシアーノは首を傾げた。
言葉の意味がわからない、といいたげに。
「ふん、まあいい。……数年たてば、楽しみだな」
ニヤニヤと笑ったヴィルヘルムはところで、と立ち上がってルシアーノを見下ろした。
背筋が一気に寒くなる。
「今日、私がここに来た理由がわかるか?ルシアーノ」
「……わかり、ません。ヴィルヘルム」
「可愛いお前に会いに来たのさ。従弟どの……。剣術の腕前は上達したか」
そら来た、とルシアーノは青褪めた。
本家に行った時に、ネル伯爵はルシアーノに剣をもたせ、その剣術の腕前がヴィルヘルムやハインツが幼かった頃と比べて数段落ちることに酷く落胆した。
無理もない。剣術の稽古など、老夫婦のもとでは週に一度か二度教えられた程度、三歳から剣を持たされた兄弟とは事情が異なる。
それにルシアーノは剣術が好きではない。特別必要だとも思わない。
好きな人間がやればいいのだ。
ルシアーノに手ほどきしてやれと命じられたヴィルヘルムは、澄ました顔のルシアーノが剣術の稽古では酷く怯え、痛みに負けて子供のように泣きじゃくるのが酷く気に入ったらしい。
暇を持て余すと親切にも稽古をつけにくる。
嫌だ、と助けを求め周囲を窺ったが、執事は慎み深く視線を逸らした。
木刀を持たされ、何度も打ち込んでも勝てるはずもなく、おもちゃのように転がされ、草の上に這いつくばっているとようやくヴィルヘルムの気はすんだらしい。
ヴィルヘルムは朗らかに笑い、ルシアーノの髪を掴んで顔を上向かせた。
「私に何かいうことがあるだろう?ルシアーノ」
唾を吐きかけてやりたい。
「……あ、り、がとうございます。ヴィルヘルム様」
この男にも、この男相手に従うしかない自分にも唾を吐きかけてやりたい。
泣き顔など見せたくないのに目尻に涙が滲む。それを指でぬぐったヴィルヘルムはうっそりと笑った。
「……あの人形のような姉と、お前を並べて飾るのも悪くない。……そのうちな」
草の上に投げられて、唇を噛み締める。
ヴィルヘルムがどこかに去った後、クソと小さく悪態をつくと、背後でカサと音がした。
声を聞かれていたのか、と怯えて顔を上げると、つまらなそうな表情の少年と目があった。
弟のハインツだ。
「怯えるくらいなら悪態をつくのはやめることだな」
「……ヴィルヘルムに、言うの?」
「俺が?なぜ?……まあ言って欲しいなら伝えておいてやる、クソ野郎、死ねってな」
皮肉な口調のまま、ハインツはルシアーノに手を差し出した。
それを掴むと乱暴に立たせられる。
「思ってはいるけど、そこまでは言ってないよ」
「顔に出ていたけどな」
む、と思いつつ、ルシアーノはハインツに手を伸ばした。
「あんたの兄さんのせいで、足も手も腹も、どこもかしこも痛い。屋敷まで運んでよ」
ハインツはため息をついて、問答無用でルシアーノの足を払った。
バランスを崩して、ルシアーノは強か身体を地面に打ち付ける。あまりに痛くてくつくつと笑ってしまった。やっぱりダメか、と笑う。
五回に一回くらいは気まぐれに優しく運んでくれるのだが、今日はハズレの日だ。
「テメェで立て」
「……わかった」
大人しく頷いて足を引きずりながら歩くと、ハインツはちょっとだけ眉を顰めて、嫌そうにルシアーノを抱えた。
気が変わったらしい。
「僕を憐れむ気になった?」
「違う。医者にみせた方がいいな。歩き方がおかしい。骨に異常がなければいいが……兄は加減が下手だ」
「……あの、クソ野郎。死ね」
ルシアーノが痛みに顔を顰めながらいうと、ハインツが「結局、言ったじゃねえか」と軽くふきだした。
娘であるミアヴェラの事は溺愛しているくせに、彼女が産み落とした子のうち、娘については卑賎だと詰り、息子については厄介な預かり物だと眉を顰める。
あくまで、一族の末端という扱いでしかないルシアーノの肩身は狭い。
大人たちはルシアーノに流れる母の、ではなく、もう半分の血を慮ってあからさまになじりはしないが、子供たちはそうもいかない。
出会えば馬鹿にするか、華奢なルシアーノを腕力に物をいわせて従わせようとしてくる者さえいる。
この屋敷にいる間はまだいい。
本家に行けば、行儀見習いと称して集められた一族の子供たちが徒党を組んでこれみよがしにルシアーノに構うのだから、嫌でたまらなかった。
本家の嫡孫であるヴィルヘルムとハインツはさすがにローティーンの子供達と違ってルシアーノをあからさまに虐げるような事はしない。
だが、冷たい灰色の……ハインツは少し青の混じった色の目でルシアーノを一瞥するのが常だった。
「ご機嫌よう、兄上方」
礼儀正しく、家庭教師に教えられた通りに礼を取る。
ヴィルヘルムは微笑んでルシアーノを手招いた。ネル家の男にしては優しげな風貌の、貴公子と言っていい青年の年は十八。
表向き品行方正で文武に長けた彼をヴィルヘルムの父親は誇りに思っているらしい、と聞いたことがある。
ルシアーノは一瞬目の前が暗くなったのを悟られぬように澄ました顔で近づいた。
「あれが、噂のリザベルか。お前の姉は美しいな、ルシ?」
「……そう思います」
これは本心だった。
たまにルシアーノを愛玩しにくる女、母であるミアヴェラも美しい。
だがあの顔は鏡を見れば嫌というほど見る。リザベルのそれはこの東部には珍しく硬質でしかも無垢で清廉で、他にはないものだった。
「平民の娘というのが惜しいな。ミアヴェラの火遊び相手がせめて貴族の男であれば、もっと使い道があっただろうに」
ヴィルヘルムが何をいいたいのかはなんとなくわかる。
それを不快に思いながらもルシアーノは首を傾げた。
言葉の意味がわからない、といいたげに。
「ふん、まあいい。……数年たてば、楽しみだな」
ニヤニヤと笑ったヴィルヘルムはところで、と立ち上がってルシアーノを見下ろした。
背筋が一気に寒くなる。
「今日、私がここに来た理由がわかるか?ルシアーノ」
「……わかり、ません。ヴィルヘルム」
「可愛いお前に会いに来たのさ。従弟どの……。剣術の腕前は上達したか」
そら来た、とルシアーノは青褪めた。
本家に行った時に、ネル伯爵はルシアーノに剣をもたせ、その剣術の腕前がヴィルヘルムやハインツが幼かった頃と比べて数段落ちることに酷く落胆した。
無理もない。剣術の稽古など、老夫婦のもとでは週に一度か二度教えられた程度、三歳から剣を持たされた兄弟とは事情が異なる。
それにルシアーノは剣術が好きではない。特別必要だとも思わない。
好きな人間がやればいいのだ。
ルシアーノに手ほどきしてやれと命じられたヴィルヘルムは、澄ました顔のルシアーノが剣術の稽古では酷く怯え、痛みに負けて子供のように泣きじゃくるのが酷く気に入ったらしい。
暇を持て余すと親切にも稽古をつけにくる。
嫌だ、と助けを求め周囲を窺ったが、執事は慎み深く視線を逸らした。
木刀を持たされ、何度も打ち込んでも勝てるはずもなく、おもちゃのように転がされ、草の上に這いつくばっているとようやくヴィルヘルムの気はすんだらしい。
ヴィルヘルムは朗らかに笑い、ルシアーノの髪を掴んで顔を上向かせた。
「私に何かいうことがあるだろう?ルシアーノ」
唾を吐きかけてやりたい。
「……あ、り、がとうございます。ヴィルヘルム様」
この男にも、この男相手に従うしかない自分にも唾を吐きかけてやりたい。
泣き顔など見せたくないのに目尻に涙が滲む。それを指でぬぐったヴィルヘルムはうっそりと笑った。
「……あの人形のような姉と、お前を並べて飾るのも悪くない。……そのうちな」
草の上に投げられて、唇を噛み締める。
ヴィルヘルムがどこかに去った後、クソと小さく悪態をつくと、背後でカサと音がした。
声を聞かれていたのか、と怯えて顔を上げると、つまらなそうな表情の少年と目があった。
弟のハインツだ。
「怯えるくらいなら悪態をつくのはやめることだな」
「……ヴィルヘルムに、言うの?」
「俺が?なぜ?……まあ言って欲しいなら伝えておいてやる、クソ野郎、死ねってな」
皮肉な口調のまま、ハインツはルシアーノに手を差し出した。
それを掴むと乱暴に立たせられる。
「思ってはいるけど、そこまでは言ってないよ」
「顔に出ていたけどな」
む、と思いつつ、ルシアーノはハインツに手を伸ばした。
「あんたの兄さんのせいで、足も手も腹も、どこもかしこも痛い。屋敷まで運んでよ」
ハインツはため息をついて、問答無用でルシアーノの足を払った。
バランスを崩して、ルシアーノは強か身体を地面に打ち付ける。あまりに痛くてくつくつと笑ってしまった。やっぱりダメか、と笑う。
五回に一回くらいは気まぐれに優しく運んでくれるのだが、今日はハズレの日だ。
「テメェで立て」
「……わかった」
大人しく頷いて足を引きずりながら歩くと、ハインツはちょっとだけ眉を顰めて、嫌そうにルシアーノを抱えた。
気が変わったらしい。
「僕を憐れむ気になった?」
「違う。医者にみせた方がいいな。歩き方がおかしい。骨に異常がなければいいが……兄は加減が下手だ」
「……あの、クソ野郎。死ね」
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