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別離編

歌劇場 1

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アルフレートが北部に急遽帰る、と言って王都を留守にしたのはカイルがコンスタンツェと再会して半月後の事だった。

「今日は私をエスコートしてね?」

ある夜、着飾った銀髪美女に騎士団の私室の前に立たれていて、カイルはぎゃっと叫びそうになった。
イリーナ・コストルナヤ。国一番の歌姫でアルフレートの元恋人。もう一つ付け加えるなら銀髪のうつくしい歌姫はカイルの憧れの人だ。
濃い青色のマーメイドドレスは彼女の細い身体の線がくっきりとわかる。

「い、イリーナ!どうしてここに?」
「アルフレートと歌劇を観に行く予定だったのに、あいつ帰っちゃったから。――可愛いカイルを連れて行こうと思って」

ちゅ、ち頬に口付けられる。遠巻きに見ていた若い騎士たちがどよめいた。
彼女の信奉者は騎士団にも多い。

「や!やめてください!!人前でっ!それに俺に歌劇なんか」
「若手女優が抜擢された舞台初日に、私を惨めに一人で行かせる気?言うことを聞かないならここでキスするわよ。濃厚なやつ」
「横暴だ……!」

仕方なく「散れ!ばか!」と同僚たちを追い払ってイリーナについていく。馬車が劇場の前で止まったので何事かと思っていると仕立て屋に連れ込まれて爪先から足元まで揃えられた。

「なんなんです、これ……騎士服じゃまずいんですか」
「騎士服じゃただの護衛じゃない!いい?カイル。私は今日、元恋人の若い部下を引き連れて甘ったるくお互いを見ながら横目で歌劇を鑑賞するつもりなの……あら!悪くない」
「騎士服じゃ……だ、だめですか」
「ダメよ!馬鹿ね!……ああ、飾りは真紅にして頂戴。この子に映えるから髪も少し撫でつけて……大人っぽく全部後ろにしてしまう?」

仕立て屋らしく小柄な中年の男性が「んまっ!素敵」と手を打ってチョーカーを持ってきた。ルビーが真ん中に嵌め込まれた黒いチョーカーを首につけられる。これは犬の首輪みたいじゃないかとカイルは頭を抱えたが行くわよ!と上機嫌のイリーナに手を差し出されて、しおしおと従う。

「なんで俺なんですか……」

イリーナほどの人気女優だ。誘うなら他にもたくさんいるだろうにとぼやくとイリーナはこっそり耳打ちした。

「アルフレートが貴方が元気がないって気にしてたから。誘いに来たの」
「……ばかアルフ」
「愛されてるわよね。でも、恋人には言えないこともあるじゃない?私に白状してスッキリしたら?」

銀髪の女神は口は悪いが優しい。カイルは脳裏にコンスタンツェを思い浮かべたが、なんでもないですよと曖昧に笑った。

「そお?ま。気が向いたら言いなさいな。なんでも聞いてあげるから」

歌劇場のエントランスに行くと、イリーナの出現に場がざわめいた。それから添え物のカイルにも視線が集中して男女関係なく噂されるのがわかる。

「あれは誰だ?」
「アルフレートの部下さ。半魔族の」
「……イリーナの若い愛人か?妬ましい限りだな」

注目を集めたくない、しかしそれは無理だな背中に冷や汗をかいていると、着飾った素晴らしくうつくしい貴婦人がイリーナに近づいてきて挨拶をした。
興味津々、と見られて慌てて姿勢を正して礼をする。――しかしそれは夜会でするようなものではなく騎士の起立と礼だと気づいてご婦人が笑い、周囲も失笑する。
カイルは赤面して俯いた。こう言う場所はやはり自分には不似合いだ。

「ああ、気を悪くしないでね。若い方が珍しいのよ。紹介してくださらない?イリーナ。こちらの可愛らしい方はだれ?」
「私の可愛いお友達カイルですわ。家名は秘密です」

カイルが孤児で、飛龍騎士団に所属していることは、まあ、(飛龍騎士団は奇特だなという呆れた感情で)有名な話だと思うが、イリーナはすっとぼけ、貴婦人は面白そうにそれを聞いた。

「お忍びの北部の魔族の若君かしら。よくにあっていること!」

手を差し出されたが、エスコートしろと言われたのに気づくのに一瞬遅れた。イリーナに視線を向けるといってらっしゃいと押し出される。
年の頃は30代半ばのうつくしい女性はカイルをほとんど主導で動かしてカイルはそれに倣って歩くだけだった。
扇子を広げた影で囁かれる。

「緊張しなくても取って食べたりはしないわ。怯えないで、うさぎさん」

うさぎ……とちょっと遠い目をしながらカイルは小声で貴夫人に謝った。

「慣れないエスコートで申し訳ありません、奥様……。その、護衛と思っていただければ」

貴婦人は何がおかしいのか、ころころと笑った。

「歌劇場は初めて?」
「警備で、何度か……。申し訳ありません、このような華やかな場にはそぐわないと分かっているのですが」

貴婦人はパチンと扇子を閉じてカイルから距離をとり、しげしげと眺めた。

「貴方、ばかねえ!」
「は、はあ」
「貴方、今日はとても目立っているわよ。場違いだからじゃなくて、とても素敵だから!背も高いし、騎士らしく鍛えた身体も素敵。ルビーをつけさせたのはイリーナね?貴方の瞳と同じでとても綺麗……」
「……はあ」
「その物慣れない感じが新鮮で楽しいわ。ふふ、ごめんなさいね連れ回して」

貴婦人は笑ってもう少しつきあってちょうだい、と歌劇場のあれこれを説明してくれた。
教養ある人なのだろう。
誰がどの時代に描いた絵で、どういう意図があるのか、をわかりやすく説明してくれる。カイルは熱心にそれを聞いた。
騎士団では一般教養は教えてくれるが、美術史は教えてくれない。
ただの絵だったものが、描いた人間と発注された意図を知ることで、意味のあるものになるのだと……ほとほと感心した。

「この女神の絵は隣りの部屋にあった絵と対だったのだけれど、二十数年前の動乱で傷ついてしまって」
「動乱ですか?」

貴婦人はちょっとだけ言いにくそうにしたのでカイルは悟った。

「魔族たちの……」
「そう!貴方には関わりないから気に病むことはないわよ。けれど、当時王都に滞在していた高位魔族たちが、時の国王陛下と仲違いして街の色々なところが壊されたの」

それまで一部の魔族と王族はそれなりに友好ムードがあったというが、先先代の国王が精神を病み、滞在中の魔族たちのドラゴンを毒殺するという事件があった。魔族たちは怒り狂い王都で動乱を起こした……と。
原因を作ったのは人間側だが魔族側の無関係な人々への略奪や暴力も度を超えていたと聞く。
それが原因で今は魔族は王都にはほぼ存在していない……。

先先代の国王と先代が相次いで崩御し、現国王が二十年前に即位して、魔族の血筋のもの排除する法律は撤廃され表向きは交流が復活したものの……。

「馬鹿なことをするんですね。こんな綺麗なものを破壊するなんて……」

カイルが言うと、貴婦人はクスクスと笑った。

「若い方には退屈な講義ではなかったかしら?」
「まさか!大変楽しかったです。街の教会の神官よりず……、いえ。なんでも」

カイルは咳払いをしてごまかした。
田舎町の神官とこの貴婦人を比べるのは失礼だろう。

「初めて、絵画の美しさがわかりました。ありがとうございました、奥様」
「貴方は素直で可愛い子ね。ゾフィーよ、よろしく」
「ゾフィー様」

貴婦人は微笑んだ。

「貴方がアルフレートのお気に入りでなければ、もっと自慢して回りたいけれど……」

アルフレートと親しい人なのだろうかと思っているとーー

「侯爵夫人!何をしておられるのです。トゥーリ!?おまえ、ここで何を」

かけられた声に驚いて振り向く。
飛龍騎士団副団長の一人、ギュンターとハインツがいた。
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