終末レンタル家族

井上シオ

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第2章:ほころびの家

第15話「消去命令」

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 暗くなった部屋に、低く、機械的な警告音が鳴り響いた。

 ピッ――ピッ――ピッ。

 どこか遠くで、重たい扉が開くような音。
 無数の監視レンズが、天井からこちらを向いた。

 端末の画面に、赤い警告文が表示される。


【セキュリティ警告】
登録者コードA-18-2734による不正な記録閲覧を検出。
該当記録は“削除指令対象”に切り替わりました。

――10秒後に完全消去を開始します。


「――待ってくれ!!」

 ヒカルは思わず叫んだ。
 目の前にあるのは、母が残した最後の記録。
 “ヒカルを消さないでください”というファイル。
 この再生が叶えば、母の真意を知ることができる。
 でも――その前に、制度が消そうとしていた。
 

 「やめろっ! これを消すなんて……間違ってる!」

 おもちが、足元で不安そうに鳴く。
 警告音は止まらない。
 赤いカウントが、残酷に数字を刻み続ける。
 

 8
 7
 6
 

 「母さんが……自分の声で残した記録だぞ……!
 どうしてそれを、“理想じゃない”ってだけで消せるんだよ!」

 答えはない。
 ただ、制度は淡々と実行するだけ。
 

 5
 4
 

 ヒカルは、端末のキーボードに手を伸ばす。
 全身が震えていた。

 ――止めなきゃ。
 でも、どうやって? どうすれば?
 

 そのとき。
 背後から、柔らかな声が聞こえた。

「“コード挿入”を」
 

 振り返ると、そこには――あの仮面の倫理判定者が立っていた。

 無表情のその手が、静かに差し出しているのは、
 小さな銀色のキー。
 おもちのものと似ていたが、形状が微妙に異なる。
 

 「それは……?」

「旧倫理プログラム開発者のマスターキー。
 この施設の記録消去命令を一時凍結できる、唯一の例外キー」

 仮面の声は平坦だったが、わずかに震えていた。

「かつて私も、家族を“制度に消された”者です」
 

 ヒカルは迷わずそのキーを受け取り、端末に差し込んだ。
 

 3
 2
 ――■ 凍結処理開始
 

 次の瞬間、画面の赤い表示がパッと消えた。


【記録削除、凍結完了】
記録「ヒカルを消さないでください」――再生可能状態に復帰。


 ヒカルは肩を落とし、胸いっぱいに息を吸い込んだ。
 膝に乗ってきたおもちが、彼の腕に頬をこすりつける。

 助かった。
 今だけは、それだけでよかった。
 

 端末の画面が静かに切り替わり、音声が再生を開始する。
 

 ――母の声だった。
 

《……これは最後のお願いです》
《私がいなくなったあとも、ヒカルという名前だけは、消さないでください》
《たとえ制度がそう命じても、
 彼は、私の子です。私の大事な――“生きた記憶”です》
 

 ヒカルの喉が詰まる。
 

《……私は、“理想”なんかじゃなかった》
《でも、私とヒカルは、たしかに“生きていた”》
《それだけが、どうか、この世界に残りますように》
 

 音声が終わる。
 その瞬間、ヒカルの中にあった“何か”が、音もなく崩れ落ちた。

 涙が止まらなかった。
 

「……ありがとう……母さん……」
 

 その記録は、誰に向けたものでもなかった。
 ただ、一人の母が、自分の子をこの世界に“遺そうとした”声だった。

 制度が消そうとしたのは、
 数字や登録データじゃない。
 人が人を、想う声だった。
 

 ヒカルは、ぬぐった涙の先で、
 今この瞬間、自分が“名前を持っていること”の重みを知った。

 それは、誰かの祈りでできていた。
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