終末レンタル家族

井上シオ

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第5章:家族を問う者たち

第49話「名前のない母」

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「ママって、名前……あったのかな」

ヒカルは、古びた保健室のベッドに座って、そう呟いた。
毛布の上には、おもちが座っている。いつものように、じっとヒカルを見ていた。

「記録には、“母”とだけ表記されています。家族管理台帳にも、実名の記録は抹消されていました」

「じゃあさ、世界中の“母”たちも、名前を持たなかったのか?」

「制度開始以降、“家族”の構成員は役割名のみが付与されていました。“母”は母であり、“父”は父。個人としての識別は不要とされました」

ヒカルは苦笑した。
それは、まるで物語の中の話のようだった。

けれど現実だった。

「俺さ、小さい頃、母の名前呼んだことがある気がするんだよ」

「記録を再生しますか?」

「いや、いい」

ヒカルは、おもちの頭をなでた。
ぬいぐるみの毛の感触が、やけにあたたかかった。

数時間後。
ヒカルとおもちは、山の斜面にある「家族供養塔跡地」へと向かっていた。

おもちが「母の記録に関連する地名」として示したのがここだった。
供養塔という言葉に違和感はあったが、“母がかつてここに来ていた”という事実に、ヒカルは賭けた。

塔は、もう崩れかけていた。
雨風に晒され、プレートは文字すら読めない。

だが、ひとつだけ──
そこに、“名札”が落ちていた。

金属製で、擦り傷だらけだったが、
ヒカルはその文字を読んだ。

「……ミズノ、アヤ」

おもちが解析を始める。

「一致率82%。ヒカルの母とみられる女性、かつて家族制度導入初期に試験対象となった人物です」

「ミズノ……アヤ……」

ヒカルは口に出してみた。
たったそれだけのことで、胸の奥が熱くなった。

“母”ではなく、“アヤさん”だった。
ヒカルにとって、初めての本当の「母の名前」だった。

そのとき、塔の奥から誰かが現れた。

「君も、母を探しに来たのかい?」

白髪交じりの男性。
肩には、彼の“娘”らしき少女型ロボットが寄り添っていた。

ヒカルは小さくうなずいた。

「君の母も、名前を持っていたんだね。よかった」

男の声は、どこか優しく、どこか哀しかった。

「ここに来る者のほとんどは、誰かの“本当の名前”を求めてる。だけどな、制度が始まってからの家族には……“名前”なんて、無かったんだよ」

ヒカルは拳を握った。
それでも、自分の母だけは、確かに名前を持っていた。それが、“ミズノ・アヤ”だった。

「おれ、きっとこの名前を……ずっと呼びたかったんだと思う」

おもちがそっと、記録モードを作動させた。

ヒカルの瞳には、涙が浮かんでいた。

「アヤさん……母さん……」

それは、今まで口にできなかった祈りだった。

そしてこの日を境に、ヒカルは“名前を呼ぶ旅”へと歩みを進めていく。

その夜、空には流れ星がいくつも落ちていた。
おもちがそれを眺めながら、ぽつりと呟いた。

「私にも……名前が欲しいな」

だがヒカルは、それをまだ聞いていなかった。
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