教授の内腿に刻むタトゥー

マリ・シンジュ

文字の大きさ
14 / 24

触れられない距離

しおりを挟む
マンションの扉を開けると、リビングには抑えた明かりが灯っていた。外の雑音を切り離すような、柔らかな静けさ。鍵を閉めた瞬間、今日一日の緊張が、ようやく肩から一段落ちる。

​先生は、タトゥーの傷を刺激しないために用意したグレーのシルクのローブを身に纏い、ソファに腰を深く沈めていた。膝の上にはノートPC。余白には赤字のコメントが規則正しく並んでいる。
仕事は、滞ってはいない。
けれど、どこか自分を律するように集中しようとしているのが、背筋のわずかな硬さから伝わってきた。

​アトリエで、あんなにも潔く、僕との絆としての「痛み」を受け入れてくれた人。
先に一人で帰らせてしまったけれど、その背中に感じたのは拒絶ではなく、彼なりの「一人の時間で呼吸を整えたい」という静かな自立心だったのだと思う。

​ローブの柔らかな光沢が、身体の輪郭を曖昧に包み込んでいる。
傷を守るための、優しい布。その布越しの距離を、先生はどこか大切にするように、静かに座っていた。
​僕は足音を立てないように彼に近づき、ふと隅に置かれた観葉植物に目を向ける。
そっと葉を拭き、土の表面をならす。物音はほとんどなく、先生の膝の上のPCから目を離さず、静かに呼吸を合わせるように手を動かす。小さな動作が、部屋に穏やかな生活の気配を添える。

新城:​「大丈夫だ。お前は休め。今日は疲れただろう」

​視線は画面に残したままの、落ち着いた声。
それは僕を遠ざけるためではなく、自分の平穏を取り戻そうとする、彼らしい慎重な配慮だった。

羽生:​「嫌だね。あんたは僕の大切な契約を背負ってくれたんだよ。労わるのは僕の特権でしょ」

​隣に腰を下ろすと、先生の呼吸が一拍遅れて深くなる。
拒むような力みはない。ただ、僕の気配が隣に来たことを、ゆっくりと、深く受け入れていくのがわかる。僕はそっと、彼の足首に触れた。先生は一瞬だけ目を閉じ、僕の手に抵抗しなかった。

新城:​「……わかった。勝手にしろ」

短く、低い声。けれどそこには、アトリエでのあの視線の交わりと同じ、深い信頼が宿っていた。
​食事の後、僕は静かに部屋を整える。タオル、着替え、ベッドの準備。
二日前に自分の腰に入れたタトゥーの違和感を思い出す。忘れるほどではないけれど、確かにそこにある「証」。
先生も、今、同じ温度の違和感を抱えている。
そのことが、言葉にするよりも強く、僕たちの繋がりを感じさせてくれた。

​仕事を切り上げる合図のように、先生はノートPCを閉じた。眼鏡を外し、丁寧にテーブルに置く。その動作には、ようやく心から「休もう」という安堵が込められていた。
​立ち上がる動きは慎重だ。
脚の角度を最小限に保ち、痛みというよりは、新しく刻まれた「自分の一部」を慈しむような動き方。けれどその姿が、どうしても不自然に映る。

羽生:​「動きたくないのに、無理しないでよ。そのぎこちなさ、全部僕のせいなんだから。……一生、忘れないでね」

​僕の声は、自分でも驚くほど静かに、彼の意識へ染み込んでいく。
先生は立ち止まり、僕を黙って見つめる。その瞳の奥には、僕の独占欲をすべて見透かした上で、それを受け入れるような、静かな光が宿っていた。
​僕の視線を感じながらも、あくまで自力で動こうとする。
僕は彼の傍らにそっと立った。

羽生:​「先生、意地を張らなくていいよ。動くたびに、あんたが顔を顰めるのは見ていられない。僕に頼ってくれるのが、一番の安心なんだから」

僕は彼に顔を寄せた。彼の肌から微かな熱を感じる。

羽生:​「お願い。今夜は僕に甘えて。そうしてくれないと、僕が落ち着かないんだ」

​先生は目を開けなかった。彼は僕の言葉に含まれた、静かな執着を、否定する言葉を持たなかった。何も言わず、ただ深く息を吐き出すことで、彼は僕の介助を受け入れた。

​僕は先生の腰と背中に手を回す。先生の身体はまだ硬く、体重を預けることを完全には許してはいない。しかし僕は、先生の不自由な脚を支えるように、密着した状態でベッドまでエスコートした。彼の体から伝わる熱と、その重みが、僕の心を満たした。

​僕の印が、今、愛する人を不自由にしている。
そのことが、言葉にならないほどの愛おしさと、深い充足感を僕に与えていた。
​ベッドに腰を下ろした先生は、短く息を吐いた。
仕事を終えた安堵と、僕に身を委ねたことへの、静かな降伏。

新城:​「……近すぎる。お前は自分のことをしていろ」

​そう言いながら、僕を拒む気配はない。
ただ、今はまだ、その新しく刻まれた場所に触れれば、保っている均衡が崩れてしまう——そんな、繊細な境界線を守るための言葉だった。
​手を伸ばせば触れられる距離。
けれど触れない。

傷を守るためのシルクローブが、今は二人の間に必要な「優しさ」を引いている。
触れられない夜だからこそ、互いの存在が鮮明に、溶け合うように感じられた。
​それは、焦りではなく、この静かな不自由さが生む、深い親密さだった。

♡あとがき♡
お待たせしました。次回はエロきます!
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

タトゥーの甘い檻

マリ・シンジュ
BL
執着系わんこ攻(大学生)× 高潔な美形教授受(30代) どのお話も単体でお楽しみいただけます。 ​「先生、ここ……僕の瞳を入れるから。ずっと、僕だけを見てて」 ​真面目な大学教授・新城が、大学生の・羽生にだけ許した、あまりにも淫らな「わがまま」。 ​それは、誰にも見えない内腿の奥深くに、消えないタトゥーを刻むこと。 「下書き」と称して肌を赤く染めるペン先の冷たさ。 アトリエの無機質なライトの下、四つん這いで晒される大人の矜持。 ​ずっと年下の青年の、必死で、残酷で、純粋な独占欲。 愚かだと知りながら、新城はその熱に絆され、ゆっくりと「聖域」を明け渡していく――。 ​「……お前のわがままには、最後まで付き合う」 ​針が通るその時、二人の関係は一生消えない「共犯」へと変わる。 執着攻め×年上受け、密やかに刻まれる秘め事のお話。

【完結】エデンの住処

社菘
BL
親の再婚で義兄弟になった弟と、ある日二人で過ちを犯した。 それ以来逃げるように実家を出た椿由利は実家や弟との接触を避けて8年が経ち、モデルとして自立した道を進んでいた。 ある雑誌の専属モデルに抜擢された由利は今をときめく若手の売れっ子カメラマン・YURIと出会い、最悪な過去が蘇る。 『彼』と出会ったことで由利の楽園は脅かされ、地獄へと変わると思ったのだが……。 「兄さん、僕のオメガになって」 由利とYURI、義兄と義弟。 重すぎる義弟の愛に振り回される由利の運命の行く末は―― 執着系義弟α×不憫系義兄α 義弟の愛は、楽園にも似た俺の住処になるのだろうか? ◎表紙は装丁cafe様より︎︎𓂃⟡.·

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

飼われる側って案外良いらしい。

なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。 向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。 「まあ何も変わらない、はず…」 ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。 ほんとに。ほんとうに。 紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22) ブラック企業で働く最下層の男。顔立ちは悪くないが、不摂生で見る影もない。 変化を嫌い、現状維持を好む。 タルア=ミース(347) 職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。 最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…? 2025/09/12 ★1000 Thank_You!!

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話

タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。 瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。 笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。

ハイスペックストーカーに追われています

たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!! と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。 完結しました。

処理中です...