影武者の天下盗り

井上シオ

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最終章:偽りの果てに咲く

第92話:二つの信長、ひとつの刀

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 京の外れ、廃れた屋敷の一室。
 蝋燭の火が揺れ、そこに二人の“織田信長”が対峙していた。

 ひとりは、いま天下を掌握する男。
 十兵衛――影武者だったはずの男。

 もうひとりは、かつて本能寺に火を放ち、自ら姿を消した“本物”。
 痩せこけ、髪に白いものを交え、されど目は獣のように鋭い。
 

「……わしの名を語り、よくもここまで成り上がったな」

 低く、爪のように鋭い声。

 だが、十兵衛はもう怯えなかった。
 否、それどころか、笑みさえ浮かべる。
 

「おかげさまで。あなたの名は、よく育ちました。
 民も、兵も、女たちも……“今の信長”を信じておりまする」
 

 静かに、老いた本物が刀を抜いた。

 十兵衛もまた、信長の佩刀“宗三左文字”を抜く。
 

 まるで、どちらが“本物”にふさわしいかを決するように。
 歴史が、刀の一閃で書き換わるように。
 

 ――一瞬。鋼と鋼が火花を散らす。

 歳月に削られた肉体の差が、やがて決定的な差を生む。
 

「ぐっ……!」

 “本物”の膝が沈む。
 

 十兵衛は言った。
 

「貴殿の名を、否定はしませぬ。
 だが、“信長”を生きたのは私です。
 この手で家臣を従え、敵を斬り、民を導いた。
 ……名とは、ただの器ではない。中身こそがすべてだ」
 

 膝をついた本物の信長は、血を吐きながらも笑った。
 

「……ほう。偽物が、本物を諭すか」
 

 十兵衛は黙って刀を納め、背を向けた。

 その背に、最後の言葉が飛ぶ。
 

「このまま、歴史を騙し通せると思うな……十兵衛。
 名は消えても、“影”は残るのだ」
 

 振り返らず、十兵衛は屋敷を出た。

 雨が降り出していた。

 影が、本物を飲み込んでゆく夜。
 名と刀を手にした“影武者”は、ますます“本物”に近づいていた。
 

 そしてその夜――

 “織田信長、本能寺で生き延びた”との記録が、ひとつ燃やされた。
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