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触れられない距離
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マンションの扉を開けると、リビングには抑えた明かりが灯っていた。外の雑音を切り離すような、柔らかな静けさ。鍵を閉めた瞬間、今日一日の緊張が、ようやく肩から一段落ちる。
先生は、タトゥーの傷を刺激しないために用意したグレーのシルクのローブを身に纏い、ソファに腰を深く沈めていた。膝の上にはノートPC。余白には赤字のコメントが規則正しく並んでいる。
仕事は、滞ってはいない。
けれど、どこか自分を律するように集中しようとしているのが、背筋のわずかな硬さから伝わってきた。
アトリエで、あんなにも潔く、僕との絆としての「痛み」を受け入れてくれた人。
先に一人で帰らせてしまったけれど、その背中に感じたのは拒絶ではなく、彼なりの「一人の時間で呼吸を整えたい」という静かな自立心だったのだと思う。
ローブの柔らかな光沢が、身体の輪郭を曖昧に包み込んでいる。
傷を守るための、優しい布。その布越しの距離を、先生はどこか大切にするように、静かに座っていた。
僕は足音を立てないように彼に近づき、ふと隅に置かれた観葉植物に目を向ける。
そっと葉を拭き、土の表面をならす。物音はほとんどなく、先生の膝の上のPCから目を離さず、静かに呼吸を合わせるように手を動かす。小さな動作が、部屋に穏やかな生活の気配を添える。
新城:「大丈夫だ。お前は休め。今日は疲れただろう」
視線は画面に残したままの、落ち着いた声。
それは僕を遠ざけるためではなく、自分の平穏を取り戻そうとする、彼らしい慎重な配慮だった。
羽生:「嫌だね。あんたは僕の大切な契約を背負ってくれたんだよ。労わるのは僕の特権でしょ」
隣に腰を下ろすと、先生の呼吸が一拍遅れて深くなる。
拒むような力みはない。ただ、僕の気配が隣に来たことを、ゆっくりと、深く受け入れていくのがわかる。僕はそっと、彼の足首に触れた。先生は一瞬だけ目を閉じ、僕の手に抵抗しなかった。
新城:「……わかった。勝手にしろ」
短く、低い声。けれどそこには、アトリエでのあの視線の交わりと同じ、深い信頼が宿っていた。
食事の後、僕は静かに部屋を整える。タオル、着替え、ベッドの準備。
二日前に自分の腰に入れたタトゥーの違和感を思い出す。忘れるほどではないけれど、確かにそこにある「証」。
先生も、今、同じ温度の違和感を抱えている。
そのことが、言葉にするよりも強く、僕たちの繋がりを感じさせてくれた。
仕事を切り上げる合図のように、先生はノートPCを閉じた。眼鏡を外し、丁寧にテーブルに置く。その動作には、ようやく心から「休もう」という安堵が込められていた。
立ち上がる動きは慎重だ。
脚の角度を最小限に保ち、痛みというよりは、新しく刻まれた「自分の一部」を慈しむような動き方。けれどその姿が、どうしても不自然に映る。
羽生:「動きたくないのに、無理しないでよ。そのぎこちなさ、全部僕のせいなんだから。……一生、忘れないでね」
僕の声は、自分でも驚くほど静かに、彼の意識へ染み込んでいく。
先生は立ち止まり、僕を黙って見つめる。その瞳の奥には、僕の独占欲をすべて見透かした上で、それを受け入れるような、静かな光が宿っていた。
僕の視線を感じながらも、あくまで自力で動こうとする。
僕は彼の傍らにそっと立った。
羽生:「先生、意地を張らなくていいよ。動くたびに、あんたが顔を顰めるのは見ていられない。僕に頼ってくれるのが、一番の安心なんだから」
僕は彼に顔を寄せた。彼の肌から微かな熱を感じる。
羽生:「お願い。今夜は僕に甘えて。そうしてくれないと、僕が落ち着かないんだ」
先生は目を開けなかった。彼は僕の言葉に含まれた、静かな執着を、否定する言葉を持たなかった。何も言わず、ただ深く息を吐き出すことで、彼は僕の介助を受け入れた。
僕は先生の腰と背中に手を回す。先生の身体はまだ硬く、体重を預けることを完全には許してはいない。しかし僕は、先生の不自由な脚を支えるように、密着した状態でベッドまでエスコートした。彼の体から伝わる熱と、その重みが、僕の心を満たした。
僕の印が、今、愛する人を不自由にしている。
そのことが、言葉にならないほどの愛おしさと、深い充足感を僕に与えていた。
ベッドに腰を下ろした先生は、短く息を吐いた。
仕事を終えた安堵と、僕に身を委ねたことへの、静かな降伏。
新城:「……近すぎる。お前は自分のことをしていろ」
そう言いながら、僕を拒む気配はない。
ただ、今はまだ、その新しく刻まれた場所に触れれば、保っている均衡が崩れてしまう——そんな、繊細な境界線を守るための言葉だった。
手を伸ばせば触れられる距離。
けれど触れない。
傷を守るためのシルクローブが、今は二人の間に必要な「優しさ」を引いている。
触れられない夜だからこそ、互いの存在が鮮明に、溶け合うように感じられた。
それは、焦りではなく、この静かな不自由さが生む、深い親密さだった。
♡あとがき♡
お待たせしました。次回はエロきます!
先生は、タトゥーの傷を刺激しないために用意したグレーのシルクのローブを身に纏い、ソファに腰を深く沈めていた。膝の上にはノートPC。余白には赤字のコメントが規則正しく並んでいる。
仕事は、滞ってはいない。
けれど、どこか自分を律するように集中しようとしているのが、背筋のわずかな硬さから伝わってきた。
アトリエで、あんなにも潔く、僕との絆としての「痛み」を受け入れてくれた人。
先に一人で帰らせてしまったけれど、その背中に感じたのは拒絶ではなく、彼なりの「一人の時間で呼吸を整えたい」という静かな自立心だったのだと思う。
ローブの柔らかな光沢が、身体の輪郭を曖昧に包み込んでいる。
傷を守るための、優しい布。その布越しの距離を、先生はどこか大切にするように、静かに座っていた。
僕は足音を立てないように彼に近づき、ふと隅に置かれた観葉植物に目を向ける。
そっと葉を拭き、土の表面をならす。物音はほとんどなく、先生の膝の上のPCから目を離さず、静かに呼吸を合わせるように手を動かす。小さな動作が、部屋に穏やかな生活の気配を添える。
新城:「大丈夫だ。お前は休め。今日は疲れただろう」
視線は画面に残したままの、落ち着いた声。
それは僕を遠ざけるためではなく、自分の平穏を取り戻そうとする、彼らしい慎重な配慮だった。
羽生:「嫌だね。あんたは僕の大切な契約を背負ってくれたんだよ。労わるのは僕の特権でしょ」
隣に腰を下ろすと、先生の呼吸が一拍遅れて深くなる。
拒むような力みはない。ただ、僕の気配が隣に来たことを、ゆっくりと、深く受け入れていくのがわかる。僕はそっと、彼の足首に触れた。先生は一瞬だけ目を閉じ、僕の手に抵抗しなかった。
新城:「……わかった。勝手にしろ」
短く、低い声。けれどそこには、アトリエでのあの視線の交わりと同じ、深い信頼が宿っていた。
食事の後、僕は静かに部屋を整える。タオル、着替え、ベッドの準備。
二日前に自分の腰に入れたタトゥーの違和感を思い出す。忘れるほどではないけれど、確かにそこにある「証」。
先生も、今、同じ温度の違和感を抱えている。
そのことが、言葉にするよりも強く、僕たちの繋がりを感じさせてくれた。
仕事を切り上げる合図のように、先生はノートPCを閉じた。眼鏡を外し、丁寧にテーブルに置く。その動作には、ようやく心から「休もう」という安堵が込められていた。
立ち上がる動きは慎重だ。
脚の角度を最小限に保ち、痛みというよりは、新しく刻まれた「自分の一部」を慈しむような動き方。けれどその姿が、どうしても不自然に映る。
羽生:「動きたくないのに、無理しないでよ。そのぎこちなさ、全部僕のせいなんだから。……一生、忘れないでね」
僕の声は、自分でも驚くほど静かに、彼の意識へ染み込んでいく。
先生は立ち止まり、僕を黙って見つめる。その瞳の奥には、僕の独占欲をすべて見透かした上で、それを受け入れるような、静かな光が宿っていた。
僕の視線を感じながらも、あくまで自力で動こうとする。
僕は彼の傍らにそっと立った。
羽生:「先生、意地を張らなくていいよ。動くたびに、あんたが顔を顰めるのは見ていられない。僕に頼ってくれるのが、一番の安心なんだから」
僕は彼に顔を寄せた。彼の肌から微かな熱を感じる。
羽生:「お願い。今夜は僕に甘えて。そうしてくれないと、僕が落ち着かないんだ」
先生は目を開けなかった。彼は僕の言葉に含まれた、静かな執着を、否定する言葉を持たなかった。何も言わず、ただ深く息を吐き出すことで、彼は僕の介助を受け入れた。
僕は先生の腰と背中に手を回す。先生の身体はまだ硬く、体重を預けることを完全には許してはいない。しかし僕は、先生の不自由な脚を支えるように、密着した状態でベッドまでエスコートした。彼の体から伝わる熱と、その重みが、僕の心を満たした。
僕の印が、今、愛する人を不自由にしている。
そのことが、言葉にならないほどの愛おしさと、深い充足感を僕に与えていた。
ベッドに腰を下ろした先生は、短く息を吐いた。
仕事を終えた安堵と、僕に身を委ねたことへの、静かな降伏。
新城:「……近すぎる。お前は自分のことをしていろ」
そう言いながら、僕を拒む気配はない。
ただ、今はまだ、その新しく刻まれた場所に触れれば、保っている均衡が崩れてしまう——そんな、繊細な境界線を守るための言葉だった。
手を伸ばせば触れられる距離。
けれど触れない。
傷を守るためのシルクローブが、今は二人の間に必要な「優しさ」を引いている。
触れられない夜だからこそ、互いの存在が鮮明に、溶け合うように感じられた。
それは、焦りではなく、この静かな不自由さが生む、深い親密さだった。
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